第27話 俺を宣伝に使うなと言ったら、八人が自力で世界一の祭りを作り始めた
『八百四十二世界合同祭』
『中間試験規則』
家の壁へ。
巨大な文字が並んでいる。
『一、旦那様の氏名、肖像、肩書、過去の功績を宣伝へ使用してはならない』
「先生の名前を、一文字だけ」
「駄目です」
セレスの提案を。
家が即座に却下する。
『二、旦那様からの推薦、許可、祝辞、署名を集客目的へ使用してはならない』
「開会式で一言だけ」
ミレイユ。
『不可です』
「祈りも?」
『旦那様を対象としない通常の祈りであれば可能です』
『三、国家権力、軍事力、宗教的奇跡、魔王権限、勇者権限、竜王権限、商業王による市場操作、影組織による情報操作を禁止』
「全部、私たちの得意分野」
エリナが困った顔をする。
「だから試験なんだろう」
『四、八名は、それぞれ一つ以上の企画を担当すること』
『五、企画は旦那様を喜ばせるためだけの内容にしてはならない』
アウラの手が止まった。
「先生に食べてもらう店は?」
『一般客全員を対象にする場合のみ認めます』
「先生専用大盛り」
『不可です』
「先生が偶然注文した時だけ」
『通常量です』
「……厳しい」
『六、旦那様は一般客として参加します』
「ああ」
『八名は、旦那様へ自分の企画だけを優先して回るよう要求してはなりません』
八人の顔が。
一斉に曇る。
「先生」
クロエが手を上げる。
「客引きとしての呼び込みは?」
『全客へ同条件なら認めます』
「先生だけへ、偶然大きな声が」
『故意なら減点します』
「偶然かどうかの判定は?」
『私が行います』
「家が一番怖いな」
『七、人気投票の対象は八名本人ではなく』
八人が顔を上げる。
『八名が担当した企画の満足度、参加者への配慮、継続可能性、他世界交流への貢献を総合評価します』
「顔ではない?」
アステラが尋ねる。
『はい』
「なら」
アステラは少し安心したように頷く。
「私もできるかもしれない」
「何をやるか決めたのか?」
「まだ」
『最後』
家の文字が大きくなる。
『旦那様は、優勝者へ個人的な褒賞を一つ贈ってください』
空気が。
再び変わった。
「先生」
セレス。
「内容は、もうお決めに?」
「決めていない」
「抱擁」
ミレイユ。
「先に決めるな」
「一日二人きり」
リリス。
「要求するな」
「一緒に泳ぐ回数を増やす」
エリナ。
「褒賞の中身は俺が決める」
「好きな料理を食べさせる権利」
アウラ。
「それはお前への褒賞だろう」
「共同事業命名権」
クロエ。
「事業を作る前提にするな」
「先生の影の隣で昼寝」
ノア。
「意味は少し分かるようになったが待て」
アステラは。
何も言わなかった。
「アステラ?」
「何?」
「お前は、何が欲しい」
少し考える。
「今は言わない」
「珍しいな」
「レオンが、自分で考える褒賞でしょう?」
「ああ」
「なら、私が先に決めたくない」
七人が。
一斉にアステラを見る。
「ずるい」
ノアが呟く。
「何がだ」
「先生から考えてもらえる」
「全員そうだろう」
「でも、アステラだけいい子になってる」
「いい子になる勝負ではない!」
◇
会議が始まった。
俺は参加しない。
一般客だからだ。
ただし。
居間と台所が繋がっているため。
朝食を食べながら。
八人の声は全部聞こえてくる。
「八百四十二世界の代表料理を集めた晩餐会」
セレス。
「規模が大きすぎます」
クロエ。
「予算は?」
「各世界へ協力を要請します」
「国家権力」
「女帝としてではなく、一参加者として」
「相手がセレス様だと知れば断れません」
「……」
「減点ですね」
「まだ家は何も言っていないでしょう」
『減点候補です』
「家!」
ミレイユは。
大きな紙へ。
『休息所』
と書いていた。
「祭りで疲れた者が、静かに休める場所を作ります」
「治療所?」
エリナ。
「違います」
「怪我人は?」
「通常の救護室へ」
「では何をする?」
「何もしません」
全員が止まる。
「ミレイユが?」
俺まで口を挟んだ。
「先生」
「すまない。一般客だった」
「ですが」
ミレイユは少し微笑む。
「先生とのお茶で学びました」
「ああ」
「祭りは、楽しい場所です」
「ああ」
「ですが、楽しい場所ほど」
紙へ。
小さな椅子を描く。
「疲れたと言いづらい人もいると思います」
「なるほど」
