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紅楼夢  作者: 翡翠
第十五回 王鳳姐(おうほうしゃ) 権(けん)を鉄檻寺(てっかんじ)に弄(ろう)し、秦鯨卿(しんげいけい)、趣(おもむき)を饅頭庵(まんとうあん)に得(う)。
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第十五回 19

 智能は慌(あわ)てて足をばたばたさせた。

 ともし火(び)がぼんやりと秦鐘の顔を浮(う)き上(あ)がらせる。

 一瞬(いっしゅん)の躊躇(ためら)いがあった。

 智能は叫(さけ)ぶ。

「何(なに)するのよ! もう一度(いちど)こんなことをしてごらんなさい。大声(おおごえ)をだすから」

 秦鐘は智能の頬(ほほ)に触(ふ)れながら言った。

「好人(きみ)。ぼくはもう焦(こ)がれ死(し)んでしまいそうだ……。もし今日(きょう)してくれないなら、僕(ぼく)は死(し)ぬ」

 智能は手を振(ふ)り払(はら)った。

「いったい何をしたいわけ?」

 一息(ひといき)ついてから、智能は秦鐘をにらんだ。

「この牢獄(ろうごく)のようなところを出て、ここから離(はな)れない限(かぎ)り、あなたのことなんて聞けないわ」

 秦鐘は言った。

「そんなの簡単(かんたん)さ」

「……じゃあ……あなた………私を………」

 智能は目をうるませた。

 だが、智能が言(い)い終(お)えないうちにその小さな体(からだ)がふわりと宙(ちゅう)に浮(う)いた。耳もとで秦鐘がそっと囁(ささや)く

「でも、遠くの水(みず)では今(いま)の渇(かわ)きは癒(いや)せない」

 ともし火がふっ、と消(き)えた。

 智能の涙(なみだ)がとまる。

 秦鐘は智能を抱(だ)きかかえると、炕(こう)の上(うえ)にどさりと置(お)いた。

 二人とも一言も発(はっ)さなかった。

 智能の袷(あわせ)に指(ゆび)が入(はい)りこみ、暗闇(くらやみ)のなかに尼僧(にそう)の裸体(らたい)が露(あら)わになる。

 やがて、秦鐘の華奢(きゃしゃ)な体(からだ)が智能のそれに溶(と)けていった。

 あれこれともがいたものの、智能は逃(のが)れることもできず、声をあげることもしなかった。

 智能は混濁(こんだく)のなか暗闇(くらやみ)へと沈(しず)んでゆく。

 霜月(しもつき)の冷気(れいき)が二人の若人(わこうど)の熱気(ねっき)とないまぜになり、わずかにその冷(ひ)えが勝(まさ)ったころ、誰(たれ)かの手が二人を押(お)さえつけた。

 二人は動(うご)きをとめる。

 冷気(れいき)が秦鐘の身(み)に纏(まと)わりついてきた。

 長い黙(もだ)のなか、誰(だれ)かがぷっ、と噴(ふ)きだした。

「わはははは」

 笑い声が小さな房(へや)に響(ひび)く。

 二人はそれを聞いて三人目が宝玉だと気(き)づいたが、どうするべくもない。

 秦鐘は慌(あわ)てて起(お)き上(あ)がり、恨(うら)むように言った。

「何するのさ?」

 宝玉は笑って言った。

「何だいその目(め)は? 大声(おおごえ)でみんなを呼(よ)んでやろうか」

 それを聞くと智能は恥(は)ずかしさのあまり、暗闇(くらやみ)に紛(まぎ)れて逃(に)げていった。

 宝玉は秦鐘を外へ引きずり出すと言った。

「これでもまだ言(い)い張(は)るつもりかい?」

 秦鐘の瞳(ひとみ)に宝玉が映(うつ)る。

 秦鐘は笑(わら)って言った。

「ねえ、好人(きみ)、みんなには言いふらさないで。あなたの言うことなら何でも聞くから」

 宝玉は笑った。

「今はいいよ。寝床(ねどこ)に入ってから、じっくり清算(せいさん)することにしよう」

 やがて着替(きが)えて、眠(ねむ)りにつこうという時刻(じこく)になった。

 熙鳳は奥(おく)の間で、宝玉と秦鐘は外の間で眠(ねむ)ることとなり、婆子(ばあや)たちも床(ゆか)へ一面(いちめん)に夜具(やぐ)を敷(し)いて宿直(とのい)していた。

 熙鳳は通霊宝玉(つうれいほうぎょく)を無(な)くすことを心配(しんぱい)して、宝玉が寝(ね)ついてから、かの宝玉を持って来(こ)させ、枕頭(ちんとう)にしまった。そのあと宝玉が秦鐘とどのような「清算(せいさん)」をしたのかは、かの大石(おおいし)に記(しる)されておらず定(さだ)かでない。


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