第二回
第二回は紅楼夢の人物関係を俯瞰するものとなっているが、内容は明瞭なためそれほど説明の必要もないだろう。宝玉の名言もここで登場し、黛玉のお披露目もされた。賈宝玉のかたわれというべき、甄宝玉についての言及もあることを頭においていただきたい。
第一回および第二回は「真と仮」という分かりやすい対立構造が描かれており、甄士隠は仙の道を選び、賈雨村は俗世に浸り失墜する。彼が、
身後余り有るも手を縮むるを忘れ
眼前路なく 頭をめぐらさんと思う
の対聯を見たとき、真の道へ立ち戻る機会もあったのだが、それはみすみす逃してしまった。
途中の雨村による宝玉評は皮相をなぞったものにすぎず、宝玉はまだ真人ではない。脂評はそんな彼を所詮その程度の見識なのだと断じている。
また、黛玉の父、林如海の職は巡塩御史であるが、古来より政府専売であった塩は高価な物資で不正が多かった。
近現代においても巴蜀の出身であった共産党の高官が「白い塩を初めて見た」と感動したという。当時辺境に向かう塩は泥や土で不正に水増しされていて、それが固まり岩のようになったらしい。
林家が賈家ほど裕福でないのは彼が清廉な官吏であるためであり、彼が巡塩御史であることによってそれを強調している。
官を私する雨村と、清廉な如海、ここの対比も利いていて、司馬遷の言う「天道是か非か」というこれから物語のなかで幾度となく繰り返される命題をほのかに醸し出している。




