奈央は秘密をもっている
土埃の中を歩く。
靴底が、砕けたガラスや鉄片を踏みしめるたびに、じゃり、と嫌な音を立てた。
奥の方から鬼どものざわめきが聞こえた。
「き、来やがった! あいつだ!」
奥にいたのは、何十体もの鬼の軍勢。
幽冥町でも会った緑鬼と黄鬼。
そして、奈央の髪の毛を乱暴に掴んでいる、新しく見る黒い鬼。
「ほぉ、お前が人間か。実に1000年ぶりに見た」
「手を離せ」
「あ?」
「薄汚い手で、そいつに触れるなって言ってんだカス」
俺の言葉に、黒鬼は頭に青筋を浮かべた。
奈央は、本気で理解できていない様子だった。
俺がここに来たことに。
「どうして──」
どうして、助けに来たのか。
それを聞こうと、奈央が唇を震わせているのがわかった。
「お前がいないと困るんだよ。誰が俺のために恐ろしい妖怪の町へ買い物に行ってくれるんだ?」
「え……?」
「お前は、俺の世話をしてくれるんだろ?」
「──」
言葉が出ないらしい。
だが、奈央の目から何かが零れそうになっているのが見えた。
その時、黒鬼が俺の目の前に飛来する。
巨体とは思えない速さだ。
「妖に対してビビリだと聞いていたが、とんだ誤情報だったらしいなぁ」
「黒の大兄貴!!!」
緑や黄色の鬼と比べると、2倍くらい身体がデカい。
俺の頭なんて、コイツの拳一つで簡単に潰せそうだ。
「どうも妙な力を使うらしいじゃねぇか人間。貴様のせいで、俺の子分が病院送りにされてんだ」
「そうかい。だがそいつは自業自得って奴だ。これからお前の身に起こることもな」
「人質に取られてるこの状況わかんねえのか? 妙なマネをすればお前の大切な女狐がどうなるかわかんねぇぜ?」
「やってみろ。手上げた瞬間テメェら全員皆殺しにしてやるからな」
俺の発言にビビったのか、何人かの鬼達から息を呑む音が聞こえた。
「おもしれぇじゃねえの。俺に喧嘩を売る奴はもういねぇと思っていたからな」
黒鬼は背中に担いでいた、馬鹿でかい棍棒を持ち上げた。
「お前ら手出すなよ。俺が殺す」
「やってみろよ。ノコノコと俺の前に出てきたことを、後悔しねぇようにな!」
俺は黒鬼に向かって走り出した。
黒鬼は俺の体を掴もうと手を伸ばす。
──単細胞が、その腕、木っ端微塵にしてやる!!
俺は拳を握りしめ、その手に向かって拳を突き出した。
「うおおおおおおおおおおお!!!!」
俺の咆哮とともに、拳が掌へと吸い込まれていく。
そして……
ポスっ
耳に聞こえてきたのは、キャッチャーフライのような可愛い音だった。
「……はれ?」
あんまりの力のなさに、俺どころか黒鬼も面を食らっていた。
「あ、言っとくけどね」
久しぶりに腐れ女神が顔を出してこう言った。
「アンタに与えた力、一日一回しか使えないから」
「このアマぁああああああああああ!!!!!」
俺は今世紀1番の咆哮をクソアマにぶつけた。
「当たり前でしょ? そんな簡単に世界を壊せる力、与えるわけないじゃない」
「じゃあさっき扉ぶっ壊したので終わりってこと!? なんでそんな大事なこと最初に言わねえんだこのミジンコ野郎!!」
「聞かれてないもの」
──ゴミが!!!
