第十一回
第十一回は賈敬の誕生日――寿辰を言祝ぐ場面から始まる。だが、賈敬への報告すら当主である賈珍自身ではなく、息子の賈蓉にやらせるところから、寧府の“情”のねじれが発生している。また、「祝いは不要」と言っていた賈敬に、ことさら祝意を伝えようとする押しつけがみられることも見逃せない。
賈璉たちもこの寿辰の宴に姿を見せるが、彼が気にしているのは、どんな催しが行われるかということだけである。
ここに賈母は現れない。王夫人が本当の理由を言いかけるも、熙鳳がひきとって適当な言い訳をする。賈母は寿辰を盛大に祝われたくないという賈敬の気持ちをくみ取り、欠席を選択したのだ。このあたり賈珍の賈敬への対応と好対照をなしている。
ここで王夫人がぶしつけに秦氏の容体を尋ねるが、賈珍をはばかった秦氏は煮え切らない答え方をする。賈珍が席を外したあと、秦氏の本当の容体を口にする。王熙鳳は「秦氏はそれほど悪くないのでは?」というような反応をするのだが、秦氏と前に面会したときも、熙鳳のために無理をしていた、と聞き、涙を流すのである。
王熙鳳は「紅楼夢」原文中で鳳姐として呼称されているが、この回では「鳳姐児」として呼称されており、「子どもとしての熙鳳」がほのめかされている。これはただ単に「子ども」というだけではなく、「情をたたえていた幼き日の熙鳳」であることが推測される。それはこの回で描かれる秦氏と熙鳳の交情によって描かれていく。
このあと、帰ってきた賈蓉が賈敬の様子を報告するけれども、その報告が真実だとはにわかに信じがたい。これは賈敬のために、そして賈珍のために軋轢の生まれない報告を賈蓉がしているのである。ここで仮情を示した賈蓉は熙鳳の一言で立ち返る。秦氏の安否への問いである。それは熙鳳が真情で尋ねたからであり、それに対して賈蓉も真情で応えたのだ。
この真情のやり取りをはさんだうえで、一つ上の世代の奥さま連中はご飯を食べてから園に行くか、それともこのまま園に行くかという些末なやり取りを行う。
賈敬の件にしろ、秦氏の件にしろ、彼女たちが上っ面の言葉で話していることがよく分かるやり取りである。
かつ、王夫人たちは賈敬でなく私たちが祝ってもらっているようだ、という罪悪感にもとづく情を吐露するのだが、王熙鳳は、
「賈敬は神仙となったのだから、そう言うのは道理にもとらない」と笑い飛ばす。
ここで秦氏に真情を示した王熙鳳が、すべてに対して情を感じるわけではないとすることで、この回の熙鳳の情動の違和を解消している。
秦氏の居室における王熙鳳、賈蓉、宝玉の情の漏らし方は「紅楼夢」中でも白眉である。賈蓉はお茶を王熙鳳と宝玉に淹れるようにうながすが、実際は秦氏に茶を飲ませるための方便である。その理由はすでに翻案文中に示した。賈蓉は情を直截に伝えない。それは必ずしも彼のせいではなく、寧府全体の事情もあるのだが、彼が真情を覆い隠してしまうために、生まれた禍根もきっとあることだろう。
宝玉は太虚幻境中の秦可卿を想って泣く。だが、その情の向きようはあくまで自らの悲しみによっていて、現実世界の秦氏その人には寄り添っていない。
ひとり、王熙鳳だけが秦氏のつらさ、悲しみに連れ添う。宝玉と賈蓉に席を外させたとき、秦氏が何を語ったか、「紅楼夢」を深く読みこむためにはこの空白を想像する必要がある。賈珍との密通のことだけであれば、公然の秘密になっているわけだから人払いをする必要はない。かといって、賈珍の性格上、無理やり秦氏とことに及んだとも考えづらい。そこで、この翻案では秦氏が賈珍と賈蓉を暗闇のため錯誤したということにした。
ここにいたって、王熙鳳は岐路に立つ。真人となるか、俗人として生きるかである。ここに挿入された詩はそれを暗示しているが、ここで賈瑞に出会ってしまった。
だが、出会ったことが問題ではない。王熙鳳が彼の情をどのように解釈するかということが重要だったのだ。
賈瑞の言ったせりふはこうだ。
「嫂子連我也不認得了?(おばさま、私のことまでお忘れですか?)」
つまり彼は熙鳳を知っていて、しかも彼にとっては忘れられない何かがあったに違いない。だが、王熙鳳はおざなりな対応をとる。
王熙鳳は賈璉の名を出して牽制するが、賈瑞は意に介さない。これはただの無神経さだという解釈もできるが、賈瑞が男女関係ではなく単なる女性の一人として熙鳳を慕っていたのならどうだろうか。あるいは彼自身にも峻別できない曖昧な感情だったのかもしれない。それを「不埒な思い」として一元化してしまったのは他ならぬ熙鳳である。熙鳳は秦氏と賈珍の不義に触発され、また賈璉との離別がよぎったのだろう。だが、この齟齬から熙鳳の“情”は翳ってゆく。
代わって園の場面へと移り、熙鳳が劇の演目としてリクエストしたのは、「還魂」と「弾詞」であって、それぞれ秦氏の快癒への願いと、寧府の腐敗への皮肉がこめられている。だが、そのときの演目は忠孝を示す「双官誥」であって、寧府の腐敗への無自覚と熙鳳の認識とのずれが生じている。
その後の会話で賈璉の不貞を疑うような冗談を言い、賈璉と熙鳳の情の乖離が鮮明となる。
賈母、王夫人、熙鳳が人を遣って秦氏を見舞う場面では、尤氏と王熙鳳の会話で、尤氏が棺の用意をしていることが明らかとなり、尤氏の情が真情ではないことがほのめかされる。熙鳳は賈母に秦氏の容体を虚偽に報告するが、更衣をうながす場面から、賈母はそのことも察知しているという丁々発止のやり取りが描かれる。
さらに平児とのやり取りで、賈瑞を罠にかけようと画策する様子が浮かび、不穏を漂わせて第十一回は幕を閉じる。
第十一回ではまず寿辰での仮情が描写され、王熙鳳と秦氏の真情と対立し、宝玉、賈蓉の“情”と書き分け、真情とは何かを明らかにし、だがその真情も揺れ、暴走するものであることが、第十一回の終わりから、第十二回にかけての主題となってゆく。




