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紅楼夢  作者: 翡翠
翻案意図(第一回~第十三回)
258/259

第九回

 第九回には脂硯斎しけんさい脂評しひょうを見つけることができなかった。脂評しひょうには通常数名つうじょうすうめい署名しょめいが連ねてあるが、第九回には一番重要いちばんじゅうようであろう脂硯斎しけんさい署名しょめい見当みあたらない。(版本はんぽんによって異同いどうがあると思うが、私の参照さんしょうした庚辰こうしん本を底本ていほんにしたはんではそうだった)

ここは分析的ぶんせきてきに紅楼夢をみたい人にとっては注視ちゅうしすべき点だろう。すなわち紅楼夢の執筆下しっぴつかにおいては乾隆帝けんりゅうてい治世ちせい前帝ぜんてい雍正帝ようせいていのころにくらべればゆるやかとはいえ、満州人支配まんしゅうじんしはい批判ひはん中心ちゅうしんとした言論弾圧げんろんだんあつ、「文字もんじごく」のさなかだった。

ということを念頭ねんとうに翻案にのぞんだのだが、もう少しふか部分ぶぶんがあるとかんじた。私見しけんであるが、本回の構成こうせい構造こうぞうかんがみたうえでの予測よそくである。

まずは表層ひょうそう解釈かいしゃくを述べ、末尾まつびに私の予測よそくべることとする。


1.表層ひょうそう解釈かいしゃく

 第九回は宝玉が秦鐘へ文を書く場面ばめんから始まる。

 襲人はいえを空ける宝玉を表面上ひょうめんじょう心配しんぱいし、あれこれ言いふくめるが、翻案ほんあん晴雯せいぶんにつっこませたように、さみしさとほんの少しのねたみがあったのだろう。

 晴雯たちに宝玉が伝えたのは襲人に対するフォローだと思われる。宝玉の晴雯に対する強い信頼しんらいがうかがえる場面ばめんである。

 賈政との対峙たいじ、そしてその代理だいりである李貴がしかられる一幕ひとまく、ここも演出えんしゅつとして秀逸しゅういつである。すなわち、賈政はまだ宝玉を足りないと思っている。賈政の思惑通おもわくどおり、李貴が粗相そそうをおかし叱責しっせきされる。物語上ものがたりじょうは李貴をとおして間接的かんせつてきに宝玉が叱責しっせきされたかたちだ。

 ちなみにここで引用いんようされる鹿鳴ろくめいの詩であって、賓客ひんきゃく暗示あんじする。食客しょっかくたちが集まる場にはぴったりだが、李貴がそれを引いたのは偶然ぐうぜんであった、という皮肉ひにくがきいている。

 だが、かげから聞いていた宝玉は李貴のあやまりを即座そくざ修正しゅうせいするという知性ちせいを見せる。ここで何がえがかれているかというと、父子の葛藤かっとうであるとともに、いかに賈政が宝玉の能力のうりょくひく見積みつもっているかということだ。

 そこから賈母おばあさま挨拶あいさつをすませ、黛玉のところに向かう。これは秦鐘という仮情かじょうからはなれ“真情しんじょう”に立ちもどるという意味いみされていると思われる。

 鏡越かがみごしのやり取りというところが、二人の間にそれぞれのいつわりを感じさせる。「自分の本意ほんいじゃない」という宝玉を黛玉は賈母おばあさま反対はんたいしていたのにと言い返す。

 なぜ黛玉がここまでむきになるかといえば、宝のお姉さまのところにいかなくていいの、と言うように、前回で宝玉が宝釵の見舞みまいに行かない言いわけを「じゅくに行かないといけないから」と伝えたからで、黛玉が義塾に行く理由りゆうを「先日ついたうそを本当にするため」だと誤解ごかいしたからだと思われる。


 さて、義塾ぎじゅくでは薛蟠せつばん見眼麗みめうるわしい子弟していたちに手をかけてさまざまなさわぎを起こしていた。彼は金や食べ物で彼らを手なづけていたが、彼がり、宝玉たちがあらわれたことでさらに混乱こんらんを起こすことになる。

原文では香憐こうれんが秦鐘とれ立ってかわやに行き、密会みっかいするというすじだったが、「玉愛ぎょくあいは?」と思ってしまったため、玉愛ぎょくあい随行ずいこうさせ、「僕はいい」と退しりぞかせる現翻案ほんあんのかたちとした。

 もう一つこのかたちにした理由りゆうとして、秦鐘の「きみの家は二人で会うことを気にしない?」というせりふがあったからだ。つまり、他の子弟していにも声をかけていたということが含意がんいされており、それを物語のなかで表現ひょうげんしたかったため、現行げんこうのかたちとなった。

なお、途中とちゅう挿入そうにゅうした表向おもてむこいの詩であるが、末尾まつびまできちんと理解りかいすれば修身しゅうしんをうながすふくみがある。が、秦鐘の不足ふそくゆえそこに思いがいたらないという余韻よいんを残すことにした。

 金栄の秦鐘に対する対応たいおうは、私怨しえんじっているとはいえ、それほど悪くないと思う。ただ賈瑞にそれをおさめる力がなかっただけの話だ、そこにあらわれるのは賈薔かしょうで、寧府であらぬうたがいをかけられていたところを助けられたおんがあった。

