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紅楼夢  作者: 翡翠
第十四回 林如海 揚州城に捐館(えんかん)し、賈宝玉 路(みち)に北静王(ほくせいおう)へ謁(えっ)す
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第十四回 16

 賈珍は空(そら)を仰(あお)いだ。

 その雲(くも)の色(いろ)は灰(はい)のように澱(よど)み、湿(しめ)った気(き)の流(なが)れも、賈珍の乗る車(くるま)を真綿(まわた)のように緩(ゆる)やかに締(し)めつけていたが、賈珍はそんな些事(さじ)に拘泥(こうでい)している暇(いとま)はなかった。

「父上(ちちうえ)」

 賈蓉が簾(すだれ)の外(そと)から呼(よ)びかける。

「陰陽司(おんみょうじ)の吏(り)もご一緒(いっしょ)に行かれるのですか?」

「それがどうした? 私に理(り)を説(と)くつもりか?」

 簾(すだれ)の内(うち)から声だけが返(かえ)ってくる。賈蓉はとっさに笑みをつくった。

「滅相(めっそう)もございません。ただ吏(り)の方(かた)がお帰(かえ)りの際(さい)の饗応(きょうおう)の支度(したく)をしなければと思っていたもので」

「ふん」

 賈珍は鼻(はな)を鳴(な)らした。

「相変(あいか)わらず妙(みょう)なところには気(き)がつくな。察(さっ)したとおりだ。私はこれから鉄檻寺(てっかんじ)へ吏(り)の者(もの)どもを連(つ)れてゆくつもりだ」

「それでは食事(しょくじ)の支度(したく)をしてお帰りをお待(ま)ちしております」

 賈蓉は拝手(はいしゅ)しながら車(くるま)が去(さ)っていくのを見送(みおく)った。

「賈蓉さま、なぜあのようなことをおっしゃったのです?」

 下人(めしつかい)が尋(たず)ねた。賈蓉はため息(いき)をつきながら笑(わら)う。

「官吏(かんり)はすべからく天下(てんか)のものだ。決(けっ)して私(し)することなどあってはならない」

 下人(めしつかい)はおそるおそる賈蓉の顔(かお)をのぞきこむ。

「……と孔孟(こうもう)ならばおっしゃるだろうが僕(ぼく)はしがない俗人(ぞくじん)だ。さあ、早く支度(したく)にとりかからないと父上(ちちうえ)に叱(しか)られる」

 そういって賈蓉は笑った。


「ここに霊柩(れいきゅう)を置(お)くのだな?」

 賈珍は冷(ひ)ややかな石床(いしゆか)を見やりながら言った。

「はい。左様(さよう)で」

 鉄檻寺(てっかんじ)の住持(じゅうじ)、色空(しきくう)はおどおどしながら答(いら)えを返(かえ)す。

「供物(くもつ)や飾(かざ)り付(つ)けを惜(お)しむな。できうるかぎり新しきものを調(ととの)え、大勢(おおぜい)の名僧(めいそう)を招(まね)き、万全(ばんぜん)を期(き)して霊(れい)を迎(むか)えるのだ」

「はっ」

 もろもろの話を終えたころには、すでに寺(てら)の外(そと)はほの暗(ぐら)くなっていた。

「……これでは寧府に戻るころには、城門(じょうもん)は開(あ)かないな」

 すると色空はすかさず駆(か)け寄(よ)り、

「老爺(だんな)さま、浄室(じょうしつ)が空(あ)いております。粗末(そまつ)なところで心苦(こころぐる)しゅうございますが、今日はそちらへお泊(とま)りいただきますよう」

 と言った。賈珍がうなずくと、色空は急(いそ)いで晩(ばん)のお斎(とき)を運(はこ)んで来(こ)させた。だが、賈珍は膳(ぜん)の前に座(すわ)ったまま箸(はし)をつけようとしない。

「どうされました? お口に合いませんでしたか?」

 色空がそう尋(たず)ねるのに、賈珍はそっと箸(はし)をおいた。

「腹(はら)が減(へ)っていないのだ」

 そう言われて色空は静(しず)かに頭(こうべ)を垂(た)れた。しばし沈黙(ちんもく)が流(なが)れたが、賈珍の目尻(めじり)から何かが零(こぼ)れたことに気づく者はいなかった。


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