クロエが頷く。
「消費を求めない区画」
「はい」
「収益は?」
「出ません」
「……」
「クロエ」
「分かっています」
商業王は。
自分の胸へ手を置く。
「利益がなくても必要な場所はございます」
成長している。
「私は」
リリスが黒い紙を広げる。
「魔界植物展示」
「図鑑の?」
「ああ」
「毒草も?」
「触れないようにする」
「食べられる?」
アウラ。
「食べるな」
「匂いは?」
「種類によっては三日眠る」
「怖い」
「安全なものを選ぶ」
「子供向け?」
「……」
リリスが止まる。
「先生」
「俺は参加しないぞ」
「では、皆へ聞く」
リリスが七人を見る。
「植物図鑑は、誰に見てほしいと思う?」
「子供」
ノアが即答した。
「どうして」
「知らない植物を触って死なないように」
「なるほど」
「絵が多いと、文字が読めなくても分かる」
「なら」
リリスは。
黒い紙へ。
『魔界の危険な植物を見分けよう』
と書き直す。
「子供向け展示にする」
「先生へ見せるためではなく?」
セレスが尋ねる。
「先生にも見てほしい」
「ああ」
「でも」
リリスは少し考える。
「子供が一つ覚えて帰れば、それでいい」
いい顔をしていた。
◇
「私は訓練所」
エリナ。
「戦闘は禁止です」
家。
「まだ説明してない」
「何をする」
俺は。
もう口を挟まないよう。
パンを食べながら聞く。
「失敗する練習」
エリナが答えた。
「失敗?」
ミレイユ。
「うん」
「何を?」
「簡単なこと」
輪投げ。
水に浮く。
小さな壁を登る。
柔らかな球を的へ投げる。
どれも。
勇者には簡単すぎる。
「できなかった人を笑わない」
「ああ」
「できたら褒める」
「ああ」
「できなくても」
エリナは。
少し考え。
「昨日より一回多くやったら、それも褒める」
「勝者は?」
「なし」
「順位は?」
「なし」
「賞品は?」
「やった人全員に、小さいパン」
アウラの目が輝く。
「参加する」
「一般客としてな」
「十回やれば十個?」
「一人一個」
「……」
「アウラ?」
「参加する」
少し声が小さくなった。
◇
「私は食べ物」
アウラは。
当然のように言った。
「何を作る」
「小さい料理」
「珍しいな」
「八百四十二世界を全部食べる」
「一人で?」
「みんなで」
一世界一口。
八百四十二種類。
「一人で全部食べる必要はない」
アウラが言う。
俺は思わず顔を上げた。
「本当にアウラか?」
「先生」
「一般客だった」
「でも失礼」
「すまない」
アウラは紙へ。
丸をたくさん描く。
「一人、一枚の皿」
「ああ」
「好きな世界を、五個選ぶ」
「全部ではなく?」
「うん」
「どうして」
「食べきれない」
「ついに気づいたか」
「先生」
「すまない」
「でも」
アウラは続ける。
「知らない味を、一つ食べる」
「ああ」
「それで、好きだったら」
「ああ」
「次の日も食べたいと思う」
昨日。
俺が甘い木の実パンを選んだ時と。
少し似ている。
「料理の説明もつける?」
クロエ。
「うん」
「材料、文化、食べる場面」
「うん」
「商売になりそうですね」
アウラがクロエを見る。
「売らない」
「無料?」
「材料代だけ」
「なぜ」
「一番おいしいものを競う場所じゃない」
「ああ」
「知らない味を知る場所」
アウラが。
そんなことを言うようになった。
◇
「私は」
クロエが立ち上がる。
「失敗市場を作ります」
「失敗?」
セレス。
「売れ残った商品」
「ああ」
「売れなかった企画」
「ああ」
「失敗した店」
「ああ」
「思ったほど人気が出なかった物」
「ああ」
「それらを持ち寄ります」
「何のため」
「なぜ失敗したか」
クロエは。
黒板へ二つの言葉を書く。
『売れない』
『価値がない』
「この二つは、同じではありません」
誰も言葉を挟まない。
「買う人を間違えた」
「ああ」
「使い方を伝えられなかった」
「ああ」
「価格が合わなかった」
「ああ」
「時期が悪かった」
「ああ」
「あるいは」
クロエは少し笑う。
「本当に、誰も欲しくなかった」
「それもあるのか」
エリナ。
「あります」
「その時は?」
「失敗として終わらせます」
「助けない?」
「無理に売れる理由を作りません」
クロエは。
以前なら。
どんな商品でも。
売れる理由を作っただろう。
「失敗した者が」
続ける。
