私の墓に、勇者の死因が刻まれている
勇者が六度目に生き返った朝。
墓守のリーゼ・ベルは、自分の墓を見つけた。
「……趣味悪っ」
それが最初に出た感想だった。
墓地の一番奥。
昨日まで何もなかった場所に、灰色の墓石が一本立っている。
墓穴はない。
棺もない。
あるのは墓標だけだ。
そして正面には、間違いようのない名前が彫られていた。
リーゼ・ベル
十七年間使ってきた自分の名前である。
リーゼは片手に持っていた黒パンをかじった。
「せめて死んでから建ててくれない?」
当然、返事はない。
墓石は基本的に無口だ。
死体もそうだ。
だからリーゼは墓地が好きだった。
生きている人間より、ずっと静かでいい。
リーゼは墓石を軽く蹴った。
ごん。
「……硬い」
もう一度。
ごん。
「しかも灰白石じゃん」
思わずしゃがみ込む。
灰白石は、この地方では高級な墓石材だ。
雨に強い。
苔も付きにくい。
加工もしやすい。
十七歳の墓守の娘に使うには、明らかに高すぎる。
「私の給金、何か月分よ」
自分の墓を見つけて最初に値段を気にする辺り、リーゼは自分でも墓守向きだと思っている。
三度目。
ごん。
「……ん?」
リーゼの表情が変わった。
今の音。
少し違う。
黒パンを口にくわえる。
指の関節で墓石を叩いた。
こん。
こん。
上から下へ。
こん。
こん。
中央。
――こん。
リーゼの手が止まった。
低い。
ほんのわずかだが、響きが濁っている。
墓石を蹴ることを仕事とは呼ばない。
だが、石を叩いて中の状態を確かめるのは墓守の仕事だった。
ひび。
空洞。
水。
埋め込まれた異物。
子供の頃から石と死体に囲まれて育ったリーゼには、音を聞けば大体分かる。
この墓石。
中に何かある。
「……やだなあ」
リーゼは黒パンを口から外した。
嫌なものほど確認しなければならない。
墓守というのは、そういう仕事だ。
正面へ回る。
そこで。
リーゼは初めて、自分の名前の下に文字があることに気づいた。
一行目。
第一の死――胸部貫通。
「……」
二行目。
第二の死――頸部切断。
三行目。
第三の死――全身焼損。
四行目。
第四の死――失血。
五行目。
第五の死――魔力枯渇。
そして。
六行目。
第六の死――心臓破裂。
リーゼの手から。
黒パンが落ちた。
「……なんで?」
知っている。
全部。
リーゼだけではない。
この町に住んでいる者なら、誰でも知っている。
勇者アルド・レイン。
十八歳。
リーゼの幼なじみ。
そして。
町を六度救い。
六度死んだ男。
一度目。
岩巨兵の槍に胸を貫かれながら、その首を落とした。
敵が崩れ落ちた直後。
アルドも死んだ。
二度目。
飛竜に首を切り裂かれながら、その翼を断ち切った。
飛竜が墜落した時には。
アルドも、もう息をしていなかった。
三度目。
火喰い獣を炎の中で仕留め。
全身を焼かれて死んだ。
四度目。
吸血鬼の心臓へ剣を突き刺し。
その直後、失血で倒れた。
五度目。
百匹を超える魔物を一度の魔法で焼き払い。
魔力を使い果たして心臓が止まった。
そして昨日。
黒角鬼の胸を剣で貫いた直後。
最後の拳をまともに受け。
心臓を潰されて死んだ。
アルドは必ず敵を倒す。
ただし。
勝ったあと。
だいたい死ぬ。
兵士たちが死体を聖堂へ運ぶ。
司祭が復生の儀式を行う。
数時間後。
アルドは何事もなかったような顔で出てくる。
最初こそ町中が奇跡だと騒いだ。
二度目も大騒ぎだった。
三度目になると、人々は復生の鐘が鳴るのを待つようになった。
六度目となった今では。
――勇者様なら、また帰ってくる。
それが町の常識になっている。
リーゼも。
そう思っていた。
昨日までは。
「……だから」
墓石を見る。
第一の死。
第二の死。
第三。
第四。
第五。
第六。
「なんでアルドの死に方が、私の墓に書いてあるのよ」
もちろん。
