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紅楼夢  作者: 翡翠
第十五回 王鳳姐(おうほうしゃ) 権(けん)を鉄檻寺(てっかんじ)に弄(ろう)し、秦鯨卿(しんげいけい)、趣(おもむき)を饅頭庵(まんとうあん)に得(う)。
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第十五回 18

 老尼(ろうに)は慌(あわ)てて何度(なんど)もうなずきながら言った。

「それではぜひ、明日(あした)にでも」

 熙鳳は帳簿(ちょうぼ)を広げながら言った。

「ごらんなさい。私はこんなに忙(いそが)しいのよ。どこに行ったって私がいないことには回らない」

「ええ、ええ。そうですとも」

 浄虚はしきりに揉(も)み手(て)をする。平児はそっと目を伏(ふ)せた。

「……それでも、引(ひ)き受(う)けた以上(いじょう)はすぐに片付(かたづ)けてあげるわ」

 老尼(ろうに)は言った。

「このような頼(たの)み事(ごと)は奶奶(わかおくさま)にはたやすいことにございましょう。他(ほか)の方ならこうはいきません」

浄虚はわざとらしく咳払(せきばら)いをした。

「奶奶(わかおくさま)であれば、あと一抱(ひとかか)え、二抱(ふたかか)えあったとしても、たやすくこなされるでしょう」

「ちょっと!」

 熙鳳は浄虚の肩(かた)を軽(かる)くたたく。

「よしなさい。これ以上(いじょう)、押(お)しつけられたら私といえども倒(たお)れてしまうわ」

「俗言(ぞくげん)に申(もう)します。『能(のう)ある者(もの)は労(ろう)も多(おお)い』と。さればこそ、太太(おくさま)も大事(だいじ)であれ小事(しょうじ)であれ奶奶(わかおくさま)なら大丈夫(だいじょうぶ)、とお任(まか)せになられるのです」

 そのまま熙鳳の手を取り、すがるようにして言う。

「奶奶(わかおくさま)、どうか御身(おんみ)を大事(だいじ)になされませ」

 こうして幾度(いくど)もおだてられるうちに、熙鳳は疲(つか)れも忘(わす)れて、この尼僧(にそう)と話しこんだ。

 平児は目をこすりながら小さくつぶやいた。

「まぁ、大(おお)ごとにはならないでしょう……」

 平児は音(おと)を立てないように気をつけながら、灯火(とうか)のともる方へゆっくりと後(あと)ずさっていった。


 そこでは蝋(ろう)の火(ひ)がかすかに灯(とも)っていた。

 智能(ちのう)は手元(てもと)に気(き)を付(つ)けながら、茶碗(ちゃわん)を洗(あら)っていく。

 きんっ、という茶碗(ちゃわん)の触(ふ)れ合(あ)う音(おと)がした。

 智能はおそるおそる茶碗(ちゃわん)が欠(か)けていないかをたしかめた。

 安堵(あんど)のため息(いき)を漏(も)らすと、再(ふたた)び桶(おけ)のなかで茶碗(ちゃわん)をすすぎはじめた。

 冷(つめ)たい水(みず)にかじかみながら、ときおり手をこすり合わせたりして、一個(いっこ)、また一個(いっこ)と茶碗(ちゃわん)を洗(あら)っていく。

 ことり。

 暗(くら)がりへ、滴(したた)るように音(おと)が落(お)ちた。

 ――鼠(ねずみ)かしら。

 そう思(おも)いながら、もう一度(いちど)冷水(れいすい)に指(ゆび)を浸(ひた)す。

 爪(つめ)の先(さき)が水面(みなも)に触(ふ)れたそのとき、とんとん、と肩(かた)をたたかれた。

「智善! そろそろ代(か)わってちょうだ……」

 そう言い終(お)える間(ま)もなく、智能は唇(くちびる)を奪(うば)われていた。


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