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紅楼夢  作者: 翡翠
翻案意図(第一回~第十三回)
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第十一回

 第十一回は賈敬の誕生日たんじょうび――寿辰じゅしん言祝ことほ場面ばめんから始まる。だが、賈敬への報告ほうこくすら当主とうしゅである賈珍自身かちんじしんではなく、息子の賈蓉にやらせるところから、寧府の“じょう”のねじれが発生はっせいしている。また、「いわいは不要ふよう」と言っていた賈敬に、ことさら祝意しゅくいを伝えようとするしつけがみられることも見逃みのがせない。

 賈璉たちもこの寿辰じゅしんうたげ姿すがたを見せるが、彼が気にしているのは、どんなもよおしが行われるかということだけである。

 ここに賈母おばあさまあらわれない。王夫人が本当の理由りゆうを言いかけるも、熙鳳がひきとって適当てきとうわけをする。賈母おばあさま寿辰じゅしん盛大せいだいいわわれたくないという賈敬の気持きもちをくみり、欠席けっせき選択せんたくしたのだ。このあたり賈珍の賈敬への対応たいおう好対照こうたいしょうをなしている。

 ここで王夫人がぶしつけに秦氏の容体ようだいたずねるが、賈珍をはばかった秦氏はらない答え方をする。賈珍がせきを外したあと、秦氏の本当の容体ようだいを口にする。王熙鳳は「秦氏はそれほど悪くないのでは?」というような反応はんのうをするのだが、秦氏と前に面会めんかいしたときも、熙鳳のために無理むりをしていた、と聞き、なみだながすのである。

 王熙鳳は「紅楼夢」原文中げんぶんちゅう鳳姐ほうしゃとして呼称こしょうされているが、この回では「鳳姐児」として呼称こしょうされており、「子どもとしての熙鳳」がほのめかされている。これはただたんに「子ども」というだけではなく、「じょうをたたえていたおさなき日の熙鳳」であることが推測すいそくされる。それはこの回でえがかれる秦氏と熙鳳の交情こうじょうによってえがかれていく。

 このあと、帰ってきた賈蓉が賈敬の様子を報告ほうこくするけれども、その報告ほうこく真実しんじつだとはにわかに信じがたい。これは賈敬のために、そして賈珍のために軋轢あつれきの生まれない報告ほうこくを賈蓉がしているのである。ここで仮情かじょうを示した賈蓉は熙鳳の一言で立ちかえる。秦氏の安否あんぴへのいである。それは熙鳳が真情しんじょうたずねたからであり、それに対して賈蓉も真情しんじょうこたえたのだ。

 この真情しんじょうのやり取りをはさんだうえで、一つ上の世代せだいおくさま連中れんちゅうはご飯を食べてから園に行くか、それともこのまま園に行くかという些末さまつなやり取りを行う。

 賈敬のけんにしろ、秦氏の件にしろ、彼女たちがうわつらの言葉で話していることがよく分かるやり取りである。

 かつ、王夫人たちは賈敬でなく私たちがいわってもらっているようだ、という罪悪感ざいあくかんにもとづくじょう吐露とろするのだが、王熙鳳は、

「賈敬は神仙しんせんとなったのだから、そう言うのは道理どうりにもとらない」と笑い飛ばす。

 ここで秦氏に真情しんじょうを示した王熙鳳が、すべてに対してじょうを感じるわけではないとすることで、この回の熙鳳の情動じょうどう違和いわ解消かいしょうしている。

 秦氏の居室きょしつにおける王熙鳳、賈蓉、宝玉のじょうらし方は「紅楼夢」中でも白眉はくびである。賈蓉はお茶を王熙鳳と宝玉にれるようにうながすが、実際じっさいは秦氏に茶を飲ませるための方便ほうべんである。その理由はすでに翻案文中ほんあんぶんちゅうしめした。賈蓉はじょう直截ちょくさいに伝えない。それはかならずしも彼のせいではなく、寧府全体ねいふぜんたい事情じじょうもあるのだが、彼が真情しんじょうおおかくしてしまうために、生まれた禍根かこんもきっとあることだろう。