「クックッ……ガーハッハッハッハ!!!」
頭上の方から笑い声が聞こえた。
恐る恐る上を見ると、黒鬼が大口を開けて笑っていた。
さっきまでの警戒心など、完全に消え失せている。
「何かしらねぇが、どうやらクソ雑魚だったようだな」
黒鬼は、馬鹿でかい棍棒を肩へ担ぎ直した。
「死ね」
「どわぁあああああああああ!!!!」
渾身の力を込めて棍棒を振り下ろされた。
俺は間一髪で避けるが、鬼も追いかけてくる。命懸けの鬼ごっこが始まった。
「ほらさっきまでの威勢はどうした!」
「無理無理無理無理勝てるわけねぇだろ! 俺は超パワー持ってるって思ったから怖さも半減してたの! なんなら今漏らしそうだわ! あ、出る!」
必死こいて逃げてる俺に並走するようにキモ女神がついてくる。
「そーよそーよ。皆殺しにするんでしょー?」
「クソ女神テメェどっちの味方だ!? どうにかしろ! 俺が死んだら自由研究とやらが失敗するんだろ!?」
「そしたらまた新しい人間連れてくればいいし。失敗したってデータも研究には必要でしょ」
「テメェの倫理観はどうなってんだ!? 元はと言えばテメェのせいでこの鬼どもに喧嘩売ることに……!!」
鬼達は無理でもコイツだけはぶち殺したい。
棍棒が横薙ぎに振るわれる。
俺は頭を下げ、寸前で避ける。
風圧だけで髪が乱れる。
避けて避けて避けまくる。
「これが人間の恐れ……! 最高だ!!」
黒鬼が歓喜の声をあげ、俺の体から、『黒い靄』が立ち上る。
「な、何だこりゃ!?」
その靄が、まるで黒鬼の身体へ吸い込まれていくように見えた。
「──! 零様! 逃げてください!」
奈央の叫びにも似た声が聞こえた。
次の瞬間、黒鬼の筋肉が膨れ上がった。
そして、再び棍棒が地面に向かって振り下ろされた。
「ぬ゛う゛ん゛っ!!!!!」
床が爆ぜた。
ドガアアアアン!!!
大地そのものが抉られ、砕けたコンクリートが津波のように跳ね上がる。
俺の体は、直撃していないにもかかわらず、衝撃波で吹き飛ばされた。
「がっ……!」
背中から床へ叩きつけられる。
肺の中の空気が一気に押し出された。
──な、なんだ……今の一撃……
これが、妖怪が人間の恐れを妖力に変えた時の、力。
最悪だ。
俺が恐れれば恐るほど、コイツは強くなる。
俺は震える腕を床に突き、立ちあがろうとしたその時。
「ぐっ!!」
ふくらはぎに、激しい痛みが走った。
焼けた針を何本も突き刺されたような痛み。
見ると、俺の足に銃弾にでも撃たれたかのような穴が空いていた。
抉られた地面の破片が、足に食い込んだのだ。血が、じわじわと床へ滴り落ちた。
傷が熱い。
燃えるようだ。
ヤバい、本当に死ぬ。
「これで終わりだなぁ人間」
黒鬼は視線を奈央へと移した。
「こんなによえぇんじゃ、あの女狐を人質にする意味もなかったな。殺すか」
「な……!」
「おぉ黒の兄貴! 俺にやらせてくれ! 女狐は俺の手でぶっ殺す!」
鬼どもが俺が俺がと名乗りをあげる。
「ま、待て! 恨みがあるのは俺だろ!! 奈央は関係ねぇ!!」
「ほほぉ? 殺してほしくないと?」
鬼達の笑い声が、倉庫内に響き渡った。
「この人間傑作だ!! まだこの女が自分の味方だと思ってやがる!!」
黒鬼の言葉に、奈央の顔色が変わった。
「だ、だめ……」
小さな声だった。
首を振り、腕に巻き付いた鎖がカシャリと音を立てた。
「そ、それだけは……そのことだけは……言わないで……」
今まで見たことのない顔だった。
怯えている。
鬼に捕まっても、さっき殺すと言われた時も、こんな顔はしていなかった。
黒鬼の先の言葉を、聞いてはいけない気がした。
「コイツはその昔、お前たち人間を滅ぼした九尾の妖狐よ!」
「──」
その言葉に、頭が一瞬、真っ白になった。




