第4話死んだ旧友と、俺を父と呼ぶ少女と、勝手にできていた国
「久しぶりね、レオン」
地下へ続く階段の途中。
俺がこの手で墓へ埋葬したはずの女は、昔とまったく変わらない顔で笑っていた。
赤紫色の長い髪。
細い銀縁の眼鏡。
黒い外套の下に着込んだ、用途の分からない革製の道具袋。
どこか人を馬鹿にしたような笑い方まで、俺の記憶にある姿そのものだった。
「あなたが帰ってくるまで、ずいぶん時間がかかったじゃない」
「……フィオナ?」
「そうよ」
女は軽く片手を上げた。
「あなたの親愛なる旅仲間にして、世界最高の魔導研究者。フィオナ・レムナントよ」
「自分で世界最高と言うところまで変わってないな」
「事実だから仕方ないでしょう?」
フィオナは階段を上がり、俺の目の前で立ち止まった。
姿も声も間違いない。
少し癖のある喋り方も、左の眉をわずかに上げる仕草も、すべて俺が知っているフィオナだった。
しかし、そんなはずはない。
「俺はお前が死ぬところを見た」
「そうね」
「俺が墓を掘った」
「随分と浅い穴だったわ」
「硬い岩盤に当たったんだ」
「もう少し頑張りなさいよ」
「死んだ本人に墓の深さを文句言われるとは思わなかった」
「棺も安物だった」
「金がなかったんだ!」
「花も野草が三本」
「冬だったから、ほかに咲いてなかった!」
「お別れの言葉は、先に死んで逃げやがって、だったわね」
「……聞いていたのか?」
「ええ」
「死んでなかったのか?」
「死んでいたわよ」
「どっちなんだ!」
俺の声が家中へ響いた。
フィオナは耳を押さえ、顔をしかめる。
「帰ってきて早々、声が大きいわね」
「死んだ人間が普通に出てきたら驚くだろう!」
「驚くのは分かるけれど、少し落ち着きなさい。後ろの七人が、さっきから私を殺そうとしているから」
言われて振り返る。
セレスは黄金の剣を抜いていた。
ミレイユの頭上では巨大な光輪が回転している。
リリスは十二枚の翼を広げ、エリナは聖剣を両手で握っていた。
アウラは片腕を竜の爪へ変え、クロエの周囲には無数の攻撃用魔導具が浮かんでいる。
ノアはフィオナの背後にいた。
短剣の刃が、フィオナの首へ触れる寸前で止まっている。
「いつ移動したんだ、ノア」
「先生が墓を掘った話をしている間」
「戻ってこい」
「まだ何もしてない」
「これからする顔だろう」
「少し調べるだけ」
「何を使って調べるつもりだ」
「刃」
「戻れ!」
俺が呼ぶと、ノアは不満そうに短剣を引いた。
そのまま一歩下がり、俺の影へ沈む。
顔だけが影から出ている。
「フィオナ」
セレスが冷たい声で呼んだ。
「先生と、どのようなご関係ですか?」
「昔の旅仲間よ」
「それだけでしょうか」
「それ以外に何があるの?」
「先ほど親愛なる、とおっしゃいました」
「言葉どおりよ」
「先生を親愛していると?」
「ええ。大切な仲間だったもの」
セレスの剣を握る手へ力が入る。
床へ細い亀裂が走った。
「過去形ですか?」
「細かいところに食いつくわね」
「重要なことです」
「今も大切よ。満足?」
「しません」
「面倒な子に育ったわね、セレス」
フィオナが笑う。
セレスの目が細くなった。
「私をご存じなのですか?」
「もちろん。あなたたち七人のことは、ずっと見ていたわ」
七人の空気が変わる。
「どこから?」
エリナが尋ねた。
「この家からよ」
フィオナは壁を軽く叩いた。
「正確に言えば、この家に保存されていた私の記憶から」
「どういう意味だ」
俺が尋ねる。
フィオナは眼鏡を指で押し上げた。
「私は死んでいる。そこは間違いないわ」
「では、目の前にいるお前は何だ?」
「生前の私が残した人格記録。魔力で再現された、フィオナ・レムナントの残響体よ」
俺と同じ顔をした複製が、俺の隣へ並んだ。
「仲間が増えたな」
「お前は黙っていろ」
「俺も複製。あの女も複製。立場は似ている」
「似ていないわ」
フィオナが即座に否定した。
「私は自分の意思で人格記録を残した。あなたは本人の知らないところで作られた模造品でしょう?」
「言い方に悪意を感じる」
