第十回
まず第十回の考察に入る前に第九回の状況を整理したい。宝玉たちが来るまえ、すでに義塾は混乱をきわめていた。代儒は自分の孫であるということで、能力の足りない賈瑞を代理に立て、秦鐘と金栄のいざこざが起き、賈薔が一計を講じるが、宝玉が儒学、礼の論理にしたがって金栄を屈服させる。しかし、これは一方的な支配であって、金栄側の義を考慮していない。当人に自覚はないのだろうが、その儒の手法を用いるのがそれにもっとも反発する宝玉であるのが面白い。
すなわち権勢、権力に依存する儒が十分な理解もないままそれを振り回せば、それは暴に近づく、という理がおぼろげに見えてくる。
それを前提として第十回では張友士という権力の構造から離れた儒の姿が描かれる。
では、冒頭からみていこう。
まず、金栄の家庭状況がつぶさに描かれる。彼の家は貧しく、金栄は義塾の不満を述べるけれども、母親は飯代のために義塾に行くように懇願する。前回、義塾という狭い儒の社会の隷属者であった彼がその構造に助けられていることが明らかにされる。
だが、その埒外にある賈璜の妻は甥の扱いに憤を覚える。
彼女の登場の前に、私は秦氏と秦鐘、宝珠のエピソードを置いた。尤氏からこのあたりのことは語られるが、せりふの中ではどうしても説明的になってしまう。
宝珠を先に出しておきたい都合もあり、秦氏と秦鐘の場面を描いた。秦氏の秦鐘に対する態度は、姉と弟というには強すぎる。“情”の権化のような彼女からすれば弟の秦鐘に”理“を説くのは不自然だ。だが、もし親子なら……というのが私の秦氏・秦鐘親子説の根拠の一つになっている。ここに賈蓉も陪席させ、後の軋轢の伏線とした。
賈璜の妻は秦鐘や秦氏に憤りながら寧府に赴く。彼女は夫が嫡派だ、ということに誇りをもっており、根底に秦氏たちに対する蔑みがあったのだろう。原文ではそこからどうやって秦氏への思いが変質したのか明らかにされていない。翻案では「おめでた、あるいは病」と聞かされた賈璜の妻が秦氏と自分を重ねたことにした。
ここから名医の呼び声高い張友士を呼ぶ運びとなるのだが、友士も紹介者であり、侠客の風がある馮紫英も権力、権勢の外にいる。だからこそ張友士は寧府の名帖を拒否し、馮紫英の方も賈珍の個人的なお願いとしてとどめるのだ。
また、ここでは賈珍と賈敬の父子の確執も描かれる。あくまで俗世に染まろうとしない賈敬と、どうしても彼の誕生日を祝いたい賈珍とでせめぎあいが行われる。ただ、ここで賈珍は虚栄のためだけに賈敬を祝おうとしているとは思えない。情と非情の対立が寧府の禍根の根源にあるとここでまず示される。
張友士は源を窮すという表題の通り、張友士は秦氏の診察にかこつけて、寧府の病巣をあきらかにしていく。その彼の問いに応えることができるのは賈蓉であり、一人のお付きの者だけだった。
第十回では前回の流れを引き継いで、権力の埒外にいる儒者であれば、権力の腐敗を解消できるのかという問いが示され、権力側にも、市井の側にも理解してもらえる人々がいたとしても、権力構造を変えるのは困難であるという現実が提示された。それならば情であればどうか? それこそが次回のテーマとなってくる。




