第2話 俺が二人になったら、七人が本物判定を始めた
「遅かったな、レオン」
黒い棺の中で目を開けた男は、俺と同じ顔で笑った。
髪の色も同じ。
声も同じ。
頬に残った古い傷も、右手の人差し指にある小さな火傷の痕まで同じだった。
七人が息を呑む。
次の瞬間。
「殺します」
セレスが黄金の剣を抜いた。
「待て」
「浄化します」
ミレイユの頭上で光輪が輝く。
「待てって」
「灰も残さぬ」
リリスの十二枚の翼が大きく広がった。
「話を聞け!」
「斬る」
エリナが聖剣を振り上げる。
「だから斬るな!」
「食べる?」
アウラが棺の縁を掴んだ。
「食べるな!」
「先生の顔を無断使用した損害賠償として、全財産を差し押さえます」
クロエの背後に、契約書を持った商人たちが現れる。
「こいつが財産を持っているかも分からないだろ!」
「消す」
最後にノアが短く言った。
「お前が一番怖いから、その短剣をしまえ!」
俺は両腕を広げ、棺と七人の間に立った。
七人の武器と魔法が、すべて俺の背後にいる男へ向けられている。
目覚めたばかりだというのに、男はまったく慌てていなかった。
むしろ棺の中に横たわったまま、呆れたように七人を見回している。
「相変わらず騒がしいな、お前の教え子たちは」
「誰のせいだと思っている」
「俺のせいではない。俺は十分ほど前まで死体役をしていた」
「なら、もう少し死体らしく寝ていろ」
「十年寝た。もう十分だ」
俺と男の会話を聞き、七人の表情がさらに険しくなった。
セレスが一歩前へ出る。
「先生。その者から離れてください」
「今離れたら、お前たちが一斉に攻撃するだろう」
「はい」
「迷わず認めるな」
「先生のお姿を盗んだ者です。生かしておく理由がありません」
「まだ盗んだと決まったわけじゃない」
「では、先生がその者のお姿を盗んだ可能性もあると?」
「どうしてそうなる」
セレスの赤い瞳が、わずかに揺れる。
まずい。
俺を疑っているというより、どちらが本物か分からなくなること自体を恐れているのだろう。
十年間、俺の死を受け入れられなかった七人の前へ、同じ顔をした男が二人現れた。
混乱するなというほうが無理だ。
「とりあえず、全員武器を下ろせ」
「ですが」
「俺がこいつと話す。危険だと分かったら、その時に考える」
「先生は昔から、そのように仰って危険な場所へ一人で向かわれます」
「今回は七人全員いるだろう」
「だからこそ、先生が前へ出る必要はありません」
「では、誰が話を聞くんだ」
七人が棺の男を見る。
棺の男も七人を見返す。
数秒の沈黙。
「拷問なら得意」
ノアが言った。
「普通に質問しろ」
「指は何本までなら減らしても話せる?」
「一本も減らすな!」
俺がノアを止めている間に、棺の男はゆっくりと上体を起こした。
黒い棺の中から外へ出ようとして――。
足を縁へ引っかけ、派手に床へ落ちた。
ごつん、と石室に鈍い音が響く。
「……」
「……」
七人が無言で男を見下ろした。
俺も見下ろした。
床へ顔をぶつけた男は、しばらく動かなかった。
「大丈夫か?」
「十年ぶりに体を動かしたんだ。足が動かなかった」
「俺と同じ顔で格好悪いことをするな」
「俺の顔でもある」
「まだ認めていない」
男は額を押さえながら立ち上がった。
改めて並んでみると、やはり俺とまったく同じだ。
身長も同じ。
肩幅も同じ。
破れた外套まで、俺が着ているものと同じだった。
ただし、棺の男の服は十年前に俺が虚無門へ向かった時の状態を保っている。
一方、俺の外套は虚無の狭間を三か月さまよったせいで、さらにひどい状態になっていた。
棺の男が俺を上から下まで眺める。
「随分とみすぼらしくなったな」
「お前に言われたくない」
「髭くらい剃れ」
「剃刀がなかったんだ」
「身だしなみは大切だと、七人へ教えていただろう」
「俺はこんなに嫌な言い方をするのか?」
「します」
七人が声を揃えた。
俺は振り返った。
「するのか?」
「先生は、時々ご自分を棚へ上げます」
セレスが静かに答えた。
「人へ生活習慣を注意した直後、ご自分は徹夜なさいます」