「私は性格も保存しているから」
「性格が悪いことを保存するな」
「レオン」
フィオナが俺を見る。
「あなた、自分と同じ顔の相手と話していると、いつも以上に面倒ね」
「俺のせいじゃない」
「どちらもレオンですもの。二倍面倒なのは当然だわ」
「俺は違う」
「俺も違う」
俺と複製の声が重なる。
「ほら」
フィオナは満足そうに頷いた。
七人が、俺と複製とフィオナを順番に見ている。
「死者の人格を再現することは、神殿法で禁じられています」
ミレイユが静かに言った。
「そうでしょうね」
「分かっていて、なぜ行ったのですか?」
「私が研究していた時代には、その法律はなかったもの」
「いつ記録を残したのですか?」
「死ぬ三日前」
俺はフィオナを睨んだ。
「自分が死ぬと分かっていたのか?」
「分かっていたわ」
「なら、どうして言わなかった」
「言ったら、あなたは無茶をして助けようとするでしょう?」
「当然だ」
「だから言わなかったの」
フィオナは当然のように答えた。
「あなたは昔から、人を助ける時だけ自分の命を数に入れないから」
「それで黙って死んだのか」
「ええ」
「勝手なことをするな」
「あなたにだけは言われたくないわね」
「どうしてだ」
「虚無門へ一人で入って、三か月のつもりで十年も帰ってこなかった人は誰?」
「……俺だ」
「七人に何も説明しないで」
「時間がなかった」
「私にも時間がなかったわ」
「同じにするな」
「同じよ」
フィオナは俺の額を指で弾いた。
昔もよくやられた。
「痛いな」
「少しは反省しなさい」
「死んだ人間に説教されるとは思わなかった」
「私も死んでから説教するとは思わなかったわ」
「フィオナさん」
ミレイユが笑顔で一歩前へ出る。
「先生のお体へ、気安く触れないでいただけますか?」
「昔は肩を組んで歩いていたわよ」
空気が凍った。
フィオナの背後で、七人分の魔力が一斉に膨れ上がる。
家の窓が震えた。
「肩を?」
セレスの声が低くなる。
「組んで?」
リリスの翼が広がる。
「歩いた?」
エリナが聖剣をわずかに抜く。
「旅仲間だったんだから普通でしょう?」
「普通ではありません」
ミレイユの笑顔が深くなる。
「神殿では、婚姻前の男女が過度に密着することを推奨しておりません」
「神殿は昔、私たちを異端者として追い回していたでしょう?」
「それは過去の神殿です」
「便利ね、最高責任者になると過去を切り離せて」
「必要な改革でした」
「ところで、レオン」
フィオナが俺の肩へ腕を回した。
「昔みたいに、こう?」
その瞬間。
セレスの剣が光った。
ミレイユの結界がフィオナと俺の間へ割り込む。
リリスの黒い魔力がフィオナの腕へ絡みつき、エリナが聖剣の鞘でその手を叩き落とした。
アウラが俺の腰へ腕を回し、フィオナから引き離す。
クロエの魔導具がフィオナへ向き、ノアの短剣が再び首元へ現れる。
「だから何もするなと言っただろう!」
「私は何もしておりません」
セレスが剣を収めながら言う。
「威嚇射撃です」
「家の中で剣を振るな」
「先生へ不当に接触した者を排除しただけです」
エリナも鞘を戻す。
「肩へ腕を回しただけだぞ」
「十分です」
「何が十分なんだ」
「レオン」
アウラが俺を抱えたまま言う。
「この女、危険」
「今のところ、お前たちのほうが危険だ」
「先生」
クロエが真剣な顔で尋ねる。
「旅の途中、フィオナさんと同室で宿泊なさった回数を教えてください」
「どうしてそんなことを聞く」
「宿泊記録を確認するためです」
「何の確認だ」
「先生の未申告交友関係です」
「申告する義務があるのか?」
「今できました」
「勝手に作るな!」
「同室なら何度もあったわよ」
フィオナが言った。
家の中へ、何かが砕けるような音が響いた。
セレスの足元の床だった。
「フィオナ!」
「何よ。金がなかったから、安い部屋を一つ借りていただけでしょう?」
「寝台は?」
ミレイユが尋ねる。
「一つ」
七人の殺気が膨れ上がる。
「私は床で寝た」
俺はすぐに付け加えた。
「フィオナが寝台だ」
「逆よ」
