第19話 飛べない竜の谷へ行ったら、竜王が空を捨てた理由を知った
『導師レオン様を背へお乗せする名誉を公平に決めるため、竜一万二千頭による抽選を行います』
「乗らない!」
『抽選方法は、空から巨大な岩を落とし、最も近くで受け止めた竜を勝者とします』
「危険すぎる!」
「竜族では普通」
アウラが答えた。
「普通を見直せ!」
通信具の向こうから、低く響く竜族の声が返ってくる。
『では、岩の大きさを半分へ変更いたします』
「大きさの問題ではない!」
『落下高度を千メートルから五百メートルへ』
「落とすな!」
『しかし、導師様をお乗せする竜を、どのように選べば』
「選ばなくていい。俺は誰にも乗らない」
「先生」
アウラが、俺の袖を掴んだ。
「竜の国は、空から見ないと分からない」
「本当に必要なのか?」
「うん」
「馬車では?」
「道がない場所が多い」
「飛行艇は?」
「竜の都で飛行艇に乗ると、みんなが悲しむ」
「どうして」
「竜がいるのに、機械を選んだと思う」
「面倒な誇りだな」
「先生」
アウラは自分の胸へ手を置いた。
「私が乗せる」
「抽選へ参加しないのか?」
「私は竜王」
「特権を使うな」
「国家権力じゃない」
「では、どういう理由だ」
「先生が、私の国を見たいと言った」
「ああ」
「私が案内役」
「ああ」
「空も、私が案内する」
理屈は通っている。
「安全に飛べるのか?」
「落とさない」
「急降下は?」
「しない」
「空中で回転は?」
「しない」
「ほかの竜と競争は?」
「しない」
「火は?」
「吐かない」
「俺を爪で掴んで運ぶのは?」
「背中」
「口へ入れるのは?」
「しない」
「どうして少し迷った」
「一番安全」
「絶対にやめろ」
「分かった」
家の壁へ文字が浮かぶ。
『竜王アウラへの限定変身許可を準備します』
「限定?」
『竜形態への変身および通常飛行のみ許可します』
「戦闘能力は?」
『封印を継続します』
「炎は?」
『使用できません』
「急加速、急旋回、急降下も制限します』
アウラの顔が曇る。
「遅い」
「安全第一だ」
「先生に、私の本当の速さを見せたい」
「今日は競争ではない」
「一回だけ」
「駄目だ」
「……分かった」
『さらに、旦那様用の安全鞍を用意します』
「鞍?」
アウラの尻尾が止まった。
『背もたれ、安全帯、落下防止結界、緊急転移機能付きです』
「いらない」
「俺はいる」
「先生は私の背中を掴む」
「鱗で滑るだろう」
「角を掴む」
「角へ力をかけて大丈夫なのか?」
「先生ならいい」
「俺が不安だ」
『安全鞍を採用します』
「家」
『安全上必要です』
「先生」
「駄目だ」
「……分かった」
アウラは、世界の終わりを告げられたような顔をした。
「そこまで嫌か?」
「先生が私に乗るのに、鞍へ掴まる」
「お前にも乗っているだろう」
「私を抱いてない」
「竜の背中へ抱きつけるか!」
「首なら」
「太すぎる」
「人の姿で先に抱いてから飛ぶ?」
「話が変わっているぞ」
◇
竜の都を訪れる前に。
俺は、アウラと規則を決めた。
「一つ。岩を落とす抽選は禁止」
「伝えた」
「本当に?」
「普通の女としてお願いした」
「反応は?」
「岩は、もう山から切り出した後だった」
「戻させろ」
「建物に使う」
「無駄にならないならいい」
「先生の像を作りたいと」
「駄目だ!」
「分かった」
「二つ。竜一万二千頭で一斉に飛ばない」
「どうして?」
「空が埋まるだろう」
「きれい」
「危険だ」
「ぶつからない」
「落ちてくる鱗だけでも、人間には危ない」
「では、地上で待つ」
「全員が巨大な竜の姿で?」
「うん」
「道が塞がらないか?」
「竜の都の道は広い」
「一万二千頭分も?」