 この「あらぬうたがい」が何のことか、原文げんぶんでは明示めいじされていないが途中とちゅうに賈珍の助力があったとあることから、秦氏に関することだと予測よそくし、そのように翻案ほんあんした。

彼は茗烟めいえんを使ってなじらせるが、その結果けっか学堂がっこうを二分する喧嘩けんかになってしまう。

 それを宝玉が何とかおさめたわけだが、その裁定さいていたして公平こうへいだったかどうか。一般いっぱんの小説や時代劇じだいげきであれば一件落着いっけんらくちゃくで終わるだろうが、秦鐘の過失かしつもきちんと書かれているため、精読せいどくすれば釈然しゃくぜんとしない。そこで私は次のように読んだ。


2,第九回にかくされたもの

 この脂評しひょうを何十も入れることができるような回に、脂硯斎しけんさいが何もひょうを入れなかったのはなぜか?

 私ははじ儒教じゅきょう批判ひはんじっているのではないかとうたがった。次に清朝しんちょうに対する批判ひはんかも、と。だが、そのどれもがちるものではなく、考えいたあげく、ある三名がかぎとなっているのではと気づいた。

 すなわち、薛蟠せつばん賈薔かしょう、賈宝玉の三名である。これは道家支配どうかしはい法家支配ほうかしはい儒家支配じゅかしはいを暗に示したものではないかと考えた。

 薛蟠せつばんしょくかねとで子弟していたちを懐柔かいじゅうしようとした。これは諸侯しょこうには封地ほうちをあたえ、民にはしょくを与えた漢の高祖こうそ劉邦りゅうほう姿すがたかんでくる。

 賈薔かしょう茗烟めいえん走狗そうくとして、暴言ぼうげん詐術さじゅつ暴力ぼうりょくによって収めようとする。ここに比定ひていされるのは、ほうにもとづいた官僚支配かんりょうしはいを行ったしん始皇帝しこうてい、あるいはしん雍正帝ようせいていあたりが該当がいとうしよう。

 宝玉はことわりき、金栄へ秦鐘にあやまるようめいじる。そこで最終的さいしゅうてきめ手になったのは、家格かかくであって、上の者がれいによって下の者をしたがわせるのは言うまでもなくじゅ思想しそうである。ここに該当するのはしゅう武王ぶおうでも誰でも、中華思想ちゅうかしそうもとづくじゅ支配者しはいしゃであれば誰でもいい。

 着目ちゃくもくすべきは、薛蟠せつばんにしろ、賈薔かしょうにしろ、「いなくなる」ことだ。

 薛蟠せつばんのやり方は道家的どうかてきで、例示れいじすれば漢の宰相さいしょう曹参そうしんが行った治世ちせいが分かりやすい。これはいちごく商売しょうばい刑法けいほう支配しはいをなるだけゆるやかにし、民のあるがままにまかせるというやり方だ。乱暴らんぼうにいえばたみにはしょくだけあたえておけばいい。あとはたみのなすがままというふう一種いっしゅ放任統治ほうにんとうちに近い。ただし、この統治法とうちほう曹参そうしん死後しごながつづかず、諸侯しょこう外戚がいせきよく増幅ぞうふくさせ、呂氏りょし呉楚七国ごそしちこくらんまねいた。

賈薔かしょうのやり方は法家的ほうかてき官僚かんりょうまかせて君主くんしゅ一括いっかつほう運用うんようするやり方だ。英邁えいまいな君主、始皇帝しこうてい寝食しんしょくわすれて政務せいむを行っていた間はおさまった。だが、始皇帝しこうてい崩御ほうぎょすると、官僚かんりょうたちのほう運用うんよう恣意的しいてきになり、民のうらみをかって、陳勝呉広ちんしょうごこうらんこした。

すなわち道家どうか支配しはいはいかにめるか、法家ほうか支配しはいはいかに官僚かんりょうくばらせるかが重要じゅうようであって、いずれも属人化ぞくじんかしてしまう。だからこそ薛蟠せつばん賈薔かしょうも「いなくなり」、ことなる混乱こんらんまねくのである。

 これを解消かいしょうするのが儒家じゅか儒教じゅきょう支配しはいであって、高度に論理化ろんりかされているため人には依存いぞんしない。だからこそ自分ではおさめられぬとみた宝玉が、上の人間を持ち出して支配しはいするという関係が成立せいりつするのだ。

 だが、ここで「めでたし、めでたし」と終わらぬのが「紅楼夢」である。第十回の冒頭ぼうとうでは金栄の状況じょうきょうえがかれ、たんなるいやなやつ、ではなく一個の人間としての輪郭りんかくえがかれる。中華思想ちゅうかしそうにおいては、宝玉の側は支配者層しはいしゃそう、金栄は夷狄いてきといわれる異民族いみんぞく該当がいとうしよう。この構成こうせいはこううているのだ。「本当にそのやり方でいいのか」と。


 さて、第九回では義塾ぎじゅく混乱こんらんえがかれ、それはだれもが真情しんじょうを示さない仮情かじょう世界せかいであった。この仮情かじょうが秦氏に不調ふちょうをもたらし、まずは寧府から崩壊ほうかいきざしをみせるのである。


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