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世界を滅ぼす七人の悪女を更生させた俺、死亡したと思われていたら彼女たちが世界大戦を始めようとしていた  作者: てへろっぱ


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20/35

第20話 俺の笑顔が通貨になっていたので、商業王に値札を外させました



『導師レオン様の微笑一回は、金貨二万八千枚相当です』


「俺の表情を通貨にするな!」


『なお、満面の笑顔は通常の微笑とは別商品として扱われます』


「商品ではない!」


『過去の記録から算出した参考価格は、金貨十八万枚です』


「高すぎる!」


「先生」


 クロエが家の壁へ表示された市場報告を見つめる。


 その目は。


 七人の教え子の一人ではなく。


 世界経済の三割を握る商業王のものだった。


「十八万枚は、明らかな過小評価です」


「値上げするな!」


「先生が心から笑われる機会は、非常に希少です」


「普通に笑う」


「昨日一日の記録では、苦笑いが三十二回。呆れ笑いが十一回。純粋な微笑は二回だけです」


「家。数えるな」


『健康状態と幸福度の確認です』


「クロエへ市場資料を渡すな」


『公開情報ではありません』


「では、なぜ知っている」


「家の表情記録を見て、私が計算しました」


「どこから見た!」


「廊下の掲示板です」


「家!」


『旦那様の幸福度を高めるため、共同生活参加者へ一部公開しました』


「今すぐ非公開にしろ!」


『承知しました』


 クロエが小さく息を吐く。


「残念です」


「何に使うつもりだった」


「先生が何をしている時に笑われるか、分析を」


「俺を喜ばせるため?」


「はい」


「それなら悪くないように聞こえるが」


「最も効率のよい行動を、七人とアステラへ販売します」


「商売にするな!」


「情報には価値がございます」


「友人同士で共有しろ」


「競争相手です」


「同じ家に住んでいるだろう」


「同業者が同じ商業区へ出店することもございます」


「婚姻を事業へ例えるな」


 俺は紙を取り出した。


 商業自治領へ行く前に。


 これまでの国以上に。


 細かな規則が必要だ。


「一つ」


 大きく書く。


「俺の表情、言葉、握手、頭を撫でる行為へ値段をつけない」


「先生」


「何だ」


「市場価値が存在するものへ、価格をつけないことは困難です」


「売らない物へ価格は必要ない」


「保険価値の算定には」


「必要ない」


「将来的に先生の公式行事を開催する場合」


「開催しない」


「記念撮影会は?」


「しない」


「講演会」


「内容による」


「参加費は?」


「会場費程度なら」


「先生のお話そのものは無料?」


「ああ」


 クロエの顔が曇る。


「先生」


「何だ」


「ご自分のお時間を安く扱いすぎです」


「困っている者へ話をするのに、金は取らない」


「しかし、先生が一時間話されることで、世界の方針が変わる可能性があります」


「大げさだ」


「現在、七つの国家と八百四十二世界が、先生のお言葉を基準に制度を変更しております」


「勝手に変えているだけだ!」


「それでも価値は発生します」


「クロエ」


「はい」


「価値があることと、売ることは別だ」


 クロエの筆が止まる。


「俺がお前たちと過ごす時間にも、価値はあると思う」


「はい」


「だが、金を払った者から順番に会う気はない」


「……はい」


「金を持っていない者ほど、助けが必要なこともある」


「承知しております」


「なら、俺に値札をつけるな」


 クロエは少し黙った。


「先生ご自身が、価格を望まない」


「ああ」


「市場が高値をつけても?」


「取引を認めない」


「……承知しました」


 紙へ書き込む。


『導師レオン関連の行為、肖像、発言、接触権について、本人の許可なき商品化を禁止』


「少し法律みたいになったな」


「先生の権利を守るためです」


「自治領だけでいい」


「八百四十二世界共通法として提案を」


「広げる前に俺へ聞け」


 クロエの口が止まる。


「失礼しました」


「今、止まれたな」


「はい」


「成長した」


 クロエの顔が少し明るくなる。


「先生」


「頭は撫でない」


「まだ何も申し上げておりません」


「褒められた時の顔が、全員同じなんだ」


「私は、事業評価を求めているだけです」


「では、改善率一・二パーセント」


「低すぎます」


「交渉するな」


「……はい」


「二つ。商品を無料にしない」


「適正価格を設定します」


「ただし、俺に買わせないため、異常に高くするのも禁止だ」


