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世界を滅ぼす七人の悪女を更生させた俺、死亡したと思われていたら彼女たちが世界大戦を始めようとしていた  作者: てへろっぱ


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1/13

第1話 俺の墓の前で、世界大戦が始まろうとしていた


 世界が滅びるまで、残り一時間。


 少なくとも、大陸中の王や将軍たちは本気でそう考えていた。


 帝国北部の国境には、黒金の鎧に身を包んだ三十万の兵が並んでいる。


 彼らが掲げる旗は、大陸最大の版図を誇るヴァルグランド帝国のものだった。


 反対側の平原には、魔獣と魔族からなる魔王軍。


 その上空には、空を埋め尽くすほどの竜の群れ。


 西方の街道を塞ぐのは神殿騎士団。


 東方の丘では、歴代最強と呼ばれる勇者の軍勢が剣を抜いている。


 世界中の港では商船が止まり、金貨の流通さえ途絶えていた。


 各国の諜報機関は沈黙し、国王たちは自分の寝室にすら護衛を置けなくなっている。


 なぜなら、この日のために世界を動かしていた者たちは、各国の王ではなかったからだ。


 世界を滅ぼすと予言された、七人の悪女。


 女帝。


 聖女。


 魔王。


 勇者。


 竜王。


 商業王。


 そして、影の女王。


 世界の頂点に立つ七人が、一人の男の墓前に集まっていた。


 男の名は、レオン・アルヴェイン。


 十年前、世界を救うために命を落としたとされる人物だった。


     ◇


 俺が空間の裂け目から放り出された時、最初に感じたのは懐かしい風の匂いだった。


 湿った土。


 草木。


 わずかに混じる花の香り。


 三か月ぶりに嗅ぐ故郷の空気に、思わず深呼吸した。


「やっと帰ってこられたか」


 俺は地面に片手をつき、ゆっくり立ち上がった。


 着ていた外套は裂け、左腕には浅くない傷がある。


 剣は半ばから折れ、保存食は三日前に尽きた。


 それでも、生きて帰ってこられた。


 あの虚無の狭間で過ごした三か月を考えれば、服が破れた程度で済んだのは奇跡と言っていい。


 俺は腰に残っていた小さな革袋を確かめた。


 中には七つの装飾品が入っている。


 安物の指輪。


 欠けた銀貨。


 乾燥させた花。


 黒い羽根。


 竜の鱗。


 小さな木札。


 そして、錆びた鈴。


 どれも俺にとっては、世界に二つとない大切なものだった。


「三か月も留守にしたからな。あいつら、怒っているだろうな」


 俺が家を空けた時、七人はまだ少女だった。


 最年長のセレスで十七歳。


 最年少のノアに至っては、ようやく十三歳になったばかりだった。


 俺は世界を滅ぼすと予言された彼女たちを引き取り、同じ家で暮らしていた。


 世間から見れば、七人は災厄の種だった。


 女帝となり大陸を血で染める少女。


 神を否定し、神殿を焼き払う聖女。


 魔族を統一し、人類へ牙を剥く魔王。


 勇者の剣を人間へ向ける裏切り者。


 古竜を率いて空を支配する竜姫。


 金の力で国々を破滅させる商人。


 そして、王の寝室から歴史そのものまで消す暗殺者。


 七つの予言は、どれも一国を滅ぼすには十分すぎるものだった。


 だから各国は、彼女たちが幼いうちに処分しようとした。


 俺は、それを止めただけだ。


 別に世界を救おうと思ったわけではない。


 子供がまだ何もしていないのに、将来悪いことをするかもしれないという理由で殺される。


 そんな馬鹿な話に納得できなかっただけだ。


 七人を引き取った俺は、彼女たちへ特別な教育などしていない。


 腹が立っても、まず相手の話を聞くこと。


 自分より弱い者を傷つけないこと。


