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世界を滅ぼす七人の悪女を更生させた俺、死亡したと思われていたら彼女たちが世界大戦を始めようとしていた  作者: てへろっぱ


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28/43

第28話 女帝と普通のデートをしようとしたら、予定表が四十三枚あった



「最初は、セレス」


 俺がそう言った瞬間。


 居間から音が消えた。


「……」


「……」


「……」


 セレス本人まで。


 動かない。


「聞こえなかったか?」


「先生」


「何だ」


「もう一度」


「最初はセレスだ」


「……はい」


 返事は。


 いつもの女帝らしい落ち着いた声。


 だが。


 手に持っていた茶器が。


 かたかた震えている。


「セレス?」


「問題ございません」


「震えているぞ」


「女帝として、多数の国家元首との会談を経験しております」


「ああ」


「世界崩壊級魔物とも対峙しました」


「ああ」


「数百万の民衆の前で演説も」


「ああ」


「ですが」


 茶器を机へ置く。


「先生とのデートは、初めてです」


「俺もだ」


 セレスの動きが。


 完全に止まった。


「先生も?」


「ああ」


「私と?」


「誰とも、この形ではな」


「……」


 顔が。


 赤くなる。


「セレス?」


「先生」


「何だ」


「今のお言葉は」


「ああ」


「私が、先生にとって人生最初の正式なデート相手という意味でしょうか」


 七人とアステラの空気が。


 一斉に変わった。


「待て」


 ミレイユ。


「そこは重要です」


 リリス。


「一番」


 エリナ。


「最初」


 アウラ。


「市場価値が」


 クロエ。


「高い」


 ノア。


「レオン」


 アステラまで。


 少し不満そうに俺を見る。


「順番に特別な意味はないと言っただろう!」


「しかし、最初という事実は残ります」


 セレスが即答した。


「だから、その意味を増やすな!」


『旦那様』


 家の声が響く。


「何だ」


『個別外出課程の規則を再確認します』


「頼む」


『双方が、それぞれ一つ以上、ご自身の希望を提案してください』


「ああ」


『相手へ合わせるためだけの選択は禁止です』


「ああ」


『相手からの提案を断っても構いません』


「ああ」


『半日のすべてを事前に決定することも禁止します』


「最後は誰向けだ」


 全員が。


 セレスを見る。


「……私でしょうか」


「自覚があるんだな」


「先生」


「何だ」


「その点につきまして」


 セレスが。


 机の下から。


 分厚い紙の束を取り出した。


「何だ、それ」


「本日の行程案です」


「何枚ある」


「四十三枚」


「多すぎる!」


「本編は十二枚です」


「残り三十一枚は?」


「代替案です」


「何の!」


「雨天時」


「地下都市だぞ」


「境界天候異常時」


「起きない!」


「先生の体調不良時」


「帰る!」


「偶発的な国家元首遭遇時」


「何だ、その状況」


「ナティア様との再会時」


「なぜそこだけ具体的なんだ!」


 残り七人が。


 静かに頷いていた。


「全員で相談したのか?」


「セレス一人」


 ノアが答える。


「でも、その項目は必要」


「いらない!」


『行程表を没収します』


 家の床から。


 白い手が伸びた。


「家!」


 セレスが紙を抱える。


『規則です』


「せめて一枚!」


『不可です』


「先生との最初のデートなのです!」


『だからこそです』


「何も決めずに外出しろと?」


『一つずつ、二人で決めてください』


 紙が。


 すべて家の床へ吸い込まれた。


 セレスは。


 しばらく。


 何もない両手を見ていた。


「先生」


「何だ」


「私は」


「ああ」


「今」


「ああ」


「出発時刻以外、何も分かりません」


「デートとは、そういうものでは?」


「恐ろしいですね」


「世界大戦より?」


「種類が違います」


     ◇


 出発前。


 玄関。


 セレスは。


 普段の女帝服ではなかった。


 白いブラウス。


 淡い青のスカート。


 薄い上着。


