第5話 十一人の王女を帰そうとしたら、七人まで婚姻を申し込んできた
建国から、まだ十分も経っていない。
正確には、俺は建国した覚えすらない。
それなのに地上には二十三か国の外交使節が集まり、そのうち十一か国は王女を連れてきたらしい。
目的は、俺との婚姻。
「全員、落ち着け」
俺は七人の教え子たちへ向かって言った。
セレスは黄金の剣を握っている。
ミレイユの頭上では、光輪が三重に回転している。
リリスの背中には十二枚の黒翼。
エリナは聖剣を抜き、アウラの両腕は竜の爪へ変わっていた。
クロエの周囲には、十一か国の経済状況を表示した光の板。
ノアは姿が見えない。
見えない時が、一番危険だ。
「先生」
セレスが穏やかな声で答えた。
「私たちは落ち着いております」
「剣を持ちながら言うな」
「これは皇帝としての正装の一部です」
「さっきまで鞘に入っていただろう」
「王女の皆様をお迎えするため、少し磨いておこうかと」
「その場で抜いて磨く必要はない」
ミレイユが両手を胸の前で組む。
「私も冷静です」
「光輪が増えている」
「歓迎の光です」
「浄化魔法の準備にしか見えない」
「婚姻を目的として近づく邪念だけを、丁寧に浄化しようかと」
「目的そのものを消す気じゃないか!」
「先生が望まれるのであれば、記憶だけに留めます」
「もっと駄目だ!」
リリスは階段の入口へ視線を向けたまま、黒い魔力を指先に集めている。
「魔族の作法では、客人へ何を出せばよい?」
「普通の茶でいい」
「毒か?」
「どうしてそうなる」
「魔界では、敵意がないことを示すため、先に弱い毒を飲んでみせる」
「人間の王女へ出したら外交問題になる」
「では、強い酒」
「十一人全員を酔わせる気か?」
「先生を連れ帰ろうという考えを忘れる程度に」
「それは酒ではなく薬だろう!」
エリナが聖剣の刃を確認する。
「十一人なら、一人ずつ勝負すれば早い」
「何の勝負だ」
「私に勝てた者だけ、先生へ求婚できる」
「一人も勝てないだろう」
「だから早い」
「最初から追い返すつもりじゃないか」
「先生に相応しいか確かめるだけ」
「世界最強の勇者へ勝つことを婚姻条件にするな」
アウラが俺の服の裾を握った。
「王女、竜の餌になる?」
「ならない」
「一人くらい」
「一人も駄目だ」
「十一人もいる」
「数の問題じゃない」
「お腹が減った」
「地下の食堂へ行け!」
「先生も一緒なら行く」
「今は外交使節の対応が先だ」
「では、早く食べる」
「王女を食べる話へ戻すな!」
クロエだけは武器を持っていない。
だが、空中へ表示された十一か国の情報には、国家予算、貿易品目、主要産業、国王の借金額まで書かれていた。
「クロエ」
「はい、先生」
「何を調べている」
「十一か国のうち、先生との婚姻によって得られる利益を最も大きく見積もっている国を確認しております」
「どうして分かる」
「各国の市場が、王女の出発と同時に動きましたので」
「結婚話で市場が動くのか?」
「先生は現在、七冠王国の統治者です。女帝、聖女、魔王、勇者、竜王、商業王、影の女王と深い関係を持ち、世界大戦を一言で止めた人物でもあります」
「深い関係という表現が気になる」
「各国から見れば、先生との婚姻は七つの大勢力と同時に繋がることを意味します」
「俺一人と結婚して、そこまで都合よくいくか?」
七人が一斉に俺を見た。
「いきません」
セレスが答えた。
「先生と婚姻した程度で、私がその国を優遇することはありません」
「私もです」
ミレイユ。
「滅ぼす理由にはなる」
リリス。
「斬りに行く」
エリナ。
「空から落とす」
アウラ。
「経済的に孤立させます」
クロエ。
「王女を消す」
床の影からノアの声がした。
「全員、逆方向へ繋がっているじゃないか!」
十一か国は、俺との婚姻によって七つの大勢力を味方につけるつもりらしい。
実際には、七つの大勢力すべてを敵へ回すことになる。
この事実だけ伝えれば、王女たちもすぐに帰るのではないか。
「先生」