 困っている者を見たら、できる範囲で助けること。


 嫌なことは嫌だと言うこと。


 誰かを罰する前に、一晩だけ考えること。


 それくらいだ。


 剣や魔法は放っておいても覚えた。


 むしろ、覚えさせないようにするほうが難しかった。


 セレスは十四歳で宮廷魔術師を打ち負かした。


 エリナは十二歳で騎士団長の剣を折った。


 リリスは寝言で呼び出した魔獣を一晩で百体従えた。


 アウラは庭で昼寝をしている間に、近隣の竜をすべて服従させていた。


 ミレイユが祈れば枯れた井戸から水が湧き、クロエが露店を開けば一日で商店街ができた。


 ノアは……気づくと俺の背後に立っていた。


 思い返せば、あれが一番怖かったかもしれない。


「さて、ここはどこだ?」


 俺が周囲を見渡すと、そこは丘の上だった。


 少し離れた場所に、巨大な白い建造物が見える。


 神殿にも見えたが、屋根がない。


 中央に立っているのは、白亜の石碑だ。


 石碑の周囲には花が敷き詰められ、無数の剣や杖が地面へ突き立てられていた。


 そのさらに向こうには、数え切れないほどの兵士がいる。


「……祭りか?」


 それにしては空気が重い。


 兵士たちは誰一人として声を上げず、ただ石碑の前に集まった者たちを見つめている。


 俺は気配を殺し、丘の斜面を下りた。


 別に隠れる必要はないのだが、状況が分からない場所へ不用意に姿を見せるほど若くもない。


 白い建造物へ近づくにつれ、話し声が聞こえてきた。


「刻限まで、あと一時間です」


 澄んだ女の声だった。


 声の主は、純白の法衣をまとっていた。


 背中まで伸びた金色の髪。


 頭上には光輪が浮かび、彼女が立っているだけで周囲の草花が開いていく。


 その姿を見た瞬間、俺は足を止めた。


「……ミレイユ?」


 ありえない。


 俺の知っているミレイユは、まだ十五歳だった。


 寝起きが悪く、毎朝俺の外套を掴んだまま離さなかった少女だ。


 目の前の女性は、二十代半ばほどに見える。


 顔立ちはよく似ている。


 だが、身にまとっている力が桁違いだった。


 彼女の周囲には、百人を超える神殿騎士がひざまずいている。


 その全員が、国王の前でも頭を下げないと噂される最高位の騎士たちだ。


「聖女猊下」


 一人の騎士が震える声で告げた。


「神殿連合軍はすでに国境へ展開しております。猊下の御言葉一つで、帝国領内へ進軍できます」


「そうですか」


 ミレイユらしき女性は、静かに石碑を見つめた。


「では、予定どおりに」


 俺は眉を寄せた。


 進軍?


 帝国領内へ?


 何の話をしている。


「待ちなさい」


 別の女の声が響いた。


 その声だけで、空気が凍りついたように感じた。


 石碑の正面には、漆黒の軍服をまとった女性が立っていた。


 長い銀髪。


 血のように赤い瞳。


 腰には、帝国皇帝だけが持つことを許される黄金の剣。


 俺はその横顔を知っていた。


「セレス……なのか?」


 かつて俺の家へ来たばかりのセレスは、ほとんど喋らない子だった。


 元は帝国皇帝の庶子。


 予言を恐れた皇帝に地下牢へ閉じ込められ、名前さえ奪われていた。


 俺が彼女を連れ出した後も、半年間は笑わなかった。


 初めて笑ったのは、一緒に焼いたパンが焦げた時だった。


 今、目の前にいる女性は笑っていない。


 彼女の背後には帝国軍の将軍たちが並び、全員が息を止めたように動かない。


「神殿が先に動けば、我が軍はそれを侵略と判断します」


 セレスは淡々と告げた。


「レオン先生を殺害した者が神殿にいる可能性は、すでに九割を超えています。聖女ミレイユ。あなたが犯人を引き渡さないのであれば、帝国は神殿領を地図から消します」


 何を言っている。


 俺を殺した者?


