第33話 商業王と銀貨一枚ずつで贈り物を選んだら、値札を見ないほうが難しかった
「先生と」
クロエは。
少しだけ緊張した顔で言った。
「銀貨一枚ずつだけ持って」
「ああ」
「互いに、相手へ贈りたいものを一つ買いたいです」
「値段勝負は禁止だぞ」
「承知しております」
「相場を調べ尽くすのも」
「……」
「クロエ」
「努力します」
「そこは断言してくれ」
商業王クロエ。
俺が知る限り。
世界で一番。
物の値段を知っている女だ。
金貨一枚。
銀貨一枚。
銅貨一枚。
その価値が。
場所。
時期。
需要。
供給。
人の心理。
たった一日で。
どれほど変わるかも知っている。
そんな女と。
今日は。
銀貨一枚だけ。
「先生」
「何だ」
「確認ですが」
「ああ」
「値引き交渉は?」
「禁止」
「相場より高い場合も?」
「今日は、その店がつけた値段で買う」
「……」
「何だ」
「胸が苦しいです」
「病気ではない」
「銀貨一枚で銅貨十五枚相当の商品を買う可能性が」
「別にいいだろう」
「よくありません!」
「今日は商売ではない!」
「ですが!」
「デートだ!」
クロエの口が止まった。
「……」
「……」
「クロエ?」
「先生」
「何だ」
「もう一度」
「デートだ」
「……」
顔が。
少しずつ赤くなる。
「先生」
「何だ」
「商取引ではない?」
「ああ」
「市場調査でも?」
「ああ」
「投資でも?」
「ああ」
「純粋に」
自分の胸へ手を置く。
「先生と私が」
「ああ」
「互いへ贈り物を選ぶ」
「ああ」
「デート」
「ああ」
「……」
「どうした」
「今日だけは」
クロエが。
静かに目を閉じる。
「損をしてもいい日にします」
「その覚悟が必要なのか」
◇
翌朝。
玄関。
クロエは。
いつもの商業王らしい。
金と黒を使った豪華な服ではなかった。
淡い茶色のワンピース。
上に。
白い短い上着。
小さな鞄。
装飾も。
ほとんどない。
「先生」
「何だ」
「本日の服装について」
「ああ」
「購入価格を申し上げても?」
「聞いてもいいが」
「銀貨三枚」
「今日の予算より高いな」
「……」
「クロエ?」
「今」
「ああ」
「服を値段から評価されました」
「お前が言ったんだろう!」
「そうでした」
「似合っているぞ」
クロエが止まる。
「……」
「クロエ?」
「先生」
「何だ」
「今の評価に」
「ああ」
「金額は?」
「関係ない」
「市場価値は?」
「知らない」
「希少性は?」
「知らない」
「ブランドは?」
「見ていない」
「では」
頬が。
少しだけ赤くなる。
「私自身を見て?」
「ああ」
「似合っている」
「……ありがとうございます」
後ろ。
すでに五回。
同じような流れを見ている者たちが。
妙に慣れた顔をしている。
「先生」
セレスが言う。
「クロエさんは、先ほどから靴の価格も申告したそうな顔をしております」
「顔で分かるのか」
「分かります」
「先生」
ミレイユ。
「本日は、クロエさんへ価格以外の褒め方を多めに」
「注文するな」
「先生」
リリス。
「高価なものを贈られても受け取るな」
「銀貨一枚だ」
「クロエなら銀貨一枚を百万倍にする」
「私は何者だと思われているのですか」
全員。
クロエを見る。
「……可能ではあります」
「認めるな!」
エリナ。
「銀貨一枚で武器は?」
「買わない」
「安い木剣なら」
「デートで武器を贈るな!」
アウラ。
「食べ物?」
「可能性はある」
「食べ物なら余ったら」
「お前へ渡す前提にするな」
ノアは。
小さく尋ねる。
「先生」
「何だ」
「プレゼント」
「ああ」
「何を選ぶか、秘密?」
「ああ」
「影で見たら」
「駄目だ」
「……分かった」
アステラは。