「そのようなことは」


『導師様購入価格として、通常価格の一万倍を設定した店舗が三百二十一店あります』


「家!」


「私は認めておりません」


「止めてくれ」


「商人個人の価格設定へ、商業王が介入することは」


「その言い方、もう何度目だ」


「自由市場は尊重すべきです」


「では、俺は買わない」


「それでは商人たちが悲しみます」


「普通の値段へ戻せば買うかもしれない」


「先生が購入される可能性あり、と市場へ通知します」


「買うと約束はしていないぞ」


「可能性です」


「勝手に先物商品を作るなよ」


 クロエの筆が止まった。


「もうあるのか?」


「先生が最初に購入なさる商品を予想する市場が」


「閉鎖しろ!」


「賭博ではなく、需要予測です」


「俺の買い物を賭けるな!」


「……閉鎖します」


「三つ。俺とクロエの婚姻に関係する株、債券、保険、先物、投資信託を作らない」


 クロエが視線を逸らした。


「いくつある」


「自治領では、正式に認可しておりません」


「非公式には?」


「二千六百銘柄ほど」


「多すぎる!」


「先生と私が婚姻した場合に値上がりする企業」


「どんな企業だ」


「夫婦用家具、婚礼衣装、育児用品、国家間旅行、七冠王国関連――」


「育児用品は早すぎる!」


「市場は未来を先取りします」


「先取りしすぎだ!」


「先生」


「何だ」


「市場参加者の自由な予測まで、止めることはできません」


「商品名へ俺たちの名前を使わせるな」


「商標権として管理します」


「収益化するなよ」


「無断使用料は必要です」


「では、その金は?」


「先生の個人資産へ」


「受け取らない」


「七冠王国の福祉へ寄付します」


「それならいい」


「先生」


「何だ」


「今の基金を、先生と私の共同慈善事業として」


「お前一人の名前でやれ」


「……はい」


 クロエの表情が少し曇る。


「嫌か?」


「先生と一緒に何かを残したいと思いました」


「それなら、俺の名前を使わなくても相談には乗る」


「本当ですか?」


「ああ」


「事業の計画を一緒に?」


「必要な範囲で」


「百年計画も?」


「三十日分から始めろ」


「承知しました」


 嬉しそうに、新しい紙を用意する。


「四つ」


 俺は最後の規則を書く。


「今回の訪問中、俺を客として扱う」


「もちろんです」


「国王でも」


「はい」


「虚無王でも」


「はい」


「商業王の婚約者候補でもない」


 クロエの笑顔が固まる。


「先生」


「何だ」


「最後だけ、完全に否定せず、候補という形を残されましたね」


「共同生活の婚姻審査中だからだ」


「記録しました」


「そこだけ強調するな」


「先生は、一人の旅行者」


「ああ」


「では私は?」


「案内役」


「商業王としてではなく?」


「商業王としてのお前も見たい」


「女性としては?」


「その質問は、訪問が終わってからだ」


「先に評価基準を」


「事業ではない」


「分かりました」


 クロエは。


 少しだけ頬を赤くしながら。


 紙の最後へ署名した。


     ◇


 商業自治領へ同行するのは。


 俺。


 案内役のクロエ。


 護衛役のレオ。


 記録係のリタ。


 いつもの四人。


 境界門の前。


 残る六人とアステラが、出発を見送る。


「先生」


 セレスが財布を確認する。


「銀貨は?」


「五枚ある」


「一日銀貨一枚の規則は?」


「旅費として家から追加された」


『訪問中の食費および交通費として支給しました』


「クロエから借りていない?」


 セレスの視線が厳しい。


「借りていない」


「贈与は?」


「受けていない」


「よろしいです」


「なぜ、お前が確認する」


「クロエに金銭的弱みを握られないためです」


「一枚借りただけだ」


「借金は婚姻交渉へ利用されます」


「しません」


 クロエが答える。


「利息も取っておりません」


「先生との貸借関係が残ること自体に価値を見出しているでしょう」


「返済期限は設定しておりません」


「やはり!」


「帰ったら返す」


「先生」


 クロエが少し悲しそうに俺を見る。


「返済はいつでも構いません」


「今日返す」


「……はい」


 ミレイユは小さな袋を渡す。


「何だ?」


「酔い止めです」


「今回は飛ばない」


「商業自治領の馬車は速いと聞いております」


「速さを競う国ではないだろう」


「時は金なり、という思想がございます」


「普通に走らせるよう言ってくれ、クロエ」


「すでに最高速度を通常の半分へ制限しました」


「通常はどのくらいだ」


「一時間で三百キロメートルほど」


「馬車ではない!」


