まとめ
さて、ここまでは第十三回までの私見を述べてきた。
先述した通り、寧府の腐敗を示したところでひとくぎり、という考えは変わっていない。
ここ数日、つらつらと考えているのは、紅楼夢の回目は干支にしたがって進行しているのではないかということだ。甲子、丙午といった、あの干支だ。
ただし、第一回から順行しているとは私も思っていない。私の想定では第一回および第二回でまず陰陽を定め、第三回から甲子、乙丑と進んでいると考えている。
第一回、第二回は無味乾燥でつまらないという意見が多い。だが、それも「陰陽」というただ二つを表現しようとした結果なら、その簡素な形式も納得がいく。陰陽分かつ天地開闢のごとく物語をはじめ、甄士隠の側にも賈雨村の側にも、陽の面があり、陰の面があり、だがそれは一花の彩りも添えていない。
ひるがえって第三回では甲子にあたると思われる。甲はそびえたつ大樹であり、子は孳であって、生命の萌しがあらわれるときであるとともに、不安定さを有している。
黛玉は賈母の優しさに迎えられ、その家門はきらびやかな贅に包まれているけれども、どこか不安定であり、宝玉は癇癪をあげ、黛玉は泣く。あたかも大木(甲木)が大海(子水)に漂うがごとく、不安定な状態である。
さらに第四回では、乙木の蔓のように馮淵、英蓮、薛蟠の縁が絡み合い、そこには湿った丑土のような、法をごまかすじめりとした不正が澱んでいる。
といったように起承転結、序破急といった組み立てのごとく、干支をもとにして回目を進めていると信じる。その証左として、十干がひとめぐりして再び甲木へ戻ってくるのは、第十三回、秦氏の葬儀の場面である。だが、今度の甲木は甲戌であって、戌土は燃えつきた土を意味する。墓を守る、終末に向かう気をあらわし、まさに第十三回に適合しているといえるだろう。
ただ、この進行の欠陥は劇的な展開を作り出すのが難しいという点で、紅楼夢のとっつきにくさも表裏として有している。
第十三回を終えて、次は寧府の刷新を熙鳳が図り、賈府の“慶事が訪れることとなる。ゆるやかに腐敗と栄華とが両足を揃えて近づいてきている。