「たぶん」
「不安だな」
「小さい竜は建物の上」
「飛ばない規則は?」
「先に上って待つ」
「そこまでして全員で迎えなくていい」
「みんな、先生を見たい」
「普段の暮らしを優先してくれ」
「伝える」
「三つ。財宝を贈らない」
アウラの顔が曇る。
「竜族の歓迎」
「俺の家に置く場所がない」
「地下は広い」
「家」
『財宝保管庫を増設可能です』
「増設するな!」
「先生」
「駄目だ」
「一枚だけ」
「何を?」
「金貨」
「普通の金貨なら記念に自分で買う」
「竜王の宝物から」
「受け取らない」
「宝石は?」
「受け取らない」
「魔剣」
「受け取らない」
「竜の卵」
「もっと受け取れない!」
「先生なら育てられる」
「親から離すな」
「捨てられた卵なら?」
「それは事情を聞く」
アウラが、少し真剣な顔になった。
「分かった」
「四つ。婚姻に関する歓迎をしない」
「竜族に婚姻はない」
「また、その言い方か」
「番になる」
「番の儀式は?」
「互いの巣へ宝を運び、同じ炎で焼く」
「するな」
「炎は家が封じる」
「そういう問題ではない」
「先生の巣は、私の家」
「違う」
「今は同じ家」
「共同生活中だ」
「番の試験?」
「婚姻審査ではあるが」
「なら」
「竜族の儀式はしない」
「……分かった」
「最後」
俺は紙へ書く。
「飛べない竜の谷では、俺を特別扱いしない」
アウラの表情が変わった。
「先生」
「何だ」
「どうして?」
「そこに暮らす者を見たいからだ」
「みんな、先生を歓迎したい」
「俺を見るために、普段の生活を変えてほしくない」
「でも」
「お前が十年間、何をしてきたか知りたい」
アウラは黙った。
「俺へ見せたい場所なんだろう?」
「うん」
「なら、お前の普段の姿を見せてくれ」
「分かった」
「不安か?」
「少し」
「どうして」
「先生に、強い竜王だと思ってほしい」
「飛べない竜の谷を作ったことは、弱さなのか?」
「分からない」
「だから見に行く」
アウラは、ゆっくり頷いた。
◇
出発当日。
境界門の前。
残る六人とアステラが、いつものように並んでいた。
セレス、ミレイユ、リリスは休暇中。
三人とも休むよう命じられているが。
セレスは空待花の世話。
ミレイユは機械修理。
リリスは魔界植物図鑑。
それぞれ、自分で見つけた望みへ時間を使っていた。
「先生」
セレスが小さな布を渡す。
「何だ?」
「鞍へ敷くための布です」
「家が用意する」
「帝国最高級の布ですので、長時間座られてもお体へ負担が」
「竜へ乗るのは短時間だ」
「尻が痛くなるかもしれない」
リリスが言う。
「先生の尻を心配するな!」
「長時間、硬い鱗へ座るのだろう」
「鞍がある」
「先生」
アウラがセレスの布を見る。
「私の鱗は硬くない」
「竜王の鱗が柔らかいのですか?」
「先生が座るところだけ柔らかくする」
「無理をするな」
「できる」
「鞍を使う」
アウラの尻尾が下がる。
「先生」
ミレイユが薬を渡す。
「高所で気分が悪くなった時に」
「酔い止めか?」
「はい」
「ありがとう」
「飛行前に一錠」
「説明書どおりにする」
「今回は同じです」
「成長したな」
ミレイユが少し屈む。
「頭を撫でる流れではない」
「残念です」
エリナは。
帰還院からもらった柔らかなパンを渡した。
「空で食べる?」
「落とすから食べない」
「谷の子供へ」
「俺から?」
「先生とアウラから」
「作った者の名前を伝えて渡す」
「うん」
クロエは、分厚い資料を差し出す。
「竜族との交易記録です」
「またか」
「飛べない竜の谷では、地上輸送設備が不足しております」
「見たことがあるのか?」
「竜族から相談を受けました」