「境界魔導列車です」


「先に言ってくれ」


 リリスは小さな黒い果物を持っている。


「商人へ見せるなよ」


「どうして」


「価値をつけられる」


「魔界図鑑の一ページ目に載せた花だ」


「果物では?」


「花が実になった」


「商品化の相談か?」


「うむ」


「クロエへ直接渡せ」


 リリスはクロエへ果物を差し出す。


「毒性は?」


「人間が食べると、七日間夢を見なくなる」


「需要はあります」


 クロエが即答する。


「どういう需要だ」


「悪夢に苦しむ方へ」


「副作用は?」


「九日目に、七日分の夢をまとめて見る」


「もっと悪い!」


「改良が必要ですね」


「二人で相談してくれ」


「先生は?」


「専門外だ」


 リリスとクロエが。


 俺を通さず、商品について話し始める。


 以前にはなかった光景だ。


 エリナは柔らかなパンを渡す。


「また?」


「商人の食事は少ないかもしれない」


「偏見だ」


「売ることを優先して、自分で食べない」


 クロエが一瞬だけ目を逸らす。


「クロエ?」


「以前は、そのような時期もございました」


「今は?」


「食事時間を予定へ組み込んでおります」


「睡眠は?」


「一日六時間」


「七人の中で一番まともだ」


 ほかの六人がクロエを見る。


「先生」


 セレスの声が少し低い。


「私も一週間の休暇後は、六時間眠ります」


「それが普通だ」


「私も」


 ミレイユ。


「五時間から始めます」


「最初から六時間にしろ」


「魔族は四時間で十分」


 リリス。


「一週間休暇中だろう」


「図鑑を作る時間が」


「休め」


 クロエが少し誇らしげに微笑む。


「健康管理も、長期的利益に必要ですので」


「そこは立派だ」


 クロエの頬が赤くなる。


 ノアは小さな紙を渡してきた。


「何だ?」


「商業自治領で、誰にも見つけてもらえない人」


「探してほしい?」


「うん」


「ノア自身が行くのでは?」


「今度、クロエに案内してもらう」


「私が?」


 クロエが驚く。


「暗い場所は把握してる?」


「自治領内の貧困地区、地下街、無登録居住区の資料はございます」


「一緒に行く」


「先生抜きで?」


「うん」


「承知しました」


 クロエは、真剣に頷いた。


「私の市場から取り残された方々を、私も知る必要があります」


 アステラは。


 エリナとの水泳練習を終え。


 髪が少し濡れていた。


「三秒より長く潜れたか?」


「十秒」


「すごいな」


「エリナは三十秒」


「一緒に練習した?」


「ええ」


「楽しかったか?」


「少し」


「次は?」


「水の中で目を開けたい」


「頑張れ」


「レオン」


「何だ」


「市場の色を教えて」


「ああ」


「値札の色ではなく」


「分かっている」


「レオンに値札がついていたら?」


「全部外させる」


「私なら買うわ」


「売らない」


「金貨十八万枚より高くても?」


「金額の問題ではない」


「なら、私も売らない」


「何を?」


「レオンとの時間」


「元からお前の所有物ではない」


「でも、少し分かった」


「何が」


「価値があるものほど、売りたくない時がある」


 クロエがアステラを見る。


 その言葉を。


 少し考えるように聞いていた。


     ◇


 商業自治領へ繋がる境界門を抜ける。


 最初に見えたのは。


 巨大な数字だった。


『導師レオン様微笑指数』


「まだあるじゃないか!」


 空に浮かぶ数字。


『二八、〇〇〇』


「閉鎖命令を出したはずです」


 クロエの笑顔が消える。


「商人へ聞く前に怒るなよ」


「はい」


 一人の男が駆け寄ってきた。


 上等な服。


 胸には市場管理官の印。


「商業王クロエ様! 導師レオン様!」


「指数は閉鎖したはずです」


「はい!」


「では、あれは?」


「先生」


 男が空を見上げる。


「閉鎖時の最終価格を、歴史的記録として表示しております」


「消せ」


「ですが、自治領史上最高の注目を」


「本人が望んでいない」


 クロエがはっきり言う。


「市場価値があっても、本人が取引を認めないものを商品にしてはなりません」


 管理官の顔が変わる。


「商業王様が、そのようなことを?」


「何か問題がありますか?」


「以前のクロエ様であれば、価格が存在するなら市場へ出せ、と」


「以前は、そうでした」


 クロエは俺を見る。


 そして。


 空の数字へ戻す。


「今は違います」


「理由を、お聞きしても?」


「先生が嫌だとおっしゃったからです」


「それだけで?」


「十分です」


 管理官は少し驚いた後。


 深く頭を下げた。


