第一回
第一回は紅楼夢の案内板である。そう考えれば第一回の読みづらさも納得がいく。
従来の小説との差異を述べるという一点においては「ドン・キホーテ」の序文と類似しているが、「紅楼夢」の優れたところは物語の構造のなかにそれを落としこんだことである。
最も重要なのは「紅楼夢は類型の主要人物は描かない」という点だ。翻案においては中国の戯作文化、劇文化の前提をかかないといけないためあえて省略したが、簡単にいえば、「単純な善玉は書かない。単純な悪玉も書かない」ということである。
たとえば本回における甄士隠と賈雨村の場合を見てみよう。
一見すると甄士隠が善であり、賈雨村は悪のように思える。だが、家を棄て、英蓮を探すことを放棄したのは正しかったのか、かえって賈雨村の方が英蓮に情を向けている描写もある。紅楼夢に通底する「真は仮、仮は真」という考え方である。
さて、本回は女媧という伝説上の女神から始まる。そこから僧と道士を登場させ、神瑛侍者と絳珠草へ、そして俗世へと抽象から具体へ、神から俗へという構造が美しい。
二点、細かい部分を述べると、僧と道士は太虚玄境の住人であり、彼らは太虚幻境と紅塵をつなぐ役割をする。太虚玄境の“玄”は黄老思想のにおいがあり、細部のこだわりを感じられる。
また、神瑛侍者と絳珠草、すなわち宝玉と黛玉が「与える者」と「与えられる者」の構造になっていることに着目していただきたい。だからこそ宝玉は情を寄せ、黛玉は涙で返すのだ。
なお、これに気づいたのは、十文字短期大学の池間里代子氏の「星の王子さま」とのかかわりを示した紀要にインスパイアされたからである。この論文の入った同氏の書籍は二〇二六年五月に発刊予定だ。ご興味のある方は参照願いたい。