クロエを見る。
「値段を見ないで選べる?」
「見ます」
「即答」
「値札を見ないことは、不可能です」
「では?」
クロエは。
少し考える。
「見ても」
「ああ」
「最後に、値段を理由に選ばない努力をします」
「それならいいだろう」
「先生」
「何だ」
「もし私が、銀貨一枚を使い切らなかった場合」
「ああ」
「残金は?」
「持って帰ればいい」
「先生への追加購入は?」
「一品だけ」
「……」
「クロエ」
「承知しました」
本当に。
苦しそうだった。
◇
向かった先は。
地下都市の。
古い市場区画。
『千の小店通り』
大きな店はない。
一人。
二人。
家族。
小さな工房。
露店。
そういう店が。
延々と続いている。
「ここを選んだ理由は?」
クロエが尋ねる。
「俺からの提案だ」
「ああ」
「商業王のお前が」
「ああ」
「全部知らない市場へ行きたかった」
「先生」
「何だ」
「この市場の年間流通額は」
「知っているのか!?」
「概算で」
「知らない市場ではない!」
「完全に知らない市場は、八百四十二世界にもほとんど」
「そこまで情報を集めるな!」
「仕事ですので!」
「今日は仕事をやめろ!」
クロエが。
少し笑う。
「ですが」
「ああ」
「個々の店舗までは存じません」
「では」
「はい」
「知らない店を選ぼう」
「先生と?」
「ああ」
「歩きながら?」
「ああ」
「事前調査なし?」
「ああ」
「……」
「怖いか?」
「非常に」
「セレスみたいだな」
「彼女の気持ちが、少し分かりました」
◇
市場を歩く。
最初。
革製品。
「この財布は」
「クロエ」
「まだ価格しか見ておりません」
「もう駄目だろう」
「先生のお財布より耐久性が」
「俺のために必要な物を探すな」
「贈り物では?」
「必要品ではなくてもいい」
「……」
次。
文具店。
「この万年筆は」
「ああ」
「原材料費から考えて」
「クロエ」
「はい」
「値段を計算するな」
「見ただけで分かります」
「それが厄介だな!」
「先生」
「何だ」
「これは私の能力なのです」
「ああ」
「値札を見なくても」
小さな万年筆を持つ。
「材質」
「ああ」
「工賃」
「ああ」
「輸送費」
「ああ」
「市場価格」
「ああ」
「利益率」
「ああ」
「だいたい分かります」
「なら」
俺は。
万年筆を見る。
「それを全部分かった上で」
「ああ」
「俺へ贈りたいかだけ考えろ」
「……」
「値段が消えないなら」
「ああ」
「値段以外を増やせばいい」
クロエの目が。
少し大きくなる。
「値段以外」
「ああ」
「先生が使う姿」
「ああ」
「先生が喜ぶか」
「ああ」
「私が贈りたいか」
「ああ」
「そういうのも」
少し照れたように。
「商品の価値へ?」
「今日は商品ではないだろう」
「……贈り物」
「ああ」
クロエは。
万年筆を棚へ戻した。
「これは違います」
「なぜ」
「先生に似合います」
「ああ」
「使っていただけます」
「ああ」
「値段も適切です」
「ああ」
「ですが」
少し笑う。
「私が贈りたいものではありません」
「分かるようになった?」
「少し」
◇
その後。
三十分。
「先生」
「何だ」
「候補が二十三個になりました」
「多い!」
「最初は百八十七個でした」
「絞ったことを褒めればいいのか?」
「褒めていただけると」
「よく絞った」
「ありがとうございます」
「素直だな」
「レオさんを見習いました」
候補。
手袋。
小さな鏡。
靴紐。
本。
木のカップ。
ペン。
小さな工具。
布。
「どれも」
俺は見る。
「俺が使えそうな物ばかりだな」
「贈り物ですので」
「クロエ」
「はい」
「俺が使わなかったら嫌?」
「……」
「本音で」