「承知いたしました」


 空の数字が消える。


「クロエ」


「はい」


「今のはよかった」


「先生」


「頭は後だ」


「……はい」


 自治領の門。


 巨大な看板には。


『すべてに適正な価値を』


 と書かれていた。


 その下。


 小さな紙が何百枚も貼られている。


『導師様の笑顔を買い取ります』


『握手一回、金貨三万枚』


『褒め言葉、高価買取』


『頭を撫でられる権利、入札受付中』


「全部剥がせ!」


 商人たちが物陰から飛び出した。


「申し訳ございません!」


「捨てないでください!」


「記念に一枚だけ!」


「商品化しないなら、個人の紙まで止めない」


「先生」


 クロエが確認する。


「本当に?」


「ああ。ただし、俺は取引しない」


「承知しました」


 商人の一人が手を上げる。


「では、無料で笑っていただくことは?」


「笑わせられたらな」


 商人たちの目が輝く。


「喜劇師を!」


「珍しい商品を!」


「導師様が笑う商談を!」


「笑わせるために無理をするな!」


 街中の商人が。


 俺を笑わせようと動き始めた。


 過剰歓迎を禁止しても。


 商人の自主性は止まらない。


「先生」


 クロエが少し申し訳なさそうに言う。


「商業自治領では、機会を見つければ商売へ変えることが美徳です」


「俺を機会にするな」


「はい」


「クロエが止めてくれるか?」


「本人の希望を説明します」


「命令ではなく?」


「はい」


 クロエは。


 一軒ずつ。


 店主へ話をし始めた。


「先生は、笑顔を売りたくないとおっしゃっています」


「しかし、需要が!」


「需要があっても、供給者が望まなければ取引は成立しません」


「商業王様が、そのような甘いことを」


「甘さではありません」


 クロエの声は穏やかだった。


「同意のない取引は、商売ではなく略奪です」


 店主が黙る。


「先生の笑顔が価値あるものだと思うのであれば」


 クロエは続ける。


「価格をつけるのではなく、先生が自然に笑える街を作ってください」


 周囲の商人たちが。


 少しずつ頷いた。


「それなら、よい市場になるな」


 俺が言う。


 クロエが振り返る。


「先生」


「ああ」


「今、笑われましたか?」


「少しな」


 誰かが紙へ数字を書こうとした。


「価格をつけるな!」


 紙がすぐに破られた。


     ◇


 商業自治領は。


 巨大な一つの市場だった。


 地上。


 地下。


 空中。


 境界門の向こう。


 八百四十二世界の商品が並んでいる。


 魔界の花。


 帝国の織物。


 神殿の薬。


 勇者連合の武具。


 竜族の鱗。


 機械世界の部品。


 光世界の灯り。


 水世界の液体食。


「全部、クロエが?」


「最初は、小さな市場でした」


「十年前は?」


「帝国と魔界の国境にあった、交易所です」


 セレスとリリスが。


 互いの国へ物を売りたくない。


 だが。


 必要な薬や食料はある。


「私が間へ入りました」


「利益を取った?」


「はい」


「正直だな」


「危険な地域での輸送には費用が必要です」


「どのくらい」


「最初は、通常価格の十倍」


「高い!」


「戦争中でしたので」


「買えない者もいただろう」


「はい」


 クロエの表情が少し曇る。


「私は、払えない者へ商品を渡しませんでした」


「商人としては普通かもしれない」


「先生なら、渡しました」


「必要ならな」


「私は、先生のようにはできませんでした」


 市場の中央。


 巨大な建物へ入る。


 看板には。


『再出発取引所』


「何をする場所だ」


「支払えなくなった者が来る場所です」


「借金の?」


「借金。事業失敗。病気。戦争。災害。さまざまです」


 中には。


 商人だけではない。


 元兵士。


 農民。


 職人。


 子供を抱えた女性。


 異世界から流れ着いた者。


 受付で。


 自分が困っていることを話している。


「金を貸すのか?」


「必要であれば」


「利息は?」


「原則、取りません」


「クロエが?」


「驚きすぎではありませんか?」


「商業王だぞ」


「利益の出ない取引もございます」


「どうして」


「以前」


 クロエは。


 一つの受付を見る。


「病気の子供を持つ男性が、薬を買いに来ました」


「金がなかった?」


「はい」


「渡さなかった?」


「商品ですので」


 クロエは。


 その言葉を。


 自分へ言い聞かせるように繰り返した。


「翌日、男性は戻ってきませんでした」


「子供は?」


「亡くなりました」


 市場の音が。