 俺は生きている。


「その言葉、そのままお返しいたします」


 ミレイユの声から温度が消えた。


「先生が最後に向かわれた虚無門は、帝国の管理下にありました。先生が亡くなった直後、帝国は門の記録をすべて封印しています」


「世界の混乱を防ぐためです」


「本当に、それだけですか?」


 二人の間で、魔力がぶつかった。


 大地が小さく揺れる。


 空に黒い雲が集まり、石碑の周囲に咲いていた花が一斉に伏せた。


 俺は慌てて周囲を見回した。


「ちょっと待て。これは本当にどういう状況だ?」


「どちらでも構わぬ」


 今度は、低く艶のある声が響いた。


 石碑の上に、一人の女性が座っていた。


 黒い角。


 腰まで伸びた紫色の髪。


 夜を切り取ったような黒い衣装。


 背中には十二枚の黒翼が広がっている。


 周囲に人間の兵はいない。


 代わりに、建造物の外側を魔族と魔獣の大軍が取り囲んでいた。


「帝国も神殿も、先生を守れなかった。それだけで滅ぼす理由としては十分であろう」


「リリス……」


 俺の知るリリスは、もっと小さかった。


 角も指先ほどしかなく、怒るとすぐに尻尾で床を叩いていた。


 夜になると一人で眠れず、俺の部屋の前を行ったり来たりしていた。


 俺が扉を開けると、偶然通りかかっただけだと言っていた。


 そのリリスが、魔族の頂点に立っている。


「魔王陛下」


 セレスが冷たい視線を向ける。


「先生の遺品から、魔界の呪詛が検出されています」


「偽装だ」


「根拠は?」


「私が先生を呪うはずがない」


「それは根拠ではありません」


「私にとっては十分だ」


 黒い魔力が渦巻いた。


 帝国軍が一斉に剣を抜く。


 神殿騎士団が防御結界を展開する。


 だが、その場にいる者は三人だけではなかった。


「全員、少し静かにして」


 鋭い声と共に、一本の剣が空から降ってきた。


 剣は三人の中央へ突き刺さり、地面に巨大な亀裂を走らせる。


 剣の柄へ、赤髪の女性が降り立った。


 軽装の白銀鎧。


 背中には神話に登場する聖剣。


 戦うために生まれたとしか思えない、研ぎ澄まされた佇まい。


「エリナまで……」


 エリナは昔から負けず嫌いだった。


 毎朝俺へ勝負を挑み、毎朝負けていた。


 俺が虚無門へ向かう前日にも、帰ってきたら今度こそ勝つと言っていた。


 目の前の女性は、その頃より遥かに強い。


 おそらく今の俺でも、正面から戦えば勝てるか分からない。


「勇者連合は魔王領と帝国、双方への進軍準備を終えている」


 エリナは腕を組んだ。


「先生を殺した可能性がある者は、全員斬る。話はそれから」


「先生は、まず話を聞けと教えてくださったはずです」


 ミレイユがたしなめる。


「十年聞いた」


 エリナは短く答えた。


「もう十分」


 十年。


 その言葉を聞いた瞬間、俺の思考が止まった。


 聞き間違いかと思った。


 だが、セレスもミレイユもリリスも、明らかに俺が知っている姿より成長している。


 俺が虚無の狭間で過ごした時間は三か月。


 しかし、こちらでは三か月ではなかったのか。


 嫌な予感がした。


 俺は無意識に、自分の左手を握った。


「空の一族は、すでに人間の国を敵と定めた」


 上空から、轟音が響いた。


 巨大な影が建造物を覆う。


 空を埋め尽くしているのは、数千を超える竜だった。


 赤竜。


 青竜。


 白竜。


 地上では伝説として語られる古竜までいる。


 竜たちの中央から、一人の女性がゆっくり降りてきた。


 褐色の肌。


 金色の瞳。


 側頭部から伸びた白銀の角。


 背中には透き通るような竜翼がある。


「先生は人間を守るために死んだ」


 アウラは怒りを押し殺すように言った。


「でも人間は、先生を守らなかった。なら、もう守る必要はない」


「アウラ」


 名前を口にすると、胸が痛んだ。


 彼女は俺の家で最もよく眠る子だった。


 縁側でも、屋根の上でも、食事中でも眠った。


 俺の膝を枕にして昼寝をするのが好きだった。


 世界を滅ぼす竜王になると予言されていたが、当時の俺には大きな猫と大差なかった。


「そう急ぐ必要はありませんわ」


 場違いなほど穏やかな声が響いた。


 石碑へ続く白い道を、一人の女性が歩いてくる。


 宝石を散りばめたドレス。


 指には無数の指輪。


 彼女の後ろには兵士ではなく、各国の大商会を率いる者たちが並んでいた。


「各国の通貨、食料、武器、船舶、魔石。その七割は、すでに私が押さえております。戦争を始める前に、先生を殺した犯人を名乗り出るよう、世界へもう一度だけ呼びかけてはいかがでしょう?」