 宝玉は太虚幻境中たいきょげんきょうちゅう秦可卿しんかけいおもってく。だが、そのじょうきようはあくまでみずからのかなしみによっていて、現実世界げんじつせかいの秦氏その人にはっていない。

 ひとり、王熙鳳だけが秦氏のつらさ、かなしみに連れう。宝玉と賈蓉に席をはずさせたとき、秦氏が何をかたったか、「紅楼夢」をふかく読みこむためにはこの空白くうはく想像そうぞうする必要ひつようがある。賈珍との密通みっつうのことだけであれば、公然こうぜん秘密ひみつになっているわけだから人払ひとばらいをする必要ひつようはない。かといって、賈珍の性格上せいかくじょう無理むりやり秦氏とことにおよんだとも考えづらい。そこで、この翻案ほんあんでは秦氏が賈珍と賈蓉を暗闇くらやみのため錯誤さっくごしたということにした。

 ここにいたって、王熙鳳は岐路きろに立つ。真人しんじんとなるか、俗人ぞくじんとして生きるかである。ここに挿入そうにゅうされた詩はそれを暗示あんじしているが、ここで賈瑞に出会ってしまった。

 だが、出会ったことが問題もんだいではない。王熙鳳が彼のじょうをどのように解釈かいしゃくするかということが重要じゅうようだったのだ。

 賈瑞の言ったせりふはこうだ。

「嫂子連我也不認得了?(おばさま、私のことまでお忘れですか?)」

 つまり彼は熙鳳を知っていて、しかも彼にとっては忘れられない何かがあったに違いない。だが、王熙鳳はおざなりな対応たいおうをとる。

 王熙鳳は賈璉の名を出して牽制けんせいするが、賈瑞はかいさない。これはただの無神経むしんけいさだという解釈かいしゃくもできるが、賈瑞が男女関係だんじょかんけいではなくたんなる女性じょせいの一人として熙鳳をしたっていたのならどうだろうか。あるいは彼自身かれじしんにも峻別しゅんべつできない曖昧あいまい感情かんじょうだったのかもしれない。それを「不埒ふらちな思い」として一元化いちげんかしてしまったのはほかならぬ熙鳳である。熙鳳は秦氏と賈珍の不義ふぎ触発しょくはつされ、また賈璉との離別りべつがよぎったのだろう。だが、この齟齬そごから熙鳳の“じょう”はかげってゆく。

 代わって園の場面ばめんへとうつり、熙鳳がげき演目えんもくとしてリクエストしたのは、「還魂かんこん」と「弾詞だんし」であって、それぞれ秦氏の快癒かいゆへのねがいと、寧府の腐敗ふはいへの皮肉ひにくがこめられている。だが、そのときの演目えんもく忠孝ちゅうこうを示す「双官誥そうかんこう」であって、寧府の腐敗ふはいへの無自覚むじかくと熙鳳の認識にんしきとのずれが生じている。

 その後の会話で賈璉の不貞ふていうたがうような冗談じょうだんを言い、賈璉と熙鳳のじょう乖離かいり鮮明せんめいとなる。

 賈母おばあさま、王夫人、熙鳳が人を遣って秦氏を見舞みまう場面では、尤氏と王熙鳳の会話で、尤氏がひつぎ用意よういをしていることがあきらかとなり、尤氏のじょう真情しんじょうではないことがほのめかされる。熙鳳は賈母おばあさまに秦氏の容体ようだい虚偽きょぎ報告ほうこくするが、更衣こういをうながす場面から、賈母おばあさまはそのことも察知さっちしているというちょう発止はっしのやり取りがえがかれる。

 さらに平児とのやり取りで、賈瑞をわなにかけようと画策かくさくする様子ようすかび、不穏ふおんただよわせて第十一回はまくじる。

 第十一回ではまず寿辰じゅしんでの仮情かじょう描写びょうしゃされ、王熙鳳と秦氏の真情しんじょうと対立し、宝玉、賈蓉の“じょう”と書き分け、真情しんじょうとは何かを明らかにし、だがその真情しんじょうれ、暴走ぼうそうするものであることが、第十一回の終わりから、第十二回にかけての主題しゅだいとなってゆく。


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