第48話 聖女が初めて「今日は疲れました」と言ったので、治さず二人でぬるいお茶を飲んだ
庭へ出ると、夜の空気は思っていたより冷たかった。
ミレイユは一人、昼間に俺とセレスが座っていた椅子とは少し離れた場所に腰を下ろしている。膝の上には湯気の弱くなった茶器があり、いつもならきちんと整えられている白い髪も、今夜はほんの少しだけ乱れていた。
「隣、いい?」
「もちろんです」
返事はいつものミレイユだった。
柔らかく、穏やかで、相手を安心させる声音。
けれど俺が隣に座った時、彼女はほんの少しだけ姿勢を正そうとした。
「そのままでいいぞ」
「……何がでしょう」
「今、俺が来たからちゃんとしようとしただろ」
ミレイユが目を瞬く。
「そのように見えましたか?」
「見えた」
「困りましたね。先生には隠せません」
「十年前から見てるからな」
俺は彼女の茶器を見る。
「それ、もう冷めてない?」
「少しだけ」
「淹れ直す?」
「いいえ」
ミレイユは首を振った。
「今日は、このまま飲みたいです」
「じゃあ俺も同じので」
「ですが先生には温かいものを」
「同じのでいい」
「……」
「嫌?」
「いいえ」
むしろ、その反対だったらしい。
ミレイユは少しだけ笑い、自分の隣に置いてあった予備の杯へ茶を注いだ。触れてみると、確かにぬるい。
「いただきます」
「はい」
二人で飲む。
特別うまいわけではない。
香りも少し飛んでいる。
普段のミレイユなら、俺にこんな茶は絶対に出さないだろう。
「ぬるいな」
「……申し訳ありません」
「謝るなよ」
「ですが」
「俺がこれでいいって言った」
「はい」
「ミレイユもこれがよかったんだろ?」
彼女は少しだけ茶面へ視線を落とした。
「はい」
「ならいい」
それで会話が一度途切れた。
虫の声がする。
家の中からは、誰かが皿を片づける音が微かに聞こえていた。
不思議なことに、今日は誰も庭へ出てこない。
たぶん窓からは見ている。
ノアに至っては、影のどこかから気配だけ感じる気もする。
けれど少なくとも、邪魔はしない。
それだけでも大きな進歩だった。
◇
「先生」
「ん?」
「セレスさんとの一時間は、楽しかったですか?」
「ああ」
「何をなさったのですか?」
「座って、少し話して、アウラにもらった菓子を食べた」
「それだけ?」
「ああ」
「……」
ミレイユが小さく笑う。
「先生らしいですね」
「セレスにも似たようなこと言われた」
「世界を治める女帝と二人きりの一時間を、庭の椅子で終える男性はそう多くないでしょう」
「世界を治めてるからって毎回大事件起こす必要ないだろ」
「その通りです」
そこで、俺は横を見る。
「羨ましかった?」
「……」
ミレイユは一瞬だけ答えに詰まった。
けれど、すぐに頷いた。
「はい」
「どのくらい?」
「かなり」
「正直になったな」
「先生が正直に言ってよいと教えてくださいましたので」
少しだけ頬を赤くする。
「セレスさんだけ先生と二人きりで過ごしているのを見て、私も同じようにしたいと思いました」
「ああ」
「ですが」
茶器を両手で包む。
「同じことをしたいわけではありませんでした」
「座るとか?」
「はい。一時間という長さも、同じ菓子も、同じ場所も必要ありませんでした。ただ……」
そこでミレイユは言葉を選ぶように間を置いた。
「私が疲れた日に、先生が隣にいてくださったら嬉しいと思いました」
「今?」
「……はい」
ようやく。
出た。
「じゃあ聞くけど」
「はい」
「今日、疲れた?」
ミレイユは反射的に微笑みかけた。
いつもの。
『大丈夫です』
と続きそうな笑顔。
でも途中で止まった。
「……」
「ミレイユ?」
「今」
「ああ」
「大丈夫です、と言おうとしました」
「やっぱり」