 少し遠くなる。


「私は、悪くないと思いました」


「ああ」


「薬を作った者にも。運んだ者にも。代金を受け取る権利があります」


「そうだな」


「無料で渡し続ければ、次の薬が作れません」


「それも正しい」


「ですが」


 クロエの手が僅かに震える。


「父親が、子供の服を売って薬代を作ろうとしていたと、後から知りました」


「……」


「私は、その服の価値を低いと判断しました」


「商品としては?」


「はい」


「だが、父親には?」


「すべてでした」


 クロエは目を閉じる。


「私は、物の値段は分かっても」


「ああ」


「その人にとっての価値が、分かりませんでした」


 再出発取引所。


 物の値段だけではなく。


 なぜ必要なのか。


 何ができるのか。


 何を失いたくないのか。


 一人ずつ話を聞く。


「それで、無料にした?」


「いいえ」


「違うのか」


「すべて無料にすれば、支える側が続きません」


「ああ」


「ですから」


 クロエは建物を見回す。


「金銭以外の支払い方法を増やしました」


 薬を必要とする者が。


 今すぐ金を持っていなければ。


 将来。


 できる仕事で返す。


 取引所で働く。


 別の困っている者を助ける。


 返せない事情があれば。


 それも話し合う。


「踏み倒す者もいるだろう」


「おります」


「怒らないのか?」


「以前は、追跡して全額回収しました」


「今は?」


「事情を調べます」


「単に払いたくない者なら?」


「通常の法で対応します」


「本当に払えない者なら?」


「返済方法を変えます」


「それでも無理なら?」


「損失として処理します」


「商業王が損を認めるのか」


「損失を恐れて、すべての可能性を捨てるほうが大きな損です」


 クロエは一人の女性へ近づく。


 片脚が機械の義足。


 机で、帳簿を書いていた。


「彼女は?」


「元は、私へ多額の借金をしていた商人です」


 女性が顔を上げる。


「商業王様」


「今日は案内役です」


「では、クロエさん」


 女性は俺へ頭を下げた。


「レオン様ですね」


「ああ」


「クロエさんを育ててくださり、ありがとうございます」


「今のクロエを作ったのは、クロエ自身だ」


 女性が少し驚き。


 微笑む。


「その言い方も、クロエさんから聞きました」


「借金は?」


 俺が尋ねる。


「元金貨二十万枚です」


「大きいな」


「船を三隻沈めました」


「事故?」


「私の判断ミスです」


「どうして今ここで働いている」


「最初は、すべてを失いました」


 家。


 店。


 信用。


 さらに事故で片脚。


「死のうとしました」


 クロエの表情が僅かに固くなる。


「クロエさんは」


 女性が続ける。


「私へ、死ぬなら先に借金を返してください、と言いました」


「クロエ」


「当時は、どのような言葉をかければよいか分かりませんでした」


「厳しいな」


「でも」


 女性は笑う。


「その後、毎日来ました」


「借金の催促に?」


「最初はそうです」


「最初は?」


「三日目から、食事を持って」


 クロエが視線を逸らす。


「効率的な回収のため、健康維持が必要でした」


「七日目には、義足を」


「働いて返済していただくためです」


「十日目には、仕事を」


「返済計画です」


「それで?」


「私は生きることにしました」


 女性は帳簿へ手を置く。


「今は、同じように失敗した商人の相談を聞いています」


「借金は返した?」


「あと金貨十八万枚です」


「ほとんど残っている!」


「給料から少しずつ」


「完済まで何年だ」


「百二十年ほど」


「人間の寿命では無理だろう」


「はい」


「クロエ」


「返せる範囲で、という契約へ変更しました」


「残りは?」


「彼女がほかの者を助けることで、返済とみなします」


「金銭ではなく?」


「はい」


 クロエは。


 少し恥ずかしそうに言った。


「価値は、金貨だけでは測れないと学びました」


「誰から?」


「彼女たちからです」


「俺ではなく?」


「先生が最初に教えてくださいました」


「ああ」


「ですが、理解するまで十年かかりました」


 俺は。


 再出発取引所を見回す。


 失敗した者。


 払えない者。


 働けない者。


 ただ、無償で救う場所ではない。


 もう一度。


 自分で生きる方法を。


 一緒に探す場所。


「立派な市場を作ったな」


「市場?」


「ああ」


「ここは、利益がほとんど出ません」


「金以外の価値を交換している」


 仕事。


 時間。


 技術。


 助け。


 信用。