ミレイユも続く。
「私に菓子を食べすぎるなと言いながら、先生は酒を飲みすぎた」
リリスまで言う。
「私には毎日素振りをしろと言ったのに、自分は雨の日に休んでいた」
エリナが腕を組む。
「昼寝するなって言いながら、先生も昼寝してた」
アウラ。
「無駄遣いをするなと仰りながら、先生は用途不明の古い剣をご購入されました」
クロエ。
「夜中に台所で肉を焼いていた」
ノア。
「お前たち、十年ぶりに再会した先生へ言うことがそれか?」
「本物の先生らしさを確認しております」
セレスが真顔で答える。
棺の男が鼻で笑った。
「随分と立派に育てたものだな」
「腹が立つな、こいつ」
「同族嫌悪だ」
「俺はお前を同族と認めていない」
「だが、お前が俺であることは変わらない」
「そこを説明しろ」
俺が尋ねると、棺の男は石室の壁へ背を預けた。
「俺はレオン・アルヴェインだ」
七人の殺気が膨れ上がる。
「その言い方をやめろ!」
「事実だ」
「先生は一人です」
セレスの声が低くなる。
「では、そちらが偽物かもしれない」
「セレス、剣を上げるな」
「ですが」
「挑発に乗るな」
俺が止めると、セレスは不満そうに剣を下ろした。
棺の男は続ける。
「正確には、俺はレオン・アルヴェインの記憶、人格、肉体情報を複製して作られた魔導人形だ」
「最初からそう言え!」
「話には順序がある」
「今のところ、お前が俺の複製だということしか分かっていない」
「それで十分だろう」
「誰が作った」
「分からない」
「何のために作られた」
「分からない」
「どうしてここにいる」
「分からない」
「何なら分かるんだ!」
「自分が目覚めた時、お前を苛立たせることができる」
「それはもう十分分かった!」
俺の複製だという男は、性格まで俺に似ているらしい。
いや。
俺はここまで面倒な性格ではないはずだ。
七人が微妙な顔で俺と男を見比べている。
「本当に先生の複製なのでしょうか」
ミレイユが呟いた。
「先生は、もう少し優しいです」
「そうだろう」
「ただし、寝起きはよく似ています」
「今のこいつは寝起きなのか?」
「十年ぶりだからな」
棺の男が答える。
リリスが俺たちの周囲を一周した。
匂いを確かめるように鼻を動かしている。
「魔力も魂の形も同じだ」
「魂まで複製できるのか?」
「正確には、非常によく似た人工魂だろう」
リリスは棺の男へ顔を近づけた。
「だが、先生ではない」
「なぜ分かる?」
「先生は私を見たら、最初に頭を撫でる」
リリスはそう言って、俺を見た。
明らかに待っている。
俺は手を伸ばし、リリスの頭を撫でた。
黒い角の間へ指を通すと、彼女の翼が嬉しそうに揺れる。
「これでいいか?」
「うむ」
「魔王陛下……」
石室の入口で待機していた魔族の将軍が、見てはいけないものを見たような顔をしていた。
リリスが振り返る。
「何を見ている」
「い、いえ、何も!」
「今見たことを口外した者は、魔界の最北端へ送る」
「承知いたしました!」
「口外しても別にいいだろう」
「魔王には威厳が必要なのだ」
「俺の前で頭を撫でられている時点で遅くないか?」
リリスが俺の服を引っ張った。
「もう一度」
「話を進めさせてくれ」
「あと一度だけ」
仕方なく、もう一度撫でる。
リリスは満足そうに目を細めた。
その様子を見ていた他の六人が、何か言いたげに俺を見ている。
「後で全員分やる」
「約束ですよ」
セレスが即答した。
「女帝まで何を言っているんだ」
「公平性は重要です」
クロエが頷く。
「先生は昔から、七人を平等に扱ってくださいました」
「そうだったな」
「したがって、リリス様を二度撫でた以上、私たちも二度ずつです」
「数えるな」
「利息を含めれば、十年分必要です」
「どんな利率だ」
「年率三パーセントです」
「頭を撫でる回数に利息をつけるな!」
話がまったく進まない。
俺は大きく息を吐き、棺の男を見た。
「お前を作った者は分からないとして、持っている記憶はどこまでだ?」
「お前が虚無門へ入る直前までだ」