「癖ですね」
「十年分だからな」
ミレイユは少し困ったように笑い、それから一度だけ深く息を吐いた。
「先生」
「何だ」
「今日は」
その声が。
ほんの少しだけ弱くなる。
「疲れました」
俺は何も言わなかった。
たぶん。
下手に褒める言葉を挟むより。
今はその方がいい。
「朝から?」
「神殿の裁定が三件ありました」
「ああ」
「一件目は、国境付近で起きた宗派間の争い。二件目は、大規模治癒院の人員再編。三件目は」
そこで止まる。
「言いたくない?」
「いいえ」
首を振る。
「子供の治療でした」
「……助かった?」
「はい」
「ならよかった」
「はい」
でも。
それだけではないのだろう。
「重かった?」
「……はい」
ミレイユの指に少し力が入る。
「助けられました。だから私は感謝されました。皆さん笑ってくださいました。ご両親も泣きながら頭を下げてくださいました」
「ああ」
「それなのに」
声。
少し。
掠れる。
「疲れたと思ってしまいました」
「いいだろ」
「ですが、人が助かったのですよ」
「ああ」
「喜ぶべきです」
「ああ」
「私は聖女です」
「ああ」
「助けることができるのですから」
「ああ」
そこで俺は。
ミレイユの手から空になった杯を取った。
「だから疲れちゃ駄目、にはならないだろ」
「……」
「人が助かって嬉しい」
「ああ」
「でも疲れた」
「ああ」
「両方でいい」
ミレイユは俺を見る。
「先生」
「何だ」
「それは」
一度。
声が止まる。
「許されますか」
「誰に?」
「……」
「神?」
「……」
「神殿?」
「……」
「助けた人たち?」
「……」
「それとも俺?」
ミレイユ。
何も言わない。
「自分で許せてないだけじゃない?」
「……そうかもしれません」
「なら今日は」
俺は空の杯をテーブルへ置いた。
「疲れたって言ったままにしよう」
「治さず?」
「治さず」
「魔力で疲労を消さず?」
「ああ」
「明日のために回復効率を考えず?」
「ああ」
「このまま?」
「このまま」
ミレイユはしばらく黙っていた。
それから。
「怖いです」
「何が?」
「疲れたままでいることが」
その答えは意外ではなかった。
「明日まで残ったら」
「ああ」
「もし明日、誰かが私を必要としたら」
「ああ」
「万全でなければ」
「他の聖職者はいないの?」
「います」
「治癒術師は?」
「数千人」
「じゃあ任せろ」
「ですが私の方が」
「上手い?」
「……はい」
「だから全部ミレイユがやる?」
「その方が確実です」
「それを十年続けた?」
沈黙。
答えだった。
「ミレイユ」
「はい」
「前にも言ったけどさ」
「ああ」
「一番うまい人が全部やる国は、そいつが倒れたら終わるぞ」
「……」
「お前が他の人に任せるのも、仕事のうちじゃない?」
ミレイユは視線を落とす。
「先生は」
「ああ」
「十年前にも、同じようなことをおっしゃいました」
「言ったっけ」
「はい」
「俺、成長してないな」
「いいえ」
少しだけ笑う。
「当時の私は、聞いたふりをしていました」
「おい」
「申し訳ありません」
「今だから言える?」
「はい」
肩の力が少し抜けている。
「先生が眠られた後で、自分に治癒魔法を使っていました」
「やっぱり!」
「先生にはばれていないと思っていました」
「ばれてなかった!」
「では成功ですね」
「そこで得意そうにするな!」
ミレイユが。
声を出して笑った。
少しだけ。
疲れた笑いだった。
でも。
さっきまでの聖女の笑顔ではない。
◇
「先生」
「ん?」
「肩を借りてもよろしいですか?」
「もちろん」
ミレイユはそっと俺の肩へ頭を預けた。
ノアより少し重い。
でも。
その重みが嬉しかった。
「先生」
「何?」
「重いですか」