「次に何を試すか、一緒に話す市場にします」
「利益は?」
俺が思わず聞く。
クロエがこちらを見る。
「先生」
「すまない」
「収益は」
少し考える。
「たぶん、ほとんど出ません」
「大丈夫か?」
「怖いです」
「商業王でも?」
「はい」
「それでもやる?」
「やりたいです」
なら。
俺が口を出すことはない。
◇
「私は」
ノア。
「見つからない祭り」
「どういう意味だ」
全員が尋ねた。
「見つかりたくない人の場所」
「祭りなのに?」
アウラ。
「人が多いと、隠れたい」
「ああ」
「でも、少しだけ参加したい」
「ああ」
「顔を出さなくても」
「ああ」
「声を出さなくても」
「ああ」
「祭りを見られる場所」
建物の上。
半透明の窓。
音量の小さな区画。
顔を隠せる仮面。
「店員も?」
「話しかけない」
「商品は?」
「札を指さすだけで買える」
「ミレイユの休息所と似ている?」
「少し」
「一緒にする?」
ミレイユが尋ねる。
ノアは。
以前なら。
自分の場所を守ろうとしたかもしれない。
「一緒に考える」
即答した。
「静かな道を、休息所へ繋げる」
「ありがとうございます」
二人が。
俺を通さず。
企画を繋いでいく。
◇
最後。
アステラ。
「私は」
全員が見る。
「案内板を作る」
「案内?」
セレス。
「八百四十二世界の人は」
「ああ」
「知らない色や形の文字を使う」
「ああ」
「私も、最初は分からなかった」
光世界。
水世界。
影国。
彼女は。
自分が知らないものを。
少しずつ見た。
「文字を読めない人でも」
紙へ。
絵を描く。
「食べ物は、お皿」
「ああ」
「休む場所は椅子」
「ああ」
「静かな場所は」
少し考える。
小さな月を描く。
「これ」
「分かりやすいな」
「色だけでも」
赤。
青。
緑。
金。
「今いる場所が分かるようにする」
「先生」
セレスが俺を見る。
「アステラさんの絵は、少々」
「下手?」
アステラが尋ねる。
「個性的です」
「下手?」
「……はい」
アステラは。
自分の皿の絵を見る。
丸の中に。
何本か線。
「食べ物に見える?」
「太陽に見えます」
ミレイユ。
「魔界の眼球」
リリス。
「盾」
エリナ。
「お肉ではない」
アウラ。
「市場標識としては誤認率が」
クロエ。
「私には皿」
ノア。
「ノア」
アステラの顔が明るくなる。
「本当?」
「うん」
「ありがとう」
「でも、みんなに分からないと駄目」
「……そうね」
「一緒に絵の練習する?」
「してくれる?」
「うん」
また。
俺のいない予定が一つ増えた。
◇
祭りの準備期間は。
三日。
俺は。
完全に外された。
「何か手伝うことは?」
『ありません』
「荷物運びくらい」
『一般客です』
「掃除」
『係がいます』
「料理の味見」
「それは私がする」
アウラ。
「お前だけで全部食べるなよ」
「一口ずつ」
「八百四十二口だぞ」
「大丈夫」
「大丈夫ではない気がする」
『旦那様』
「何だ」
『暇であれば、ご自身の時間を過ごしてください』
「……」
「先生」
クロエが。
準備資料を持って走りながら言う。
「昨日の青い器へ」
「ああ」
「新しいお願いを入れておいてください」
「忙しいのに?」
「祭りが終わってから見ます」
「ああ」
「先生」
セレス。
「散歩の続きも」
「また今度な」
「はい」
「先生」
ミレイユ。
「疲れたら」
「茶だけ頼む」
「はい」
「先生」
リリス。
「三鍋目」
「忘れていない」
「先生」
エリナ。
「泳ぎ」
「ああ」
「先生」
アウラ。
「パン」
「また行こう」
「先生」
ノア。
「三十分」
「ああ」
「レオン」
アステラだけ。
少し立ち止まる。
「何だ」
「私は」
言いかけ。
首を振る。
「祭りの後にする」
「ああ」
八人が。
自分たちの仕事へ戻る。
「本当に」
俺は一人。
廊下へ残る。
「俺がいなくても進むな」
寂しい。
だが。
悪くない。
◇
三日後。
八百四十二世界合同祭。
地下都市最大の中央区。
朝から。
人で溢れていた。
「すごいな」
俺は。
普通の服。
普通の財布。
一般客用の腕章。
今日は。
七冠王でも。
導師でもない。
祭りへ来た一人の男。
「お兄さん」
入口の受付にいた女性が声をかける。
「地図、いる?」
「ああ」
「文字はどれが読める?」
「共通語」
「なら、これ」
渡された地図。