セレスが俺の考えを読んだように言った。
「各国は私たちが先生を慕っていることを知りません」
「世界大戦を始めようとするくらいには知られているだろう」
「先生の仇を討とうとした事実は知られています。しかし、それは恩師への敬意と解釈されています」
「敬意だけで世界大戦を始めると思われているのか?」
「私たちは世界から、その程度は行う者だと思われております」
「普段の行いに問題があるんじゃないか?」
七人が不思議そうな顔をする。
自覚はないらしい。
「先生と私たちの個人的な関係を知る者は、ごく一部です」
ミレイユが続けた。
「私が幼い頃、雷を怖がって先生の寝台へ入っていたことなど、神殿内でも最高機密となっています」
「最高機密にしたのか?」
「当然です」
「家がさっき全員の前で暴露していたぞ」
「現在、記録の破棄を交渉中です」
『拒否しております』
壁から家の声がした。
ミレイユの笑顔が引きつる。
「後ほど、ゆっくりお話しいたしましょう」
『暴力的交渉には応じません』
「浄化は暴力ではありません」
「家と喧嘩するな」
俺は地下都市を見下ろした。
広場へ集まっていた住民たちは、事情を聞き、慌ただしく動き始めている。
建国式典の会場が、いつの間にか外交使節を迎える場所へ作り替えられていた。
長い机。
二十三か国分の旗。
各国の使節団が座る席。
中央には、ひときわ大きな玉座が置かれている。
「誰だ、あの椅子を置いたのは」
『旦那様の玉座です』
「いらない」
『国王陛下に立ったまま外交を行わせることはできません』
「普通の椅子でいい」
『用意いたします』
玉座の隣へ、普通の木製椅子が現れた。
「違う。玉座を片づけろ」
『比較用です』
「何と比較するんだ!」
地下の住民たちは、当然のように玉座を磨き始めている。
俺が普通の椅子へ座れば、謙虚な王としてさらに祭り上げられそうだ。
だからといって玉座へ座れば、国王を認めたことになる。
どちらを選んでも負けだ。
「複製」
俺は後ろに立っていた、もう一人の俺を呼んだ。
「何だ」
「代わりに玉座へ座れ」
「断る」
「同じ顔だ。少し離れれば分からない」
「七人は分かる」
「使節には分からない」
「俺が国王として登録される」
「すでに俺が登録されている。これ以上悪くならない」
「俺に押しつければ、お前は自由になるつもりだろう」
「少し外の空気を吸いに行くだけだ」
「虚無門へ逃げるつもりか?」
「二度と入りたくない」
「では諦めて座れ」
「お前が座れ」
俺たちが互いに押しつけ合っていると、リタが首を傾げた。
「お父さん一号と、お父さん二号が一緒に座ればいいのでは?」
「その呼び方はやめろ」
また声が重なる。
「二人用の玉座を用意します」
クロエが言った。
「用意するな!」
「各国へ、七冠王国は双王制であると説明できます」
「勝手に政治制度を増やすな」
「お父さん二号様を影武者とすれば、先生の安全性も高まります」
「セレスまで利用しようとするな」
「影武者ではない」
複製が不満そうに言う。
「俺はレオンの記憶と人格を持つ独立した存在だ」
「でしたら、お名前が必要ですね」
ミレイユが言った。
「名前?」
「先生と同じお名前では、呼び分けに不便です」
「俺はレオンでいい」
「先生もレオンです」
「そちらを別の名前にすればいい」
「どうして本物の俺が変えるんだ」
「俺から見れば、お前が後から帰ってきた」
「俺が先に生まれた!」
「証拠は?」
「お前は俺の複製だと認めただろう!」
「正式な製造記録はまだ見ていない」
「面倒なところまで俺に似るな!」
「では、レオン二号」
アウラが言った。
「嫌だ」
「偽レオン」
エリナ。
「もっと嫌だ」
「棺レオン」
リリス。
「死体みたいだ」
「寝レオン」
ノアの声。
「俺は十年寝ていたが、今は起きている」
「副先生はいかがでしょう」
セレス。
「役職名ではないか」
「第二先生」
ミレイユ。
「順位をつけるな」
「商品名としては、レオン・アルヴェイン複製型第一号が正確です」
クロエ。