「クロエ……」


 昔のクロエは、食卓で余ったパンを毎回数えていた。


 最初は自分が翌日も食べられるか不安だからだと思っていた。


 違った。


 彼女は余ったパンを近隣の孤児へ売り、得た銅貨で布を買い、その布で袋を作ってまた売っていた。


 十歳でそれを始め、十二歳の頃には近隣三村の物流を支配していた。


「名乗り出なかった場合は?」


 セレスが尋ねる。


 クロエは美しく微笑んだ。


「今日という日をもって、犯人を匿う可能性のあるすべての国家から、貨幣という概念を消します」


 全然穏やかではなかった。


 俺は頭を抱えたくなった。


 もしかすると、俺は七人の育て方をどこかで間違えたのかもしれない。


 いや、まだ六人だ。


 残る一人。


 ノアはどこにいる。


 そう思った直後だった。


「先生」


 真後ろから声がした。


 俺は反射的に振り返った。


 そこには、黒い外套をまとった女性が立っていた。


 艶のない黒髪。


 感情の見えない黒い瞳。


 音もなく、気配もなく、彼女は俺のすぐ後ろにいた。


「ノア」


 名前を呼んだ瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。


 俺も動けなかった。


 ノアも動かなかった。


 十年という時間が流れているのなら、彼女は今、二十三歳になっている。


 面影はある。


 だが、俺が知っている少女より背が伸び、顔立ちも大人びている。


 それでも、俺には一目で分かった。


 間違えるはずがない。


「久しぶりだな」


 何と声をかければいいか分からず、俺はそう言った。


 ノアの唇がかすかに震えた。


「……偽物」


「本物だ」


「先生は死んだ」


「どうやら、そういうことになっているらしいな」


 俺は白い石碑へ目を向けた。


 正面に刻まれた文字が、ここからでも見える。


 世界を救い、七人の少女へ未来を与えた偉大なる導師。


 レオン・アルヴェイン、ここに眠る。


「俺の墓、ずいぶん立派だな」


 その瞬間。


 ノアの姿が消えた。


 殺気は感じなかった。


 だから俺は避けなかった。


 次の瞬間、腹へ強い衝撃が加わった。


「ぐっ……!」


 ノアが俺の胸へ飛び込んできたのだ。


 細い両腕が、俺の外套を強く掴んでいる。


 まるで離したら、また消えてしまうとでも思っているように。


「先生」


「ああ」


「先生」


「俺だ」


「本当に?」


「本当に俺だ」


 何度も同じことを尋ねるノアの頭へ、俺はそっと手を置いた。


 昔より背が伸びたとはいえ、頭を撫でる感覚は変わらない。


 ノアは声を上げなかった。


 ただ俺の胸へ顔を押しつけ、肩を小さく震わせた。


「……生きてる」


「ああ」


「温かい」


「虚無の狭間は、かなり寒かったけどな」


「心臓も動いてる」


「そこまで確認しなくてもいい」


 ノアが顔を上げる。


 目元は赤くなっていたが、涙は流れていない。


 彼女は昔から泣くのが下手だった。


「先生を殺した者は?」


「いない。帰るのが遅くなっただけだ」


「十年」


「俺にとっては三か月だった」


「十年」


 もう一度言われた。


 今度は少し責めるような響きがあった。


「悪かった」


「……許さない」


「そうか」


「二度と消えないなら許す」


「努力する」


「約束」


「ああ。約束する」


 ノアの腕へ力がこもる。


 その時、ようやく石碑の前にいた六人がこちらを見た。


 最初に動いたのは、エリナだった。


 聖剣を引き抜く。


 一歩で石畳を砕き、俺の目の前まで踏み込んできた。