墓石は答えなかった。
リーゼは腕を組む。
誰かの悪戯。
まず、それを疑うべきだ。
だが。
六つの死因をすべて知っている者なら、この町に何百人もいる。
名前を彫ることだってできる。
問題は。
この墓石が昨夜のうちに、誰にも気づかれずここへ運び込まれたこと。
そして。
さっき聞いた。
あの音。
リーゼはもう一度叩く。
こん。
中央だけ。
低い。
「……あとで調べよう」
まず朝の仕事だ。
死者は待ってくれるが。
遺族は待ってくれない。
その時だった。
町の方角から鐘が鳴った。
ごぉん。
一回。
ごぉん。
二回。
七回まで続く。
祝福の鐘。
勇者の帰還を知らせる音だった。
「起きたか」
リーゼは呟いた。
墓地の向こう。
街道から歓声が聞こえる。
「勇者様だ!」
「アルド様!」
「黒角鬼を倒した英雄だ!」
リーゼは墓地の門まで歩いた。
人垣の向こう。
白銀の鎧を身につけた青年が歩いてくる。
金色の髪。
青い目。
爽やかな笑顔。
子供が駆け寄ればしゃがんで頭を撫で。
老婆から花を渡されれば丁寧に礼を言う。
昨日。
胸の形が分かるほど拳を叩き込まれた男には、とても見えない。
「相変わらず胡散臭い顔」
「本人に聞こえるところで言うなよ」
「うわ」
いつの間にか。
アルドが目の前に立っていた。
「勇者様、祭りはよろしいんですか?」
「敬語が気持ち悪い」
「じゃあ帰れ」
「昨日死んだ幼なじみに冷たすぎない?」
「もう生きてるじゃん」
「それはそうだけど」
アルドが自分の胸を軽く叩いた。
金属音が鳴る。
白銀の鎧。
昨日、黒角鬼の拳が直撃した場所も新品同然だった。
リーゼはそこをじっと見る。
「何?」
「心臓、本当に潰れた?」
「見ただろ」
「見た」
「気持ち悪かった?」
「掃除する人、大変そうだと思った」
「幼なじみが死んでる横で考えることか?」
「私は墓守だよ?」
「答えになってない」
アルドが笑った。
リーゼも少しだけ笑う。
二人が知り合ったのは。
アルドが勇者になるより、ずっと前だ。
泥だらけで墓地を走り回り。
墓石の裏へ落書きして。
リーゼの父に追い回されていた頃から。
だから。
町中がアルドを英雄と呼ぶようになっても。
リーゼだけは昔と同じように話した。
「そういえば」
リーゼが言う。
「昨日で何回目?」
「死んだ回数?」
「他に何があるのよ」
「六回」
あっさり。
「もう数えなくても町の子供まで覚えてるぞ」
「そうだね」
六回。
墓碑も六行。
リーゼは墓地の奥を見る。
アルドの視線は追ってこない。
「今朝さ」
「ん?」
「私の墓ができてた」
アルドの返事が。
ほんの少しだけ。
遅れた。
「……縁起でもないな」
「でしょう?」
「誰かの悪戯じゃないのか」
「だったらいいんだけど」
「名前も?」
「ちゃんとリーゼ・ベルって」
「お前じゃなかったら、もっと怖いな」
「それもそう」
リーゼは笑う。
アルドも笑う。
いつものアルドだった。
「見てく?」
リーゼが墓地の奥を指差す。
「やめとく」
アルドは即答した。
「なんで」
「生きてる幼なじみの墓なんか見て、何が楽しいんだよ」
「良い石だよ」
「そういう話じゃない」
「灰白石」
「知らん」
「高いのに」
「なおさら知らん」
リーゼは肩をすくめた。
「あとで削っとく」
「ああ」
アルドは町へ戻ろうとする。
三歩。
足を止めた。
「リーゼ」
「何?」
アルドは振り返らない。
「今日は町の外に出るなよ」
「墓守がどこ行くのよ」
「ならいい」
「何、急に」
「昨日の黒角鬼」
アルドが言う。
「群れから離れた個体だったらしい」
「群れ?」
「偵察隊が確認に出てる。念のためだ」
「それ、先に言いなさいよ」
「不安にさせるほどの話でもない」
「私の墓ができた日に言う話じゃないね」
「確かに」
アルドが笑った。
今度こそ。
町へ戻っていく。
