第四回
第四回は馮淵、英蓮、薛蟠が三つ巴となり、話が進んでいく。一見三角関係に思われるが、それぞれの思惑は必ずしも純粋なものではない。
馮淵は英蓮を見初め、愛情のようにも思えるが、もともと彼には寵童があって、それを裏切ったとも見えなくない。一方、英蓮は馮淵に対して愛情はなく、苦境を脱するための手段でしかない。
章題の「薄命の郎」はむろん馮淵のことで、それは彼自身の命および英蓮との関係に向けられているが、薄命の女はひとえに英蓮自身の境遇に対してのものであり、ここでもずれが生じている。薛蟠についてはただの自然物のようにさえ見え、そもそも情、非情の俎上にすら乗らない。本文中でも言及しているが、彼は「紅楼夢」のなかでも特殊であり、真とも、仮とも、情にも理にもつかない。やはり前漢の高祖を思わせる得体のしれなさがある。
第四回における翻案上の処理としては、原文に照らして彼自身が馮淵を殺させるだろうかという疑問がわいたため、手下が忖度し、殺したということにした。
さらに、原文では死んだということで沙汰やみになったが薛蟠はその後も商人として都で活躍しており、さすがに無理があると思われた。
そこで雨村に「これから何があっても」沙汰やみにするという筋書きにして平仄を合わせた次第だ。
また、薛宝釵の初登場場面が原文ではほとんどないに等しかったため、黛玉との囲碁の描写を入れることとした。
さて、紅楼夢では唐突に死んだり、殺されることはない。今回の馮淵にしてもまったく罪がないわけでなく、見ようによっては寵童を裏切って女色に走ったといえなくもない。何かしらの因業、脂評では孽と言われるものがあって、その孽によって破滅へと追い込まれていく。
第四回は、第三回の異なる情と情との対峙という構造を、徹底的にずらしている。前回では種類は違えど宝玉と黛玉の混じりけのない情を描いて見せ、この第四回では訴人に情を寄せながら、非情な決断をする雨村、英蓮を憐れみながらあくどい企みをする門子(本翻案では鯫生)という「ふつうの」人々を描くことでかえって宝玉と黛玉を浮かび上がらせる作者の筆の冴えが光る。