「何?」
「あなたが寝台で、私が床」
「そうだったか?」
「最初の日、あなたが床で寝て翌朝腰を痛めたから、二日目から交代したでしょう」
「よく覚えているな」
「人格記録だから、記憶は整理されているの」
「先生」
セレスが俺を見る。
「二日目は、フィオナさんが先生のお使いになった寝台で眠られたのですね?」
「そこを問題にするのか?」
「極めて重要です」
「何もなかったぞ」
「本当に?」
ノアの顔が俺の影から少し出る。
「本当だ」
「証拠は?」
「何もなかった証拠なんて、どうやって出すんだ」
「私が記録を見せましょうか?」
フィオナが言う。
「あるのか?」
「旅の記憶はすべて保存されているわ」
「見せろ」
「先生!」
七人が声を揃えた。
「疑いを晴らすためだろう!」
「私たちも確認します」
セレス。
「必要ありません」
「なぜだ」
「先生とフィオナさんが同じ部屋で眠られた映像など、見る必要がありません」
「では、信じてくれ」
「それとこれとは別です」
「面倒だな!」
フィオナが声を上げて笑った。
「何がおかしい」
「あなたが苦労しているから」
「元旅仲間なら助けろ」
「無理ね。七人全員、あなたに似ているもの」
「どこがだ」
「話を聞くように言いながら、自分の信じたい結論は曲げないところ」
七人が黙った。
俺も黙った。
複製だけが頷いている。
「俺も同意する」
「お前は同意するな」
「自分の欠点を認めろ」
「俺の顔で偉そうに言うな」
「お前の欠点だから、俺にもある」
「余計に腹が立つ」
◇
「それで」
俺は、階段の途中に立っていた少女へ目を向けた。
赤みがかった黒髪。
灰色の瞳。
胸元には、俺が昔フィオナへ贈った木彫りの鳥。
少女は、七人と俺たちの会話を困ったように見守っていた。
「この子は誰なんだ」
「リタ」
フィオナが答えた。
「名前ではなく、どうして俺を父親と呼ぶ」
「私がそう教えたから」
「どうして教えた!」
「そのほうが分かりやすかったのよ」
「何がだ!」
リタと呼ばれた少女が不安そうに俺を見る。
「お父さんじゃ、ないんですか?」
「その前に確認させてくれ。君の母親は誰だ?」
リタはフィオナを指さした。
「お母さんです」
七人が再びフィオナを見る。
「待ちなさい」
フィオナが片手を上げた。
「今、あなたたちが考えているような話ではないから、武器を下ろして」
「先生とあなたの娘なのですか?」
セレスが尋ねる。
「違うわ」
「では、なぜ先生を父と?」
「リタを作る時、レオンの魔力情報を使ったから」
沈黙。
俺はゆっくりフィオナを見る。
「何を使ったって?」
「あなたの魔力情報」
「どこから手に入れた」
「この家には、あなたが十年間生活していた痕跡が大量に残っているでしょう?」
「嫌な予感がする」
「髪の毛。爪。血のついた包帯。使い古した服。飲みかけの瓶。寝台に残った魔力」
「やめろ」
「それらから、あなたの魔力波形を再構築したの」
「人の生活痕跡を勝手に材料にするな!」
「私ではないわ。作ったのは、この家よ」
壁から声が響く。
『事実です、旦那様』
「お前か!」
『地下施設を管理する人型端末が必要でした』
「だからといって、どうして俺を材料にする!」
『最も安定した魔力情報が、旦那様のものでした』
「ほかにも七人分あっただろう」
『七人分を混合した試作体は、誕生直後に地下施設の支配権を巡って七つの人格へ分裂しました』
俺は七人を見る。
七人が目を逸らした。
「その試作体はどうした」
『現在、地下第三区画の管理者として勤務しております』
「生きているのか?」
『一つの体を七人格で共有しております』
「大丈夫なのか?」
『一日に七回、自己会議を行っております』
「七人に似たんだな」
「先生に似たのでは?」
セレスが言う。
「どうして俺なんだ」
「私たちを集めたのは先生ですから」
「話を戻すぞ」
俺はリタを見る。
「この子は、人間なのか?」
「人間よ」
フィオナが答えた。
「正確には、魔力によって生み出された人工生命体。けれど、体も心も普通の人間と変わらない」