 もう一度立ち上がる機会。


「お前にしか作れない市場だ」


 クロエの瞳が揺れる。


「先生」


「何だ」


「今の言葉を、もう一度」


「お前にしか作れない、立派な市場だ」


「商業王として?」


「ああ」


「女性としては?」


「金で何でも解決しようとしていたお前が」


 俺は答える。


「金で測れないものを守るため、十年かけて制度を作った」


「はい」


「今のクロエを、一人の女性として誇りに思う」


 クロエの手から。


 帳簿が落ちた。


「先生」


「何だ」


「誇りに?」


「ああ」


「私を?」


「ああ」


「商業王ではなく?」


「一人の女性としてもだ」


 クロエの頬が。


 少しずつ赤くなる。


「先生」


「何だ」


「今のお言葉へ価格を」


「つけるな」


「保存価値だけでも」


「つけるな」


「……はい」


 クロエは自分の胸へ手を当てた。


「私だけのものとして、記憶します」


「それならいい」


「先生」


「まだ何か?」


「今、抱きついてもよろしいでしょうか」


「ここは仕事場だ」


「では、帰ってから」


「その時に聞け」


「承知しました」


 素直に引いた。


 だが。


 顔は、今まで見たことがないほど嬉しそうだった。


     ◇


 再出発取引所の奥。


 小さな部屋へ案内された。


 棚には。


 大量の品物が並んでいる。


 古い靴。


 欠けた食器。


 子供の服。


 手紙。


 壊れた玩具。


「売り物か?」


「いいえ」


「では」


「持ち主が、失いたくないと申し出た物です」


「借金の担保?」


「担保にはしません」


「どうして預かる」


「失敗した者は、生活のために大切な物まで売ろうとします」


「ああ」


「後で必ず後悔する物は、ここで一時的に預かります」


「無料で?」


「少額の保管料だけ」


「払えない者は?」


「別の仕事で」


 クロエは。


 小さな子供服の前へ立つ。


「これが」


「あの父親の子供の服か?」


「はい」


「買い取ったのか」


「後から探しました」


「父親は?」


「今は別の街で暮らしています」


「服を返した?」


「断られました」


「どうして」


「自分が持つと、子供を思い出して生きられないと」


「それで、ここに?」


「はい」


 クロエは。


 服へ触れず。


 ただ見ている。


「先生」


「何だ」


「私は、この服へ価格をつけられません」


「つけなくていい」


「商人なのに?」


「売らない物だろう」


「はい」


「なら、値段は必要ない」


「私には」


 クロエの声が僅かに震える。


「それが分かるまで、時間がかかりました」


「分かったなら十分だ」


「子供は戻りません」


「ああ」


「私が早く理解していれば」


「ああ」


「救えたかもしれません」


「そうかもしれない」


 否定はしない。


 だが。


「今は、同じことを繰り返さないために、この場所がある」


「はい」


「過去を金で買い戻すことはできない」


「はい」


「だが、今の誰かへ機会を渡すことはできる」


「はい」


「お前は、それを続けている」


 クロエは。


 静かに涙を拭った。


「先生」


「何だ」


「私は、よい商人になれましたか?」


「ああ」


「世界一でしょうか」


「そこは競うのか」


「商人ですので」


「俺の知る中では、一番だ」


「先生の知る中で」


「ああ」


「十分です」


     ◇


 昼食は。


 自治領最大の高級店ではなく。


 再出発取引所の共同食堂で取った。


「先生」


 クロエが席へ案内する。


「一食、銅貨三枚です」


「安いな」


「食べられる者が、少し多めに支払う仕組みです」


「払えない者は?」


「皿洗いなどで」


「無料ではない」


「本人が、何かを返したいと希望する場合だけです」


「希望しない者は?」


「食べていただきます」


「変わったな」


「先生なら、そうされます」


「俺を理由にするな」


 クロエが少し考える。


「私も、空腹の者へ食べてほしいと思います」


「それでいい」


 料理は。


 野菜のスープ。


 柔らかなパン。


 少量の肉。


 豪華ではないが、うまい。


「店の名前は?」


『明日の皿』


「どうして?」


 食堂の女性が答える。


「今日、食べられれば」


 スープを机へ置く。


「明日、もう一度やり直せるかもしれないからです」


「よい名前だ」


「ありがとうございます」


「この料理もうまい」


 女性の顔が明るくなる。


「クロエ」


「はい」


「これは価格をつけてもいい褒め言葉だぞ」


「先生」


