鬼はやってはならないことをする
奈央と一緒に飯を食ってから、さらに2週間が経った。
結局あの後、何度誘っても、飯を一緒に食ってくれることはなくなった。
無理に誘うことでもないかもしれないが、あの日の奈央の様子は明らかにおかしかった。
それだけが、俺の気がかりだった。
「……遅いな」
窓の外へ目を向けると、空は既に夕焼け色に染まり始めていた。
奈央は、昼に外に買い物に出かけたきり、なかなか戻ってこなかった。
もう夕飯の時間だ。
いつもならとっくに帰ってきている。
「何かあったのか……?」
胸の奥がざわつく。
鬼ヤクザたちのこともあるし、なんなら奈央は最初ナンパに絡まれていた。
心配になった俺は窓の外を覗こうとした。その瞬間。
ガシャーーーーーン!!!
凄まじい破砕音。
窓ガラスが粉々に砕け散り、何かが部屋の中へ飛び込んできた。
「ぎゃああああああああああ!!!!!」
俺は悲鳴をあげ、咄嗟にソファの裏に隠れる。
──せっかく奈央に直してもらったのに……じゃねぇ! なんだ!? 鬼か!? 爆弾!?
ソファの裏からドキドキしながら顔を覗かせる。
しかし、30秒ほど経過しても、爆発はしないし、鬼どもが突撃してくる気配はない。
俺は慎重に窓の外を確認した。
誰もいない。
部屋にあるのは砕けたガラスと、床に転がる何かだけだった。
「なんだ……?」
恐る恐る近付く。
逃げられるよう腰を引きながら。
床に落ちていたのは石だった。
拳ほどの大きさの石。石には紙が貼り付けられていた。
「手紙……?」
紙を広げる。
そこには乱暴な字で、たった一言だけ書かれていた。
『女狐は預かった』
それは、俺に対しての宣戦布告だった。
幽冥町から少し離れた海辺の倉庫。
薄暗い倉庫のあちこちで、何十もの鬼たちが下卑た笑みを浮かべている。
鬼達に、奈央は拉致された。
腕は鎖によって縛られ、クレーンに引っ掛けられて中に吊るされていた。
緑鬼と黄鬼が奈央を囲み、緑鬼が奈央の顎に手を当てた。
「驚いたぜ。まさかあの時ナンパしたお前が、あの人間のところに転がり込んでるなんてな」
「しかもまさかこいつ、女狐だったとはな……知ってたら声なんてかけずに、その場で殺していたのによ」
黄鬼が吐き捨てる。
「──ならば、今殺せば良いではありませんか」
奈央は静かに答えた。
その声に震えはない。
「私を、生かしておく理由など、ないでしょう──」
「あぁそうだな」
奈央の言葉に答えたのは、腹の底へ響くような低い声だった。
「黒の大兄貴!!」
姿を現したのは、他の鬼たちの倍はあろうかという巨体の『黒鬼』。
その全身から放たれる凄まじい威圧感が、この場を支配する鬼たちの頭目であることを雄弁に物語っていた。
奈央は宙に吊り下げられていると言うのに、その奈央を見下ろすほどの巨漢だ。
黒鬼は近くの鬼に喋りかける。
「話によるとその人間、なにやらおかしな技を使うそうじゃねぇか」
「へ、へい。青の兄貴が一撃で吹っ飛ばされまして……いまだに病院から出て来れていません」
「だから万が一の時はお前を盾にするんだよ女狐。結局その人間がどれだけ強かろうが、人質とりゃこっちのもんよ」
その言葉に、周囲の鬼たちが、げらげらと笑い出す。
鬼達の笑い声を聞きながら、それでも奈央は凛とした表情を崩さなかった。
「あの人は──ここには、来ません」
「あ?」
黒鬼が眉をひそめる。
「あの人は──私などを助けるために、ここへは来ません。勘違いをしていますが、あの方に、私を助ける義理はありません」
小さく首を振った奈央に、黄鬼が叫んだ。
「嘘ついてんじゃねぇよ! 前の夜もお前を助けるために赤と青の兄貴を倒しやがったんじゃねえか!」
しかし奈央は動じない。
静かに瞳を伏せたまま言葉を続けた。
「あの人は──妖を酷く恐れています。最初に私が彼に助けられたのも、ただ、偶然が重なっただけなのですから──」
奈央にはそういう確信があった。
彼は、ここには来ない。
妖怪が苦手な彼が、妖怪の私を助けるために、何十もの妖怪が待ち構える場所に来るはずがない。
来ては、いけない。
「ほほぉ、そうかい」
黒鬼の低い笑い声が響く。
その顔には獲物を前にした獣のような笑みが浮かんでいた。
「そいつがビビリな人間なら好都合だ。人間の恐怖は、俺たちを強くしてくれるからな。人間がここに来ないならしょうがねぇ」
黒鬼は奈央の髪を乱暴に掴み上げた。
激痛が走る。
だが奈央は声を上げなかった。
「お前の体を血祭りにあげ、人間の家にぶち込む。そうして恐怖した人間を、俺たちが殺す」
その言葉に、奈央の瞳がわずかに揺れた。
自分はどうなろうと構わない。
でも、彼だけはダメだ。
「じゃあな大罪人。地獄で懺悔を繰り返してな」
黒鬼が棍棒を振り上げられる。
「やめ……」
奈央の唇が、わずかに震えた。
その瞬間
ドガアアアアアアアアアアアアン!!!!
倉庫の大扉が、内側へ向かって吹き飛んだ。
鉄扉が鬼たちを巻き込みながら床を滑り、凄まじい轟音と共に壁へ激突する。
全員が倉庫の入り口を見る。
舞い上がる、土煙の向こう。
決して、もう見ることは叶わぬだろうと思っていた、彼の姿がそこにあった。