 ノアが俺を庇うように前へ出る。


「待て、エリナ」


「先生の姿を使うな」


 エリナの剣先が、俺の喉元へ突きつけられた。


 強烈な剣気だった。


 周囲の空気が裂け、俺の頬から一筋の血が流れる。


 俺は指で血を拭った。


「相変わらず、確認する前に剣を抜くんだな」


「黙れ」


「昔、一日百回素振りをしろと言ったら、一晩で千回振って腕を痛めた」


「……黙れ」


「それを隠そうとして、翌朝は左手で朝飯を食べていた」


「黙って」


「俺に勝てたら何でも一つ言うことを聞くという約束も、まだ有効だぞ」


 エリナの手から、聖剣が落ちた。


 金属音が白い床へ響く。


 彼女の顔が、今にも泣きそうに歪む。


「先生……?」


「ただいま、エリナ」


 次の瞬間、エリナが俺へ抱きついた。


 今度は防御する暇さえなかった。


 鎧姿のまま全力で抱きつかれ、肋骨が悲鳴を上げる。


「痛い、痛い。エリナ、力を緩めろ」


「生きてる」


「生きてるから緩めろ」


「本当に生きてる」


「このままだと死ぬ」


 俺が訴えると、ようやく腕の力が少しだけ緩んだ。


 だが、離れる様子はない。


 ノアも反対側から俺の外套を掴んだままだ。


 二人に挟まれながら顔を上げると、残る五人もこちらへ歩いてきていた。


 セレスは何度も立ち止まりながら。


 ミレイユは口元を両手で押さえながら。


 リリスは翼を震わせながら。


 アウラは金色の瞳から大粒の涙をこぼしながら。


 クロエはいつもの微笑みを保とうとして、完全に失敗しながら。


 世界中から恐れられる七人。


 一人の命令で国が動き、一人の怒りで地図が変わる女たち。


 その七人が、今は昔と変わらない顔で俺を見ていた。


「先生」


 セレスが俺の前で立ち止まった。


 女帝の威厳は、そこにはなかった。


「お帰りなさいませ」


「ああ。ただいま」


「遅すぎます」


「悪かった」


「十年間、何をしていたのですか」


「俺にとっては三か月だったんだ」


「言い訳になりません」


「厳しいな」


「私は……」


 セレスは何かを言おうとして、言葉を詰まらせた。


 やがて唇を噛み、俺の胸へ額を押しつける。


「私は、先生が戻られる場所を守れませんでした」


「守れているじゃないか」


「違います」


 セレスの肩が震えた。


「国を大きくしました。軍を強くしました。先生を二度と誰にも奪われないよう、誰よりも強い皇帝になりました。それなのに、先生だけが戻ってこなかった」


「セレス」


「世界のすべてを手に入れても、先生一人を取り戻せなかった」


 俺は彼女の銀髪を撫でた。


「それでも、待っていてくれたんだろう」


「……はい」


「なら十分だ」


 セレスは顔を上げない。


 代わりに、俺の外套を強く掴んだ。


「ずるいです、セレス」


 ミレイユが涙を拭いながら近づいてくる。


「一人だけ撫でていただくなんて」


「ミレイユも元気そうだな」


「元気ではありませんでした」


「そうなのか?」


「先生がいなくなってから、一日たりとも元気だった日はありません」


「それは……すまなかった」


「本当に反省されていますか?」


「している」


「では、後ほど十年分のお説教をいたします」


「十年分?」


「毎日一時間として、三千六百五十時間ほどです」


「それは少し長くないか?」


「短くしたつもりです」


 ミレイユは泣きながら笑った。


 俺が知っている、昔の笑顔だった。


「先生!」


 アウラが飛び込んでくる。


 嫌な予感がした。


「待て、アウラ。今のお前が昔と同じ力で抱きついたら――」


