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世界を滅ぼす七人の悪女を更生させた俺、死亡したと思われていたら彼女たちが世界大戦を始めようとしていた  作者: てへろっぱ


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7/12

第7話 虚無の狭間で交わした約束が、婚約契約になっていた



 玄関の呼び鈴が、もう一度鳴った。


「レオン!」


 扉の向こうから、女の声が響く。


「いるのでしょう! 約束どおり迎えに来たわよ!」


 聞き覚えがある。


 間違えるはずがない。


 虚無の狭間で過ごした三か月。


 光も。


 風も。


 上下の感覚さえない暗闇の中で、何度も俺へ道を示した声だった。


 ただし。


「姿なんて、一度も見てないぞ」


 俺が呟く。


 七人の教え子たち。


 十一人の王女。


 レオ。


 リタ。


 フィオナ。


 全員の視線が、俺へ集中した。


「先生」


 セレスが微笑む。


「お姿をご覧になっていない女性と、婚約なさったのですか?」


「婚約した覚えはない」


「声だけの関係?」


 ノアが俺の寝台から顔を出す。


「どうして少し詳しいんだ」


「三か月間、ずっと話してた?」


「必要な時だけだ」


「どのような必要ですか?」


 ミレイユが尋ねる。


「道を探す時や、虚無獣から逃げる時だ」


「二人きりで?」


「ほかに誰もいなかったからな」


「暗闇の中で?」


「ああ」


「三か月間?」


「そうだ」


 ミレイユの笑顔が深くなった。


「随分と親密になれそうな環境ですね」


「命懸けだったんだぞ」


「極限状態では、男女の距離が縮まりやすいと聞きます」


 クロエが空中へ文字を表示する。


「実際、遭難や戦争における生還者同士の婚姻率は、一般的な出会いと比較して――」


「統計を出すな!」


「先生」


 エリナが聖剣へ手を伸ばそうとする。


 しかし腕輪によって力を封じられているため、剣を持ち上げるだけで苦労している。


「相手は強い?」


「分からない」


「斬れる?」


「会ってもいないのに斬るな」


「でも、婚約者」


「自称だ」


「家の鑑定では、書類は本物です」


 クロエが冷静に指摘する。


「先生の署名だけでなく、血印まであると」


「俺は虚無の狭間で書類に署名なんてしていない」


「血を流したことは?」


 フィオナが尋ねる。


「何度もある」


「その血を使われた可能性は?」


「あるかもしれない」


 七人の空気が変わった。


「先生の血を無断使用?」


 セレスが玄関を見る。


「帝国法では、皇族および重要人物の血液を本人の許可なく契約へ使用した場合、国家反逆罪に相当します」


「先生は帝国皇族ではないだろう」


「本日、名誉皇帝位を新設します」


「作るな」


「神殿法でも、血による契約には本人の明確な同意が必要です」


 ミレイユの光輪は消えている。


 それでも、怒ると背後が明るく見えるのは気のせいだろうか。


「先生を騙したのであれば、契約は無効です」


「そうだな」


「無効にした後、浄化します」


「そこまでしなくていい」


「魔界では、血の契約は絶対だ」


 リリスが難しい顔をする。


「だが、本人が内容を知らなければ契約とは呼べぬ」


「珍しくまともなことを言ったな」


「先生」


「何だ?」


「珍しくとは何だ」


「今のは褒めた」


「褒めていない」


 アウラが俺の匂いを嗅ぎ始める。


「先生から、知らない女の匂いはしない」


「三か月も虚無にいたから残ってないだろう」


「少しする」


「するのか?」


「暗い匂い」


「それは虚無の匂いじゃないか?」


「女の匂いも混じってる」


 七人が俺へ一歩近づいた。


「アウラ」


 俺は竜王の肩を掴む。


「適当なことを言うな」


「適当じゃない」


「どんな匂いだ」


「甘い」


「虚無の狭間に甘い物なんてなかったぞ」


「先生の服の内側」


 アウラが俺の外套を引っ張る。


 裂けた内ポケットから、小さな黒い欠片が落ちた。


 俺は拾い上げる。


 黒い石のように見える。


 だが、手のひらへ載せた途端、柔らかな光を放った。


「こんな物を入れた覚えはない」


「婚約指輪?」


 ノアが尋ねる。


「石ころだろう」


 レオが俺の手元を覗き込む。


「ただの石ではない」