アステラの案内標識が。
小さく描かれている。
皿。
椅子。
月。
花。
靴。
「絵が上手くなったな」
「何?」
「何でもない」
女の子は。
俺を知らない。
普通に笑う。
「一人?」
「ああ」
「なら」
もう一枚。
小さな紙を渡される。
『一人参加者向け交流札』
「これは?」
「一人で回るのが寂しくなったら、胸につけて」
「ああ」
「話しかけてもいい人、って印」
「誰の案だ?」
「交換留学生の子」
「八人ではない?」
「うん」
祭りは。
すでに。
八人だけのものではなくなっていた。
◇
最初に向かったのは。
ミレイユとノアの共同区画。
『静かな道』
看板の先。
祭りの喧騒が。
急に小さくなる。
顔を隠した者。
耳を塞いだ子供。
椅子で眠る老人。
誰も。
参加を強制されない。
ノアは。
入口から少し離れた場所で。
道に迷った女性へ。
「話さなくてもいい」
と説明している。
女性は。
文字だけで返事をした。
『ありがとう』
ノアも。
紙へ書く。
『どういたしまして』
俺には。
気づいている。
一度だけ。
こちらを見た。
だが。
近づいてこない。
「一般客」
口だけが動いた。
俺も。
小さく手を振るだけにした。
奥。
ミレイユの休息所。
「治療はしません」
入口へ。
大きく書かれている。
「珍しい看板だな」
「聖女様の場所なのに」
客たちが笑っている。
ミレイユも。
疲れた子供の隣へ。
何もせず座っていた。
五分後。
子供が。
「もう行ける」
と立ち上がる。
「いってらっしゃい」
それだけ。
奇跡は使わない。
俺を見つけても。
追いかけてこなかった。
「合格だな」
俺が決めることではない。
それでも。
そう思った。
◇
次。
リリスの植物展示。
「これに触ると、指が三本増える!」
子供たちが大笑いしている。
「本当?」
「一時間だけ」
リリスは。
魔王の威圧など。
まったく使っていない。
「これは?」
「食べると、夢の中で百回走る」
「嫌だ!」
「これは?」
「薬草」
「普通!」
「普通も大事だ」
子供が。
一枚の札を持つ。
『危険な植物を三つ覚えた』
出口で。
小さな種を一つもらう。
「育てられる?」
「安全な草だ」
「名前は?」
「自分でつけていい」
「リリス草!」
「私の名前を使うな!」
魔王が。
子供相手に困っている。
俺は。
笑いをこらえながら先へ進んだ。
◇
エリナの区画。
『失敗してもいい広場』
大きな看板。
輪投げ。
水上歩行板。
的当て。
簡単な跳び箱。
「失敗!」
子供が叫ぶ。
「もう一回!」
エリナが笑う。
「次も失敗するかも」
「いい!」
「できたら?」
「嬉しい!」
「できなくても?」
「もう一回!」
「よし!」
勇者が。
勝たせることより。
続けることを喜んでいる。
老人が輪投げへ挑戦する。
外れる。
「惜しい!」
「今のは全然惜しくないぞ」
「でも、一回目より近い!」
「本当か?」
「うん!」
老人も笑う。
「では、もう一回」
俺は。
参加札を一つ取った。
「お客さん」
エリナが俺を見る。
一瞬。
顔が明るくなる。
だが。
「一回、銅貨一枚」
「普通に金を取るんだな」
「運営費」
「成長したな」
「お客さん」
「先生と呼ぶなよ」
「……はい」
輪を投げる。
外れた。
「失敗!」
エリナが嬉しそうに叫ぶ。
「嬉しそうだな」
「もう一回?」
「一回だけだ」
「次はできるかも」
「煽るな」
◇
アウラの食の広場。
八百四十二種類。
本当に並んでいた。
ただし。
一人が選べるのは五種類。
「先生」
アウラが言いかけ。
口を塞ぐ。
「お客さん」
「危なかったな」
「一般客」
「ああ」
「五個選んで」
「おすすめは?」
「私の?」
「企画者として」
アウラは。
少し悩む。
「知らないものを選んで」
「おすすめを決めない?」
「うん」
「どうして」
「私の好きと、先生の好きは違う」
「先生と言った」
アウラが両手で口を塞ぐ。
「減点?」
『軽微なため注意のみ』
「家までいるのか」
五つ。
俺が自分で選ぶ。
辛い汁。
透明な果物。
空気のように軽いパン。
小さな魚。
紫色の餅。
「どう?」
「全部違う」
「好き?」
「透明な果物が一番好きかも」
「私も食べる」
「自分の分を買え」
「うん」
奪わなかった。
立派だ。
◇
クロエの。
『失敗市場』
ここだけ。
異様に人が多かった。