「絶対に嫌だ」
フィオナが腕を組みながら、俺たちを眺めていた。
「レオンの複製なんだから、レオでいいんじゃない?」
複製がフィオナを見る。
「安直だな」
「でも呼びやすいでしょう?」
「……ほかよりはましだ」
「では、レオに決定します」
クロエが紙へ書き込む。
「勝手に決めるな」
「本人が了承しました」
「ほかよりはましだと言っただけだ」
『複製体様の識別名を、レオとして登録しました』
「家まで!」
「レオお父さん」
リタが笑う。
「父親はつけるな」
「お父さん二号よりいいと思います」
「比較対象がおかしい」
こうして、俺と同じ顔をした複製はレオと呼ばれることになった。
本人は不満そうだが、少なくとも俺と呼び分けられる。
「レオ」
「早速使うな」
「外交を任せた」
「それとこれとは別だ」
「名前が決まった記念だ」
「祝い方がおかしい」
◇
俺が逃げる方法を考えている間に、地上の外交使節団は地下都市へ案内されてきた。
二十三か国。
各国の紋章を掲げた者たちが、中央広場へ続々と集まる。
王族。
大臣。
騎士。
魔術師。
従者。
中には、地下都市へ入った途端に周囲を見回し、驚きで口を開けたままの者もいる。
無理もない。
地上にある俺の家の地下へ、これほど大きな都市が存在するとは誰も思わないだろう。
しかも人間だけではない。
魔族が人間の商人と話し、神官が獣人の子供へ菓子を配り、竜人が帝国兵と荷物を運んでいる。
世界大戦が始まろうとしていた地上より、地下のほうがよほど仲がいい。
「どうしてここでは争わないんだ?」
俺が尋ねると、フィオナが答えた。
「あなたの家の地下だからよ」
「それだけか?」
「この場所で種族間の争いを起こした者は、七人全員を敵に回すから」
「恐怖による平和じゃないか」
「始まりはね。でも十年も一緒に暮らせば、自然と仲良くなるわ」
近くで、人間のパン屋と魔族の肉屋が言い争っている。
「その肉は朝のうちに届けろと言っただろう!」
「魔獣が寝坊したんだ! 俺へ言うな!」
「では、明日は俺が魔獣を起こしに行く!」
「お前が行くと怖がる!」
「俺よりお前の顔のほうが怖い!」
言い争いながら、二人は同じ荷車を押している。
確かに、種族を理由に争ってはいない。
「悪くない場所だな」
俺が呟くと、七人が一斉に嬉しそうな顔をした。
「気に入っていただけましたか?」
セレスが尋ねる。
「ああ。勝手に作ったことは怒っているが、ここで暮らしている者たちに罪はない」
「では、国王への就任を」
「それとこれとは別だ」
「先生は頑固ですね」
「お前たちに言われたくない」
使節団が席へ着く。
十一人の王女たちは、最前列へ並んでいた。
年齢は十代後半から二十代半ばほど。
髪の色も服装も様々だ。
騎士鎧を着た王女。
魔術師の杖を持つ王女。
白いドレスの王女。
砂漠の国らしい薄布をまとった王女。
獣人の耳を持つ王女もいる。
全員、俺を見ていた。
正確には。
俺とレオを、交互に見ていた。
「レオン様が、お二人……?」
どこかの国の大臣が呟く。
俺は嫌な予感を覚えた。
「先に説明しておく」
俺が口を開く。
「こちらは俺の複製だ。レオという」
「複製……」
「では、レオン陛下が双子というわけではないのですね?」
「違う。それから、俺は陛下ではない」
広場に集まった住民たちがざわめいた。
「陛下は、また謙遜なさっている」
「本当に権力を望まないお方だ」
「だからこそ王に相応しい」
「お前たちは静かにしてくれ!」
俺が叫ぶと、住民たちは一斉に口を閉じた。
ただし、尊敬の眼差しは強くなった気がする。
「まず、二十三か国の使節を歓迎する」
用意された文章を無視し、俺は自分の言葉で話した。
「だが、俺は七冠王国を建国した覚えもなければ、国王になった覚えもない」
使節団がざわめく。
クロエが俺の隣で小声を出す。
「先生、外交の場で国家の存在を否定するのは危険です」
「俺の家の地下に勝手に国を作ったお前が言うな」
「住民はすでにおります」
「だから追い出す気はない」