「分かるのか?」


「お前と同じ虚無の記憶を持っているからな。これは虚無核だ」


「虚無核?」


「空間の狭間で、長い年月をかけて生まれる結晶だ。普通は人間が触れば、存在そのものが削られる」


 俺は慌てて石を床へ落とした。


 ころん。


 軽い音を立てて転がる。


「先に言え!」


「お前が三か月持っていて無事なら、今さら問題ない」


「そういう問題じゃない」


 黒い石は床を転がり、寝室の扉の前で止まった。


 玄関の外から声がする。


「私の核を落とさないで!」


 部屋が静まり返った。


「核?」


 セレスが呟く。


「自分の体の一部を、先生の服へ忍ばせていたのですか?」


「随分と大胆ですね」


 ミレイユ。


「マーキング」


 ノア。


「先生は私の番なのに」


 アウラ。


「違う。まだ相手の正体も分からない」


「では、確認しましょう」


 クロエが立ち上がる。


「本人へ契約内容を説明させるべきです」


「そうだな」


「逃げられないよう、周辺の経済を封鎖しておきます」


「国家権力は禁止だ」


「まだ審査は始まったばかりです」


「もう始まっている」


「では、個人資産を使います」


「金で囲むな」


 俺は寝台から立ち上がった。


「全員、ここで待っていろ。俺が話を聞く」


 十八人の女性が同時に立ち上がった。


「誰も待つ気がないのか?」


「先生を一人で行かせることはできません」


 セレスが答える。


「国家権力は使えませんが、普通の女性として同行します」


「普通の女性は剣を持たない」


「護身用です」


「皇帝専用の黄金剣が?」


「装飾品です」


「さっき鞘から抜こうとしていた」


「磨こうとしただけです」


 十一人の王女たちも、帰る様子がない。


 エレノア王女が小さく頭を下げる。


「我々も、婚姻審査の公平性を確認する必要があります」


「これは審査ではない」


「新たな婚姻希望者が加わるのであれば、条件は同じであるべきです」


「加えると決めていない」


「加わらないよう、祈っています」


「正直だな」


 結局。


 俺は七人と十一人の王女。


 レオ。


 リタ。


 フィオナを連れて、玄関へ向かうことになった。


 二十二人。


 自分の家の玄関へ向かう人数ではない。


     ◇


 廊下を歩く。


 先頭は俺。


 右隣にセレス。


 左隣にミレイユ。


 そのすぐ後ろをリリス、エリナ、アウラ、クロエ。


 ノアは俺の服の背中を掴んでいる。


 十一人の王女たちは、その後ろへ一列に並んでいた。


 レオは一番後ろからついてくる。


「なぜ俺まで」


「お前にも虚無の記憶があるなら、何か分かるかもしれない」


「目覚めたのは今日だ」


「同じ知識があるんだろう」


「都合のいい時だけ同一人物として扱うな」


「顔だけでなく、少しは役に立て」


「俺は十分役に立っている」


「何をした」


「お前が自分と会話する時、どれほど面倒か教えた」


「役に立ってない」


 リタがレオの手を握る。


「レオお父さん、喧嘩は駄目です」


「喧嘩ではない」


「お父さん一号も」


「俺は喧嘩していない」


「二人とも同じことを言ってます」


 フィオナが笑う。


「本当に親子みたいね」


「俺は父親ではない」


「俺もだ」


 再び声が重なった。


 玄関へ近づくにつれ、黒い石が明るくなっていく。


 床を勝手に転がり始めた。


 俺たちの前を進み、玄関の扉へぶつかる。


 こん。


 呼び鈴の代わりのような音だった。


「レオン!」


 外の女が叫ぶ。


「早く開けて! ずっと待っているのよ!」


「今開ける」


「先生」


 セレスが俺の腕を掴んだ。


「私が先に出ます」


「どうしてだ」


「危険人物かもしれません」


「力を封じられているお前が先に出ても危ないだろう」


「では、腕輪を一時的に」


「外さない」


「先生の安全のためです」


「審査中だぞ」


「婚約者を名乗る不審者への対応は、日常生活の範囲外では?」


「普通の日常に、婚約者を名乗る不審者は来ない」


「先生の日常には来ました」


「俺も初めてだ」


 ミレイユが扉の前へ立つ。


「でしたら、私が相手の身元を確認いたします」


「奇跡は使えないぞ」


「会話だけです」


「本当に?」


「はい」


「浄化は?」


「少しも使いません」


「光輪を出そうとするな」


「出ません」