リーゼはその背中を見送った。
別に。
おかしいとは思わなかった。
アルドは昔から。
リーゼが危ないことをすると余計な口を出す。
子供の頃。
木へ登れば下りろと言った。
川へ入れば深い方へ行くなと言った。
墓穴へ落ちれば。
なぜか一緒に落ちた。
だから。
――今日は町の外に出るな。
その言葉も。
いつもの過保護の一つだと思った。
昼。
リーゼは墓石を調べた。
裏。
異常なし。
地面。
掘り返した痕跡はない。
台座の周囲にも、運び込んだ形跡がない。
まるで。
最初からそこに生えていたようだった。
「気持ち悪いなあ」
こん。
また叩く。
やはり。
中央だけ音が違う。
壊して中を見るか。
迷った。
高級品だ。
自分の墓とはいえ。
勝手に壊していいのか分からない。
「……明日にしよ」
墓守らしくない結論だった。
夕方。
偵察隊はまだ戻らなかった。
アルドも姿を見せない。
夜。
リーゼは墓守小屋のベッドへ入った。
眠れない。
別に墓が怖いわけではない。
墓場で生まれ育った人間が、今さら墓石一本で眠れなくなるのは癪だった。
だから。
寝た。
つもりだった。
どれくらい経っただろう。
――ざり。
リーゼは目を開けた。
暗い。
――ざり。
音。
石を削る音。
墓地から。
リーゼは起き上がった。
ランタンへ火を入れる。
外へ出る。
風はない。
月が出ている。
墓地は静まり返っていた。
――ざり。
やはり聞こえる。
「……嘘でしょ」
音の場所は。
分かっている。
墓地の一番奥。
リーゼの墓。
歩く。
近づく。
ざり。
ざり。
ランタンを掲げる。
墓石の表面。
六行目の下。
何もなかった部分に。
細い溝が走っている。
「……」
リーゼは動けなかった。
誰もいない。
なのに。
石が。
勝手に削れている。
ざり。
一本。
ざり。
また一本。
線が。
文字になっていく。
リーゼは息を止める。
一文字。
二文字。
やがて。
そこに刻まれた。
第七の死――
そこで。
音が止まった。
リーゼはしばらく。
文字を見つめていた。
第一から第六までは。
すべて過去だった。
すでに起こった死。
しかし。
七つ目だけは。
まだ。
誰も死んでいない。
「……誰の?」
自分の墓だ。
そんなもの。
考えたくない。
その時。
ごん。
リーゼの肩が跳ねた。
「……え?」
墓石を見る。
ごん。
また。
石の内側。
間違いない。
何かが。
内側から叩いている。
ごん。
こん。
こん。
こん。
一定の間隔。
リーゼはランタンを地面へ置いた。
逃げろ。
頭のどこかではそう言っている。
だが。
墓守という仕事は。
異常を見つけたら確認するものだ。
「……仕事だからね」
誰に言うでもなく呟く。
墓石へ。
そっと耳を当てた。
冷たい。
音が止まる。
静寂。
「……何も――」
――どくん。
リーゼの身体が固まった。
どくん。
もう一度。
聞き間違いではない。
どくん。
どくん。
墓石の中で。
心臓が鳴っている。
翌朝。
リーゼは寝不足のまま墓地に立っていた。
七行目は残っている。
第七の死――
続きはない。
朝日が昇った頃。
「ひどい顔だな」
声がした。
振り向く。
アルドだった。
「誰のせいだと思ってるの」
「俺?」
「半分くらい」
「理不尽だな」
昨日と同じ白銀の鎧。
アルドが門をくぐる。
リーゼは何気なく。
胸当てへ手を伸ばした。
「ちょっと」
「何だよ」
指の関節で。
軽く叩く。
こん。
「……」
もう一度。
こん。
アルドが眉を寄せる。
「何してる?」
リーゼは答えなかった。
胸当ての中央。
もう一度。
――こん。
低い。
濁った音。
昨夜。
墓石を叩いた時と。
まったく同じ音だった。
リーゼはゆっくり。
アルドの顔を見る。
「……アルド」
「何?」
昨夜。
私の墓の中で鳴っていたものは。
今。
勇者の胸元で。
同じ音を返していた。