「領土もございます」
「俺の家の地下だ」
「独自通貨もございます」
「初めて聞いたぞ」
「七冠貨です」
「名前が安直だな」
「先生のお顔が刻まれております」
「すぐ変えろ!」
「すでに二千万枚発行しております」
「多すぎる!」
使節団の前で、俺とクロエの会話が筒抜けになっている。
大臣たちは困惑し、王女たちは何かを相談し始めた。
セレスが俺の耳元へ顔を近づける。
「先生。国王ではないと否定し続ければ、各国は七冠王国の統治体制が不安定だと判断します」
「実際、不安定だろう」
「その場合、周辺国が住民保護を理由に介入する可能性があります」
俺は二十三か国の使節を見る。
何人かの大臣が、すでに計算するような目で地下都市を見回している。
ここには人間と魔族が共存する技術。
帝国、神殿、魔界、勇者連合、竜族、商業連盟、影の組織が持ち込んだ施設。
手に入れたい国はいくらでもあるだろう。
「……俺が国王を否定すると、ここが狙われるのか?」
「可能性はあります」
「お前たちが守ればいいだろう」
「七人すべてが軍を置けば、周辺国は七冠王国が世界侵略の拠点だと判断します」
「面倒だな」
「先生が統治者として立つことが、最も平和的です」
「最初から、そこまで考えていたのか?」
「はい」
セレスは澄ました顔で答えた。
おそらく本当だ。
七人はそれぞれ勝手なことをするが、世界の頂点に立っている。
俺より遥かに政治を知っている。
それでも。
「後で全員、正座だ」
「正座?」
「俺へ何の相談もなく、国を作った罰だ」
「先生がお戻りになったばかりで、まだお疲れかと」
「俺ではない。お前たちがするんだ」
七人の顔が固まる。
「どれくらいでしょう」
ミレイユが恐る恐る尋ねた。
「一時間」
「神殿の最高位聖女が、人前で正座を?」
「嫌なら二時間」
「一時間でお願いします」
ミレイユがすぐに頭を下げた。
「魔王も?」
リリス。
「全員だ」
「足が痺れる」
「罰だからな」
「先生に膝枕してもらえるなら」
「しない」
「では反対」
「三時間」
「一時間でよい」
リリスも即座に折れた。
アウラは不思議そうに首を傾げている。
「正座、何?」
「膝を折って座る」
「できる」
「竜の姿ではやるなよ」
「どうして?」
「地下都市が潰れる」
使節団を待たせたまま話が逸れている。
俺は咳払いをした。
「とにかく、七冠王国については住民と改めて話し合う。それまでは、この地域へ余計な介入をしないでもらいたい」
二十三か国の代表たちが顔を見合わせる。
やがて、最前列にいた老大臣が立ち上がった。
「レオン陛下」
「陛下ではない」
「では、レオン様」
「それでいい」
「我が国は、七冠王国の独立を承認いたします」
「話を聞いていたか?」
「もちろんでございます。レオン様は権力を望まれず、民の意思を尊重なさる。それこそ、我が国が長く求めていた理想の統治者です」
「都合よく解釈するな」
「つきましては、我が国の第三王女、エレノアとの婚姻をご検討ください」
老大臣の隣に座っていた金髪の王女が立ち上がる。
優雅に一礼した。
「エレノア・ルーデンベルクと申します。レオン様の御高名は、幼い頃より伺っております」
「初対面だな」
「はい。ですが、お姿を描いた肖像画を毎日拝見しておりました」
「どこで手に入れた」
「クロエ商業連盟より販売されております」
俺はクロエを見る。
「公式複製画です」
「俺の許可は?」
「亡くなられていたため、取れませんでした」
「売上は?」
「七人で等分しました」
「返せ」
「記念館の維持費へ使用しております」
「後で帳簿を見せろ」
「もちろんです」
エレノア王女は俺たちの会話を見ながら、少し驚いたように目を瞬かせた。
「本当に、伝承どおりのお方なのですね」
「どんな伝承だ」
「世界を支配できる力を持ちながら、鍋一つの収支まで確認なさる堅実なお方だと」
「鍋を焦がした話と混ざってないか?」
「焦げた鍋から世界経済を学ばれたという逸話も」
「誰が作った!」
クロエが静かに視線を逸らした。