 言い終わる前に、体が宙へ浮いた。


 アウラに抱き上げられたのだ。


「先生! 先生、先生!」


「分かった、分かったから降ろせ!」


「匂いも先生!」


「確認方法がおかしい!」


「先生の匂い!」


「人前で言うな!」


 アウラは俺を抱き上げたまま、頬を擦り寄せてくる。


 背後では数千の竜が一斉に咆哮した。


 大地が揺れ、兵士たちが悲鳴を上げる。


「竜王陛下が喜んでおられる!」


「空の王がお戻りになった!」


「人間どもよ、頭を垂れよ!」


 勝手なことを言い始めた竜たちへ、俺は叫んだ。


「俺は空の王になった覚えはない!」


「先生は私の番だから、空の王」


 アウラが当然のように言う。


「番でもない」


「昔、結婚するって言った」


「お前が立派に一人で眠れるようになったら考えると言ったんだ」


「もう一人で眠れる」


「そういう問題じゃない」


「では、私が最初ですね」


 クロエが笑顔で近づいてきた。


 目元にはまだ涙が残っている。


「何が最初なんだ?」


「先生との婚姻です」


「どうしてそうなる」


「私が十五歳の時、先生は商会の利益が十万金貨を超えたら何でも一つ褒美をくださると仰いました」


「言ったな」


「現在の総資産は、およそ二十八億金貨です」


「増やしすぎだろう」


「褒美として、先生をいただきます」


「俺は物ではない」


「では、先生の生涯を購入いたします」


「だから売り物ではない」


「言い値で構いません」


「人の話を聞け」


「先生」


 俺の背後から、リリスが声をかけた。


 振り返る。


 魔王として君臨していた女性は、いつの間にか翼を畳んでいた。


 俺を見つめる瞳には、不安が浮かんでいる。


「本当に、帰ってきたのか?」


「ああ」


「もう、どこにも行かぬか?」


「しばらくは休みたいな」


「魔界へ来い」


「話が急だな」


「先生の部屋は十年前のまま残してある。毎日掃除もさせている。先生が好きだった酒も、地下に千樽用意した」


「千樽も飲めない」


「ならば一万樽に増やす」


「減らせと言っている」


「帝国へお戻りください」


 セレスが顔を上げた。


「先生のために、皇宮の東棟をすべて空けてあります」


「十年前から?」


「はい」


「国家施設を十年間も空けていたのか?」


「先生の部屋を、他人へ使わせるわけにはまいりません」


「先生は神殿へ来られます」


 ミレイユが俺の腕を取る。


「大聖堂の最上階を、先生の居住区として改装しております」


「先生は私と修行する」


 エリナが反対側の腕を掴む。


「十年前の約束を果たしてもらう」


「先生は竜の都」


 アウラが俺の腰へ抱きつく。


「寝床はもう作った」


「先生は私の屋敷へ」


 クロエが外套を掴む。


「世界で最も安全で、快適で、利益率の高い生活を保証いたします」


「先生は、私と暮らす」


 ノアが背後から静かに言った。


「場所は秘密」


「俺にまで秘密なのか?」


「着いてから教える」


「全員、一度離れろ!」


 俺が声を上げると、七人の動きが止まった。


 驚くほど素直に、全員が俺から一歩離れる。


 そこだけは昔と変わらない。


 俺は乱れた外套を直し、大きく息を吐いた。


「まず状況を説明してくれ」


 七人は顔を見合わせた。


「先生は、どこまでご存じなのですか?」


 セレスが尋ねる。


「何も知らない。俺は虚無門を閉じた後、三か月ほど虚無の狭間をさまよって、ようやく帰ってきた。戻ってみれば十年経っていて、俺の墓が建ち、お前たちは軍隊を連れて集まっている」