「年齢は?」
「生まれてからは四年」
「十五歳くらいに見えるぞ」
「肉体は最初からその年齢で作られたもの」
「俺の娘ではないんだな?」
「生物学的には違う。魔力情報上は、あなたを親個体として認識している」
「だから父親と呼ぶのか」
「ええ」
七人の殺気が、少しだけ薄れた。
完全には消えていない。
「リタ」
俺は少女へ声をかけた。
「はい」
「フィオナから、俺のことをどう聞いていた?」
「世界で一番お人好しで、危険を見ると一人で飛び込んで、周りの話を全然聞かない人だと」
「悪いところしか聞いてないな」
「それから」
リタは木彫りの鳥を両手で握った。
「困っている子供を放っておけない人だと聞きました」
俺はフィオナを見る。
「それは間違ってないでしょう?」
「自分では分からない」
「七人を見れば分かるわ」
フィオナが笑う。
「この子は、あなたが戻った時に地下施設を案内するため作られた。私の人格記録だけでは、物に触れられないから」
「では、父親と呼ぶ必要はなかっただろう」
「必要だったわ」
「どうして」
「家から最初に教えられた言葉が、お帰りなさい、お父さん、だったから」
『家族らしさを優先しました』
「勝手に家族を増やすな!」
『七人の希望を統計化した結果です』
俺は七人を見る。
「お前たちは何を希望した」
「私は、先生と家庭を築く未来を」
セレスが答えた。
「私は先生と共に、身寄りのない子供たちを育てる未来を祈りました」
ミレイユ。
「先生の子なら、魔界の後継者にする」
リリス。
「剣を教える」
エリナ。
「一緒に昼寝する」
アウラ。
「先生のお子様を中心とした百年後までの資産計画を作成しております」
クロエ。
「先生と子供と、三人で暮らす」
ノア。
「最後だけ俺と二人きりにしているだろう」
「ほかの六人はいらない」
「聞こえているぞ」
セレスの剣が再び鳴る。
「だから武器を抜くな!」
リタが、恐る恐る俺へ近づいた。
「あの」
「何だ?」
「お父さんと呼ばないほうがいいですか?」
少女は不安そうだった。
四年間、俺を父親だと教えられてきたのだろう。
帰りを待ち続け、ようやく会えた。
そこで、お前の父親ではないと言われても困るはずだ。
「……好きに呼べばいい」
「本当ですか?」
「ああ。ただし、俺は本当の父親ではない。そのことは覚えておいてくれ」
「はい!」
リタの顔が明るくなる。
「お父さん!」
少女が俺へ抱きついた。
俺は反射的に受け止める。
その瞬間。
七人の視線が、俺の両腕へ集中した。
「先生」
セレスが呼ぶ。
「何だ」
「随分と自然に抱き留められましたね」
「倒れそうだったからだ」
「私が先ほど抱きついた時は、離れるようおっしゃいました」
「お前は肋骨が折れそうな力だっただろう」
「力加減に気をつけます。もう一度よろしいでしょうか」
「今は駄目だ」
「なぜですか?」
「リタがいるから」
「では、代わります」
「順番待ちみたいに言うな」
ミレイユが反対側から俺の腕へ触れる。
「先生は昔から、幼い女の子にはお優しいですね」
「子供には優しくするだろう」
「私たちも、先生にとっては今も子供ですか?」
「昔から知っているからな」
七人の表情が固まった。
失言した気がした。
「先生」
クロエが真剣な顔になる。
「私たちは立派な成人女性です」
「見れば分かる」
「では、女性として扱っていただけますか?」
「扱っているつもりだ」
「子供扱いされています」
エリナも頷く。
「頭を撫でる」
「嫌なのか?」
「嫌ではない」
「どちらだ」
「頭を撫でた後、女性として見てほしい」
「難しい注文だな」
「先生」
リリスが俺の服を掴む。
「私は魔王だ。子供ではない」
「知っている」
「妻になれる」
「話が飛んだ」
「先生が七人を子供扱いすることが、最大の障害」
「障害と言われても困る」
アウラがリタの匂いを嗅いでいる。
「確かに、先生の匂いが混じってる」
「アウラ」
「何?」
「俺の匂いを基準にするのをやめろ」
「見つけやすい」
「犬みたいな探し方をするな」
「竜」
「なお悪い」