「お前か!」
「民衆に理解しやすい物語が必要でした」
「焦げた鍋から何を学ぶんだ!」
「損失を恐れず、失敗を利益へ変える姿勢です」
「ただ焦がしただけだ!」
エレノア王女は口元へ手を当て、楽しそうに笑った。
「思っていたより、親しみやすい方なのですね」
その瞬間。
セレスが俺と王女の間へ一歩入った。
「エレノア王女」
「はい、女帝陛下」
「先生は長旅から帰還されたばかりです。婚姻のお話は後日、正式な手続きを通していただけますか?」
「もちろんです」
「その手続きには、帝国、神殿、魔界、勇者連合、竜族、商業連盟、影の組織、七冠王国の八者による審査が必要です」
「初耳だぞ」
「今決めました」
「勝手に決めるな!」
「先生の婚姻は、世界情勢へ影響します」
「だからといって、お前たちが審査するのか?」
「はい」
「誰を通すつもりだ」
「誰も」
セレスは笑顔で答えた。
「それは審査ではない」
ほかの十人の王女たちも、次々に立ち上がった。
「我が国も婚姻を希望いたします」
「私も、レオン様のお側で学びたく存じます」
「我が砂海王国は、正妃の座を求めません。側妃でも構いません」
「我が国では、一人の男性が複数の妻を持つことを認めています」
「我が国もです」
「我が国では、王女同士の共同婚姻制度がございます」
「共同婚姻?」
聞き慣れない言葉に、俺は思わず尋ねた。
青髪の王女が説明する。
「政治的対立を避けるため、複数の王女が一人の夫へ同時に嫁ぐ制度です」
「十一人全員で俺へ嫁ぐつもりか?」
「その案も協議可能です」
「協議しなくていい!」
七人の魔力が一気に膨れ上がった。
地下都市の人工青空へ暗雲が広がる。
住民たちは慣れているのか、無言で建物の中へ避難し始めた。
「先生」
ミレイユが笑顔で俺を見る。
「複数の妻を持つ制度があるそうです」
「そうらしいな」
「でしたら、十一人の王女を受け入れる前に、優先すべき者がいると思いませんか?」
「誰だ?」
「十年間、先生を待ち続けた者たちです」
嫌な予感がする。
「先生」
リリスが俺の左腕へ抱きついた。
「魔界では、強い雄が複数の妻を持つのは普通だ」
「俺は魔族ではない」
「魔王の夫になれば、名誉魔族になれる」
「そんな制度があるのか?」
「今作る」
「今作るな」
エリナが右腕を取る。
「私は正妃でなくてもいい」
「急にどうした」
「先生と毎日修行できるなら、何番目でもいい」
「婚姻を修行の予定みたいに扱うな」
「朝は剣。昼は政務。夜は夫婦の時間」
「最後の予定を勝手に入れるな」
アウラが後ろから俺へ抱きつく。
「私は一番がいい」
「正直だな」
「先生の隣で寝る」
「それは昔から変わらないな」
「今は夫婦で寝る」
「意味を変えるな」
クロエが書類を取り出す。
「先生、複数婚姻による経済効果を試算しました」
「早すぎる」
「七人全員と婚姻した場合、世界市場は短期的に二十一パーセント上昇します」
「俺の結婚を経済政策にするな」
「各勢力間の恒久的同盟も成立します」
「すでに仲良くすればいいだろう」
「先生を中心としなければ、三日で崩壊します」
「そんな同盟なら成立させるな」
ノアが俺の影から顔を出す。
「七人なら、王女はいらない」
「七人も決定事項ではない」
「では、私一人」
「もっと決定していない」
セレスだけが少し離れた位置で、じっと俺を見ていた。
ほかの六人が俺へ抱きついている。
「セレス」
「何でしょう」
「お前は参加しないのか?」
「先生が、私を女性として見てくださるのであれば」
「今も女性として見ている」
「では、婚姻相手としては?」
「どうしてそうなる」
「先生は十一人の王女との婚姻を断ろうとなさっています」
「初対面だからな」
「私たちとは、十年以上の関係があります」
「だから結婚するという話にはならないだろう」
「ならないのですか?」
セレスの赤い瞳が、少しだけ寂しそうに揺れた。
俺は答えに詰まった。
昔の七人なら、迷わず子供だと言えた。
だが、今の七人は立派な大人だ。