 髪も。


 王冠や宝石を使わず。


 後ろで簡単に結んでいる。


「どうでしょう」


「似合っている」


 即答した。


 セレスの顔が赤くなる。


「先生」


「何だ」


「もう一度」


「似合っている」


「女性として?」


「今日は、その確認を毎回する気か?」


「可能であれば」


「一人の女性として、似合っている」


「……ありがとうございます」


 後ろ。


 七人とアステラが。


 静かに俺たちを見ていた。


「見送りはここまでだぞ」


「分かっています」


 ミレイユ。


「尾行もしません」


 ノア。


「影も出さない」


「市場の購入記録も」


 クロエ。


「確認しません」


「神託も」


 ミレイユ。


「求めません」


「魔族の監視網も」


 リリス。


「使わぬ」


「空から」


 アウラ。


「見ない」


「近くで偶然泳ぐのは?」


 エリナ。


「どこでだ!」


「水路」


「駄目だ」


「……うん」


 アステラは。


 俺ではなく。


 セレスを見る。


「楽しんできて」


「……よろしいのですか?」


「よくはないわ」


「正直ですね」


「嫉妬してる」


「ああ」


「でも」


 アステラは自分の胸へ手を置く。


「今日は、セレスがレオンと何をしたいか知る日だから」


 セレスが。


 少しだけ驚く。


「ありがとうございます」


「その代わり」


「はい」


「帰ったら、全部は聞かない」


「全部は?」


「レオンが話したいことだけ聞く」


「……」


 セレスは。


 少し考え。


 頷いた。


「私も、そのようにします」


「何を?」


「皆様のデートの日に」


「ああ」


「全部は聞かない?」


「努力します」


「そこは即答ではないのね」


「アステラさんもでしょう」


「努力するわ」


 二人が。


 小さく笑った。


「では」


 俺は扉を開ける。


「行くか」


「はい」


「先生」


「何だ」


「手を」


「まだ早い」


「……はい」


 少し残念そうだ。


 だが。


 無理には取らなかった。


     ◇


 地下都市の中央区。


 朝。


 祭りの翌日だからか。


 まだ少し装飾が残っている。


「先生」


「ああ」


「最初は、どちらへ?」


 右。


 左。


 正面。


 三つの道。


「セレスが提案してくれ」


「私が?」


「ああ」


「先生に合わせず?」


「ああ」


「では」


 セレスは。


 三つの道を見た。


 右。


 高級商店街。


 左。


 住宅区。


 正面。


 朝市。


「朝市へ行きたいです」


「理由は?」


「昨日」


「ああ」


「先生が、知らない街の食堂で、ご自分で朝食を選ばれたと聞きました」


「ああ」


「私も」


 少し恥ずかしそうに。


「先生と一緒に、今日食べたいものをその場で選んでみたいです」


「それがセレスの提案?」


「はい」


「いいな」


「承諾?」


「ああ」


 セレスの顔が。


 嬉しそうに緩む。


「家」


 無意識に呼びかけ。


 途中で止まる。


「どうした」


「記録を」


「家へ頼む必要はないだろう」


「そうでした」


 セレスは。


 小さな手帳を出す。


『私が、先生へ朝市を提案』


『先生が承諾』


「記録するのか」


「これは」


 一度。


 言葉を止める。


「女帝の公文書ではありません」


「ああ」


「私の日記です」


「なら、好きに書け」


「はい」


     ◇


 朝市。


 焼いた肉。


 果物。


 パン。


 魚。


 知らない世界の料理。


「先生」


「何だ」


「何を召し上がりますか?」


「まだ決めていない」


「では、私が先生のお好きそうな――」


 セレスが止まる。


「どうした」


「今、選ぼうとしました」


「俺の分を?」


「はい」


「気づけたなら十分だ」


「先生」


「何だ」


「私は」


 少し困ったように笑う。


「先生へ何かをして差し上げないと、落ち着かないようです」


「ああ」


「帝国でも」


「ああ」


「先生がお戻りになったら、何を差し上げるか」


「ああ」


「十年間ずっと考えていました」


「何を用意した」


「土地」


「いらない」


「城」