「少し」
「ああ」
「かなり」
「増えたな」
「先生が使ってくださるものを贈りたいです」
「ああ」
「それは駄目?」
「駄目ではない」
「では」
「でも」
俺は。
候補を見る。
「俺が使うかより」
「ああ」
「お前が、これを贈りたいって思えるものを探したほうがいい」
クロエは。
しばらく。
黙る。
「先生」
「何だ」
「私は」
一度。
市場を見る。
「物を贈る時も」
「ああ」
「相手が最大限利用できるかを考えていました」
「ああ」
「価値が無駄にならないように」
「ああ」
「ですが」
「何だ」
「贈り物は」
少し困ったように笑う。
「無駄になってもよいのでしょうか」
「捨てられたら寂しいけどな」
「はい」
「でも」
俺は。
昨日までに増えた。
部屋の物を思い出す。
木の人形。
普通の石。
意味のない工作。
エリナとの記録画。
「使わなくても」
「ああ」
「見ると誰かを思い出すものもある」
「……」
「それでいい物もあるだろう」
「先生」
「何だ」
「今」
「ああ」
「少し」
胸へ手を置く。
「選びたい物が変わりました」
◇
「では」
クロエが言う。
「ここから別行動にしませんか?」
「別行動?」
「互いの贈り物を」
「ああ」
「見られずに選びたいです」
「いいな」
「制限時間は?」
「決める?」
「……」
「クロエ」
「今、決めようとしました」
「ああ」
「では」
一度。
市場の時計を見る。
すぐ視線を外す。
「お互い、選べたら」
「ああ」
「中央の噴水へ戻る」
「相手が来なかったら?」
「待つ」
「何分?」
「……」
「頑張れ」
「待ちます!」
「よし」
「先生」
「何だ」
「もし、日が暮れても」
「そこまでは待たせない」
「……はい」
「監視は?」
「しません」
「商業網は?」
「使いません」
「店員へ俺の購入品を聞くのも」
「しません」
「本当に?」
「先生」
「何だ」
「商業王クロエとしてではなく」
「ああ」
「今日の私は」
少し頬を赤くする。
「先生からの贈り物を楽しみにしている女です」
「……」
「監視すると」
「ああ」
「楽しみが減ります」
「それなら安心だ」
「先生」
「何だ」
「今、少し照れました?」
「行ってこい!」
◇
一人。
市場を歩く。
「クロエへ贈りたいもの」
銀貨一枚以下。
値段は。
問題ではない。
宝石。
いらない。
クロエなら。
いくらでも持っている。
財布。
仕事になる。
帳簿。
もっと仕事になる。
高級茶。
使えばなくなる。
「別に、なくなる物でもいいか」
それでも。
何か。
俺が。
クロエへ贈りたいもの。
店。
店。
また店。
ふと。
一軒。
小さな木工店。
壁に。
小さな札が。
たくさん並んでいる。
『営業中』
『準備中』
『本日休業』
『また明日』
店の扉へかける。
札らしい。
「いらっしゃい」
店主。
年配の女性。
「店をやってるの?」
「俺ではない」
「誰かへの贈り物?」
「ああ」
「なら、小さいのもあるよ」
掌ほどの。
小さな木札。
表。
『営業中』
裏。
『また明日』
「本当の店には小さすぎるな」
「飾りだよ」
「何のため」
「昔」
店主が笑う。
「うちの娘が、店を閉めるのを嫌がってね」
「ああ」
「休んだら客がいなくなる」
「ああ」
「一日閉めたら、もう開けられない」
「ああ」
「そう思ってた」
木札。
『また明日』
「だから作った」
「ああ」
「閉めても」
裏を返す。
『営業中』
「また開ければいい」
「……」
「今では普通に休むようになったよ」
「娘さんは?」
「隣で寝てる」
見る。
店の奥。
若い女性。
本当に昼寝している。
「働け」
「昨日夜更かししてたからね」
「いい店だな」
「そう?」