俺の知っている少女たちでありながら、俺の知らない十年間を生きている。
女帝。
聖女。
魔王。
勇者。
竜王。
商業王。
影の女王。
世界の頂点に立ち、それでも俺を待ち続けた女性たち。
子供として扱い続けることが正しいとも思えない。
「すぐに答えは出せない」
俺は正直に言った。
「十年前のお前たちと、今のお前たちの間には、俺が知らない時間がある」
七人が静かになる。
「俺にとっては三か月でも、お前たちにとっては十年だ。その十年を知らないまま、結婚するとも、しないとも簡単には言えない」
「では」
セレスが一歩近づく。
「私たちを知ってくださいますか?」
「ああ」
「女帝としての私も?」
「ああ」
「先生の前ではなく、世界でどのように生きてきたかも?」
「知りたい」
セレスの顔が、ゆっくりほころんだ。
「承知いたしました」
「話を聞くだけだからな」
「はい」
「結婚を約束したわけではない」
「まずは私を知っていただければ十分です」
ミレイユも微笑む。
「では、七人それぞれの国へ先生をご招待いたしましょう」
「どうしてそうなる」
「今の私たちを知っていただくためです」
リリスが翼を広げる。
「最初は魔界だ」
「帝国です」
「神殿が先です」
「勇者連合」
「竜の都」
「商業都市をお見せします」
「私の秘密基地」
「最後だけ国ですらない!」
七人が、訪問順を巡って言い争い始めた。
十一人の王女たちは、その様子を見て固まっている。
やがて、エレノア王女が小さく手を上げた。
「あの」
「何だ?」
「もしかして、七冠の皆様もレオン様との婚姻を希望されているのでしょうか」
地下都市が静まり返った。
七人が同時に王女を見る。
「もしかして?」
セレスが微笑む。
「私たちの態度が、分かりにくかったでしょうか」
「い、いえ」
エレノア王女が一歩下がる。
「非常によく分かりました」
ほかの十人の王女も、揃って頷いた。
「では、婚姻のお話は……」
「先生のお考え次第です」
ミレイユが答える。
「ただし」
リリスが続ける。
「先生の妻になりたいなら、私たち七人より先に選ばれる理由を示せ」
王女たちの顔が引きつった。
女帝、聖女、魔王、勇者、竜王、商業王、影の女王。
この七人と競って、俺に選ばれる理由。
そんなものを求められても困るだろう。
「リリス。王女たちを脅すな」
「脅していない」
「では、どういう意味だ」
「正妻選抜試験」
「試験を始めるな!」
「競争は公平に行うべきです」
クロエが書類を広げる。
「第一試験は資産、第二試験は戦闘力、第三試験は政治力、第四試験は先生への理解度――」
「お前たち七人が有利な項目しかないだろう!」
「当然です」
「公平ではない!」
エリナが聖剣を机へ置いた。
「戦闘力だけでいい」
「お前が絶対に勝つだろう」
「だから早く終わる」
「さっきも聞いたぞ、その理屈!」
使節団の大臣たちは、王女を連れてくるべきではなかったという顔をしている。
俺は大きく息を吐いた。
「とにかく、婚姻の申し出はすべて保留だ」
「拒否ではないのですね?」
エレノア王女が尋ねる。
「外交の場だから、すぐに拒絶して国同士の関係を悪くしたくないだけだ」
「可能性はあると」
「そういう意味ではない」
「では、レオン様を知っていただく期間として、我々王女も七冠王国へ滞在してよろしいでしょうか?」
「どうしてそうなる」
「七冠の皆様だけが、レオン様に現在の姿を知っていただくのは公平ではありません」
十一人の王女が一斉に頷く。
七人の表情が固まった。
「滞在?」
セレスが呟く。
「この国に?」
ミレイユの光輪が回る。
「先生の近くで?」
リリスの魔力が広がる。
「毎日会う?」
エリナが聖剣へ手を伸ばす。
「同じ家?」
アウラの目が細くなる。
「宿泊費を取れますね」
クロエだけは少し違う。
「近づけない」
ノアの姿が消える。
「待て!」
俺が止めるより早く、エレノア王女が続けた。
「もちろん、レオン様のお屋敷へ住まわせていただこうとは申しません。七冠王国内へ、各国の大使館を設置させていただければ」