 ミレイユが頭上へ手を伸ばし、寂しそうにする。


 力を封じられたことを忘れていたらしい。


「先生」


 エリナが俺へ小声で言う。


「扉を開けた瞬間、相手が飛びついてきたら?」


「受け止める」


「避けて」


「転んだら危ないだろう」


「私が受け止める」


「腕輪で弱くなっているだろう」


「では、床へ落とす」


「普通に受け止めさせろ」


「嫌」


「お前の希望は聞いていない」


 俺は全員を少し下がらせた。


 黒い石を拾い、扉へ手をかける。


「開けるぞ」


 七人が息を呑む。


 十一人の王女たちも身構える。


 俺は玄関の扉を開いた。


 外に立っていたのは、一人の若い女性だった。


 見た目は二十歳前後。


 長い髪は、夜空のような濃い藍色。


 髪の先だけが、星のように淡く光っている。


 肌は透き通るほど白い。


 着ている服は黒と銀を基調とした長い衣装で、布なのか、闇そのものなのか分からない。


 瞳は左右で色が違った。


 右目は銀。


 左目は黒。


 女性は俺を見た瞬間、満面の笑顔になった。


「レオン!」


 予想どおり、飛びついてきた。


「待っ――」


 避ける暇はなかった。


 女性の両腕が俺の首へ回る。


 勢いを受け止めきれず、俺は一歩後ろへ下がった。


「会いたかった!」


「少し離れろ」


「嫌!」


「話ができない」


「三か月もずっと一緒だったでしょう!」


「声だけだっただろう」


「心は一緒だったわ!」


 背後から、木が軋むような音が聞こえた。


 セレスが玄関の柱を握り潰しかけている。


 腕輪で普通の力に制限されているため、実際には潰れていない。


 だが、握っている手は震えていた。


「心が、一緒?」


 セレスが静かに繰り返す。


 女性は俺へ抱きついたまま、七人を見る。


「あら」


 銀と黒の瞳が細くなる。


「あなたたちが、レオンの言っていた七人の娘たちね」


 空気が止まった。


「娘?」


 ミレイユの笑顔が固まる。


「レオンは毎日のように話していたわ」


 女性は嬉しそうに続ける。


「セレスは真面目だけれど無理をしすぎる」


 セレスの眉が動く。


「ミレイユは甘え上手に見えて、実は誰より頑固」


 ミレイユの光輪がない頭上に、見えない何かが回った気がした。


「リリスは寂しがり屋なのに、絶対に認めない」


「先生」


 リリスが俺を見る。


「違う。話の流れで少し言っただけだ」


「エリナは負けず嫌いで、勝つまで何度でも挑んでくる」


「事実」


 エリナは少し誇らしげだった。


「アウラは眠っている時が一番静か」


「先生、ひどい」


「起きている時は屋根を壊しただろう」


「昔」


「クロエは銅貨一枚の貸し借りでも、十年覚えている」


「先生」


 クロエが微笑む。


「まだ返していただいていない銅貨が三枚ございます」


「本当に覚えていたのか!」


「利息込みで銀貨二枚です」


「増えすぎだろう!」


「そしてノアは、気づくと天井裏にいる」


 女性が言う。


 全員が天井を見る。


 ノアは俺の後ろにいる。


「今日はここ」


「知っている」


 女性は七人を順番に眺め、にこりと笑った。


「初めまして。私はアステラ」


「アステラ?」


「虚無の狭間を管理する、境界意識体よ」


「人間ではないのか?」


「人間の姿を取っているだけ」


 アステラはようやく俺から離れた。


 ただし、俺の右腕はしっかり抱えたままだ。


「レオンのおかげで、こちらの世界へ来られたの」


「俺のおかげ?」


「あなたが私へ核を返してくれたでしょう?」


 アステラは俺の手にある黒い石を指さした。


「返していない。勝手に服へ入っていた」


「持ってきてくれたわ」


「入れたのはお前だろう」


「持ってきたのはあなた」


「そういう言い方をすると、俺が自分の意思で持ってきたみたいになる」


「違うの?」


「違う」


 アステラは少し残念そうな顔をした。


「でも、約束は守ってくれた」


「何の約束だ」


「私を外の世界へ連れていくって」


「そんなことを言ったか?」


「言ったわ」


「いつ?」


「虚無の狭間で、二十七回目の夜」


「夜なんてなかっただろう」


「あなたが眠った回数で数えていたの」


 レオが目を閉じる。


「記憶を探っているのか?」


「ああ」


 レオはしばらく黙り、目を開けた。


「言っている」


「俺が?」