「冗談だ」


「金貨で換算しますと」


「するな!」


 周囲の者たちが笑った。


 俺も笑う。


 食堂が。


 さらに明るくなる。


 誰も。


 金貨二万八千枚とは言わなかった。


 それが。


 少し嬉しかった。


     ◇


 午後。


 商業自治領の中央取引所。


 世界中の価格が決まる場所。


 巨大な掲示板。


 無数の商人。


 叫び声。


 紙。


 数字。


「先生」


 クロエが言う。


「こちらが、私の戦場です」


「戦わないんじゃないのか?」


「比喩です」


「エリナなら本当に戦いそうだ」


「以前、相場へ腹を立て、掲示板を斬りました」


「何をしているんだ」


「弁償していただきました」


「よかった」


 取引所の中央。


 鐘が鳴る。


「何が始まる」


「戦争世界の企業転換計画が、初めて市場へ公開されます」


「ガルナの世界か」


「はい」


 武器工房。


 軍用輸送。


 保存食。


 鉱山。


 戦争が終われば失われる仕事を。


 農具。


 災害救助。


 世界間物流。


 建築。


 別の産業へ変える計画。


「先生」


「何だ」


「投資を開始しても?」


「俺へ聞く必要はない」


「私自身の望みです」


「ああ」


「ですが、失敗する可能性が高い」


「怖いか?」


「非常に」


 クロエは。


 市場へ並ぶ数字を見る。


「戦争を続けたほうが、短期的な利益は大きいです」


「ああ」


「平和になれば、武器の価値は下がる」


「ああ」


「計画が失敗すれば、金貨数千万枚を失います」


「やめる?」


「いいえ」


 クロエは首を振る。


「誰も見たことのない、戦争後の市場を見たい」


「自分で見つけた望みだな」


「はい」


「なら、やってみろ」


「先生が損失を補填してくださることは?」


「しない」


「相談は?」


「する」


「失敗した時、話を聞いてくださいますか?」


「ああ」


「それで十分です」


 クロエが手を上げる。


「商業王クロエ・ヴァレンティアの個人資産より、初期投資金貨三千万枚」


 取引所が。


 静まり返る。


「商業王様が!」


「戦争終結へ投資を!」


「利益が不確定な市場へ!」


 クロエは迷わない。


「利益は、私が作ります」


 その声に。


 一人。


 二人。


 投資を申し出る商人が現れる。


 次々に。


 金額が積み上がる。


 戦争を続けるほうが儲かる世界から。


 戦争を終わらせても生きられる世界へ。


 最初の金が。


 流れ始めた。


「クロエ」


「はい」


「格好よかった」


 クロエの動きが止まった。


「先生」


「何だ」


「女性として?」


「商業王としても。一人の女性としても」


「……」


「クロエ?」


「先生」


 顔が真っ赤だ。


「今の発言を撤回なさらないでください」


「撤回しない」


「家」


『記録しました』


「家!」


「今回は保存だけです!」


「公開するなよ!」


『旦那様の許可なく公開しません』


「成長したな、家も」


     ◇


 夕方。


 地下都市へ戻る前。


 クロエが、自分の住居へ案内した。


 商業王の家。


 どれほど豪華なのかと思っていたが。


「小さいな」


「寝る場所があれば十分です」


 机。


 寝台。


 本棚。


 金庫。


 部屋は整っている。


 だが装飾は少ない。


「城は?」


「自治領に城はございません」


「商業王の宮殿は?」


「宿泊施設を所有しておりますが、普段はここです」


「どうして」


「大きな家は、管理費がかかります」


「お前らしい」


 机の上。


 一冊の帳簿。


「これは?」


「先生がいなくなってから、使った金の記録です」


「何に」


「先生を探すために」


 境界門の調査。


 情報収集。


 古代遺跡の発掘。


 死者蘇生研究。


 予言者。


 錬金術師。


 虚無の探索。


「総額は?」


「国家予算百年分ほどです」


「使いすぎだ!」


「先生を見つけられるなら、安いと思いました」


「見つからなかった」


「はい」


「後悔している?」


「いいえ」


 即答だった。


「ですが」


 次の帳簿を開く。


「途中で、金では先生を取り戻せないと理解しました」


「それで?」


「先生が帰ってきた時に」


 クロエは。


 少し恥ずかしそうに言う。


「お金で買えないものを、一つでも多く残そうと思いました」


 再出発取引所。


 明日の皿。


 戦争後の市場。


 値段をつけない保管庫。


「全部、俺のためだった?」


「最初は」


「今は?」


「今は」