「ノアにも同じこと聞かれたな」
「ノアさんにも貸したのですか?」
「ああ」
「……」
「嫉妬?」
「はい」
「早いな」
「ですが」
目を閉じる。
「今は動きません」
「どうして」
「私は今、ここにおりますから」
「……いい答えだな」
「先生に教えていただきました」
「そこは自分で覚えたんだよ」
ミレイユの頭が少しだけ動く。
「先生」
「何だ」
「今の言葉、好きです」
「ああ」
「自分で覚えた」
「ああ」
「十年前の私なら」
少し。
笑う。
「先生が教えてくださったことだけが正しいと思ったでしょう」
「今は?」
「先生も間違えます」
「随分言うようになったな」
「知っていますので」
「ああ」
「昨日、椅子を修理した際も」
「見てた?」
「釘を一本斜めに打っておられました」
「言えよ!」
「楽しそうでしたので」
「あとで直す!」
◇
それからしばらく。
本当に何もしなかった。
ミレイユは肩にもたれたまま。
俺も話しかけない。
茶は冷めきった。
それでも彼女は淹れ直そうとしなかった。
やがて。
「先生」
「ん?」
「私」
声が少し眠そうだ。
「今」
「ああ」
「眠いです」
「寝る?」
「ここで?」
「部屋戻る?」
「……」
少しだけ考える。
「もう少し、このまま」
「いいぞ」
「先生」
「何だ」
「眠ってしまったら」
「ああ」
「起こしてください」
「嫌だ」
「え?」
「眠いなら寝れば」
「ですが」
「今日は休む練習だろ」
「……」
「俺が嫌になったら起こす」
「嫌になりますか?」
「ならないと思う」
「……」
ミレイユ。
目を閉じたまま。
「それは」
「ああ」
「ずるいです」
「何で」
「安心してしまいます」
「安心しろよ」
「はい」
数分後。
呼吸がゆっくりになった。
本当に眠ったらしい。
「……寝た?」
返事なし。
俺は動かない。
少し腕が痺れてきた。
でも。
起こさなかった。
◇
どれくらい経ったか。
家の扉が、ほんの少し開いた。
隙間から。
アウラ。
その上。
エリナ。
その上。
セレス。
「お前ら」
三人。
ぴた。
俺は口元へ指を当てる。
「しー」
三人。
ミレイユを見る。
眠っている。
アウラが小声で聞く。
「寝てる?」
「うん」
「先生の肩で?」
「ああ」
尻尾。
動きかける。
自分で掴む。
「偉い」
俺が囁くと。
アウラ。
嬉しそう。
でも声は出さない。
エリナが小さく尋ねる。
「起こさない?」
「疲れてるから」
「……」
セレス。
ミレイユを見る。
少しだけ表情を柔らかくする。
「今日は神殿で大変だったと聞いております」
「ああ」
「私も先ほど知りました」
「なら」
俺。
三人。
見る。
「今は寝かせてやろう」
三人。
頷く。
「戻る?」
アウラ。
小声。
「ああ」
「先生」
「何?」
「毛布」
なるほど。
「取ってくれる?」
「うん」
三人が戻る。
すぐにアウラが毛布を持ってきた。
途中で転びそうになりながらも、声を出さない。
俺がミレイユへかける。
アウラは少し羨ましそうに見た。
でも。
「おやすみ、ミレイユ」
それだけ。
戻った。
◇
さらにしばらくして。
ミレイユが目を覚ました。
「……先生?」
「おはよう」
「……」
数秒。
状況。
確認。
「私」
「ああ」
「眠って?」
「ああ」
「どのくらい」
「三十分くらいかな」
ミレイユの顔から血の気が引いた。
「三十分!?」
「声」
「あ」
急に起き上がろうとする。
でも。
「先生のお肩!」
「大丈夫」
「痺れて」
「少し」
「治療を!」
「しない」
「ですが!」
「今日の約束」
「……」
「治さない」
「先生の痺れは別では?」
「そのうち戻る」
「でも」
俺は痺れた腕をぷらぷらさせる。
「ほら、もう動く」
「先生!」
「冗談」
「もう!」