「暗闇から声が聞こえた時、お前はこう言った」


 レオは俺の声を真似るように話す。


「もし本当に意思があるなら、いつか外の世界を見せてやる」


「それは独り言だ!」


「私へ言ったのよ」


 アステラが嬉しそうに答える。


「返事をしたでしょう?」


「確か、声が聞こえて驚いた」


「その日から、私はあなたを案内した」


「それは感謝している」


「虚無獣からも守った」


「感謝している」


「食べられる虚無苔も教えた」


「あれは食べ物だったのか?」


「食べても消えなかったでしょう?」


「味がしなかった」


「虚無だから」


「何でも虚無で説明するな」


 アステラは俺の腕へ頬を寄せる。


「私は三か月、あなたを守った」


「ああ」


「あなたは私を外へ連れ出した」


「意図的ではない」


「お互いを助け合った」


「そうだな」


「つまり夫婦」


「どうしてそうなる!」


 アステラは本気で不思議そうな顔をした。


「虚無の狭間では、核を預け合った者は伴侶になるのよ」


「俺は核を預けていない」


「血をくれた」


「怪我をした時に勝手に流れただけだ」


「名前もくれた」


「お前が名前を聞いたから答えただけだ」


「外の世界を見せると約束した」


「それは認める」


「一生守ると言った」


「言ってない」


 レオが再び目を閉じた。


「言っている」


「お前はどちらの味方だ」


「記憶の事実を確認しているだけだ」


「どんな状況で言った」


「虚無獣の群れから逃げている時、声が右へ行けと言った。お前は走りながら、ここから出られたら一生感謝して守ってやる、と叫んだ」


「命懸けの状況で出た言葉だ!」


「でも言った」


 アステラが俺の顔を覗き込む。


「私は覚えているわ」


「俺はほとんど覚えていない」


「私は全部覚えている」


「その違いは何だ」


「私は寝ないから」


「ずっと聞いていたのか?」


「あなたの寝言も」


 ノアが一歩前へ出た。


「寝言」


 アステラとノアが見つめ合う。


「あなたも記録しているの?」


「してる」


「何年分?」


「約十年」


「私は三か月」


 ノアが少しだけ胸を張った。


「私の勝ち」


「期間では負けるけれど、虚無の狭間での記録は私しか持っていないわ」


「交換する?」


「いいわよ」


「よくない!」


 俺は二人の間に入った。


「人の寝言を情報交換するな」


「先生」


 ノアが俺を見る。


「虚無で何を言ったか知りたい」


「俺も思い出したくない」


 セレスがアステラへ向き直る。


「一つ、確認させてください」


「何かしら?」


「先生との婚約契約を結んだと主張されていますね」


「ええ」


「契約内容を、最初から最後まで説明してください」


「もちろん」


 アステラが指を鳴らした。


 銀色の光が集まり、空中に一枚の黒い紙が現れる。


 紙には、見たことのない文字がびっしりと書かれている。


 下には俺の署名と、血の跡。


「これが契約書よ」


「俺はこんな紙を見たことがない」


「虚無の文字は、人間には見えないもの」


「では、どうやって署名した」


「あなたが壁へ自分の名前を書いたでしょう?」


「脱出経路を忘れないよう、印をつけただけだ」


「虚無において、自分の名を刻む行為は契約署名になる」


「知らない!」


「血も一緒についていたから、血印も成立したわ」


「それを説明しろ!」


「聞かれなかったもの」


「聞くわけないだろう!」


 フィオナが黒い紙を覗き込む。


「面白いわね」


「読めるのか?」


「家の翻訳機能を借りているの」


「何と書いてある」


「最初の部分は、アステラがレオンを虚無の外へ導くこと」


「それは果たされた」


「次に、レオンがアステラの核を外の世界へ運ぶこと」


「勝手に入れられたが、結果的には運んだ」


「そして互いの世界で、互いの存在を守ること」


「一生守るという話は、そこからか」


「そう」


 アステラが頷く。


「契約としては、相互扶助に近いわね」


 フィオナが言う。


「婚姻とは書いていないのか?」


「虚無の文化では、核を共有して相互に存在を守る関係を伴侶と呼ぶみたい」


「文化の違いだな」


「でも、この世界へ持ち込んだ時点で契約形式が自動変換されている」


「どう変換された」


 フィオナが紙の最後を指さす。


「婚姻契約」


 七人の空気が、一気に重くなった。


 十一人の王女たちも黒い紙を覗き込む。