ノアがリタの背後へ立った。
「先生に抱きつく時間、長い」
リタが驚いて振り返る。
「いつからそこに?」
「最初から」
「全然気づきませんでした」
「交代」
ノアがリタの肩へ手を置く。
「何とですか?」
「先生の腕」
「順番制ではない」
「先生」
ノアが俺を見る。
「公平」
「分かったから短剣をしまえ」
「出してない」
見ると、今度は本当に出していなかった。
「偉いぞ」
「うん」
ノアが嬉しそうに俺の反対側へ抱きつく。
ほかの六人が一歩前へ出た。
「待て」
俺はすぐに手を上げた。
「全員同時は無理だ」
「では順番を決めましょう」
クロエが紙を取り出す。
「何の順番だ」
「先生へ抱きつく順番です」
「決めなくていい」
「先ほど、リタさんが約二十三秒。ノアさんが現在七秒です」
「計るな」
「公平な管理には記録が必要です」
「そんな管理はいらない」
「私は十年分です」
セレスが言う。
「私もです」
ミレイユ。
「私も」
残る五人も頷く。
「十年分を一人ずつやっていたら、俺が死ぬまで終わらないぞ」
「生涯続ければよい」
リリスが即答した。
「生涯を勝手に決めるな」
隣で複製が壁にもたれて笑っている。
「楽しそうだな」
「俺ではなく、お前が囲まれているからな」
「お前も先生役をしろ」
「断る」
「同じ記憶を持っているだろう」
「七人が俺を先生と認めていない」
複製が七人を見る。
「試しに、俺へ抱きつく者はいるか?」
七人は一斉に目を逸らした。
「おい」
「顔は先生ですが、先生ではありません」
セレスが答える。
「記憶は同じだぞ」
「先生の代わりはいません」
「この顔で断られると、少し傷つくな」
「ざまあみろ」
「お前が言うな」
「複製さん」
リタが俺から離れ、複製へ近づいた。
「お父さんと同じ記憶があるんですよね?」
「一応な」
「では、もう一人のお父さんですか?」
「やめろ」
俺と複製が同時に言った。
「どうしてですか?」
「俺は父親ではない」
「俺も父親ではない」
「ですが、お二人とも同じ魔力です」
「俺は人工魂だ」
「私は人工生命体です」
「……」
複製が黙った。
リタが期待するように見上げている。
「お父さん二号?」
「その呼び方はやめろ」
俺は笑いを堪えた。
「似合っているぞ、二号」
「お前を一号と呼ぶぞ」
「俺は本物だ」
「では、本物のお父さん一号だな」
「お父さん一号!」
リタが嬉しそうに俺を見る。
「違う!」
俺の声が家中へ響いた。
『登録しました』
家の声が聞こえる。
『旦那様を、お父さん一号。複製体様を、お父さん二号として識別します』
「登録するな!」
「俺まで巻き込むな!」
また声が重なった。
フィオナが腹を抱えて笑っている。
「死後にこんな面白いものを見られるとは思わなかったわ」
「お前が原因の一つだろう!」
◇
「それで」
騒ぎが少し収まったところで、俺は地下へ続く階段を見た。
「下に二千八百人いるんだったな」
『現在は二千八百六十七名です』
「増えている」
『先ほど三名が帰還しました』
「何者なんだ」
『地下施設の住民です』
「住民と言われても分からない」
「下へ来れば分かるわ」
フィオナが階段を下り始める。
「地下は少し複雑だから、私とリタが案内する」
「お前は家から離れられるのか?」
「家の敷地内なら自由に動ける。地下も家の一部よ」
「地上の四百倍もあるのに?」
「七人が勝手に広げたから」
俺は七人を見る。
全員が少しずつ視線を逸らす。
「俺がいない十年間、お前たちは何をしていたんだ」
「先生の帰る場所を守りました」
セレスが答える。
「守るという言葉の範囲が広すぎる」
「帝国式防衛施設が必要でした」
「私の礼拝堂も必要です」
「魔界への門も」
「訓練場も」
「巣も」
「保管倉庫も」
「秘密の部屋も」
「一人ずつ勝手に増やした結果、地下都市になったんだろう!」
「都市ではありません」
クロエが訂正する。
「正式名称は、アルヴェイン特別共同管理区です」
「もっと悪い名前が出たな」
「七つの勢力が共同で管理する、世界初の独立中立地域です」
「独立?」