「ああ」
木札を見る。
クロエが作った。
再出発取引所。
失敗市場。
戦争後の市場。
彼女は。
誰かが。
失敗しても。
店を閉めても。
人生を終わりにしなくていいように。
何度も。
仕組みを作った。
「これ」
「ああ」
「いくら?」
「銅貨四枚」
「安いな」
「ただの木だから」
でも。
俺には。
クロエへ。
渡したいと思えた。
「買う」
「包む?」
「ああ」
銀貨一枚。
ほとんど余る。
それでいい。
◇
中央噴水。
クロエは。
まだいない。
「待つか」
座る。
十分。
二十分。
「珍しいな」
俺より遅い。
少し。
心配になる。
だが。
監視はしない。
三十分ほど。
「先生!」
走ってくる。
「クロエ?」
「申し訳ございません!」
「大丈夫か?」
「はい!」
息が切れている。
「走ったのか」
「先生を待たせていると思ったら」
「何分でも待つと言っただろう」
「ですが!」
「選べた?」
「はい」
小さな袋。
「先生は?」
「ああ」
「では」
一度。
クロエが深呼吸する。
「食事をしてから交換しませんか?」
「いいな」
「先生」
「何だ」
「今」
「ああ」
「どちらの店へ入るか」
「ああ」
「私が提案しても?」
「どうぞ」
「一番近い店」
「それで?」
「調査なし」
「ああ」
「評判確認なし」
「ああ」
「価格比較なし」
「ああ」
「入ってから決めます」
「大丈夫か?」
「先生」
「何だ」
「手が震えております」
「世界大戦より怖そうだな」
◇
入った店。
小さな食堂。
席へ座る。
「メニュー」
クロエが見る。
「……」
「どうした」
「隣の店より、飲み物が銅貨一枚高い」
「見るな」
「見えてしまいます」
「ここで飲みたい?」
一度。
クロエは。
店を見る。
窓。
小さな花。
静かな音楽。
「はい」
「なら」
「銅貨一枚」
「ああ」
「高くても?」
「ああ」
「……注文します」
「大事件だな」
「先生には、この苦しみが分かりません」
「少し面白い」
「先生!」
◇
食事。
普通。
値段。
少し高い。
クロエは。
一口ごとに。
何か計算しそうになる。
「やめろ」
「まだ何も」
「眉が動いた」
「先生」
「何だ」
「原価を考えないためには、何を考えれば」
「味」
「……」
「うまい?」
もう一口。
「はい」
「それでいい」
「接客は」
「仕事になる」
「席回転率」
「仕事」
「立地」
「仕事」
「では」
俺を見る。
「先生は?」
「何が」
「楽しいですか?」
「ああ」
「この店で」
「ああ」
「私と食事をして」
一瞬。
「楽しい」
クロエの顔が。
少し赤くなる。
「では」
「何だ」
「今日の食事には」
「ああ」
「私にとって」
小さく笑う。
「銅貨一枚以上の差があるようです」
「値段に戻ったぞ」
「例えです!」
◇
食後。
「では」
贈り物。
先に。
クロエから。
「先生」
「何だ」
「こちらを」
小さな布袋。
開ける。
「財布?」
「はい」
ただし。
普通の財布とは。
少し違う。
二つ。
小さな口。
一方。
『必要』
もう一方。
『欲しい』
「……」
「先生」
「ああ」
「以前」
「ああ」
「ご自身で使うお金は」
「ああ」
「ほとんど必要な物へしか使われませんでした」
「ああ」
「ですが最近」
青い器。
ガラクタ。
甘いパン。
「欲しいから買うものが増えました」
「ああ」
「ですので」
財布を。
俺へ差し出す。
「先生が」
「ああ」
「自分で欲しいと思ったものへ使うお金を」
一度。
頬を赤くする。
「最初から分けておけば」
「ああ」
「少し使いやすいかと思いました」
「……いいな」
「本当ですか?」
「ああ」
「値段は?」
「聞かない」
「先生!」
「今日は聞かない」