「いらない」


「爵位」


「いらない」


「軍」


「いらない」


「国庫」


「いらない」


「私」


「最後だけ種類が違う!」


「全部、先生が受け取られませんでした」


「最後はまだ審査中だ!」


 近くの店主が。


 こちらを見て笑う。


「仲いいな」


「恋人?」


 セレスの体が固まる。


「まだ違う」


 俺が答える。


「まだ?」


 店主が笑う。


「なら頑張れ、お嬢さん」


「……はい!」


「そこで元気に返事をするな」


 セレスの顔は。


 真っ赤だった。


「先生」


「何だ」


「普通の方から」


「ああ」


「恋人に見えたと言われました」


「ああ」


「嬉しいです」


「否定しないんだな」


「今は、嬉しいと伝える課題です」


「そうだったか?」


「私の個人的課題へ追加しました」


「勝手に増やすな」


 二人で。


 朝市を歩く。


「先生」


「何だ」


「あれが気になります」


 セレスが指さしたのは。


 丸いパン。


 中に。


 黄色い何かが入っている。


「卵?」


「たぶん」


「買う?」


「はい」


「俺も、それにする」


「先生」


「何だ」


「私に合わせましたか?」


「違う」


「本当に?」


「ああ」


「俺も気になった」


 セレスは。


 少し嬉しそうに笑う。


「では」


「二つ」


「一つでよいです」


「半分にする?」


「はい」


 買ったパンを。


 二人で分ける。


 少し大きさが違った。


 セレスが。


 大きいほうを俺へ渡そうとする。


「待て」


「先生のほうを」


「自分が大きいほうを食べたいなら?」


「私は」


 パンを見る。


「……」


「どうだ」


「少し」


「ああ」


「大きいほうを食べたいです」


「では食べろ」


「先生」


「何だ」


「本当に?」


「腹が減っているんだろう」


「はい」


「俺は半分で十分だ」


 セレスは。


 大きいほうを自分で取った。


 一口。


「おいしいか?」


「はい」


「俺も」


 二人で。


 普通の朝市で。


 一つのパンを食べる。


「先生」


「何だ」


「私は今」


「ああ」


「先生より大きなパンを食べています」


「それだけだ」


「十年前の私なら」


「ああ」


「絶対に先生へ渡していました」


「ああ」


「今の私は」


 パンを見る。


「食べたいと思ったから、取りました」


「よかったな」


「はい」


「それもデートの成果か?」


「もう成果が出ました」


「早いな」


     ◇


「次は」


 俺は道の先を見る。


「俺から提案していいか?」


 セレスの背筋が伸びる。


「はい」


「服を見たい」


「先生の?」


「ああ」


「新しい旅装でしょうか」


「それもあるが」


 一度。


 少し恥ずかしい。


「セレスに」


「ああ」


「俺に着てほしい服を、一着選んでほしい」


 セレスの動きが止まる。


「……」


「嫌なら」


「待ってください」


「何だ」


「今」


 両手で顔を覆う。


「心の準備を」


「そんなに?」


「先生が」


「ああ」


「私に」


「ああ」


「自分の服を選んでほしいと」


「ああ」


「女性として?」


「セレス個人の好みでだ」


「……」


「セレス?」


「無理です」


「嫌か?」


「嬉しすぎて、今すぐは無理です」


「そちらか」


「五分」


「分かった」


 本当に。


 道の端で。


 五分待った。


 セレスは。


 何度も深呼吸する。


「よろしいです」


「落ち着いた?」


「はい」


「本当に?」


「女帝としての平常心を取り戻しました」


「今日は女帝ではない」


「……もう五分」


「行くぞ」


     ◇


 服屋。


「いらっしゃいませ」


 店員が俺を見る。


「男性服ですか?」


「ああ」


「ご予算は?」


 俺が答える前に。


 セレスが財布へ手を伸ばす。


「今日は俺が払う」


 手が止まる。


「先生」


「俺の服だからな」


「私が選ぶのに?」


「だからといって贈らせない」


「では」


 セレスが財布を戻す。


「選ぶだけ」


「ああ」


「本当に、私の好みで?」


「ああ」


「先生が普段選ばない物でも?」


