黒翼の女の傷は酷い
「追え! 逃すな!」
焼けるような肺に鞭打ち、私は空を駆ける。
背後からは罵声。
私を追う者たち。
振り返ると、そこには明るい炎だ。
私の全てを燃やした、流した涙すら蒸発してしまうような、赤い熱い炎。
そんな炎から逃げるように、私は飛んだ。
もう、決して振り返りはせずに。
いったい、どれほど飛んだのだろう。
羽はもうとっくに限界を越えていた。
目の前に町が見えると、私の羽はまるで燃え尽きたかのように動きを止めた。
墜落し、顔から地面に倒れ込む。
痙攣する体で後ろを見ると、そこには何もない夜が広がっていた。
追跡してくる敵も、あの炎も。
私の顔に笑みはない。
体は疲れ果て、指一つ動かせないのに、涙は流れた。
私は、結局、全てを失ったのだ。
幽冥町、昼。
街の雑踏の中、今日も今日とて、俺は奈央と共に幽冥町へ買い物に出かけていた。
「おお零の旦那! 今日も奈央さんと買い物かい?」
「あぁ3丁目の爺さん。あんたの方はもう飲んでんのか? まだ夕方だぞ?」
「いいんだよ! あんたともまたいつか飲みたいねえ!」
「また今度な。あんまり飲み過ぎんなよ」
奈央の幻術の力で、俺の目には妖怪は全て人間のように映る。
そのおかげで、幽冥町の中にも、顔馴染みと呼べそうな奴らができてきた。
「ふふっ──零様、ご友人が、たくさん出来ましたね」
「お前のおかげだ。ありがとな」
「いいえ──お役に立てて、嬉しいです」
買い物袋を両手に掲げ、奈央に問う。
「よっと……これで買い物は全部か?」
「はい──荷物、持っていただいてありがとうございます。半分、お持ちしますね」
「こんくらい大丈夫だ。今日は奈央が飯作ってくれるんだし、俺が持つよ」
そんなことをなんともなく言うが、正直言ってそこそこ重たい。
顔には出さないが、腕はプルプルしていた。
そんな俺の様子に気づいたのか気づいていないのか、奈央はクスッと笑った。
「ふふっ──ありがとうございます。それでは、力持ちさんに、お任せ致しますね」
「あぁ」
よかった、とりあえず格好はついたらしい。
俺たちは並んで帰路に着く。
すると、途中で『フッ……』と荷物が軽くなった。
違和感を覚えて荷物を見ると、奈央の尾が、荷物を下から支えていた。
奈央を見ると、いつも通りの微笑みを、こちらに向けていた。
──敵わんな。コイツには……
俺たちは互いの間を少しだけ詰めて、夕暮れの道を歩いた。
俺たちの家の前には森がある。
その森をまっすぐ突っ切っていくと、幽冥町の入り口に着くのだ。
今俺たちはその道を家に向かって歩いていて、あと30メートルほどで家に着く。
その時、奈央のキツネ耳が、ピクリと動き、足を止めた。
「……奈央? どうした?」
「──家の前に、誰かいます」
「え?」
俺は目線を前方へ移すが、森の中が薄暗くて、家の前は見えない。
「誰かはわかるか?」
「いいえ。しかし、これは──」
なおは家の前まで駆け出した。
「お、おい!」
俺も奈央の後を追う。視界が開かれ、家が見えると、そこには確かに誰かが倒れていた。
しかし、明らかに様子が尋常ではなかった。
そこにいたのは、背中に漆黒の翼を生やした、黒く長い髪をした、女だった。
体は傷だらけ。
飲まれそうなほどの黒い翼は片翼が折れ、それでも飛ぼうとしたのか、黒い羽があたりに散らばっていた。
奈央はすぐさま女に駆け寄り、妖力によって傷を癒す。
「奈央、こいつはいったい……」
「わかりません──でも、傷が酷い。このままでは死んでしまいます」
「家に入れろ。布団とか準備するから、応急処置が終わったら入ってきてくれ」
「はい、よろしくお願いします」
奈央に女を任せて、俺は家に入った。