俺は足を止めた。
「ここはどこの国なんだ?」
「どの国にも属しておりません」
セレスが答える。
「十年前は帝国領だったはずだ」
「私が皇帝に即位した後、この一帯を帝国から切り離しました」
「勝手に?」
「皇帝ですので」
「そういう問題じゃない」
「神殿も、この地を聖域として承認しました」
ミレイユが続ける。
「魔界も不可侵領域に指定した」
「勇者連合も保護区にした」
「竜族は空を守ってる」
「商業連盟は域内通貨を発行しております」
「影は全部見てる」
「俺の知らないところで、一つの国みたいになってないか?」
「国ではありません」
クロエが微笑んだ。
「国に必要な条件のうち、統治者だけが不在でしたので」
「嫌な言い方だな」
「先生がお戻りになりましたから、すべて揃いました」
「待て」
七人は俺を見ている。
家の時計が、カチリと鳴った。
『旦那様の帰還を確認したため、地下施設の統治権限を移譲します』
「誰に?」
『旦那様へ』
「いらない」
『拒否権はありません』
「どうしてだ!」
『七人の管理者全員が、事前に承認しております』
俺は七人を見る。
「何を承認した?」
「先生が帰還した場合、この地の最高責任者へ就任していただくことです」
セレス。
「先生の教えを中心とした共同体ですから」
ミレイユ。
「先生以外に上へ立つ者はいない」
リリス。
「先生なら強い」
エリナ。
「先生の家だから、先生が主」
アウラ。
「先生の資産価値を最大化するためです」
クロエ。
「先生がいれば安心」
ノア。
「俺の承認は?」
「先生が生きていると分かりませんでしたので、取れませんでした」
「なら無効だろう」
「七名全員の全会一致によって、代理承認が可能です」
「誰がそんな規則を作った」
「私たちです」
「無茶苦茶だ!」
階段の下から、再び鐘の音が響いた。
今度は近い。
無数の足音が、地下から近づいてくる。
「止まっていないじゃないか」
『お迎えの準備が完了しました』
「迎えはいらない」
『二千八百六十七名全員が、中央広場へ集合しております』
「多すぎる」
『旦那様の演説を待っています』
「しない」
『すでに演壇が用意されています』
「撤去しろ」
『帰還式典の進行表を表示します』
居間の壁に光る文字が浮かんだ。
第一部。
導師レオン帰還宣言。
第二部。
七冠代表による祝辞。
第三部。
新統治者就任宣誓。
第四部。
建国宣言。
「待て」
俺は壁へ近づいた。
「最後は何だ」
『建国宣言です』
「国ではないと言っただろう!」
「これまでは、です」
クロエが答えた。
「先生が帰還したことで統治者不在の問題が解消されました」
「解消していない。俺はやらない」
「住民の九十九・八パーセントが、先生を初代統治者として支持しています」
「残りの〇・二パーセントは?」
「先生を国王ではなく、皇帝にすべきだと主張しております」
「反対派じゃない!」
「私も皇帝がよいと思います」
セレスが言う。
「先生は帝国皇帝より上でなければなりません」
「神聖王が適切です」
ミレイユ。
「大魔王」
リリス。
「剣王」
エリナ。
「竜の主」
アウラ。
「終身最高経営責任者」
クロエ。
「先生」
ノア。
「ノアだけはそのままでいい!」
階段の奥から、大歓声が聞こえた。
「レオン様がお戻りになったぞ!」
「初代国王陛下、万歳!」
「導師陛下、万歳!」
「大魔王陛下!」
「神聖王陛下!」
「最高経営責任者!」
「最後だけ雰囲気がおかしい!」
俺が叫ぶ。
フィオナが笑いながら階段の下を指した。
「諦めて顔だけ出してあげなさい。十年間待っていた人たちよ」
「顔を出したら、そのまま国王にされるだろう」
「もう書類上は就任済みよ」
「どうしてだ!」
「あなたの署名なら、家にたくさん残っていたもの」
俺はクロエを見る。
クロエが穏やかに微笑んだ。
「先生の過去の署名を基に、正式な登録を行いました」
「偽造だろう!」
「魔力認証は家が行いました」
『旦那様の意思を推定しました』
「勝手に推定するな!」
『旦那様は、困っている者を見捨てません』