「なら、七人と暮らした記憶もあるのか」
「ある」
七人が再び緊張する。
セレスが棺の男へ問いかけた。
「私が初めて先生へ作った料理は?」
「塩と砂糖を間違えた肉の煮込み」
即答だった。
セレスの眉が動く。
「先生は、あれをすべて召し上がりました」
「食べ物を捨てるのは嫌いだからな」
俺が答える。
棺の男も同時に答えていた。
声まで重なった。
セレスが俺たちを交互に見る。
「では、私が初めて笑った理由は?」
「焦げたパンが石みたいに硬くなって、窓から投げたら庭の魔物へ当たったからだ」
また二人同時だった。
「あれは偶然だ」
「魔物が気絶したのを見て、セレスは笑った」
「笑っていません」
「笑っていた」
「少しだけです」
セレスの頬がわずかに赤くなる。
ミレイユが前へ出た。
「では、私が先生の部屋へ初めて忍び込んだ時、何と申し上げたでしょう」
「雷が怖いのではなく、先生が一人では寂しいと思ったから来た」
また一致した。
「私はそのようなことを?」
「言った」
「記憶にありません」
「都合の悪いことだけ忘れるな」
エリナが棺の男を睨む。
「私が先生へ初めて勝った勝負は?」
「腕相撲」
「違う」
「じゃんけん」
「違う」
「剣ではない」
「それは分かっている!」
俺と棺の男の答えが、初めて分かれた。
俺は腕を組んで考える。
エリナが俺をじっと見ている。
「……早食い競争か?」
「違う」
「木登り」
「違う」
「先生」
エリナの目が据わる。
「私が十五歳の誕生日に行った、目を閉じて相手の気配を探す訓練です」
「ああ」
「私が先生の背中へ一度だけ触れました」
「そうだったか?」
「忘れたのですか?」
「覚えている」
「今思い出しましたね」
「十年前の細かいことまで全部覚えていられるか」
棺の男が俺を見て笑った。
「俺は覚えているぞ」
「複製された記憶だから整理されているんだろう」
「言い訳だな」
「うるさい」
エリナは棺の男へ向き直った。
「あなたは答えられました」
「当然だ」
「ですが、先生ではありません」
「なぜだ」
「本物の先生は、自分が負けた記憶を忘れたふりをします」
「してない」
「しています」
七人全員が頷いた。
俺は棺の男を指さした。
「ほら。こいつのほうが記憶が正確だ。こいつを先生にすればいい」
「嫌です」
セレスが即答する。
「早いな」
「私たちが必要としているのは、先生の記憶を持つ者ではありません。先生ご本人です」
「だが、俺と同じ顔で、同じ記憶があるぞ」
「先生ではありません」
「見分けられるのか?」
「はい」
「どうやって?」
七人は俺を見た。
「本物の先生は、私たちが世界大戦を始めようとしていたと聞いた瞬間、自分の死亡や偽物の存在より先に、戦争を止めようとなさいました」
セレスが答える。
「こちらの方は、世界が滅びかけていたと聞いても、まったく驚いておりません」
ミレイユが棺の男を見る。
「俺には感情の一部が制限されている」
「それを先に言え」
「聞かれなかった」
「腹が立つな」
「先生と同じ顔で、その態度は不愉快」
ノアが短剣を取り出した。
「ノア、しまえ」
「少しだけ刺す」
「少しでも駄目だ」
「痛覚があるか確認するだけ」
「本人があると言ったら信じてやれ」
「ある」
棺の男が言った。
「では、刺す必要はないな」
「……残念」
ノアが短剣をしまう。
棺の男は七人を見回し、肩をすくめた。
「どうやら、俺が本物だと主張しても意味はなさそうだ」
「最初から主張するな」
「だが、便利ではあるだろう」
「何が?」
「俺はお前と同じ知識と記憶を持っている。七人が別々の国へお前を連れ帰ろうとしているのなら、俺を一人ずつ配置すればいい」
石室が静まり返った。
俺は棺の男を見た。
「なるほど」
悪くない案だ。
俺は一人しかいない。
七人はそれぞれ自分の国へ来いと言っている。
だが、俺と同じ記憶を持つ魔導人形がいるのなら、交代で各国へ滞在させることもできる。
「お前、初めて役に立ったな」
「最初から役に立っている」
「では、誰の国へ行きたい?」
俺が尋ねる。
