第三回
第三回は黛玉の栄府入りの回であると同時に、情と理、情と情の邂逅であるといえる。
ここで黛玉、王熙鳳、宝玉の三名がそろうのは、この三名が紅楼夢の主人公格であることの証左だろう。
また黛玉が栄府で初めて会うのは賈母であり、これは母の代理としての情である。次いで会うのは王熙鳳であって、これは栄府における理を表している。これは黛玉にいずれ立ちはだかる制度や慣習を象徴したものであろう。また次に会うのは宝玉であって、黛玉は宝玉の“宝玉”のこと、そしてそれを黛玉が持たないことへの癇癪に驚く。宝玉と黛玉は同じ情の側の人間であるが、宝玉の情が外に向かっているのに対して、黛玉の情はあくまで黛玉自身の感情のために生ずる。
黛玉が「宝の二の叔父さま」と呼ぶのは少なくとも第十三回までではここだけである。そのほかは你で統一されている。しかし、宝玉は常に林妹妹である。黛玉の你の唯一性、宝玉の林妹妹があくまで親族関係に立脚した呼称であること、これはそのまま宝玉と黛玉の関係のずれを示す重要なものであると考えたため、原語に近いまま訳出した。
宝玉がことさらに通霊宝玉に執着し、癇癪を起こしたのは、自分が「特別な存在」であることへの忌避であり、その延長にある孤独だろう。それは侍女たちとの関係でも、劉ばあさんとの関係でもそうだし、秦鐘との関係もそうだ。彼は黛玉も宝玉を持っていたことを知り、機嫌をなおすが、黛玉の宝玉は母親の棺のなかにあって、ずれが生じている。かえって薛宝釵の金鎖とは対になっているが、彼女の金鎖はあくまでも紅塵のものである。
続いて出てくるのは、花襲人、鸚哥(紫鵑)の二名であって、この二人は主に忠を尽くす、理の側の人々であるが、ここにも今は明かしづらい対比構造がはたらいている。
第一回、二回で「真・仮」の対比構造を描き、第三回で情と理の対比、そしてその情と理のなかにもさまざまな区分けがあることが描かれた。それを踏まえたうえで、第四回では読者に新たな問題提起がなされる。