「アウラは知っている?」
「知らない」
アウラが資料を見る。
「なぜ、私に先に言わなかった」
「竜族の方々が、竜王様へ頼る前に自分たちで解決したいと」
「……」
「今回は、先生にお渡しするのではなく」
クロエは資料をアウラへ差し出した。
「谷を御覧になった後、アウラ自身が必要だと思えば相談してください」
アウラは資料を受け取る。
「勝手に作らない?」
「はい」
「私が頼んだら?」
「採算と住民の希望を確認します」
「分かった」
アウラは資料を大切そうに抱えた。
ノアは、俺ではなくアウラへ近づいた。
「何?」
アウラが尋ねる。
「飛べない竜」
「うん」
「暗い場所へ隠れてる子もいる?」
「いる」
「話を聞きたい」
「来る?」
「今度」
ノアは少し考える。
「先生なしでも」
アウラの目が大きくなる。
「ノアが、一人で?」
「アウラもいる」
「うん」
「案内して」
「分かった」
俺が言わなくても。
七人同士で、新しい約束を作っている。
「アステラは?」
「今日は水世界の準備よ」
「泳ぎの?」
「エリナと一緒に、水へ顔をつける練習をしたわ」
「できたか?」
「三秒」
「十分だ」
「レオン」
「何だ」
「空から見た色を、帰ったら教えて」
「ああ」
「竜の背に乗るのは、怖くない?」
「少しは」
「アウラ」
アステラが竜王を見る。
「落とさないでね」
「落とさない」
「急に自分だけ先生と空を飛べることが嬉しくなって、回転しないで」
「……しない」
「今、少し迷ったな」
◇
竜の都へ繋がる境界門を抜ける。
最初に感じたのは。
振動だった。
地面が。
一定の間隔で、僅かに揺れている。
「地震か?」
「違う」
アウラが答える。
「みんなの呼吸」
「呼吸だけで地面が揺れるのか?」
「竜だから」
門の外へ出る。
「……多いな」
谷。
山。
巨大な岩場。
どこを見ても、竜がいた。
赤。
青。
緑。
白。
黒。
金。
大きな竜。
小さな竜。
角のある竜。
羽毛のある竜。
翼が四枚ある竜。
翼のない竜。
すべて地上へ伏せている。
一万二千頭。
本当に全員が待っていた。
「道は?」
「ここ」
アウラが指さす。
「竜の腹の下じゃないか」
「通れる」
「いつ動くか分からないだろう!」
道の上へ横たわる巨大な竜が、申し訳なさそうに体をずらす。
尻尾が、別の道を塞いだ。
「申し訳ございません、導師様」
声だけで風が起きる。
「普通に暮らしてくれと言っただろう」
「はい」
「では、どうして全員ここに」
「普段どおりの姿で、静かにお待ちしております」
「待つこと自体が普段ではない!」
別の竜が、小声で言った。
「我々の小声でも、山が揺れるため、呼吸だけに留めております」
「無理をするな」
「話しても?」
「もちろんだ」
一万二千頭の竜が。
一斉に息を吸った。
「待て!」
俺は慌てて手を上げる。
「一頭ずつでいい!」
呼吸が止まる。
風圧で、俺の髪と服が大きく揺れた。
「導師様」
先頭にいた老竜が、ゆっくり頭を下げる。
「竜の都へ、ようこそ」
「ああ。今日は頼む」
老竜の目が潤む。
「我らの姿を見ても、逃げられぬのですね」
「境界門は後ろにあるが」
「先生」
アウラの声が低くなる。
「冗談だ」
「怖くないのか?」
老竜が尋ねる。
「大きさには驚いた」
「ああ」
「でも、アウラより少し小さい」
周囲の竜たちがざわめく。
「竜王様より?」
「導師様は、竜王様の真の御姿をご覧になったことが?」
「昔、何度か」
「背にも?」
「子供の頃にな」
アウラの尻尾が嬉しそうに地面を叩く。
大地が揺れる。
「アウラ」
「まだ人の姿」
人間の姿のままなのに。
尻尾だけで、石畳へ亀裂が入った。
「腕輪を着けていても強いな」
「嬉しい」