「売れなかった物を売る場所なのに」
「どうして混んでいるんだ」
一軒。
何の用途か分からない。
細長い棒。
「何ですか、これ」
客が尋ねる。
「分かりません」
店主が答える。
「作った本人ですよね?」
「はい」
「では、なぜ作った」
「作っている途中は、便利だと思いました」
「今は?」
「分かりません」
周囲が笑う。
クロエは。
店主の横へ座っている。
「売れなかった理由は?」
「用途がない」
「では」
クロエは。
客へ尋ねる。
「何か使い方が思いつく方は?」
一人。
「背中を掻く」
別の者。
「窓を開ける」
子供。
「剣」
「危ない」
店主が笑う。
「背中掻き棒として売る?」
「いいえ」
「どうして」
「今日は」
棒を見る。
「売れなかった理由を笑えたので、十分です」
「次は?」
「短く作ります」
「なぜ」
「長すぎた」
クロエも笑う。
「それも立派な改善です」
「商品を無理に売らないんだな」
俺は小さく呟く。
クロエが。
気づいた。
だが。
俺へは来ない。
遠くから。
少しだけ。
誇らしげに頭を下げた。
◇
セレスの企画は。
最後まで分からなかった。
「どこだ?」
地図を見る。
『予定のない道』
「何だ、これは」
中央広場の横。
入口。
看板には。
『ここから先、催し物はありません』
「祭りなのに?」
客たちが不思議そうに入っていく。
俺も進む。
何もない。
細い道。
小さな庭。
ベンチ。
途中。
花を育てる老人。
「前の老人ではないな」
「旅人さん」
老人が声をかける。
「花を見るか?」
「ああ」
「何の花?」
「まだ名前がない」
「どうして」
「今日、初めて咲いた」
客たちが。
足を止める。
予定のない場所。
予定のない出会い。
道の先。
セレスが。
案内板を直していた。
「セレス」
呼びそうになり。
止まる。
彼女も。
こちらへ気づく。
俺と目が合う。
それだけ。
俺へ案内しに来ない。
ほかの客へ。
「右と左、どちらでも構いません」
「何がある?」
「分かりません」
「企画者なのに?」
「はい」
セレスは。
少し困りながら。
それでも笑った。
「私も、何が起きるか分からない道を楽しむ練習中です」
◇
アステラの案内板。
祭り中。
何度も助けられた。
文字が読めなくても。
色で。
絵で。
進める。
中央広場。
アステラは。
子供たちに囲まれていた。
「これ何?」
一人の子供が。
案内板の絵を指す。
「お皿」
「太陽!」
「皿よ!」
「太陽!」
「皿!」
「太陽!」
アステラが本気で困っている。
「絵はまだ練習中」
ノアが隣から助ける。
「でも色は分かる」
「赤が食べ物?」
「うん」
「青は?」
「休む場所」
「黄色は?」
「遊ぶ」
「分かった!」
子供たちは。
絵ではなく。
色で走っていく。
「アステラ」
俺が声をかける。
「レオン」
すぐに。
俺へ来ようとして。
途中で止まる。
「一般客だった」
「ああ」
「迷った?」
「少し」
「案内板、役に立った?」
「ああ」
「本当?」
「三回助かった」
顔が明るくなる。
「褒めて」
「一般客として?」
「……」
アステラが悩む。
「今は駄目?」
「祭りが終わったらな」
「分かった」
ちゃんと。
待てた。
◇
昼過ぎ。
祭りの中央広場。
俺は。
一人で食事をしていた。
隣の席。
知らない女性が座る。
髪は淡い青。
耳が少し長い。
交換留学生だろう。
「ここ、空いてる?」
「ああ」
「ありがとう」
普通に座る。
俺を知らない。
「一人?」
「ああ」
「私も」
女性は。
自分の皿を見せる。
「これ、何か知ってる?」
「分からない」
「食べたら、舌が光った」
「大丈夫なのか?」
「たぶん」
「説明札を読め」
「文字が読めない」
「案内板へ聞けば」
「文字じゃなくて絵の?」
「ああ」
「あれ便利だよね」
アステラの企画。
「祭り、どこが面白かった?」
女性が尋ねる。
「静かな道」
「私は失敗市場」
「ああ」
「変な棒、買った」
「買ったのか?」
「背中掻きにちょうどよかった」
「本当に売れたんだな」
二人で笑う。
「この後」
女性が。
何気なく言う。
「一緒に回らない?」
俺は。
一瞬。
返事に迷った。
知らない相手。
一般客同士。
断る理由もない。
「いい――」
その時。
空気が変わった。
何だ。
ものすごい気配。
だが。