「……」
「クロエ?」
「先生が」
「ああ」
「価格を聞かず」
「ああ」
「いいと」
「ああ」
「……」
「どうした」
「嬉しいです」
俺は。
財布を見る。
『必要』
『欲しい』
「使う」
「本当に?」
「ああ」
「欲しいのほうも?」
「ああ」
「空にしませんか?」
「努力する」
「そこは断言していただきたいです」
「お前も相場で努力すると言っただろう」
「……同じですね」
「ああ」
「では」
クロエが。
少し笑う。
「一緒に練習しましょう」
◇
「次」
俺の番。
「クロエ」
「はい」
「これ」
包みを渡す。
クロエは。
すぐには開けない。
「どうした」
「先生」
「何だ」
「重さから」
「ああ」
「木製」
「分析するな!」
「すみません!」
包みを開く。
小さな札。
『営業中』
「……」
裏。
『また明日』
クロエが。
止まった。
「先生」
「何だ」
「これは」
「ああ」
「店舗用?」
「飾りらしい」
「……」
「嫌?」
「いいえ」
指で。
『また明日』
をなぞる。
「どうして」
「ああ」
「これを?」
「店主から聞いた」
娘が。
一日店を休めば。
客が消えると思っていた話。
だから。
『また明日』
という札を作った話。
「お前」
「ああ」
「誰かが失敗しても」
「ああ」
「休んでも」
「ああ」
「店を閉めても」
クロエを見る。
「また始められる市場を作りたいって言っていただろう」
「……」
「だから」
木札。
「お前の部屋に」
「ああ」
「これがあってもいいかと思った」
クロエは。
動かない。
「クロエ?」
「先生」
「何だ」
「価格は?」
「銅貨四枚」
「……」
「銀貨一枚、使い切っていない」
「先生」
「何だ」
「もう一度、価格を」
「銅貨四枚」
「……」
「高すぎた?」
クロエが。
首を振る。
「安すぎます」
「値段で文句を」
「違います」
木札を。
胸へ抱く。
「私には」
声が。
震える。
「高すぎます」
「どういう意味だ」
「先生が」
目に。
涙。
「私が作りたい市場を」
「ああ」
「覚えてくださっていた」
「ああ」
「私が」
笑う。
「店を閉めても」
「ああ」
「また明日、と言っていいものを」
「ああ」
「選んでくださった」
「ああ」
「銅貨四枚で」
「そこは重要か?」
「いいえ」
涙を拭う。
「今だけは」
俺を見る。
「まったく」
一度。
息を吸う。
「重要ではありません」
◇
クロエは。
木札を。
何度も。
表。
裏。
返す。
『営業中』
『また明日』
「先生」
「何だ」
「私は」
「ああ」
「店を閉めるのが」
「ああ」
「怖いです」
「今でも?」
「はい」
「商業王でも?」
「だからこそ」
クロエは。
少し苦笑する。
「私が止まれば」
「ああ」
「何万人」
「ああ」
「何百万人」
「ああ」
「市場が」
「ああ」
「動かなくなると思っていました」
「実際は?」
「私が休んでも」
合同祭。
再出発取引所。
自治領。
ほかの者たちが。
動かしている。
「動きます」
「ああ」
「悔しい?」
「以前は」
「ああ」
「今は」
木札を見る。
「嬉しいです」
「なぜ」
「私が」
静かに言う。
「いなくても続く市場なら」
「ああ」
「私は」
一度。
少し照れたように。
「先生とデートへ行けます」
「そこへ繋がるのか」
「重要です」
「そうか」
「はい」
◇
食堂を出る。
市場。
少し。
日が傾いている。
「先生」
「何だ」
「私から」
「ああ」
「もう一つ、お願いしても?」
「聞く」
クロエが。
木札を。
鞄へ大切にしまう。
「手を」
「ああ」
「つなぎたいです」
五回目。
もう。
俺も。
以前ほど驚かない。
「理由は?」
「先生からの贈り物をいただいて」