「褒めていない」
竜たちの後ろには。
巨大な布に覆われた山が、いくつもあった。
「何だ、あれ」
「普通の山です」
老竜が答える。
「布を被せる山があるか」
「自然景観を守るためです」
「布を取ってくれ」
「しかし」
「財宝だろう」
老竜が黙る。
風で布の端がめくれた。
金貨。
宝石。
魔剣。
巨大な王冠。
金でできた船。
一つの山全体が、財宝だった。
「贈り物は禁止したはずだ」
「贈っておりません」
「では、どうしてここに」
「普段から、この場所へ保管しております」
「境界門の前に?」
「昨日、移動しました」
「それを贈る準備と言う!」
「見るだけでも」
「財宝は後で、アウラから文化として説明してもらう」
老竜の顔が明るくなる。
「導師様が、我らの宝を御覧になる!」
「見るだけだぞ」
「ただちに全財宝を並べます!」
「並べなくていい!」
「大きい順で?」
「布を戻せ!」
◇
竜の都は。
地上から見ても、全体が分からなかった。
山の斜面。
崖の内側。
雲の上。
巨大な巣と建物が、何層にも重なっている。
「先生」
アウラが俺を見る。
「飛ぶ」
「ああ」
『竜王アウラへの限定変身許可を開始します』
家の声。
アウラの腕輪が光る。
人間の姿が、強い光へ包まれた。
体が大きくなる。
腕が前脚へ。
背から巨大な翼。
尻尾が伸び。
厚い鱗が日の光を返す。
数秒後。
目の前に。
山と見間違えるほど巨大な竜が立っていた。
「久しぶりに見ると、やはり大きいな」
『先生』
声が頭の中へ届く。
「直接話せるのか」
『大きな声を出すと、先生が飛ぶ』
「それは困る」
家から伸びた木の枝が。
アウラの背へ安全鞍を取りつける。
『邪魔』
「必要だ」
『先生が首へ』
「鞍だ」
『……分かった』
レオが俺を見る。
「俺も乗るのか?」
「護衛だろう」
「お前と同じ顔の男が、巨大な竜へ二人で乗るのか」
「嫌か?」
「かなり」
「俺は乗らないのですか?」
リタが尋ねる。
「家と一緒に地上から移動してくれ」
「残念です」
「帰りに、低いところを少しだけなら」
『リタも乗せる』
アウラがすぐに答える。
「安全確認の後だ」
俺とレオが鞍へ乗る。
安全帯を締める。
「先生」
「何だ」
『私の鱗へ直接座らない?』
「まだ言うのか」
『一回だけ』
「駄目だ」
『……分かった』
巨大な翼が開く。
周囲の竜たちが。
一斉に自分の翼を開きかける。
「飛ばない約束だろう!」
『みんな』
アウラが念話で伝える。
『今日は待って』
竜たちの翼が閉じる。
『先生との空は、私が案内する』
「言い方が少し独占的だぞ」
『案内役』
「それなら」
アウラが地面を蹴る。
風。
体が浮く。
「思ったより、ゆっくりだな」
『制限されてる』
「安全でいい」
『本当は、もっと速い』
「競わなくていい」
竜の都が。
少しずつ足元へ広がる。
巨大な巣。
卵を温める火山。
雲を集める塔。
飛行訓練場。
崖の内側に作られた市場。
湖。
森。
竜の大きさに合わせた世界。
「確かに、空からでないと分からないな」
『うん』
「アウラが作ったのか?」
『前からある場所も多い』
「お前が作った場所は?」
『これから』
アウラは、都の中心から離れていく。
高い山々を越え。
雲より低い谷へ。
そこには。
空へ伸びる塔も。
飛行場もなかった。
代わりに。
広い道。
緩やかな坂。
崖と崖を結ぶ太い橋。
地上を走る巨大な車。
水路。
低い位置へ作られた巣。
飛ばなくても移動できる街があった。
『飛べない竜の谷』
アウラがゆっくり降下する。
◇
谷には。
さまざまな竜が暮らしていた。
生まれつき翼のない竜。
翼が小さく、体を持ち上げられない竜。
戦いで片翼を失った竜。