八人は。
国家権力も。
魔法も。
奇跡も。
使えない。
それでも。
遠く。
八方向から。
こちらを見る視線だけは分かった。
「……」
「どうしたの?」
女性が尋ねる。
「いや」
「誰かに見られてる?」
「たぶん」
「知り合い?」
「八人ほど」
「多いね」
女性は笑う。
「恋人?」
「まだ違う」
「まだ?」
「話すと長い」
「じゃあ」
女性は俺の腕章を見る。
「一緒に回るの、嫌ならいいよ」
「嫌では」
その瞬間。
八人が。
同時に。
こちらへ一歩動いた。
家の警告音。
『試験参加者は、ご自身の担当区画へ戻ってください』
八人全員が止まる。
「何だろう」
女性が首を傾げる。
「祭りの運営者だ」
「忙しそうだね」
「ああ」
「じゃあ」
女性は。
少し考える。
「今は、一人で回る?」
「いや」
俺も考える。
「一緒に一つだけ行くか」
「本当?」
「ああ」
「どこ?」
「俺がまだ行っていない場所」
「どこだろう」
地図を見る。
二人で。
紙を覗き込む。
遠く。
セレスの笑顔が。
少し怖い。
ミレイユは。
祈っていないのに祈りそう。
リリスの翼が。
微妙に膨らむ。
エリナは。
地面を蹴りたそう。
アウラは。
食べ物を俺たちの間へ置きたそう。
クロエは。
女性の情報を調べたそう。
ノアは。
影へ入りたそう。
アステラは。
俺の手を握りたそう。
だが。
誰も来ない。
「すごいな」
「何が?」
「いや」
八人全員。
本当に成長した。
◇
一緒に向かったのは。
祭りの端にある。
小さな音楽広場。
交換留学生たちが。
それぞれの世界の音を持ち寄っている。
弦。
金属。
水。
風。
声。
「きれい」
女性が言う。
「ああ」
「あなた、名前は?」
一瞬。
迷う。
「レオン」
「私はナティア」
「どこの世界から?」
「第六百十七世界」
「遠いな」
「距離の基準、分からないけどね」
二人で笑う。
曲が終わる。
「楽しかった」
「ああ」
「また会ったら話そう」
「そうだな」
「じゃあ」
ナティアは。
普通に手を振って。
去っていった。
引き止めない。
俺も。
追わない。
ただ。
知らない相手と。
一曲だけ一緒に聞いた。
それだけ。
◇
次の瞬間。
八人が来た。
「来るのが早い!」
「担当時間が終了しました」
セレス。
「偶然です」
ミレイユ。
「たまたま」
リリス。
「走ってない」
エリナ。
「ご飯の時間」
アウラ。
「市場調査です」
クロエ。
「影から来てない」
ノア。
「私は普通に歩いたわ」
アステラ。
「全員、言い訳を一つずつ用意するな!」
「先生」
セレスが静かに尋ねる。
「先ほどの女性は?」
「祭りで知り合った」
「お名前は?」
「ナティア」
八人が。
一斉に固まる。
「名前を交換」
ノア。
「世界番号も」
クロエ。
「一緒に音楽」
ミレイユ。
「二人で?」
アウラ。
「一曲だけだ」
「先生」
エリナが真剣に尋ねる。
「楽しかった?」
「ああ」
八人の顔が曇る。
「だが」
俺は続ける。
「お前たちの祭りだったから会えた」
全員が止まる。
「俺を呼び込むためではなく」
「ああ」
「八百四十二世界の者が楽しめる祭りを作った」
「ああ」
「だから」
音楽広場。
静かな道。
失敗市場。
植物展示。
食の広場。
失敗していい場所。
予定のない道。
案内板。
「俺も、一人の客として楽しめた」
八人を見る。
「ありがとう」
八人の表情が。
少しずつ変わる。
嫉妬は。
まだ残っている。
だが。
それ以上に。
嬉しそうだった。
「先生」
セレス。
「先ほどの方と、また会いたいと思われますか?」
「会えば話すかもしれない」
「自分から探しますか?」
「今のところは」
一度考える。
「探さない」
八人が。
ほんの少し安心する。
「でも」
「でも?」
「今後、俺が誰かと知り合うことはある」
全員を見る。
「止めるなよ」
「……」
「返事は?」
「努力します」
八人の声が重なった。
「そこは、はいではないんだな」
「先生」
リリスが答える。
「嫉妬するなという命令は無理だ」
「止めるなと言った」
「嫉妬はする」
「牽制も?」
「言葉なら」
「脅すなよ」
「努力する」
これは。
まだ時間がかかりそうだ。
◇
夕方。
祭りは。
大きな事故もなく終わった。
投票箱。
八百四十二世界の参加者たちが。
紙を入れていく。
『また来たい』