 クロエは窓から自治領を見る。


「私が、この街を好きだからです」


「そうか」


「失敗しても、もう一度店を開ける街」


「ああ」


「金がなくても、話を聞いてもらえる街」


「ああ」


「価値が分からない物を、無理に売らなくてもよい街」


「ああ」


「私は、この市場をもっと見たい」


「俺がいなくても?」


「はい」


「立派な望みだ」


 クロエが俺を見る。


「先生」


「何だ」


「帰宅後に聞く約束でしたが」


「ああ」


「今、抱きついてもよろしいでしょうか」


「今日はお前の国を見た日だ」


「はい」


「少しだけなら」


 クロエは。


 ゆっくり近づく。


 いつもの商業王らしい笑顔ではない。


 取引条件を探す目でもない。


 ただ一人の女性として。


 俺へ腕を回した。


「先生」


「何だ」


「今だけは」


「ああ」


「値段のつかない時間にします」


「元から値段はない」


「はい」


 力は弱い。


 腕輪で普通の女性と同じ。


 だが。


 少しだけ震えていた。


「よく頑張ったな」


「はい」


「十年間」


「はい」


「金で買えないものまで、守ろうとした」


「はい」


「俺は、今のクロエを好きになれそうだと思う」


 腕に力が入る。


「先生」


「まだ、なれそうだ」


「はい」


「結婚の答えでもない」


「はい」


「それでも?」


「今は、それで十分です」


 商業王は。


 利益を求めず。


 ただ数秒。


 俺を抱いていた。


     ◇


 地下都市へ戻る。


 境界門の前。


 残る六人とアステラが待っている。


「お帰りなさいませ、先生」


「ただいま」


「商業自治領はいかがでしたか?」


 セレスが尋ねる。


「何にでも値札をつける街だと思っていた」


「違いましたか?」


「ああ」


「クロエは?」


「立派な商業王だった」


 クロエが一歩前へ出る。


「先生から、一人の女性として誇りに思うと」


 空気が止まる。


「さらに」


「クロエ」


「今の私を好きになれそうだと」


「そこまで報告するな!」


 クロエは微笑む。


「情報は、正確に共有する必要があります」


「都合のいい時だけ共有するな」


「先生」


 ノアが俺の袖を引く。


「次は、私」


「ああ」


「影の国」


「どこにある」


「秘密」


「案内するんだろう」


「うん」


「どうやって行く」


「目隠し」


「必要なのか?」


「場所を知る人を増やせない」


「俺にも?」


「先生なら教えてもいい」


「では、目隠しはいらないだろう」


「でも」


 ノアが少し困った顔になる。


「私が先生の手を引いて歩きたい」


「そちらが目的か!」


「少し」


「普通に案内しろ」


「……分かった」


『次回、影の女王ノア様による影国御案内について』


 家の壁へ。


 新しい通信が表示される。


『導師レオン様の御来訪に際し、影国では一切の歓迎行事を行いません』


「今度こそ普通か」


『国民は全員、普段どおり姿を隠します』


「誰にも会えないじゃないか!」


『街の位置、人口、施設、道路、建物もすべて非公開です』


「何を見ればいい!」


『導師様には、何も存在しないように見える国を御覧いただきます』


「案内になっていない!」


 ノアは。


 少しだけ俺の後ろへ隠れた。


「先生」


「何だ」


「みんな、人に見られるのが怖い」


「ああ」


「でも、先生には見てほしい」


「どうする」


「一人ずつ、聞く」


「姿を見せてもいいか?」


「うん」


「ノアが命令するのではなく?」


「うん」


 影の女王は。


 自分の国民を。


 無理に光の下へ出そうとはしない。


「それなら、俺も待つ」


「本当?」


「ああ」


「誰も出てこなかったら?」


「お前の話を聞く」


「それだけ?」


「お前が十年間、何をしてきたか知りたい」


 ノアは。


 少しだけ笑った。


「分かった」


 次は。


 世界中の秘密と。


 誰にも見つけてもらえない者を抱える。


 影の国。


 ただし。


 訪問前日の夜。


 俺が自分の寝室へ入ると。


 壁。


 床。


 天井。


 家具の隙間。


 部屋中の影から。


 小さな声が響いた。


「影国一同」


「導師様の御来訪を」


「心より歓迎します」


「もう全員、家に来ているじゃないか!」


 暗闇の中。


 何百もの目が。


 一斉に瞬いた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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