年を取り、飛べなくなった竜。
空を怖がる幼い竜。
「こんなにいるのか」
『うん』
アウラは人間の姿へ戻る。
限定変身が解除され。
再び腕輪をつけた女性になる。
「昔は、どこにいた」
「隠れてた」
「どうして」
「竜は飛ぶものだから」
谷の入口へ。
翼のない小さな灰色の竜が近づいてきた。
大きさは、人間の馬ほど。
「アウラ様」
「ティア」
「帰ってきた」
「うん」
アウラがしゃがむ。
ティアと呼ばれた竜は。
嬉しそうに頭を擦りつけようとして。
途中で止まった。
「触っていい?」
アウラが尋ねる。
「うん」
許可を得てから。
頭を撫でる。
俺は少し驚いた。
「前から、聞いていたのか?」
「最近」
「先生に教わった」
「俺から?」
「したいことを聞く」
アウラはティアを見る。
「前は、すぐ抱いてた」
「うん」
「嫌だった?」
「少し」
「どうして言わなかった」
「竜王様だから」
「……」
アウラの手が止まる。
「今は?」
「聞いてくれるから、言える」
アウラは。
少し寂しそうに。
それでも笑った。
「分かった」
「アウラ様」
ティアが俺を見る。
「この人が先生?」
「うん」
「アウラ様の番?」
「候補」
「違う」
俺とアウラの声が重なる。
「どっち?」
「共同生活中の先生だ」
「番になりたい?」
ティアはアウラへ尋ねる。
「うん」
即答だった。
「先生は?」
「今のアウラを知ってから考える」
「今日、知る?」
「ああ」
「では、私が教える」
ティアは胸を張った。
「アウラ様は、すごい」
「どんなところが?」
「お肉をたくさん持ってくる」
「そこか」
「一頭分持ってきて、半分自分で食べる」
「アウラ」
「残り半分は、みんな」
「平等ではあるな」
「橋も作った」
ティアが続ける。
「道路も」
「大きい車も」
「巣も」
「でも」
少しだけ声が小さくなる。
「最初は、全部アウラ様が運んでくれた」
「悪いことか?」
「自分で歩きたかった」
アウラが目を伏せる。
「私は、飛べない竜を背中に乗せた」
「うん」
「どこへ行く時も」
「うん」
「飛べないなら、私が運べばいいと思った」
「それでは、自由ではない」
俺が言うと。
アウラは小さく頷いた。
「ティアが、降ろしてと言った」
「怖くなかったのか?」
ティアへ尋ねる。
「怖かった」
「竜王へ逆らうことが?」
「違う」
ティアは自分の足を見る。
「自分で歩いて、転ぶのが」
「でも、歩きたかった?」
「うん」
谷の道。
坂。
橋。
飛べない竜自身が。
歩いて行きたい場所へ行くために作られている。
「それで、アウラは運ぶのをやめた?」
「最初は、やめられなかった」
「危ないから?」
「うん」
「転んだら抱いた」
「坂から落ちそうなら、すぐ乗せた」
「先生」
アウラが俺を見る。
「私は、守っていると思ってた」
「ああ」
「でも、みんなは自分で歩けなかった」
「それに気づいた?」
「ティアが何度も怒った」
「何回?」
「百回くらい」
「多いな」
「アウラ様は、話を聞くのが苦手だった」
ティアが言う。
「今は?」
「少し聞く」
「少しか」
「先生がいると、もっと聞く」
「俺がいなくても聞け」
「努力する」
◇
谷の中央には。
大きな坂道があった。
急ではない。
だが。
体の小さな幼竜には、高い坂だ。
一頭の幼竜が。
短い脚で坂を上っている。
翼はない。
一歩。
二歩。
足が滑る。
地面へ腹をつける。
アウラの体が動いた。
助けようとして。
途中で止まる。
「先生」
「何だ」
「転びそう」
「ああ」
「抱いていい?」
「本人へ聞け」
アウラは坂の下から声をかける。
「手伝う?」
幼竜は首を振った。
「自分で」
再び歩く。
滑る。