 俺は建造物の外を指さした。


「どうしてあんな大軍がいる?」


 七人は黙った。


 俺は嫌な予感を覚えた。


「セレス」


「はい」


「帝国軍は何をしている?」


「開戦準備を」


「ミレイユ」


「神殿連合軍も同様です」


「リリス」


「魔王軍は、いつでも人間界へ進軍できる」


「エリナ」


「勇者連合も」


「アウラ」


「竜は全部連れてきた」


「全部?」


「全部」


 遠くの空を見る。


 地平線まで竜で埋まっていた。


 俺は見なかったことにした。


「クロエ」


「すでに世界経済を停止させております」


「今すぐ動かせ」


「先生がそう仰るのでしたら」


「ノア」


「各国の王族と要人、計六千八百四十二名を監視中」


「何人殺した?」


「まだ誰も」


 俺は胸を撫で下ろした。


「先生が話を聞いてからにしろと言っていたから」


「よく覚えていたな。偉いぞ」


「うん」


 ノアがわずかに微笑んだ。


 他の六人が不満そうに俺を見る。


 後で全員褒める必要がありそうだ。


「つまり、お前たちは戦争を始めようとしていたのか?」


「はい」


 七人がほぼ同時に答えた。


 俺は額を押さえた。


「なぜだ」


「先生を殺した者を見つけるためです」


 セレスが答える。


「十年前、虚無門の跡地から先生の御遺体が発見されました」


「俺の死体?」


「魔術師、神官、竜族、魔族。すべての鑑定で先生本人だと確認されています」


「だが、俺はここにいる」


「だからこそ、異常なのです」


 ミレイユの表情が引き締まった。


「先生の死後、七人全員が独自に調査を続けました。しかし今日、先生の十回目の命日に合わせ、私たちの元へ新たな証拠が届いたのです」


「どんな証拠だ?」


「帝国が先生を虚無門へ誘導したという記録です」


 ミレイユが答える。


「私の元には、神殿が先生の死亡を予言していたという記録が届きました」


 セレスが続ける。


「魔界には、勇者が先生を背後から刺した映像が届いた」


 リリスが言う。


「私には、竜族が先生の遺体を運ぶ記録」


 エリナ。


「竜の都には、商業連盟が先生へ毒を売った記録」


 アウラ。


「私の元には、影の一族が先生の暗殺を請け負った契約書が届きました」


 クロエ。


 最後に、ノアが口を開く。


「私には、七人全員が先生を殺す相談をしている音声が届いた」


「全員が互いを疑うように仕組まれているのか」


 俺は腕を組んだ。


 分かりやすい罠だ。


 だが、問題はそこではない。


「その証拠は偽物だったのか?」


「いいえ」


 セレスの答えは、俺の予想と違った。


「すべて本物です」


「どういう意味だ」


「紙、魔力、筆跡、記憶結晶、契約印。あらゆる方法で調べました。改竄された形跡はありません」


「なら、本当にお前たちがやったと?」


「いいえ」


「どちらなんだ」


「証拠は本物です。けれど私たちには、行った記憶がありません」


 俺は石碑を見上げた。


 その下に、俺の死体が眠っている。


 七人が言うには、間違いなく俺本人と確認された死体。


 そして十年後、七人を争わせるために同時に届けられた、本物の証拠。


 偶然ではない。


 誰かが俺の不在を利用し、十年間かけて世界を戦争へ導いた。


「とにかく、開戦は中止だ」


 俺は七人へ告げた。


「先生」


「異論は認めない。軍を退かせろ。経済も戻せ。捕らえた者がいるなら解放しろ」


「しかし、先生を狙った者がまだ――」


「だからこそだ。お前たちが戦争を始めれば、黒幕の思うつぼだろう」


 七人が黙る。


「まず話を聞く。調べる。罰を与えるのは、誰が何をしたか分かってからだ」


「……先生の教えですね」


 ミレイユが小さく微笑んだ。


「ああ。覚えているなら守れ」


「はい」


 セレスが振り返る。


「全軍へ通達。作戦を中止し、国境から撤退させなさい」


 ミレイユも杖を掲げた。


「神殿連合軍へ。すべての進軍命令を撤回します」


「魔王軍も退かせる」


「勇者連合へ命令。剣を収めて」


「竜も帰す」


「すべての市場を再開いたします」


「監視対象は?」


 ノアが俺を見る。