「正式な契約なのですか?」


 エレノア王女が尋ねる。


「この世界の法へ適用可能かは別問題ね」


 フィオナが答える。


「本人が内容を理解していない以上、無効を主張できる」


「当然だ」


「ただし、アステラが契約をすべて履行している点は厄介」


「案内してくれたことか?」


「それだけではないわ」


 フィオナの表情が少し変わる。


「レオン」


「何だ」


「あなた、虚無の狭間で三か月間生きていたと言ったわね」


「ああ」


「普通の人間は、三分も存在を維持できない」


「そうなのか?」


「虚無は空間ではない。存在しない場所よ。そこへ生きた人間が入れば、肉体も魂も世界との繋がりを失って消える」


「でも、俺は生きていた」


「アステラが守っていたからよ」


 全員の視線が、アステラへ向く。


 彼女は俺の腕を抱えたまま、笑っている。


「私の核の半分を、レオンへ渡したの」


「半分?」


「あなたの存在を虚無へ繋ぎ止めるために」


「それで、俺は消えなかったのか」


「そうよ」


「危険ではなかったのか?」


「私が少し小さくなるだけ」


 アステラは軽く答えた。


 だが、レオの顔は険しい。


「違うな」


「何が?」


「虚無の境界意識体にとって、核は存在そのものだ。半分を失えば、消滅する可能性が高い」


「レオ」


 アステラが少しだけ目を細める。


「余計なことを言わないで」


「事実だ」


 俺はアステラを見る。


「どうしてそこまでした」


「約束したから」


「俺が外へ連れていくと?」


「それもある」


「ほかには?」


 アステラは少し黙った。


 やがて、困ったように笑う。


「あなたが、毎日七人の話をしていたから」


「どういう意味だ」


「この人たちが待っている。絶対に帰らないといけない。俺がいなければ、きっと無茶をする」


 アステラは七人を見る。


「何度も、そう言っていたわ」


 七人が俺を見る。


「先生」


 セレスの声が少し柔らかくなる。


「虚無の狭間でも、私たちのことを?」


「ほかに考えることがなかったからな」


「毎日?」


「たぶん」


「寝言でも?」


「それは知らない」


「毎日だったわ」


 アステラが答える。


「セレスが皇帝の座を断っていないか心配だ」


「断っていません」


「ミレイユが神殿で我慢しすぎていないか」


「少しだけ」


「リリスが魔界を一人で背負っていないか」


「先生がいないから、少し重かった」


「エリナが勝てない相手へ無茶をしていないか」


「全部勝った」


「アウラが屋根を壊していないか」


「七回だけ」


「クロエが金を稼ぎすぎて、休むことを忘れていないか」


「一日に四時間は休みました」


「少ない」


「そしてノアが、誰にも見つからない場所で一人になっていないか」


 ノアが俺の背中へ額をつけた。


「ずっと先生の家にいた」


「そうか」


「だから一人じゃなかった」


 七人の空気が少しだけ穏やかになる。


 その隙を逃さず、アステラが俺の腕へさらに密着した。


「私は、こんなに七人を大切に思っている人を、消したくなかったの」


「助けてくれたことには、本当に感謝している」


「では結婚を」


「それとこれとは別だ」


「どうして!」


「助けられた恩で結婚は決められない」


「でも契約はある」


「無効を確認する」


「嫌!」


 アステラは俺の腕へしがみついた。


 七人の表情が再び険しくなる。


「先生」


 セレスが言う。


「事情は理解しました」


「なら」


「命を救っていただいたことには、七人全員を代表して感謝いたします」


 セレスはアステラへ深く頭を下げた。


 残る六人も、少し遅れて頭を下げる。


「先生をお守りくださり、ありがとうございました」


 ミレイユ。


「先生を返したことだけは褒める」


 リリス。


「感謝する」


 エリナ。


「先生を食べなかった。偉い」


 アウラ。


「相応の謝礼をお支払いいたします」


 クロエ。


「ありがとう」


 ノア。


 アステラは驚いたように七人を見る。


「思っていたより、素直なのね」


「先生の命を救った方へ、恩を仇で返すことはできません」


 セレスが顔を上げる。


「ですが」


 笑顔だった。


「婚姻は別問題です」


「やっぱり?」


「はい」


「先生との婚姻契約は無効としていただきます」


「嫌」