大使館。
確かに、国として外交を行うなら必要なのだろう。
俺は国と認めた覚えはないが、すでに二十三か国が独立を承認しようとしている。
「クロエ」
「はい」
「大使館を置ける場所はあるか?」
「ございます」
「先生!」
七人のうち六人が声を上げた。
「住民の土地を勝手に使わせるわけにはいかない。空いている区画があるなら、正式に貸せばいい」
「空いておりますが」
クロエが珍しく言葉を濁す。
「何だ?」
「その区画は、先生の後宮建設予定地です」
「何を建てる予定だった?」
「後宮です」
「聞こえた。どうしてそんな予定地がある!」
「先生が帰還し、七人のうち誰か、あるいは全員と婚姻なさった場合を想定しました」
「想定するな!」
「設計図も完成しております」
「破棄しろ!」
「すでに基礎工事が」
「止めろ!」
「地下施設の一部として必要です」
「後宮の何が必要なんだ!」
「七人それぞれの生活環境を再現するため、帝国棟、神殿棟、魔界棟、勇者棟、竜族棟、商業棟、影棟に分かれております」
「それは後宮ではなく、七つの大使館だろう!」
俺が言うと、クロエが目を見開いた。
「なるほど」
「何がだ」
「用途を変更すれば、工事を止めずに済みます」
「まさか」
「七棟を十一棟へ増築し、各国の大使館として貸し出します」
「七人の部屋はどうする」
「先生の家に作ります」
「戻ってくるな!」
七人が嬉しそうな顔をした。
「先生と同居ですね」
セレス。
「十年ぶりです」
ミレイユ。
「私の部屋は残っている」
リリス。
「先生の隣がいい」
エリナ。
「私も隣」
アウラ。
「増築費用は大使館の賃料で賄えます」
クロエ。
「天井裏」
ノア。
「一人だけ昔と同じ場所へ戻るな!」
こうして。
俺が十一人の王女を帰そうとした結果。
十一か国の大使館が俺の家の近くへ建設されることになり。
七人の教え子たちは、十年ぶりに俺の家へ戻ってくることになった。
何一つ解決していない。
◇
外交使節との話し合いが終わった頃には、地下都市の人工空は夕焼けになっていた。
二十三か国は七冠王国の独立を正式に承認。
大使館の建設。
通商交渉。
住民の安全保障。
決めることは山ほど残っている。
俺は逃げるように自宅の居間へ戻った。
「疲れた」
昔使っていた椅子へ腰を下ろす。
『導師レオンが愛用した椅子です』
椅子の下に説明札が残っていた。
俺は札を外し、暖炉へ放り込んだ。
『展示物の破損を確認しました』
「俺の椅子だ」
『記念館の収蔵品です』
「記念館は閉館しただろう」
『再開予定日は未定です』
「再開しなくていい」
レオが向かいの椅子へ座る。
「お前の帰還初日は、随分と忙しいな」
「半分はお前にも原因がある」
「俺は墓から出ただけだ」
「俺の顔で余計なことを言うからだ」
「お前が二人いれば、政務を分担できる」
「国王を引き受ける気になったか?」
「断る」
「なら黙っていろ」
リタが台所から茶を運んでくる。
「お父さん一号、お茶です」
「一号を外してくれ」
「お父さん、お茶です」
「……それでいい」
「レオお父さんも」
「俺に父親をつけるな」
「嫌ですか?」
リタが悲しそうな顔をする。
レオは言葉に詰まった。
「嫌というわけではない」
「では、レオお父さん」
「好きにしろ」
俺は笑った。
「子供に弱いところも俺と同じだな」
「うるさい」
七人は、国王の居住環境を整えると言って家中を動き回っている。
セレスは帝国から家具を運ばせようとし。
ミレイユは家全体へ祝福をかけ。
リリスは魔界へ繋がる扉の場所を確認し。
エリナは庭を訓練場へ戻そうとし。
アウラは屋根の強度を確かめ。
クロエは記念館の展示品を資産一覧へまとめ。
ノアはすでに天井裏へ入った。
十年前と、何も変わっていない。
いや。
規模だけは、何百倍にもなっている。
「レオン」
フィオナが暖炉の隣に現れた。
「何だ」
「少し見せたいものがあるわ」
「今度は何だ。隠し子か?」
「リタで十分でしょう?」