「監視だけなら続けていい。手は出すな」


「分かった」


 七人の命令が、世界中へ伝わっていく。


 わずか数分前まで始まろうとしていた世界大戦が、一人の男が帰ってきただけで止まった。


 周囲にいた兵士たちは、何が起きているのか理解できずにいる。


 無理もない。


 俺もまだ理解できていない。


「まずは墓を調べよう」


 俺は石碑へ近づいた。


「俺の死体を確認したい」


「お待ちください」


 ミレイユが顔色を変えた。


「先生の棺には、強力な封印が施されています」


「誰が施した?」


「分かりません」


「分からない?」


「御遺体を発見した時点で、すでに黒い棺へ納められていました。棺には古代文字で、こう書かれていたのです」


 ミレイユが石碑の下を指さす。


「死者が帰還した時、棺は開かれる、と」


 その瞬間。


 地面が揺れた。


 石碑に亀裂が走る。


 七人が一斉に俺の前へ出た。


「先生、下がってください!」


 セレスが剣を抜く。


 ミレイユが結界を張り、リリスが十二枚の翼を広げる。


 エリナは聖剣を構え、アウラの腕が竜の鱗に覆われる。


 クロエの背後へ無数の魔導具が浮かび、ノアはすでに姿を消していた。


 白い石碑が、音を立てて左右へ割れる。


 地下へ続く階段が現れた。


 その奥から、冷たい空気が吹き上がってくる。


「俺が行く」


「なりません」


「俺の墓だろう」


「だからこそです」


 七人は誰一人として退こうとしない。


 仕方なく、俺たちは全員で地下へ下りた。


 階段の先には、小さな石室があった。


 中央に置かれているのは、黒い棺。


 装飾は一切ない。


 だが、棺そのものから強烈な魔力を感じる。


 表面には、古代文字が刻まれていた。


 俺には読めない文字だった。


「何と書いてある?」


「先ほど申し上げたものと同じです」


 ミレイユが答える。


「死者が帰還した時、棺は開かれる」


 俺が一歩近づくと、棺の表面へ光が走った。


 七つの鍵穴が現れる。


 それぞれ形が違う。


 俺は腰の革袋を見た。


 嫌な予感がした。


 袋の中から七つの装飾品を取り出す。


 安物の指輪。


 欠けた銀貨。


 乾燥させた花。


 黒い羽根。


 竜の鱗。


 小さな木札。


 錆びた鈴。


 かつて七人から受け取った、大切な贈り物。


 七つの鍵穴は、それぞれの形と完全に一致していた。


「どうして、これが鍵だと知っている」


 俺は棺へ問いかけた。


 答えはない。


 七人も息を呑んでいる。


「先生」


 ノアが俺の袖を掴んだ。


「開けないほうがいい」


「そうしたいところだが、開けなければ何も分からない」


「危険」


「なら、少し離れていろ」


「嫌」


 短い答えだった。


 他の六人も動かない。


 俺は七つの品を、棺の鍵穴へ一つずつ差し込んだ。


 最後の鈴を入れる。


 カチリと、小さな音がした。


 棺の蓋がゆっくりと開いていく。


 冷たい霧が床を這う。


 中に横たわる人物の輪郭が見えた。


 裂けた外套。


 折れた剣。


 左腕の傷。


 すべて、今の俺と同じだった。


「そんな……」


 ミレイユが声を漏らす。


 黒い棺の中には、一人の男が眠っていた。


 髪の色も。


 顔の傷も。


 指の形も。


 俺とまったく同じだった。


 七人が俺と棺を交互に見る。


「先生が、二人……?」


 クロエの声が震えていた。


 俺は棺の中の自分を見下ろした。


 死体には腐敗した様子がない。


 眠っているようにしか見えない。


 だが、呼吸はなく、胸も動いていなかった。


「これが、十年前に見つかった俺の死体か」


 俺が手を伸ばした、その時だった。


 死んでいるはずの男の指が動いた。


「先生!」


 七人が俺を後ろへ引く。


 棺の中の男が、ゆっくりと目を開けた。


 俺と同じ色の瞳が、真っすぐに俺を見る。


 そして。


 俺と同じ顔をした男は、口元を歪めて笑った。


「遅かったな、レオン」


 その声もまた、俺とまったく同じだった。


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