「では、先生との共同生活審査へ参加してください」


 セレスの提案に、俺が振り返る。


「どうしてお前が決める」


「先生は、公平性を重視されています」


「それはそうだが」


「アステラさんだけを婚姻候補から外せば、不公平になります」


「契約が無効なら候補ではない」


「ですが、先生を命懸けでお守りした実績があります」


 ミレイユも頷く。


「七人にも、十一人の王女にもない強みです」


「私たちにとって、無視できない相手」


 ノアが言う。


「だから審査で負かす」


「審査は競争ではない!」


「料理できる?」


 アウラがアステラへ尋ねる。


「虚無料理なら」


「食べられる?」


「味はないわ」


「弱い」


「料理で相手を判断するな」


「私よりは強い」


 アウラは初日に材料を全部食べた。


 確かに、勝負になれば微妙なところだ。


 エレノア王女が手を上げる。


「レオン様」


「何だ?」


「私たち十一人も、アステラ様の参加を認めます」


「どうして」


「契約が存在する以上、正当な手続きを踏んでいただくべきです」


「お前たちは、自分で競争相手を増やしているぞ」


「七冠の皆様が七人おられる時点で、一人増えても大差ありません」


「諦めに近くないか?」


「正直に申し上げれば、最初から非常に難しいと理解しております」


「なら、どうして残る」


 エレノア王女は少し笑った。


「レオン様が、伝承よりずっと面白い方だったからです」


「面白い?」


「はい」


「褒められている気がしない」


「褒めております」


 十一人の王女たちが頷く。


 七人の視線が王女たちへ向いた。


 新しい争いが始まりそうだ。


「分かった」


 俺は両手を上げた。


「とにかく、アステラの契約はすぐには判断できない」


「では」


「共同生活への参加は認める。ただし、婚姻候補としてではない」


「でも審査は受けるのよね?」


「普通に暮らせるかを見るだけだ」


「合格したら結婚?」


「違う」


「可能性は?」


「今は答えない」


「可能性はあるのね!」


「どうして前向きに解釈する!」


 アステラが嬉しそうに笑う。


「家!」


 俺は声を上げた。


『はい、旦那様』


「腕輪を一つ追加してくれ」


『アステラ様の権能は、既存の腕輪では制御できません』


「作れないのか?」


『虚無存在への対応には時間が必要です』


「どのくらいだ」


『およそ七日間です』


「それまでは?」


『家の内部へ入った場合、アステラ様の力によって一部空間が虚無化する可能性があります』


「家に入れないのか?」


「私、外で待つの?」


 アステラが悲しそうに俺を見る。


「七日も?」


「家」


『はい』


「どうにかできないか」


『旦那様がアステラ様と常時接触していれば、虚無化を防げます』


 玄関が静まり返った。


「常時接触?」


 セレスがゆっくり聞き返す。


『アステラ様の核の半分は、現在も旦那様の魂に結合しております』


「今も?」


 俺は胸へ手を当てた。


「返したんじゃないのか?」


 アステラが首を振る。


「全部返してもらったら、あなたがまた虚無へ落ちた時に消えてしまうでしょう?」


「もう落ちる予定はない」


「予定で事故は防げないわ」


『アステラ様が旦那様の半径一メートル以内にいる限り、虚無の力は安定します』


「一メートル?」


 ノアが俺とアステラの距離を測る。


「近い」


「七日間だけだ」


「寝る時も?」


 セレスが家へ尋ねる。


『はい』


「入浴時も?」


 ミレイユ。


『はい』


「着替えも?」


 クロエ。


『はい』


「待て!」


 俺は家を止めた。


「すべて一緒にいる必要はないだろう!」


『半径一メートルです』


「壁越しでもいいのか?」


『可能です』


 俺は胸を撫で下ろした。


「なら問題ない。隣室を使わせればいい」


『ただし、睡眠中は魂の結合が不安定になるため、直接接触が推奨されます』


「推奨であって必要ではないんだな?」


『接触しない場合、虚無化確率は四十二パーセントです』


「高い!」


「では、一緒に寝ましょう」


 アステラが嬉しそうに言う。


「駄目だ」


「家が必要だと言っているわ」


「推奨だ」


「四十二パーセントで家が消えるかもしれない」


 七人が俺とアステラを見る。


 十一人の王女たちも見る。


「先生」


 セレスが穏やかに言った。