怒った。
でも。
次の瞬間。
ミレイユが気づく。
「この毛布」
「アウラ」
「来たのですか?」
「ああ」
「皆さんも?」
「セレスとエリナはいた」
「起こさなかった?」
「ああ」
「……」
ミレイユ。
毛布。
触る。
「怒っていませんでしたか」
「全然」
「羨ましそうでは」
「アウラはかなり」
「やはり」
「でも寝てろって」
「……」
「言わずに帰った」
ミレイユはしばらく毛布を見ていた。
「先生」
「何だ」
「私」
一度。
息。
「今、少し」
「ああ」
「申し訳ない気持ちがあります」
「ああ」
「先生を三十分独占して」
「ああ」
「肩まで借りて」
「ああ」
「眠って」
「ああ」
「でも」
毛布を握る。
「嬉しいです」
「ああ」
「謝らなくても?」
「いいよ」
「本当に?」
「何回聞く」
「……」
少し。
笑う。
「では」
俺を見る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
◇
「先生」
「ん?」
「もう一つ」
「ああ」
「お願いしても?」
「内容による」
「正しい答えですね」
ミレイユが少しだけ緊張する。
「今日」
「ああ」
「口づけは」
来た。
「しません」
「……お?」
予想外。
「したくない?」
「したいです」
「どっち?」
「今、したい気持ちはあります」
「ああ」
「ですが」
自分の胸元へ手を置く。
「今日は、それより」
「ああ」
「疲れた私のまま」
少しだけ。
照れながら。
「先生の肩で眠れたことを、そのまま大切にしたいです」
なるほど。
「じゃあしない」
「はい」
「……」
「……」
「ミレイユ」
「はい」
「何でちょっと残念そうなの」
「したくないとは申し上げておりませんので」
「難しいな!」
「恋人ですので」
「それ便利な言葉になってきたな」
ミレイユが笑う。
「先生」
「何だ」
「次にしたくなった時は」
「ああ」
「その時にお願いしても?」
「もちろん」
「予約ではなく?」
「その時」
「はい」
納得した。
◇
家へ戻ると。
六人とアステラが居間にいた。
「おかえり」
アステラ。
「ただいま」
「ミレイユ」
「ああ」
「色」
「私?」
「うん」
アステラ。
じっと見る。
「薄い」
「何色でしょう」
「白と」
一度。
考える。
「柔らかい青」
「いい色?」
「うん」
「ありがとうございます」
アウラ。
ミレイユへ。
「寝た?」
「はい」
「先生の肩」
「はい」
「いいなぁ」
「ありがとうございます」
「今度私も」
途中。
止まる。
「……眠くなった時にする」
「偉い」
エリナ。
「キスは?」
「エリナさん!」
「気になる!」
ミレイユ。
少しだけ赤く。
「しておりません」
「え?」
全員。
少し驚く。
リリスが一番先に口を開く。
「なぜだ」
「したくなかった?」
「したかったです」
「では?」
「今日は、しない方がよいと思いました」
クロエが首を傾げる。
「損失では?」
「クロエさん」
「申し訳ありません」
でも。
ミレイユ。
笑う。
「いいえ。以前の私なら、そう考えたと思います」
「ああ」
「先生と二人になれた」
「ああ」
「ならキスも」
「ああ」
「できることは全部した方がいい、と」
俺を見る。
「ですが今日は」
「ああ」
「眠るだけで十分でした」
セレス。
少し。
微笑む。
「それも」
「ああ」
「ミレイユさんだけの時間ですね」
「はい」
◇
『本日の記録を開始します』
「評価はなし」
『承知しております』
家。
最近ちゃんと学んでいる。
『ミレイユ様は本日、自身の疲労を認識した状態で治癒魔法を使用せず』
「ああ」
『旦那様へ「疲れた」と明確に申告』
「ああ」
『その後、旦那様の肩で約三十二分間睡眠』