「ああ」


 セレスの目が。


 変わった。


「嫌な予感がする」


「先生」


「何だ」


「こちらへ」


 最初。


 白い上着。


「どうだ」


「素敵です」


「動きにくそうだな」


「実用性で選ばない約束です」


「そこは覚えているのか」


 次。


 濃紺のシャツ。


「これは?」


「先生に似合います」


「いつもの色に近いな」


「ですが」


 セレスが。


 俺の胸元を見る。


「少し、襟が開いております」


「却下」


「まだ着てもいません!」


「目的が分かった」


「違います!」


「では、なぜ顔が赤い」


「先生が着たところを想像しただけです!」


「同じだ!」


 店員が。


 笑いをこらえている。


「お似合いの恋人ですね」


「まだ」


「先生」


「何だ」


「今日は、その訂正を少し遅くしていただけませんか」


「なぜ」


「一秒だけ、恋人に見られた気分を味わいたいです」


「……一秒だけな」


「ありがとうございます」


 セレスは目を閉じた。


「一」


「まだ何も」


「終わりだ」


「短い!」


「一秒と言っただろう」


 最終的に。


 セレスが選んだのは。


 深い青の上着。


 普段の俺より。


 少しだけ明るい色。


 装飾はほとんどない。


「意外と普通だな」


「先生は」


 セレスが答える。


「派手な服では、落ち着かれません」


「ああ」


「ですが」


 袖へ触れそうになり。


 先に聞く。


「触れても?」


「ああ」


 布を整える。


「いつもより少しだけ」


「ああ」


「目立ってほしいです」


「俺が?」


「はい」


「どうして」


「先生は」


 セレスは。


 少し恥ずかしそうに笑う。


「ご自分を背景へ置こうとなさるので」


「ああ」


「今日は」


 上着を見る。


「隣を歩く私が」


 頬が赤くなる。


「少し、自慢したいと思いました」


 俺まで。


 顔が熱くなる。


「それは」


「ああ」


「嫌ですか?」


 一瞬。


 以前の俺なら。


 目立ちたくない。


 そう言って。


 すぐ断っていただろう。


「今日だけなら」


 答える。


「少しくらい、自慢されてもいい」


 セレスの目が。


 大きくなる。


「先生」


「何だ」


「買いましょう」


「ああ」


「私が十着」


「一着だ!」


     ◇


 服屋を出る。


 新しい上着を。


 そのまま着て歩く。


 セレスが。


 何度もこちらを見る。


「見すぎだ」


「自分で選んだ服が」


「ああ」


「先生の上にございます」


「服だからな」


「嬉しい」


「そうか」


「先生」


「何だ」


「手をつないでほしいです」


 来た。


 セレスからの。


 二つ目の提案。


「理由は?」


「デートだから」


「率直だな」


「はい」


「どのくらい?」


「半日」


「長い」


 セレスの顔が。


 少し曇る。


「では」


「次の角まで」


「短い」


「嫌か?」


「……いいえ」


「では、そこまで」


「はい」


 手を差し出す。


 セレスが。


 ゆっくり握る。


 以前。


 日記を読む間。


 小指だけ繋いだ。


 今日は。


 普通に。


 手のひら。


 指。


 互いの手を握る。


「先生」


「何だ」


「緊張します」


「俺もだ」


「本当ですか?」


「ああ」


「先生も?」


「ああ」


「私と手をつないで?」


「何度確認する」


「一生分、覚えたいので」


「重い」


「軽くします」


「意味ではなく」


 歩く。


 十歩。


 二十歩。


 角が近づく。


 セレスの歩幅が。


 少しずつ小さくなる。


「セレス」


「はい」


「わざと遅くしているだろう」


「気のせいです」


「さっきの半分だぞ」


「景色を楽しんでおります」


「真正面しか見ていない」


「先生との時間を」


「それは認める」


 角。


 到着。


 セレスの手が。


 名残惜しそうに離れる。


「約束どおりだな」


「はい」


「不満?」


「少し」


「怒っている?」


「いいえ」


「もう一度頼む?」


「今は、頼みません」


「どうして」


「先生が」


 自分の手を見る。