「一つ、提案がございます」


「嫌な予感がする」


「アステラさんが先生へ直接触れなくてもよいよう、七人で先生とアステラさんの間を繋ぎます」


「どうやって?」


「全員で手をつなぎます」


「寝ている間ずっと?」


「はい」


「寝返りもできないだろう」


「世界の安全には代えられません」


「世界ではなく、俺の寝室の安全だ」


「先生の寝室は世界より重要です」


「同意できない」


 ミレイユも手を上げる。


「神殿には、複数人で輪になって祈りながら眠る儀式があります」


「聞いたことがない」


「今考えました」


「正直に言うな」


「先生を中央に置き、右側へ七人、左側へ十一人の王女。アステラさんは寝台の端に」


「家が広いとはいえ、何人で寝るつもりだ」


「二十人程度です」


「寝室ではなく宿舎だ!」


 アステラが俺の袖を引く。


「レオン。私、隣でなくてもいいわ」


「そうか?」


「上でもいい」


「上?」


「あなたに抱きついたまま眠れば、場所を取らないでしょう?」


「一番場所を取る!」


 アウラが対抗するように俺の反対側へ抱きつく。


「それなら私も」


「アウラまで来るな」


「先生に触れば安定する?」


『アステラ様が旦那様へ触れていれば安定します』


「では、私が先生を抱いて、アステラを先生にくっつける」


「俺が挟まれるじゃないか!」


「安全」


「俺の睡眠は安全ではない!」


 玄関前で、再び全員が言い争い始めた。


 俺は額を押さえる。


 まだ共同生活一日目。


 人数は十八人から十九人へ増えた。


 いや。


 七人と十一人の王女、アステラ。


 十九人の婚姻申請者または婚姻希望者。


 俺とレオ、リタ、フィオナを含めれば二十三人。


 この家は本当に耐えられるのか。


『旦那様』


「何だ」


『アステラ様の共同生活参加に伴い、婚姻審査参加者を十九名へ更新しました』


「更新するな」


『なお、アステラ様の契約は、ほかの十八名より優先順位が高く設定されています』


 七人と十一人の王女が、一斉に家を見る。


「なぜですか?」


 セレスの声が低い。


『すでに婚姻契約が成立しているためです』


「無効を審査中だ!」


『現時点では有効です』


 アステラが俺の腕へ抱きつき、満面の笑顔になる。


「私が一番ね!」


「まだ決まっていない」


『現在の配偶者順位を表示します』


「表示しなくていい!」


 玄関の壁へ、光る文字が浮かび上がる。


 第一位。


 アステラ。


 第二位以下。


 審査中。


 七人の空気が凍りついた。


 十一人の王女たちは静かに一歩下がる。


 さすがに危険を感じたらしい。


「先生」


 リリスの声がした。


「何だ」


「国家権力は禁止だったな」


「ああ」


「魔法も禁止」


「ああ」


「喧嘩も禁止」


「そうだ」


「では、普通の女として話し合う」


「それならいい」


 リリスはアステラへ向き直った。


「表へ出ろ」


「話し合いじゃないだろう!」


「普通の女同士の話し合いだ」


「場所を変える必要がない!」


 エリナも腕を回す。


「普通の力なら、条件は同じ」


「殴り合う気だろう!」


「剣は使わない」


「拳も駄目だ!」


 クロエが紙を取り出す。


「暴力は禁止です。代わりに、正妻順位を決める競技大会を提案します」


「提案するな」


「料理、掃除、洗濯、礼儀、資産管理、政治、戦闘、先生理解度」


「後半にお前たちが有利な項目を混ぜるな」


 ノアがアステラの服を引く。


「寝言の記録、見せて」


「いいわよ」


「そこだけ仲良くなるな!」


 アステラは楽しそうに笑っていた。


「あなたたち、本当にレオンが大好きなのね」


「当然です」


 セレスが答える。


「私も負けないわ」


「先生と過ごした時間は、私たちのほうが長いです」


「でも、レオンの魂には私の核が入っている」


「取り出します」


「駄目!」


「先生の中へ勝手に異物を残すことは認められません」


「異物ではないわ。私の半分よ」


「なお悪いです」


「待て」


 俺は二人の間へ入った。


「核を取り出したら、俺はどうなる」


 アステラが黙った。


「何かあるのか?」


「たぶん、大丈夫」


「たぶん?」


「この世界へ帰ってきた今なら、虚無との繋がりが切れても消えないと思う」


「思う?」


「九割くらい」


「残り一割は?」