「正確だな」
『睡眠中、他三名が接近したものの妨害なし』
「ああ」
アウラ。
「毛布も」
『アウラ様が提供』
「うん」
『またミレイユ様は、口づけを望む感情を自覚しながら』
「ああ」
『本日は行わないことを自ら選択』
「そこも大事だな」
『はい』
家。
一度。
間。
『行える行為をすべて実行する必要はない、という理解が進んだものと推定します』
「……」
ミレイユが。
少し。
驚く。
「家」
『はい』
「それ」
一度。
笑う。
「私も、そう思います」
◇
夕食後。
ミレイユは珍しく早めに自室へ戻った。
「今日はもう仕事しない?」
俺が聞く。
「はい」
「治癒魔法は?」
「使いません」
「平気?」
「少し疲れています」
「ああ」
「ですので」
自分の手で。
扉。
開く。
「寝ます」
「うん」
とても普通のこと。
でも。
ミレイユにとって。
たぶん。
かなり大きなこと。
「先生」
「何?」
「明日」
そこまで言って。
彼女が止まる。
「……」
「どうした」
「お茶の予約をしそうになりました」
「危なかったな」
「はい」
「じゃあ?」
「明日」
一度。
考える。
「先生とお茶を飲みたくなったら」
「ああ」
「その時に誘います」
「待ってる」
「……」
「ミレイユ?」
「今」
「ああ」
「待ってる、と」
「ああ」
「言われると」
少しだけ。
顔。
赤い。
「今すぐ誘いたくなります」
「寝ろ!」
「はい」
笑う。
「おやすみなさい、先生」
「おやすみ」
扉。
閉じる。
◇
俺も自室へ戻る途中。
廊下。
リリス。
一人。
立っていた。
「どうした?」
「先生」
「何だ」
「ミレイユ」
「ああ」
「今日は休んだ」
「ああ」
「自分で」
「ああ」
リリス。
少し。
考える。
「私は」
「ああ」
「今日」
手。
見る。
「暇だった」
「珍しいな」
「うむ」
「何してた?」
「魔界から届いた報告書を百十二通処理した」
「暇じゃない!」
「いつもより少ない」
「基準!」
でも。
リリス。
少し笑う。
「途中」
「ああ」
「踊りたくなった」
「ああ」
「一人で踊った」
「お」
「下手だった」
「誰も教えてくれなかった?」
「うむ」
「楽しかった?」
「……」
一度。
考える。
「少し」
「ああ」
「でも」
俺を見る。
「先生とも踊りたくなった」
その言葉。
以前なら。
すぐ。
予定にしただろう。
でも今は。
「今?」
俺が聞く。
リリス。
自分の気持ち。
確かめる。
「……今ではない」
「そっか」
「うむ」
少し笑う。
「でも」
「ああ」
「そのうち」
「ああ」
「踊りたくなった時」
「ああ」
「誘う」
「分かった」
それだけ。
リリス。
満足そう。
「おやすみ、先生」
「おやすみ」
別れる。
俺は。
少しだけ。
思った。
以前は。
何かを欲しいと思った瞬間。
すぐ確保しなければ。
なくなると。
八人とも思っていたのかもしれない。
俺が死んだと思った十年が。
そうさせたのかもしれない。
だから。
次を決める。
順番を決める。
時間を取る。
約束を残す。
そうしないと。
また失う気がした。
でも今は。
少しずつ。
変わっている。
したい時に。
したいと言う。
したくても。
今日はしないこともある。
次を決めなくても。
相手は明日もいる。
「……」
俺自身も。
そのことを。
ちゃんと覚えておこう。
『旦那様』
「何だ」
『明日もおります』
「家?」
『はい』
「何が?」
『私も』
「……」
『旦那様は最近、八名ばかり気になさっておりますので』
「拗ねてる?」
『否定します』
「家も面倒臭くなってきたな!」
『では明日、私との時間を』
「予約するな!」
普通の恋人になる練習。
どうやら。
家まで参加したがっているらしい。