棺の男は七人を見た。
七人も男を見る。
数秒後。
「断る」
「どうしてだ」
「この七人に一人で囲まれるなど、死体へ戻ったほうがましだ」
「お前も俺なら耐えられるだろう」
「だからこそ分かる。絶対に嫌だ」
「先生」
セレスの声が背後から聞こえた。
「その者を私たちへ押しつけて、ご自分だけ逃げようとなさいましたか?」
「そんなことはない」
「目を逸らさないでください」
「少し休みたいとは思った」
「十年間も眠っていたそちらの方より、先生のほうが休息を必要とされています」
ミレイユが優しく微笑む。
「大聖堂に、先生専用の寝室をご用意しております」
「帝国にもあります」
「魔界にもある」
「勇者連合本部にも」
「竜の都にも」
「私の所有するすべての屋敷にございます」
「私の部屋」
ノアが最後に言った。
「どうしてノアだけ自分の部屋なんだ?」
「一番安全」
「狭くないか?」
「先生一人分は空ける」
「お前はどこで寝る」
「先生の隣」
「結局狭いだろう」
七人が再び俺を囲み始めた。
棺の男が、面白そうに腕を組んでいる。
「少しは助けろ」
「俺は便利な代用品として売られかけた」
「売ってない」
「各国へ配置しようとした」
「適材適所だ」
「自分だけ安全な場所へ逃げるつもりだっただろう」
「俺に安全な場所があると思うか?」
俺が七人を見る。
全員が笑顔だった。
逃げられる気がしない。
「先生」
セレスが一歩前へ出る。
「先ほどのお話の続きを決める必要がございます」
「何の話だ?」
「先生が、どこでお暮らしになるかです」
「俺は元の家へ帰る」
七人の表情が固まった。
「元の家?」
「ああ。十年前までお前たちと暮らしていた家だ」
「先生」
クロエが気まずそうに視線を逸らした。
「どうした?」
「あの土地は現在、私の所有となっております」
「どうして俺の家が、お前の土地にある」
「先生がお亡くなりになった後、周辺の土地をすべて購入しました」
「全部?」
「はい」
「どこまで?」
「家を中心に、東西百二十キロ、南北九十キロほどです」
「国土だろう!」
「先生の思い出がある土地を、他人に荒らされるわけにはまいりませんでした」
「家は残っているのか?」
「もちろんです」
俺は胸を撫で下ろした。
「なら、そこへ帰る」
「ただし、現在は記念館となっております」
「俺の家を勝手に記念館にするな!」
「年間およそ三百万人が訪れます」
「そんなに来るのか?」
「先生がお使いになった椅子、先生がお休みになった寝台、先生が焦がした鍋などを展示しております」
「焦がした鍋まで展示するな!」
「特に人気です」
「どこに人気が出る要素がある!」
「先生も料理に失敗することがあると、庶民から親しまれております」
「撤去しろ!」
「年間収益は、およそ四百万金貨です」
「……保存してもいい」
「先生」
ミレイユが呆れたように俺を見る。
「冗談だ」
「今、少し迷われましたね」
「四百万金貨だぞ」
「先生は変わっておられませんね」
七人が笑った。
その笑顔を見て、俺も少しだけ安心した。
姿は大人になった。
世界の頂点にも立った。
だが、七人は七人だ。
俺が知っている少女たちと、何もかもが変わってしまったわけではない。
「とにかく、今日は俺の家へ戻る」
「私も参ります」
セレスが言う。
「私も」
ミレイユ。
「当然だ」
リリス。
「行く」
エリナ。
「先生の隣で寝る」
アウラ。
「記念館を本日から閉館いたします」
クロエ。
「先に掃除する」
ノアの姿が消えた。
「待て、ノア!」
返事はない。
おそらく、すでに俺の家へ向かっている。
距離がどれだけあるか分からないが、ノアなら俺たちが着く頃には家全体を調べ終えているだろう。
「では、移動の準備を」
セレスが部下へ命じようとする。
「待て。軍隊は連れてくるな」
「護衛は必要です」
「七人全員いれば十分だろう」
「ですが、先生の帰還を知れば、各国の王や貴族が押しかける可能性がございます」
「追い返せばいい」
「承知いたしました。では、帝国軍三万を周囲へ配置し――」