「ああ」
「今」
少し笑う。
「とても嬉しいので」
「ああ」
「そのまま」
自分の手を。
少し差し出す。
「先生の隣を歩きたいです」
「分かった」
俺から。
手を取る。
「先生」
「何だ」
「すぐ?」
「ああ」
「断られると思っておりました」
「なぜ」
「私は」
一瞬。
声が小さくなる。
「今日」
「ああ」
「途中まで」
「ああ」
「先生への贈り物を、投資のように考えていました」
「ああ」
「使っていただける確率」
「ああ」
「満足度」
「ああ」
「耐用年数」
「ああ」
「でも」
新しい財布。
「最後は」
「ああ」
「先生が」
握った手へ。
少しだけ力が入る。
「自分のために、お金を使えるようになればいいと思った」
「ああ」
「見返りは」
「何だ」
「今日」
俺を見る。
「先生が、いいと言ってくださっただけで」
笑う。
「もう十分でした」
「なら」
「ああ」
「俺も同じだ」
「何が?」
「木札」
「ああ」
「お前が喜んだから」
「ああ」
「それでいい」
クロエが。
足を止めた。
「先生」
「歩け」
「今」
「ああ」
「同じ?」
「ああ」
「私と?」
「ああ」
「贈り物の考え方が?」
「少しは」
「……」
「クロエ?」
「先生」
「何だ」
「利益が出ました」
「出ていない!」
「私の中で!」
「それは利益とは」
「今日は、利益と呼ばせてください!」
「好きにしろ!」
◇
しばらく。
手をつないで歩く。
クロエが。
突然。
小さな店の前で止まる。
「先生」
「何だ」
「この店」
「ああ」
「商品価格が、周辺より二割ほど高いです」
「また始まったな」
「ですが」
「何だ」
「入りたいです」
「なぜ」
「窓に」
見る。
小さな。
変な置物。
二頭身の。
何か。
「かわいい」
「クロエが?」
「……」
「好きなのか」
「少し」
「買う?」
「今日は」
財布を見る。
残金。
「先生への贈り物の残りがあります」
「それは自分の金だろう」
「ですが」
「欲しいなら」
俺は。
新しい財布を見せる。
『欲しい』
「そこから使え」
「先生」
「何だ」
「私の財布には、その区分がございません」
「では」
「今度買います」
「今?」
「今日は」
一度。
深呼吸。
「普通の財布から」
店へ入る。
値札。
見る。
顔が引きつる。
「高い?」
「相場より三割」
「欲しい?」
「……」
「クロエ」
「欲しいです」
「なら」
「買います」
本当に。
買った。
小さな置物。
用途。
ない。
「何に使う?」
俺が尋ねる。
クロエは。
自分で買った。
妙な置物を見る。
「机へ置きます」
「ああ」
「何のため?」
「先生」
少しだけ。
照れながら。
「かわいいから」
「それでいいな」
「はい」
商業王が。
自分のためだけに。
相場より高い。
役に立たない置物を買った。
「先生」
「何だ」
「今」
「ああ」
「非常に」
「ああ」
「損をした気がします」
「後悔?」
「いいえ」
置物を見る。
「嬉しいです」
◇
帰り道。
「先生」
「何だ」
「今日」
「ああ」
「私」
「ああ」
「何回、値段の話をしましたか?」
「数えていない」
「私は数えています」
「やめろ」
「四十七回」
「多い!」
「前半三十八回」
「ああ」
「後半九回」
「減ったな」
「はい」
「嬉しい?」
「数値で確認できると」
「また数字だ」
「これは許してください」
「お前らしいからな」
クロエが。
少し驚く。
「先生」
「何だ」
「お前らしい?」
「ああ」
「数字を見る私も?」
「ああ」
「直すべきでは?」
「数字しか見ないのは困る」
「ああ」
「でも」
俺は。
クロエの手を見る。
「数字を見るのが好きなお前まで」
「ああ」