「次に、つなぎたいと思ってくださるか知りたいので」


「……」


「待ちます」


「ああ」


 女帝は。


 追わなかった。


     ◇


 昼前。


 どこへ行くか。


 また決めていない。


「先生」


「何だ」


「次は、先生が決めてください」


「俺が?」


「はい」


「セレスの希望は?」


「朝市を提案しました」


「ああ」


「服も選びました」


「ああ」


「手をつなぐ提案も」


「ああ」


「今度は」


 俺を見る。


「先生が、私と何をしたいか知りたいです」


 少し考える。


 喫茶店。


 公園。


 市場。


 映画のような映像劇場もある。


「庭へ行きたい」


「庭?」


「前に、目的なしで散歩した時」


「ああ」


「知らない老人の庭へ入っただろう」


「はい」


「名前のない花が咲いていた」


「はい」


「あの花」


 一度。


 言葉を選ぶ。


「セレスと、もう一度見たい」


 セレスが。


 立ち止まった。


「先生」


「何だ」


「それは」


「ああ」


「私が空待花を育てているから?」


「少しは関係ある」


「ああ」


「だが」


「はい」


「あの日」


 予定のない散歩で。


 予定のない庭へ入り。


 予定のない花を見た。


「セレスが、楽しそうだった」


 女帝でもなく。


 俺の教え子としてでもなく。


 ただ。


 知らない花について。


 老人と話していた。


「あの顔を」


 少し恥ずかしい。


「もう一度、見たいと思った」


 セレスが。


 完全に停止した。


「……セレス?」


「先生」


「何だ」


「今のお願いは」


「ああ」


「反則です」


「何が」


「嬉しすぎます」


「断る?」


「絶対に断りません!」


「規則を思い出せ」


「内容を聞いた後なので承諾です!」


 声が大きい。


 周囲の人がこちらを見る。


「行くか」


「はい!」


     ◇


 前に通った細い道。


 庭。


 老人は。


 今日も花へ水をやっていた。


「また来たのか」


「ああ」


「今度は迷った?」


「今日は自分で来た」


「そうか」


 老人が。


 セレスを見る。


「お嬢さんも」


「はい」


「恋人になった?」


 セレスが。


 俺を見る。


 今回は。


 俺も。


 一秒ではなく。


 少し考えた。


「今日は」


「ああ」


「デート中だ」


 セレスの呼吸が止まった。


「ほう」


 老人が笑う。


「進んだな」


「まだ婚姻の答えは出していない」


「聞いていない」


「そうだった」


「若い者は面倒だな」


「若く見えるか?」


「俺よりは」


 老人は。


 花壇へ案内する。


「あの日の花は?」


「これだ」


 小さな花。


 前より。


 少し大きく咲いている。


 淡い青。


 中心だけ白い。


「きれいですね」


 セレスがしゃがむ。


 俺も隣へ。


「名前は決まった?」


「まだ」


「つけないのか?」


「名前がなくても咲く」


「そういうものか」


「名前をつけたいか?」


 セレスが。


 花を見る。


「以前の私なら」


「ああ」


「すぐ名前を考えたと思います」


「今は?」


「名前がないまま」


 少し笑う。


「次に来た時、どんな花になっているか見たいです」


「では、そのまま?」


「はい」


 老人が。


 満足そうに頷く。


「持っていくか」


「花を?」


「苗を一つ」


 セレスが止まる。


「よろしいのですか?」


「増えすぎた」


「代金を」


「いらん」


「ですが」


「代わりに」


 老人が。


 俺たちを見る。


「次に来た時」


「ああ」


「育ったか教えてくれ」


「それだけ?」


「それだけ」


 セレスは。


 苗を見る。


「先生」


「何だ」


「一緒に育てませんか?」


「俺と?」


「はい」


「空待花ではなく?」


「この花を」


「ああ」


「名前もない」


「ああ」


「先生と私で」


 一度。


 言葉が止まる。


「どちらか一人の花ではなく」


 小さな苗。


 二人で育てる。


「お願いです」


 セレスが俺を見る。


「嫌なら、断ってください」


 以前なら。


 セレスの花。


 俺は手伝う。