「一人も配置するな」
「では、近衛騎士千名を」
「多い」
「百名」
「多い」
「十名」
「いらない」
「私一人では、先生のお世話をすべて行えません」
「世話をされるつもりはない」
「先生は昔、ご自分で洗濯をなさって白い服をすべて薄桃色に染めました」
「赤い布が混じっていたんだ」
「先生は料理中、鍋を三度燃やしました」
「考え事をしていた」
「先生は書類を机へ積み上げ、雪崩を起こしました」
「あれは机が狭かった」
「先生は一人で生活できません」
「十年前まで一人で生きていた!」
「私たちがいなければ、五年ほどで死んでいたと思います」
「失礼だな」
七人が一斉に頷く。
俺は棺の男へ助けを求めるように視線を向けた。
「お前からも何か言ってくれ」
「七人の意見が正しい」
「裏切るのが早い!」
「俺はお前の記憶を持っている。お前の生活能力も知っている」
「なら、俺の味方をしろ」
「俺だからこそ、味方をしたくない」
「本当に腹が立つな、こいつ!」
俺が棺の男へ詰め寄ろうとした時。
石室の外から、慌ただしい足音が響いた。
「陛下!」
帝国の将軍が駆け込んでくる。
セレスが振り返った瞬間、その表情が女帝のものへ戻った。
「何事です」
「撤退命令は全軍へ伝達されました。しかし、問題が発生しております」
「報告しなさい」
「魔王軍が撤退を開始したことで、帝国軍の一部が追撃だと誤認しております」
リリスが眉を寄せた。
「誰が追撃した」
「まだ追撃はしておりません。ただし、互いに撤退方向が同じであるため、両軍が並んで進んでおります」
「仲良く帰ればいいだろう」
俺が言う。
将軍が困った顔をした。
「双方、どちらが先に道を譲るかで揉めております」
「子供か!」
「先生」
セレスが静かに言う。
「帝国軍は大陸最強の軍です。魔王軍へ道を譲ることは、帝国の威信に関わります」
「魔王軍も同じだ」
リリスが腕を組む。
「人間へ道を譲れば、魔族の誇りが傷つく」
「では、じゃんけんで決めろ」
セレスとリリスが俺を見る。
「じゃんけん、ですか?」
「ああ。勝ったほうが先に通れ」
「国家間の軍事問題を?」
「元はといえば、お前たちが勝手に軍隊を集めたのが原因だろう」
二人が黙った。
「分かりました」
セレスが将軍へ向き直る。
「前線司令官へ通達。魔王軍代表者と、じゃんけんで通行順位を決定しなさい」
「は?」
「聞こえませんでしたか?」
「い、いえ! 直ちに!」
将軍が走り去る。
続いて神殿騎士が駆け込んできた。
「聖女猊下!」
「今度は何ですか?」
「神殿連合軍の撤退路上に、竜族が降り立っております!」
アウラが首を傾げる。
「竜には帰れって言った」
「帰ろうとして、地上で休んでいるのではないでしょうか」
「どかしてくれ」
「どのように?」
「アウラ」
俺が呼ぶ。
「うん」
「どかせ」
「分かった」
アウラが天井を見上げる。
石室にいながら、まるで空の向こうにいる竜へ届かせるように大きく息を吸った。
「邪魔だから、どいて!」
凄まじい声が響き、石室全体が震えた。
天井から砂が落ちてくる。
外から数千の竜の返事が聞こえた。
神殿騎士は青ざめながら頭を下げ、走り去った。
次に、商人が駆け込んでくる。
「クロエ様!」
「何でしょう」
「市場を再開いたしましたが、十年間保存されていたレオン様記念金貨が暴落しております!」
「なぜだ」
俺が尋ねる。
商人が俺の顔を見て、目を見開いた。
「ほ、本物のレオン様……!」
「金貨の話をしろ」
「レオン様の死亡を記念して発行された限定金貨です。しかし、ご本人が生きておられたため、死亡記念という価値がなくなったと市場が判断し……」
「俺が生きていたら価値が下がるのか?」
「先生」
クロエが俺の手を取った。
「ご安心ください。先生帰還記念金貨を新たに発行いたします」
「何も安心できない」
「死亡記念金貨を回収し、帰還記念金貨へ交換いたします」
「二度手間だろう」
「いえ、死亡記念金貨は先生が再び亡くなられた時に価値が戻る可能性があります」
「俺の死を投資対象にするな!」