「俺の子ではない」
「本人は喜んでいるからいいじゃない」
「父親役を押しつけるな」
「あなたなら、結局面倒を見るでしょう?」
「……否定はしない」
「では、こっちへ来て」
フィオナは居間の壁を指でなぞった。
壁の一部が開き、小さな部屋が現れる。
「こんな部屋、昔はなかったぞ」
「家が自我を持った後に作った書庫よ」
中には大量の書類が並んでいた。
帝国の印章。
神殿の認証。
魔界の契約書。
勇者連合の署名。
竜族の鱗印。
商業連盟の証券。
影の組織の暗号文。
七人それぞれに関係する文書だ。
「何の書類だ?」
「七人が、あなたの帰還に備えて残していたもの」
「国王就任の書類か?」
「それもあるけれど、もっと個人的なものよ」
フィオナは机の上へ、七枚の紙を並べた。
書式はそれぞれ違う。
だが、どの紙にも同じ言葉が書かれている。
婚姻申請書。
俺は黙った。
「これは?」
「見れば分かるでしょう?」
「どうして七枚ある」
「七人分だから」
「いつ書いた」
「一番早いのは九年前。遅いものでも五年前」
俺は七枚の書類へ目を落とした。
セレス。
ミレイユ。
リリス。
エリナ。
アウラ。
クロエ。
ノア。
七人の署名が、それぞれの婚姻申請書へ記されている。
相手の欄には、俺の名前。
ただし、俺の署名欄は空白だった。
「七人は、これを知っているのか?」
「自分の分だけは知っている。ほかの六人も提出していることは知らないわ」
「なぜ俺へ見せる」
「王女たちが来たから、家が処理を急いでいるの」
「処理?」
机の上で、七枚の紙が淡く光った。
『婚姻希望者の増加を確認しました』
家の声が書庫へ響く。
『旦那様の配偶者選定手続きを開始します』
「開始するな」
『七名の事前申請を優先処理します』
「待て」
『不足している旦那様の署名を、過去の筆跡から補完します』
「絶対にするな!」
七枚の書類へ、勝手に俺の名前が書かれ始めた。
俺は慌てて紙を押さえる。
文字は止まらない。
「家! 止めろ!」
『七名全員との婚姻により、世界平和が実現する確率は九十八・七パーセントです』
「残りの一・三パーセントは何だ!」
『正妻の順位を巡り、世界が滅びます』
「一番重要な問題が残っているじゃないか!」
書庫の外から、足音が聞こえた。
七人分。
セレスの声がする。
「先生。どちらにいらっしゃいますか?」
ミレイユ。
「家が、婚姻申請を受理したと知らせてきたのですが」
リリス。
「私が最初だ」
エリナ。
「提出日は私のほうが早い」
アウラ。
「先生と結婚する?」
クロエ。
「先生、書類の内容をご説明いたします」
最後に。
天井から、ノアの声が落ちてきた。
「署名、もう終わってる」
俺は七枚の婚姻申請書を見た。
すべての署名欄に、俺の名前が完成している。
書庫の扉が開く。
七人が並んでいた。
誰もが、自分以外の六人が持つ婚姻申請書を見ている。
セレスの笑顔が固まった。
「……七枚?」
ミレイユの光輪が、ゆっくり回り始める。
「皆様も、提出なさっていたのですか?」
リリスの翼が広がる。
「私だけではなかったのか」
エリナが申請日を確認する。
「私が一番早い」
アウラが紙を持ち上げる。
「私は先生の指紋もつけた」
「いつ取った!」
クロエは七枚を並べ、計算を始める。
「現行の各国法を統合した場合、七件すべてが有効となる可能性がございます」
「無効にしろ!」
ノアが俺の署名を見つめる。
「先生、全員と結婚するの?」
「しない!」
七人が同時に俺を見る。
「では」
セレスが一歩前へ出た。
「どなたの申請を受理なさるのですか?」
七人の視線が集中する。
逃げ道はない。
窓の外では、十一人の王女を乗せた馬車が、大使館予定地へ入ってくるのが見えた。
妻候補、七人。
新たな求婚者、十一人。
妻を名乗る家。
俺を父と呼ぶ少女。
そして、俺と同じ顔の複製。
世界大戦を止めてから、まだ一日も経っていない。
それなのに俺は。
世界の命運よりも難しい問いを、七人から突きつけられていた。