転ぶ。
アウラの手が震える。
「痛そう」
「ああ」
「助けたい」
「嫌がっている」
「でも」
「見守るのも、守ることだ」
アウラは。
自分の手を握った。
動かない。
幼竜は。
何度も転び。
何度も立ち上がる。
少しずつ。
坂を上っていく。
最後。
頂上へ到着した。
「できた!」
幼竜の声。
谷の竜たちが。
翼ではなく。
尻尾を地面へ打ちつけて喜ぶ。
大地が揺れた。
「おめでとう!」
アウラも大きく手を振る。
幼竜が嬉しそうに振り返った。
「アウラ様、見てた?」
「見てた」
「一人でできた!」
「うん!」
アウラは。
幼竜以上に嬉しそうだった。
「先生」
「何だ」
「抱かなかった」
「ああ」
「すごい?」
「よく我慢した」
「でも」
アウラは笑う。
「抱かなくても、嬉しかった」
「お菓子を作った時と同じか?」
「うん」
「自分が何かを受け取らなくても、相手が喜べば嬉しい」
「うん」
「それも、お前の望みだな」
アウラは。
少し考える。
「私は」
谷を見回す。
「みんなが、自分でできた時の顔を見たい」
「ああ」
「だから、道を作る」
「お前が運ぶのではなく?」
「うん」
「よい望みだ」
◇
谷の奥。
卵を守るための大きな巣があった。
「ここは?」
「捨てられた卵が来る」
「どうして捨てられる」
「弱いから」
「生まれる前に分かるのか?」
「魔力が少ない」
「翼がない」
「殻が薄い」
アウラは、一つの卵へ手を置く。
普通の竜の卵より小さい。
表面には、細い亀裂。
「これが、最初?」
「うん」
アウラが竜王になる前。
谷底で。
一つの小さな卵を見つけた。
「誰も拾わなかったのか?」
「飛べない竜になると言われた」
「それで?」
「私が持って帰った」
「どこへ」
「昔の竜王の巣」
「反応は?」
「捨てろと言われた」
アウラの瞳が。
少し鋭くなる。
「私は嫌だと言った」
「ああ」
「弱い竜を守る場所を作ってと言った」
「断られた?」
「竜は強い者が生きる種族だと言われた」
「それで、王へ挑んだのか」
「うん」
「勝った?」
「うん」
やはり。
竜族らしい方法だった。
「先生」
「何だ」
「怒る?」
「昔のことだ」
「戦った」
「話し合いは?」
「三回した」
「意外と多いな」
「全部、笑われた」
「だから戦った?」
「うん」
「ほかに方法はなかったと思うか?」
アウラは考える。
「今なら」
「ああ」
「飛べない竜たちの話を、みんなに聞かせる」
「それでも駄目なら?」
「また考える」
「すぐ戦わない?」
「努力する」
「十分だ」
アウラは卵を見つめる。
「私は、王になれば全部守れると思った」
「ああ」
「でも、数が多かった」
「一人で全員を運べない」
「うん」
「全員のお肉も取れない」
「食べるからだろう」
「少しだけ」
「半分食べたと聞いた」
「昔」
「今は?」
「三分の一」
「まだ多い」
「努力する」
アウラは笑う。
「私は、強ければ何でもできると思った」
「違った?」
「みんなが何をしたいか聞かないと、分からなかった」
「ああ」
「私は飛べる」
「ああ」
「だから、飛べない竜が何を困るか、分からなかった」
「話を聞いた?」
「うん」
「何年かかった」
「七年」
「長いな」
「三年は、私が全部運んでた」
「残り四年で?」
「道と橋を作った」
「一人で?」
「最初は」
「またか」
「みんなに怒られた」
「何と?」
「自分たちの道を、自分たちで作りたい」
アウラは、谷の大きな橋を見る。
「私は石を全部運ぼうとした」
「ああ」
「でも、橋の高さが合わなかった」
「誰に?」
「小さい竜」
「大きな竜の基準で作ったのか」
「うん」
「それで作り直した」
「三回」
「失敗した?」