「捨てる必要はないだろう」
「……」
「どうした」
「先生」
「ああ」
「私は」
商業王として。
数字を見てきた。
人の価値まで。
数字にしそうになった。
だから。
数字を見る自分を。
嫌いになりかけたのかもしれない。
「数字も好きです」
「ああ」
「市場も」
「ああ」
「利益も」
「ああ」
「儲かると嬉しい」
「ああ」
「でも」
木札。
置物。
俺からの贈り物。
「値段がなくても」
「ああ」
「好きなものも増えました」
「いいじゃないか」
「先生」
「何だ」
「私」
少しだけ。
恥ずかしそうに。
「前より」
「ああ」
「女に見えますか?」
来た。
毎回。
少しずつ。
違う意味で。
「見える」
「どこが?」
「相場より高い置物を買った時」
「そこですか!?」
「かなりかわいかった」
「……」
クロエが。
完全に止まる。
「歩け」
「先生」
「何だ」
「今」
「ああ」
「かわいいと」
「ああ」
「私を?」
「ああ」
「置物ではなく?」
「ああ」
「……」
「クロエ?」
「先生」
「何だ」
「今日の利益」
「ああ」
「過去最高を更新しました」
「だから利益ではない!」
◇
家へ戻る。
居間。
「お帰りなさい」
「ただいま」
「楽しかったですか?」
セレス。
「ああ」
恒例。
全員。
少しだけ止まる。
だが。
もう。
騒がない。
「クロエ」
アウラが。
袋を見る。
「食べ物?」
「違います」
「残念」
「先生から?」
ノア。
クロエは。
俺を見る。
話していいか。
「俺は構わない」
「では」
木札を出す。
『営業中』
裏。
『また明日』
全員が。
少し静かになる。
「先生が?」
ミレイユ。
「ああ」
「クロエさんへ?」
「ああ」
「値段は?」
リリス。
「銅貨四枚」
クロエが答える。
「安い」
アウラ。
「アウラさん」
「何?」
「今日だけは」
木札を胸へ抱く。
「私にとって、一番高い贈り物です」
「……」
アウラが。
少し考える。
「値段じゃなく?」
「はい」
「先生が選んだから?」
「それも」
「ああ」
「私が作りたいものを」
小さく笑う。
「覚えていてくださったから」
セレスが。
俺を見る。
「先生」
「何だ」
「かなり」
「ああ」
「デートがお上手になっておられませんか?」
「俺も今、少し思った」
「先生!」
「自分で言うな!」
ミレイユが笑う。
リリスも。
エリナも。
少し悔しそうだが。
否定はしない。
「先生」
ノア。
「手は?」
「つないだ」
「どっちから?」
「クロエから頼んだ」
残る者が。
少し安心する。
「先生が、すぐつないでくださいました」
クロエが追加する。
「クロエ!」
「事実です!」
また。
空気が変わった。
「先生」
アステラが。
じっと俺を見る。
「何だ」
「慣れてきた?」
「少しは」
「私の時」
「ああ」
「手だけでは、足りなくなるかもしれない」
「今から増やすな!」
「自分で何がしたいか考える課題でしょう?」
「相談しろ!」
「分かった」
◇
『第六回個別外出を評価します』
家の声。
『クロエ様』
『贈り物選定に際し』
『使用効率、耐用年数、相場、投資効果以外の価値を考慮』
「ああ」
『旦那様が喜ぶかだけでなく』
『自分自身が贈りたいと思える品を選択』
「ああ」
『食事において、周辺相場より高い価格を認識した上で』
『その場を好むという理由で利用』
クロエが。
少し苦しそうな顔をする。
「家」
『はい』
「そこは、まだ痛いです」
『さらに』
『相場より高価かつ実用性のない置物を、自分の嗜好だけで購入』
「完全に記録されていますね」
『高評価で合格です』
クロエが。
小さく息を吐く。