「それを使えば何でも押しつけられると思うな!」
『では、地下にいる二千八百六十七名を追い出しますか?』
「それは……」
俺は言葉に詰まった。
住民たちは十年間、俺の帰還を待っていた。
俺が直接救った者もいるらしい。
その者たちが、また誰かを助け、ここへ集まった。
追い出せと言えるわけがない。
「先生」
セレスが静かに微笑む。
「皆、先生がそのようにお答えになると分かっていました」
「お前たち、最初から逃げ道を塞いだな」
「先生の安全を確保するためです」
「俺の自由はどこへ行った」
「私たちが守ります」
「守ると言いながら奪っている!」
鐘がさらに大きく鳴った。
家の床が左右へ開き、地下へ続く階段が巨大な入口へ変わっていく。
眼下に広がっていたのは、俺の想像を遥かに超える光景だった。
広大な地下空間。
天井には人工の青空。
石造りの家々。
市場。
畑。
訓練場。
礼拝堂。
遠くには帝国式の砦と、魔王城を小さくしたような建物まである。
中央広場には、数千人の人々が集まっていた。
人間。
魔族。
獣人。
竜人。
神官。
騎士。
商人。
子供たち。
全員が俺の家を見上げている。
俺が姿を見せた瞬間。
地下都市全体が、静まり返った。
誰かが叫ぶ。
「レオン様だ!」
次の瞬間。
二千人を超える人々が、一斉にひざまずいた。
「お帰りなさいませ、国王陛下!」
声が重なり、地下空間を揺らす。
俺は後ろを振り返った。
七人が、嬉しそうに並んでいる。
「説明しろ」
「先生のお帰りを、皆で歓迎しているだけです」
セレスが答えた。
「国王陛下と聞こえたぞ」
「歓迎の呼称です」
「そんな呼称があるか!」
広場の中央。
巨大な演壇の上に、一人の老人が立っていた。
白い髭を蓄えた老人は、俺の顔を見て涙を流している。
「国王陛下!」
「俺は国王ではない!」
「おお! 即位直後から民と同じ目線に立つ、なんと謙虚なお言葉!」
「違う!」
「皆の者! 陛下は権威を望まぬとおっしゃった!」
大歓声が上がった。
「国王陛下、万歳!」
「謙虚なる王、万歳!」
「七冠王国、万歳!」
「国名まで決まっているのか!」
俺は七人を見る。
六人がクロエを見た。
クロエが俺へ微笑む。
「市場調査の結果、最も支持された名称です」
「勝手に市場調査をするな!」
「代案もございます」
「聞きたくない」
「レオン先生と七人の愛の国」
「七冠王国でいい!」
「承知いたしました」
「今のは承認じゃない!」
壁の時計が鳴った。
『国名、七冠王国で正式登録しました』
「家まで話を聞け!」
人々の歓声がさらに大きくなる。
俺が頭を抱えた、その時だった。
地下都市の奥。
帝国式砦の上に設置された警報鐘が、激しく鳴り始めた。
広場の歓声が止まる。
一人の兵士が、息を切らして演壇へ駆け込んだ。
「ご報告いたします!」
「今度は何だ!」
「地上へ、各国の使節団が到着しました!」
「帰還の噂を聞いたのか?」
「いえ、それだけではありません!」
兵士が青ざめた顔で俺を見る。
「七冠王国の建国を知り、周辺二十三か国が同時に外交使節を派遣してきました!」
「建国して数分だぞ!」
「さらに、そのうち十一か国が陛下との婚姻を希望し、王女を同行させております!」
地下空間が静まり返った。
俺は動けなかった。
七人も動かなかった。
「……十一人?」
セレスが呟く。
ミレイユの光輪が、ゆっくり大きくなる。
リリスの十二枚の翼が広がった。
エリナが聖剣を抜く。
アウラの瞳が縦に細くなる。
クロエが各国の経済情報を空中へ展開する。
ノアの姿が消えた。
「待て」
俺は両腕を広げた。
「全員、まず話を聞け」
「もちろんです、先生」
セレスは美しく微笑んだ。
「王女の皆様には、私たち七人が丁重に対応いたします」
「その笑顔で言うと怖い!」
世界大戦を止めた、その日のうちに。
俺は知らない間に国王となり。
十一人の王女から、同時に結婚を申し込まれることになった。
そして七人の教え子たちは。
世界大戦を始めようとしていた時より、明らかに恐ろしい顔をしていた。