「うん」
「諦めなかった?」
「みんなが、歩きたいと言ったから」
俺は。
もう一度、谷を見る。
飛べない竜のために。
竜王が与えた場所ではない。
そこに住む者たちが。
自分で意見を言い。
自分で作った場所。
アウラは。
その力を貸した。
「竜王としてのお前を」
俺は言った。
「誇りに思う」
アウラの目が大きくなる。
「先生」
「ああ」
「もう一回」
「誇りに思う」
「強いから?」
「違う」
「王に勝ったから?」
「違う」
「では」
「自分に分からないことを、七年かけて聞いたからだ」
アウラは黙る。
「自分で全部守ろうとして」
「ああ」
「失敗して」
「ああ」
「それでも、相手が望む形を作り直した」
「ああ」
「それは、敵を倒すより難しい」
アウラの尻尾が。
ゆっくり揺れる。
「先生」
「何だ」
「私は、立派な女?」
「ああ」
「女性として?」
「子供たちが自分でできたことを、自分のことのように喜ぶお前を」
俺は答える。
「前よりずっと、好きになれそうだと思う」
アウラの目から。
大きな涙が落ちた。
地面へ落ち。
小さな水溜まりになる。
「泣くほどか?」
「嬉しい」
「そうか」
「先生」
「何だ」
「抱いていい?」
「今は人の姿だからな」
「うん」
「少しだけなら」
アウラが俺へ近づく。
腕を回す。
普通の女性と同じ力。
優しく。
俺へ抱きつく。
「先生」
「何だ」
「尻尾もいい?」
「駄目だ」
「少し」
「駄目だ」
「……分かった」
尻尾が。
俺の足へ巻きつく直前で止まった。
「本当に我慢できたな」
「褒めて」
「よく我慢した」
「もう少し抱く」
「そろそろ離れろ」
「あと三秒」
「エリナと同じことを言うな」
◇
谷の広場。
飛べない竜たちが集まっていた。
俺は。
エリナから預かった柔らかなパン。
アウラが作った小さな菓子。
持ってきた物を配った。
「先生」
アウラが菓子を持つ。
「私が配る」
「食べないか?」
「今日は三個まで」
「約束を覚えていたな」
「うん」
幼い竜たちが。
菓子を口へ入れる。
尻尾を振る。
翼のある者は翼を。
翼のない者は耳や角を。
それぞれ嬉しそうに動かす。
アウラは。
自分の分を食べず。
その姿を見ていた。
「面白い?」
「うん」
「また作る?」
「もっと小さい竜でも食べられる物」
「自分で考えるのか?」
「エルフィに聞く」
「俺ではなく?」
「先生は、竜の食べ物を知らない」
「そのとおりだ」
「だから、知ってる人に聞く」
「成長したな」
「褒めた?」
「ああ」
アウラは嬉しそうに菓子を一つ食べた。
「三個までだぞ」
「これは味見」
「数へ入る」
「先生」
「駄目だ」
「……分かった」
◇
夕方。
竜の都へ戻る前。
谷の代表者たちが、アウラへ一枚の図面を渡した。
「これは?」
「地上輸送路の計画です」
ティアが答える。
「クロエ様へ相談したい」
「私に?」
「アウラ様から頼んでほしい」
以前なら。
アウラはすぐに引き受けただろう。
竜王の権限で。
巨大な道を作り。
必要な物を全部運んだ。
「ティア」
「何?」
「みんなは、この道が欲しい?」
「うん」
「全員?」
「反対の人もいる」
「どうして」
「外から人が増えるのが怖い」
「では、反対の人の話も聞く」
「作らない?」
「まだ決めない」
アウラは図面を見る。
「クロエへ相談して」
「ああ」
「谷のみんなにも聞く」
「ああ」
「先生」
「何だ」
「これでいい?」
「俺へ許可を取る必要はない」
「でも、合ってるか聞きたい」
「答えは、住む者たちが決める」
「うん」
「お前は、話を聞けばいい」
「分かった」
アウラはティアへ向き直る。
「明日、反対の人も集めて」
「うん」
「怒らない?」