 そう考えただろう。


 だが。


 今日は。


 少し違った。


「いいぞ」


「本当に?」


「ああ」


「二人の?」


「ああ」


「先生と私の?」


「花だ」


 セレスの目から。


 涙が落ちた。


「泣くほどか?」


「先生」


「何だ」


「これは」


「ああ」


「共同所有です」


「クロエみたいな言い方をするな」


「私たち二人のもの」


「ああ」


「一緒に世話を」


「ああ」


「水やりを」


「毎日は無理だぞ」


「交代で」


「それなら」


「先生」


「何だ」


「名前は」


「まだいらない」


 セレスが。


 驚いた後。


 笑う。


「はい」


「次に何か思いついた時でいい」


「予定を決めず?」


「ああ」


「……はい」


 苗を。


 二人で受け取った。


     ◇


 帰る途中。


「先生」


「何だ」


「今日は」


「ああ」


「朝市へ行きました」


「ああ」


「私は大きいほうのパンを選びました」


「ああ」


「先生の服を選びました」


「ああ」


「手をつなぎました」


「ああ」


「先生から、庭へ行きたいと言っていただきました」


「ああ」


「二人の花も」


「ああ」


「予定表には」


 少し笑う。


「一つも書いていなかったことばかりです」


「四十三枚もあったのにな」


「全部不要でした」


「そこまで言うか」


「いいえ」


 セレスは首を振る。


「以前の私には」


「ああ」


「四十三枚を書く時間が必要でした」


「ああ」


「でも」


 苗を抱く。


「次は」


「ああ」


「一枚だけにします」


「まだ作るのか」


「集合時間だけ」


「それなら」


「先生」


「何だ」


「今度は」


 手を。


 差し出さない。


 ただ。


 俺を見る。


「先生から、手をつなぎたいと思っていただけるまで待つと言いました」


「ああ」


「覚えておりますか?」


「ああ」


「今は?」


 少し意地悪な聞き方だ。


 だが。


 俺自身の望みを。


 伝える課題でもある。


「帰り道だけ」


 俺から。


 手を差し出した。


「つなぐか?」


 セレスの顔が。


 真っ赤になる。


「はい」


 即答。


 今度は。


 彼女からではない。


 俺が。


 つなぎたいと思ったから。


 手を取った。


「先生」


「何だ」


「今」


「ああ」


「私、死んでも」


「駄目だ」


「最後まで言っていません」


「言う前に止める」


「……はい」


「飯を食って寝ろ」


「第七学則」


「ああ」


「先生」


「何だ」


「今日は」


 握った手へ。


 少しだけ力が入る。


「帰ってからも、ずっと覚えています」


「俺も覚えている」


 セレスが。


 また止まりそうになる。


「歩け」


「はい」


     ◇


 家へ帰る。


 玄関。


 七人とアステラは。


 並んでいなかった。


「珍しいな」


 居間へ入る。


 全員。


 普通に過ごしている。


 ミレイユは本。


 リリスは図鑑。


 エリナは水泳の記録。


 アウラは菓子。


 クロエは帳簿。


 ノアは窓際。


 アステラは。


 水世界の絵を描いていた。


「お帰り」


 アステラが最初に言う。


「ただいま」


「楽しかった?」


「ああ」


 全員の動きが。


 一瞬だけ止まる。


「そう」


 アステラは。


 続きを聞かない。


 セレスが。


 自分から苗を机へ置いた。


「これだけ」


 七人へ言う。


「先生と私で、育てることになりました」


 空気が凍った。


「二人で?」


 ミレイユ。


「共同?」


 リリス。


「毎日?」


 エリナ。


「食べられる?」


 アウラ。


「所有権は」


 クロエ。


「同じ鉢?」


 ノア。


 アステラが。


 苗を見る。


「きれいね」


「ありがとうございます」


 セレスは。


 少しだけ。


 誇らしそうだ。


「先生」


 クロエが俺の上着を見る。


「その服は?」


「セレスが選んだ」


 再び。


 空気が凍る。


「先生が?」


 ミレイユ。


「着てほしい服を選ばせた?」


 リリス。


「うん」


 ノアが俺を見る。