『疲れた時、休めた』
『失敗して笑えた』
『知らない味を食べた』
『一人でも祭りへ行けた』
『毒草を覚えた』
『迷わなかった』
『何もない道が楽しかった』
評価は。
順位だけではない。
大量の言葉として。
八人へ返ってきた。
「結果を発表します」
家の声。
八人が。
俺より緊張している。
「先生」
アウラ。
「褒賞、決めた?」
「ああ」
全員がこちらを見る。
「何ですか?」
クロエ。
「優勝者へだけ言う」
「抱擁?」
ミレイユ。
「違う」
「二人きり?」
リリス。
「まだ言わない」
「食事?」
アウラ。
「待て」
『総合評価』
家の壁へ。
数字が浮かぶ。
『第八位』
全員が息を止める。
『該当者なし』
「何?」
セレス。
『八企画すべてが、合格基準を大幅に超えました』
「では」
アステラ。
『順位をつけません』
「家!」
八人の声が重なる。
「人気投票は!?」
『企画目的が競争から協力へ変化したため』
「途中で、ミレイユとノアは共同区画になりました」
クロエが呟く。
『はい』
「私もアステラの案内板を、食の広場へ使った」
アウラ。
「私の失敗市場にも」
クロエ。
「植物展示から、静かな道へ案内した」
リリス。
「予定のない道から、全部の区画へ行けるようにしました」
セレス。
『八企画は、最終的に一つの祭りとして統合されました』
「つまり?」
エリナ。
『全員優勝です』
八人が。
一斉に俺を見る。
「待て」
「先生」
「八人分の褒賞?」
「家!」
『旦那様から、優勝者へ個人的な褒賞を一つ』
「優勝者が八人なら?」
『八名全員が対象です』
「話が違う!」
『規則どおりです』
八人の目が。
輝く。
「先生」
セレスが微笑む。
「八人分」
「何を用意したのですか?」
ミレイユ。
「一つしか考えていない」
「同じものでいい」
リリス。
「八回」
エリナ。
「食べる?」
アウラ。
「褒賞価値が八倍に」
クロエ。
「先生」
ノア。
「逃げる?」
アステラ。
「逃げない」
俺は。
少し考え。
昨日のノートを取り出した。
「褒賞は」
八人が待つ。
「俺から、一人ずつ」
「ああ」
「半日分の予定を空ける」
八人の表情が止まる。
「半日?」
セレス。
「ああ」
「先生と?」
ミレイユ。
「ああ」
「二人で?」
リリス。
「原則は」
全員の目がさらに輝く。
「ただし」
「ただし?」
「俺が何をしたいかも、一緒に考える」
八人が静かになる。
「お前たちが全部決める半日ではない」
「ああ」
「俺も」
一人ずつ見る。
「その相手と、何をしたいか考える」
アステラの顔が。
少し赤くなる。
「それは」
「ああ」
「デート?」
ノアが尋ねる。
俺は。
少し考えた。
以前なら。
即座に否定していただろう。
「そう呼んでもいい」
居間が。
静まり返る。
「先生」
セレスの声が震える。
「今」
「ああ」
「デートと」
「ああ」
「否定されませんでした?」
「ああ」
「一人ずつ?」
「ああ」
「八回?」
「ああ」
八人の顔が。
一斉に赤くなる。
「ただし!」
先に止める。
「婚姻の答えではない」
「ああ」
「評価試験でもない」
「ああ」
「俺自身が」
少し恥ずかしい。
だが。
言う。
「お前たち一人ずつと、普通に出かけてみたいと思った」
誰も。
すぐには騒がなかった。
驚きすぎたらしい。
最初に動いたのは。
ノアだった。
「先生」
「何だ」
「今、抱きついていい?」
「今日は」
少し考える。
「いい」
ノアが抱きつく。
「私も!」
アウラ。
「一人ずつ!」
「今度は順番に意味ある?」
エリナ。
「ない!」
「最初のデートは?」
セレス。
「まだ決めていない!」
「先生」
クロエが。
すでに帳簿へ何か書いている。
「八回の日程調整を」
「予定を全部埋めるな!」
「では一回ずつ相談を」
「それならいい」
「先生」
ミレイユ。
「服装の相談は?」
「自分で選べ」
「先生がお好きなものを」
「俺も当日まで知らなくていい」
「先生」
リリス。
「私との半日は魔界で」
「一緒に決めると言った!」
アステラは。
少し離れた場所から。
俺を見ていた。
「アステラ?」
「何?」
「嬉しくない?」
「嬉しい」
「ああ」
「でも」
彼女は。
少し笑う。
「今度は、レオンが私と何をしたいか聞ける」
「ああ」
「それが」
自分の胸へ手を置く。