「努力する」
「机を壊さない?」
「腕輪がある」
「外れた後は?」
「……努力する」
◇
帰り。
アウラは再び竜の姿になった。
今度は。
リタも背へ乗せる。
俺。
レオ。
リタ。
三人を乗せ。
ゆっくり空へ上がる。
「先生」
リタが楽しそうに下を見る。
「竜の国は大きいです」
「ああ」
「アウラお母さんも大きいです」
『私はお母さん?』
「お父さん一号のお嫁さん候補なので」
「リタ」
「まだ候補だ」
『候補』
アウラの声が嬉しそうになる。
「そこだけ拾うな」
飛べない竜の谷が。
足元で小さくなっていく。
「アウラ」
『何?』
「また来たい」
翼が一度、大きく揺れた。
鞍が傾く。
「急に動くな!」
『ごめん』
「それほど嬉しかったのか?」
『うん』
「次は、ノアも一緒にな」
『先生も?』
「ノアが一人で来たいと言えば、俺は留守番だ」
『……分かった』
「本当に?」
『先生が望むからじゃない』
「ああ」
『ノアが、自分で来たいと言ったから』
「それでいい」
アウラは。
少しだけ寂しそうに。
それでも。
まっすぐ前を見て飛んだ。
◇
地下都市へ帰る。
境界門の前。
残る六人とアステラが待っていた。
「お帰りなさいませ、先生」
「ただいま」
「竜の都はいかがでしたか?」
セレスが尋ねる。
「空から見ないと分からない国だった」
「アウラは?」
「立派な竜王だった」
アウラが人間の姿で胸を張る。
「先生から、誇りに思うと言われた」
三人の表情が固まる。
「またですか」
ミレイユ。
「私は魔王として」
リリス。
「私は勇者として」
エリナ。
「競うな」
「先生」
アウラが続ける。
「女性としても、前よりずっと好きになれそうだって」
「そこまで報告するな!」
残る六人とアステラの視線が。
一斉に俺へ向く。
「先生」
クロエが静かに微笑む。
「次は、私の商業自治領ですね」
「ああ」
「私も、商業王としての十年間をご覧いただきます」
「過剰歓迎は?」
「すでに禁止しました」
「本当に?」
「はい」
「商品を無料で配らない」
「はい」
「俺の肖像を売らない」
「はい」
「俺の名前を使った投資商品を作らない」
「はい」
「婚姻権を株式化しない」
「先生」
「作ろうとしていたのか?」
「市場から提案がございました」
「絶対に止めろ!」
「すでに却下しました」
「珍しく安心できそうだな」
『商業自治領より、訪問計画書が届いております』
家の壁へ文字が浮かぶ。
『導師レオン様の御意向を尊重し、過剰歓迎および無償提供は一切行いません』
「よし」
『すべての商品へ、適正価格を設定いたします』
「それでいい」
『ただし、導師様から金銭を受け取ることは不敬にあたるため、お支払いは笑顔、握手、頭を撫でる、店主を褒める等の行為で代替可能とします』
「それを無償提供と言うんだ!」
クロエの笑顔が固まった。
「私は認めておりません」
「止められるか?」
「商人たちの自主的な価格設定です」
「お前の国まで同じか!」
『さらに、導師様の笑顔一回を基準通貨とする、新市場指数を開設いたします』
「俺の表情を通貨にするな!」
『本日の試算では、導師様の微笑一回は金貨二万八千枚相当です』
「高すぎる!」
「先生」
クロエの目が。
商業王の目へ変わる。
「過小評価です」
「値上げするな!」
女帝。
聖女。
魔王。
勇者。
竜王。
五人の十年間を見た。
次は商業王クロエ。
俺は。
彼女が世界最大の市場を作った理由を知る前に。
自分の笑顔が。
金貨二万八千枚で取引される市場を、閉鎖しなければならなくなった。
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