「存在が少し薄くなる」


「具体的には?」


「誰からも見えなくなったり、触れられなくなったり、名前を忘れられたり」


「重大すぎる!」


 七人が一斉に俺へしがみついた。


「取り出しません!」


 セレス。


「絶対にそのままにしてください!」


 ミレイユ。


「先生が消えるのは嫌だ!」


 リリス。


「切らない!」


 エリナ。


「先生、薄くなる?」


 アウラ。


「核の資産価値ではなく、安全性を最優先します」


 クロエ。


「忘れない」


 ノア。


「核は、そのままでいい」


 俺はアステラへ言った。


「少なくとも、安全な方法が見つかるまでは」


「では、私たちは魂で繋がったままね」


「婚姻とは認めない」


「でも繋がっている」


「事実だけを言えばそうだ」


「嬉しい」


 アステラが再び俺へ抱きつく。


 七人も負けじと俺へ集まる。


「苦しい!」


 俺は七人とアステラに囲まれ、身動きが取れなくなった。


「全員、離れろ!」


『旦那様』


 家の声が、妙に真剣な調子で響いた。


「今度は何だ」


『アステラ様の核と旦那様の魂を確認した結果、新たな事実が判明しました』


「もう嫌な予感しかしない」


『婚姻契約以外に、もう一件の契約が存在します』


「まだあるのか?」


 アステラも首を傾げた。


「私は知らないわ」


『旦那様が虚無の狭間を脱出した際、境界そのものと契約を結んでおります』


「どういう契約だ」


 玄関の壁に、新しい文字が浮かんだ。


『契約名称――虚無領域相続契約』


「相続?」


 レオが壁を見る。


『旦那様は現在、消滅した旧境界管理者アステラ様に代わり、虚無の狭間全域の所有者として登録されています』


 俺は動けなかった。


 アステラも固まっている。


「私、消滅してないわよ?」


『アステラ様は核の半分を旦那様へ譲渡した時点で、旧管理者としては死亡扱いとなっております』


「では、今の私は?」


『旦那様の配偶者兼、虚無領域の付属管理人格です』


「付属?」


 アステラの笑顔が引きつる。


 俺は壁へ近づいた。


「つまり、どういうことだ」


『旦那様は七冠王国の国王であると同時に、虚無の狭間の所有者です』


「七冠王国の国王は認めていない」


『虚無領域には現在、大小合わせて八百四十二の異世界が接続されています』


 玄関が静まり返った。


「八百四十二?」


『はい』


「それが、俺と何の関係がある」


『接続世界から、すでに多数の使節が境界を通過しております』


「使節?」


『新たな虚無の王へ挨拶するためです』


「待て」


『最初の一団が、まもなく到着します』


 家の外。


 大使館予定地のさらに向こうで、空間が裂けた。


 黒い穴が開く。


 そこから、何か巨大なものが姿を現し始める。


 角の生えた巨人。


 光でできた人型。


 機械の体を持つ騎士。


 翼のある獣。


 俺たちの世界には存在しない者たちが、次々と境界を越えてくる。


 そして先頭に立っていた、白銀の鎧をまとった少女が。


 俺の姿を見つけ、地面へひざまずいた。


「虚無王陛下」


 少女の背後で、異世界から来た数千の者たちが一斉に頭を下げる。


「八百四十二世界を代表し、継承の祝福を申し上げます」


 俺は振り返った。


 七人が俺を見ている。


 十一人の王女も。


 アステラも。


 レオも。


 リタも。


 フィオナも。


「……俺は今日、帰ってきただけだよな?」


「はい、先生」


 セレスが静かに答えた。


「なのに、どうして国だけでなく、異世界まで俺の物になっているんだ?」


 誰も答えなかった。


 白銀の鎧の少女が顔を上げる。


「虚無王陛下」


「陛下ではない」


「早速ではございますが、八百四十二世界の代表としてお願いがございます」


「嫌な予感がする」


「現在、境界王妃の座が空席となっております」


 七人。


 十一人の王女。


 アステラ。


 全員の動きが止まった。


「各世界より選ばれた王妃候補、総勢八百四十二名をお連れいたしました」


 黒い穴の向こう。


 数え切れないほどの女性たちが、一斉にこちらを見ていた。


 俺は目を閉じた。


 十九人でも多すぎると思っていた。


 どうやら。


 婚姻審査の参加者は。


 八百六十一人まで増えるらしい。


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