「前よりずっと嬉しい」
『中間試験終了』
家の声。
『次課程』
「まだあるのか」
『八名との個別外出』
壁へ。
大きな文字が並ぶ。
『旦那様からの提案を最低一つ含むこと』
『双方が、一度以上相手の提案を断ってもよい』
『相手に合わせるだけではなく』
『二人で予定を作ってください』
八人が。
一斉に俺を見る。
「先生」
セレス。
「最初は?」
また。
その問題か。
俺は八人を見る。
今度は。
くじ引きにはしない。
自分で決める。
「最初は――」
言いかけた瞬間。
家の玄関が開いた。
「失礼します!」
見覚えのない女性が。
息を切らして駆け込んでくる。
「誰だ?」
「第六百十七世界代表、ナティアです!」
俺は固まる。
「今日の」
「あっ」
ナティアも俺を見る。
「レオン!」
八人の空気が。
凍った。
「知り合い?」
セレスが。
笑顔で尋ねる。
「祭りで」
「一曲、一緒に聞いた女性?」
ミレイユ。
「世界番号六百十七」
クロエ。
「調べるなと言っただろう!」
「代表者一覧にございます!」
ナティアは。
八人の空気に気づかないまま。
俺へ紙を差し出した。
「レオン」
「何だ」
「さっき言い忘れたんだけど」
笑う。
「今度、私の世界にも遊びに来ない?」
八人が。
同時に立ち上がった。
だが。
誰も。
ナティアを威嚇しなかった。
国家権力も。
奇跡も。
魔法も。
剣も。
炎も。
金も。
影も。
虚無も使わない。
八人は。
ただ俺を見る。
「先生」
セレスが言う。
「ご自分で」
ミレイユ。
「答えて」
リリス。
「いい」
エリナ。
「嫉妬はする」
アウラ。
「非常に」
クロエ。
「でも」
ノア。
「決めるのは、レオン」
アステラ。
八人が。
完全に同じ側へ立った。
俺を奪われないためではなく。
俺自身に。
選ばせるために。
ナティアが首を傾げる。
「何か、すごい人たちだね」
「ああ」
俺は。
八人を見る。
少しだけ。
嬉しかった。
そして。
ナティアから差し出された招待状を見る。
「第六百十七世界か」
「うん」
「どんな場所だ?」
「来てからのお楽しみ」
「危険は?」
「少し」
「少し?」
「空から魚が降る」
「なぜ」
「季節だから」
「意味が分からない」
「だから面白いよ」
俺は。
八人を見る。
誰も答えを急かさない。
嫉妬で顔は怖いが。
口を挟まない。
「分かった」
ナティアを見る。
「一か月の一人旅を始めた後」
「ああ」
「予定が合えば行ってみたい」
「本当?」
「ああ」
「約束!」
「日程はまだ約束しない」
「じゃあ、候補!」
「それなら」
ナティアは嬉しそうに帰っていく。
玄関が閉じた。
沈黙。
「……」
「……」
「……」
「全員」
俺は八人を見る。
「よく我慢したな」
八人の目から。
同時に涙が出た。
「そんなに!?」
「先生が」
セレス。
「知らない女性の世界へ」
「まだ行くと決めていない」
「予定が合えば」
ミレイユ。
「行ってみたいと」
「一人旅の目的だ」
「分かってる」
リリス。
「でも嫉妬する」
「俺も分かっている」
エリナが。
木剣を握りかけ。
離す。
「戦わない」
「ああ」
アウラが。
俺へ肉を渡そうとして。
止める。
「食べ物で気を引かない」
「ああ」
クロエが。
紙を取り出しかけ。
戻す。
「第六百十七世界への投資で囲い込まない」
「絶対にやるな」
ノアが。
影へ潜ろうとして。
座り直す。
「尾行しない」
「ああ」
アステラが。
最後に言った。
「レオンが」
「ああ」
「私たち以外を見ても」
「ああ」
「私たちを見なくなるとは限らない」
「そのとおりだ」
「でも」
「何だ」
「負けたくない」
「何に?」
八人が。
今度こそ。
同時に答えた。
「レオンに好きになってもらうこと」
俺の顔が。
熱くなる。
「そういうことを、八人同時に言うな!」
『旦那様の照れを確認しました』
「家! 記録するな!」
合同祭は終わった。
八人は。
俺の力を借りず。
八百四十二世界の者たちを楽しませ。
知らない女性が俺へ近づいても。
初めて。
俺自身へ答えを任せた。
そして次から。
俺も。
逃げられない。
八人それぞれと。
一対一で。
半日ずつ。
普通のデートをする。
しかも。
俺自身が。
何をしたいか。
必ず一つ。
提案しなければならない。
世界大戦を止めるより。
たぶん。
難しい。