世界大戦は止まった。
だが、その後始末だけで一日が終わりそうだ。
俺は額を押さえた。
「……少し静かな場所で休ませてくれ」
「では、帝国へ」
「神殿へ」
「魔界へ」
「竜の都」
「私の屋敷」
「勇者連合本部」
六人が同時に言う。
ノアがいないので、一人分少ない。
「元の家へ帰ると言っただろう!」
「先生」
棺の男が、壁にもたれたまま俺を呼んだ。
「何だ」
「そろそろ、俺が目覚めた本来の目的を話してもいいか?」
「今まで黙っていたのか?」
「話そうとしたが、お前たちが騒がしかった」
「お前も十分騒がしかっただろう」
「否定はしない」
棺の男が、黒い棺の底へ手を伸ばした。
そこから、一通の封筒を取り出す。
白い封筒。
表面には、見たことのない銀色の封蝋が押されている。
「俺は、これをお前へ渡すために作られた」
「誰からだ?」
「差出人の名は書かれていない」
「内容は?」
「開封できるのは、本物のレオン・アルヴェインだけだ」
俺が封筒を受け取る。
触れた瞬間、封蝋が淡く光った。
七人が俺の周囲へ集まる。
「少し離れろ。読みにくい」
「危険な物かもしれません」
「手紙だろう」
「毒が塗られている可能性が」
「私が代わりに開ける」
「駄目だ。俺にしか開けられないと言っただろう」
俺は封蝋へ指をかけた。
簡単に外れる。
中には、一枚の紙が入っていた。
短い文章だ。
俺は黙って読み進める。
最初の一文で、意味が分からなくなった。
「先生?」
セレスが不安そうに俺を見た。
「何と書かれているのですか?」
「……俺にも分からない」
「見せてください」
七人が紙を覗き込む。
そこには、こう書かれていた。
『愛する夫、レオンへ。
あなたが帰還する頃、七人の悪女は世界を滅ぼそうとしているでしょう。
どうか、あの子たちを叱らないであげてください。
すべてを仕組んだのは、あなたの妻である私です』
石室が静まり返った。
七人の視線が、手紙から俺へ移る。
「先生」
セレスが静かに呼んだ。
「何だ」
「妻とは?」
「俺が聞きたい」
「いつ、ご結婚を?」
「していない」
「私たちに隠れて?」
「だから結婚していない!」
「先生」
ミレイユが微笑んでいる。
目がまったく笑っていない。
「まず話を聞くことが大切でしたね」
「ああ。俺が教えた」
「では、先生のお話を聞かせていただきます」
「俺には話すことがない」
「誰ですか?」
エリナが聖剣の柄へ手を置く。
「知らない」
「どこにいる?」
リリスの翼が広がる。
「知らない」
「食べていい?」
アウラが牙を見せる。
「駄目だ」
「資産を調べます」
クロエが指を鳴らす。
「待て」
その時、俺の背後から声がした。
「先生の妻を名乗る女の居場所、分かった」
いつ戻ったのか、ノアが立っていた。
「早すぎないか?」
「手紙の魔力を追った」
「どこにいる?」
ノアは一度、七人を見回した。
「先生の家」
俺は固まった。
七人の殺気が、一斉に膨れ上がる。
「待て」
俺は両腕を広げた。
「全員、まず話を聞くんだ」
セレスが笑顔で剣を抜いた。
「もちろんです、先生」
ミレイユが杖を握る。
「お話を聞くだけです」
リリスが翼を広げる。
「少し魔王軍を連れていく」
エリナが聖剣を背負う。
「逃げられないように囲むだけ」
アウラが竜の姿へ変わり始める。
「家ごと運ぶ」
クロエが商人たちへ命じる。
「周辺の土地は私の物ですので、封鎖いたします」
ノアはすでに姿を消していた。
「だから軍隊を連れていくな!」
七人が一斉に石室を飛び出していく。
十年前まで俺たちが暮らしていた家。
今は記念館になっているという、その家に。
俺の妻を名乗る、正体不明の女がいる。
どう考えても、ろくなことにはならない。
「お前も来い!」
俺は棺の男へ叫んだ。
「なぜ俺まで」
「俺の複製なら責任を半分持て!」
「妻に心当たりはない」
「俺もない!」
俺と同じ顔をした男と共に、俺は七人の後を追った。
こうして世界大戦は止まった。
代わりに。
俺の家を中心とした、もっと面倒な戦いが始まろうとしていた。