「先生から頼んだ?」


「ああ」


 八人の視線が。


 上着へ集中する。


「似合う?」


 アウラが尋ねる。


「俺へ聞くな」


「似合ってる」


 エリナが答える。


「私も」


 ミレイユ。


「……私も先生の服を選びたい」


「次はお前の番だからと、同じことをする必要はない」


「私と先生だけのことを考えます」


「そのほうがいい」


「先生」


 ノアが俺を見る。


「手は?」


「何が」


「つないだ?」


 セレスの顔が赤くなる。


「ノア」


「聞きたくなった」


「全部聞かない約束では?」


「一個だけ」


「……」


 セレスが。


 俺を見る。


 話していいか。


 確認している。


「俺は構わない」


「はい」


 セレスは。


 胸へ手を置く。


「二回」


「二回?」


 残る七人。


「一度目は、私からお願いしました」


「ああ」


「二度目は」


 一瞬。


 嬉しさを隠せなくなる。


「先生から」


 全員の視線が。


 俺へ突き刺さる。


「自分から?」


 アステラ。


「ああ」


「レオンが?」


「ああ」


「手をつなぎたいと?」


「帰り道だけな」


「……」


「アステラ?」


「嫉妬してる」


「そうか」


「すごく」


「ああ」


「でも」


 アステラは。


 自分の絵へ視線を戻す。


「私の時に、レオンが何をしたいと言うか楽しみにする」


「ああ」


「同じことをしてとは言わない」


「偉いな」


「褒めた?」


「ああ」


 アステラは。


 少しだけ嬉しそうに笑った。


『第一回個別外出を評価します』


 家の声。


『セレス様』


『ご自身の希望として朝市を提案』


『大きい食事を自ら選択』


『旦那様の服を、ご自身の好みを含めて選択』


『接触希望を言葉で確認し、終了条件を遵守』


『合格です』


 セレスが。


 小さく拳を握る。


『旦那様』


「俺も?」


『セレス様へ服選びを依頼』


『ご自身の意思で庭への再訪を提案』


『二人で花を育てる提案を受諾』


『さらに、自発的な身体接触を一度確認』


「最後まで記録するな!」


 残る七人の目が。


 さらに鋭くなる。


『合格です』


「よかったな、セレス」


「はい」


「楽しかったか?」


「先生」


「何だ」


「人生で」


 一度。


 少し考える。


「最も、予定どおりにならなかった半日でした」


「ああ」


「そして」


 苗を見る。


「最も、予定どおりでなくてよかった半日です」


「そうか」


「また」


「ああ」


「デートに誘っても?」


 七人の空気が動く。


「八人全員、一回終わった後なら」


「はい」


「その時、俺が行きたければ」


「はい」


「断ることもある」


「はい」


「それでも?」


「誘います」


「分かった」


 セレスは。


 満足そうに笑った。


     ◇


『次回個別外出対象者を発表します』


「もう決まっているのか」


『旦那様が順番を選択しました』


「ああ」


「先生」


 ミレイユが。


 少しだけ姿勢を正す。


「次は」


「ああ」


「ミレイユ」


 聖女の顔が。


 静かに赤くなる。


「はい」


「明日の午後」


「はい」


「何をしたいか」


「ああ」


「一緒に考えよう」


「先生」


「何だ」


「私から、一つ提案しても?」


「今?」


「はい」


「聞くだけなら」


 ミレイユは。


 少し迷い。


 それでも言った。


「先生と」


「ああ」


「教会へ行かない半日にしたいです」


 俺は。


 少し驚いた。


「聖女なのに?」


「だからこそです」


「ああ」


「奇跡も」


「ああ」


「治療も」


「ああ」


「祈りも」


「ああ」


「誰かを救うことも、今日は目的にせず」


 ミレイユは。


 一人の女性として。


 俺を見る。


「先生と二人で」


 少し恥ずかしそうに笑った。


「一度くらい、何の役にも立たないことをしてみたいです」


 女帝との最初のデートは。


 予定のない花を残した。


 次は。


 ずっと誰かを救い続けてきた聖女と。


 何の役にも立たない半日を過ごすことになった。


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