「先生」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
『旦那様』
「はいはい」
『クロエ様の独立した夢を記憶し』
『それに関連した贈り物をご自身で選択』
「ああ」
『予算を使い切ることを目的化せず』
『価格ではなく贈りたい理由を優先』
「ああ」
『また』
「来た」
『手をつなぎたいという希望へ即時承諾』
全員の目。
「さらに」
「まだあるのか」
『クロエ様を、一人の女性としてかわいいと明言』
「家!」
『高評価で合格です』
◇
「先生」
クロエが。
木札を持ったまま。
俺の前へ立つ。
「何だ」
「これ」
『また明日』
と。
こちらへ向ける。
「今日は」
「ああ」
「店じまいにします」
「仕事をしない?」
「夕食後」
少しだけ。
恥ずかしそうに。
「自室で」
「ああ」
「役に立たない置物を眺めます」
「それだけ?」
「はい」
「楽しい?」
「たぶん」
「では」
「先生」
「何だ」
「明日は」
木札を。
くるり。
『営業中』
「また働きます」
「ああ」
「でも」
もう一度。
『また明日』
「疲れたら、こちらへ戻します」
「いいな」
「先生」
「何だ」
「またデートへ誘う日は」
「ああ」
「こちらにしてから誘います」
「仕事を休んで?」
「はい」
「それなら」
俺も少し笑う。
「楽しみにしている」
クロエが。
木札を落としかけた。
「危ない」
受け止める。
「先生」
「何だ」
「今」
「ああ」
「楽しみに」
「ああ」
「私との次のデートを?」
「ああ」
「……」
「クロエ?」
「本日は」
木札を。
『また明日』
へ。
「もう閉店します」
「まだ夕食前だぞ!」
◇
『次回個別外出対象者』
家の壁へ。
新しい名前が浮かぶ。
『ノア』
窓際。
影の女王が。
ぴくりと動いた。
「私」
「ああ」
「次だな」
ノアは。
静かに俺の前へ来る。
「先生」
「何だ」
「私からの提案」
「ああ」
「夜」
「夜?」
「うん」
「どこへ」
「知らない場所」
「ああ」
「明かりが少ないところ」
いかにも。
ノアらしい。
「影へ潜る?」
「潜らない」
「監視?」
「しない」
「では?」
ノアは。
少しだけ迷い。
俺を見る。
「先生と」
「ああ」
「隠れたい」
「……」
「誰から?」
「誰からでもない」
「では、なぜ」
ノアは。
以前。
隠れることを。
逃げることと。
消えることと。
同じように考えていた。
今は。
少し違うらしい。
「見つからないためじゃなく」
「ああ」
「先生と二人で」
頬が。
ほんの少し赤くなる。
「誰にも見つけてもらわなくていい時間を、作りたい」
「それは」
少し考える。
「デートとして?」
ノアが。
こくり。
「うん」
「分かった」
「先生からは?」
「俺の提案?」
「うん」
影の女王。
人を見つけること。
隠れること。
秘密を守ること。
そればかり。
俺は。
少し考え。
「明かりの少ない場所なら」
「ああ」
「星を見たい」
ノアが。
目を瞬く。
「星?」
「ああ」
「影じゃなく?」
「ああ」
「暗い場所で」
俺は。
少し笑う。
「お前と、上を見たい」
「……」
ノアの顔が。
ゆっくり。
赤くなる。
「先生」
「何だ」
「それ」
「ああ」
「すごく好き」
次は。
誰にも見つけてもらえない者を。
ずっと探してきた影の女王と。
誰にも見つけてもらわなくていい夜を過ごす。
ただ。
一つだけ。
問題があった。
「ノア」
「何?」
「星が見える場所」
「ああ」
「地下都市にあるのか?」
「ある」
「どこ」
「秘密」
「俺にも?」
「明日まで」
ノアは。
少しだけ。
いたずらっぽく笑った。
その顔を見て。
俺は。
明日の夜が。
少し楽しみになっていた。




