第16話 信徒全員が目隠しと耳栓をしていたので、聖女に普通の礼拝を教え直しました
『導師レオン様の普通の御来訪を実現するため、神聖教都では一切の過剰歓迎を行いません』
そこまではよかった。
『ただし、導師様を直接拝見すると信徒が失神する恐れがあるため、全市民へ目隠しを配布いたします』
「普通ではない」
『さらに、導師様のお声を聞いて宗教的興奮へ陥らぬよう、耳栓も配布予定です』
「俺を見ず、声も聞かないなら、何のために歓迎するんだ!」
家の壁へ表示された通信文を前に。
ミレイユは、穏やかに微笑んでいた。
「先生、ご安心ください」
「どこに安心できる要素がある」
「教都の者たちは、先生へ失礼のないよう真剣に考えております」
「考えた結果、全員で俺を無視することになっているぞ」
「見ないことと、無視することは違います」
「耳栓までつけるんだろう」
「心で先生のお声を聞くのです」
「俺は普通に口で話したい」
「では、心と耳の両方で」
「目隠しと耳栓を外させろ」
「先生」
ミレイユが少し困った顔をする。
「信徒たちは、先生の御姿を描いた聖画へ毎日祈りを捧げております」
「やめさせろ」
「すでに百二十七年続く伝統となっております」
「俺がいなくなって十年なのに、どうして百二十七年なんだ」
「先生を題材とした古い予言書が発見されました」
「絶対に後から書かれたものだろう!」
「神殿の鑑定では、千年以上前のものです」
「俺のことではない」
「七人の少女を導き、死を越えて帰還し、多世界の境界を継承する者、と」
「俺のことに聞こえるな」
「はい」
「予言書を書いた者へ文句を言いたい」
「すでに亡くなっております」
「なら仕方ない」
俺は紙を取り出した。
帝国訪問と同じく。
神聖教都へも、事前に規則を伝える必要がある。
「一つ。目隠しをしない」
「はい」
「二つ。耳栓をしない」
「はい」
「三つ。俺を神や聖人として扱わない」
ミレイユの筆が止まった。
「先生」
「何だ」
「神と聖人には、大きな違いがございます」
「どちらも駄目だ」
「では、導師として」
「先生と呼ぶ程度ならいい」
「大導師は?」
「大をつけるな」
「救世導師は?」
「救っていない」
「世界を救われました」
「七人の世界大戦を止めただけだ」
「世界を救っております」
「とにかく、肩書を増やすな」
「……承知いたしました」
「四つ。全市民を集めて祈らない」
「礼拝は神殿の日常です」
「普段の礼拝なら構わない。俺を中心にするな」
「先生の無事を祈ることも?」
「個人が勝手に祈るのは止めない」
「では、全員が個人的に同じ時刻へ祈ることは?」
「それを集団礼拝と言うんだ」
「難しいですね」
「難しくない」
「五つ。婚姻に関係する儀式をしない」
ミレイユの笑顔が僅かに固まる。
「先生」
「帝国と同じだ」
「神殿における婚姻儀式は、神聖なものです」
「俺とお前を勝手に結婚させるなという意味だ」
「婚約祝福だけでも?」
「婚約していない」
「将来を見越した仮祝福は?」
「もっと駄目だ」
「神へ、先生とのご縁をお願いすることは?」
「一人で祈る分には好きにしろ。公的な儀式にするな」
ミレイユは紙へ書き込んだ。
「個人的な祈りは認められました」
「そこだけ嬉しそうに言うな」
「最後」
俺は最も重要なことを書く。
「ミレイユは、神聖教都で国家権力を使わない」
「神殿権力です」
「言い換えるな」
「私は神聖教国の最高責任者でもございます」
「今日は一人の女性として案内する約束だ」
「はい」
「信徒へ命令しない。奇跡を使わない。俺の言葉を神託として登録しない」
「先生のお言葉を?」
「登録するな」
「ですが、非常に大切な内容であれば」
「俺へ確認しろ」
「先生がお許しになれば、神託として?」
「ただの発言として記録するだけだ」
「……承知しました」
『聖女ミレイユの返答に、僅かな不満を確認しました』
「家」
『事実です』
「ミレイユ」
「先生のお言葉を後世へ伝えられないことが、少し残念なだけです」
「俺が死んだ後、変な教義にするなよ」
「先生」
「何だ」
「二度と、そのようなことをおっしゃらないでください」
笑顔は消えていた。
白い指が、紙を強く握っている。
「言葉の話だ」
「分かっております」
「俺も気をつける」
「……はい」
ミレイユは、少しだけ力を抜いた。
◇
神聖教都へ同行するのは。
俺。
案内役のミレイユ。
護衛役のレオ。
記録係のリタ。
帝国訪問と同じ四人だった。
「今回は、フィオナも同行したいと言っていたが」
「なぜ断ったのですか?」
「聖女が何回、我慢できず奇跡を使うか賭けると言ったからだ」
「フィオナさん」
ミレイユの笑顔が深くなる。
「帰宅後、少しお話が必要ですね」
「武力は禁止だぞ」
「普通の女性として、礼儀についてお話しするだけです」
「相手は人格記録だから、浄化も効かない」
「方法は考えます」
「考えるな」
境界門の前。
残る六人とアステラが並んでいる。
「先生」
セレスが俺へ小さな袋を渡した。
「何だ?」
「帝国で採れた空待花の種です」
「ミレイユに?」
「先生へです」
「今日の訪問と関係あるか?」
「神聖教都の土でも育つか、試していただければ」
「セレス」
「はい」
「自分で育てたい花ではなかったのか?」
「私の分は、すでに植えております」
セレスは少し照れたように微笑んだ。
「こちらは、先生が別の場所で見た時、どのように感じられるか知りたくて」
「それなら持っていく」
「ありがとうございます」
ミレイユが袋を見る。
「先生」
「何だ」
「神聖教都には、より美しい花がございます」
「競うな」
「事実をお伝えしただけです」
リリスが小瓶を差し出す。
「魔界の解毒薬だ」
「神殿で毒を盛られると思っているのか?」
「聖水は魔族には毒だ。先生にも濃すぎる可能性がある」
「俺は人間だ」
「念のため」
「ありがとう。使わずに済むといいな」
エリナは木剣を渡そうとする。
「持っていかない」
「護身用」
「レオがいる」
「弱い」
「お前と比べれば全員弱い」
「先生のほうが少し強い」
「腕輪をつけた今だけだろう」
アウラは、大きな包みを持っている。
「昼食?」
「お肉」
「神聖教都で食事を用意している」
「神殿料理は野菜が多い」
「一日くらい我慢しろ」
「先生が痩せる」
「一日で痩せない」
「お腹が減ったら食べて」
小さな干し肉だけを受け取る。
アウラは満足した。
クロエは旅費の入った財布。
「一日銀貨一枚だろう」
「神聖教都は寄付制です。先生が支払いを断られた場合に備えております」
「寄付なら自分で払う」
「先生の財布には、銀貨が三枚しかございません」
「どうして知っている」
「洗濯の際に確認しました」
「勝手に中身を数えるな」
「落とし物防止です」
「銀貨一枚だけ借りる」
「無利子で?」
「ああ」
「先生から二件目の借金」
「大切に保管せず、使わせろよ」
ノアは何も渡さない。
ただ俺を見る。
「何かあるか?」
「先生」
「何だ」
「帰ってきたら、神聖教都で見つけたものを話して」
「ああ」
「ミレイユの話だけじゃなく?」
「街のことも話す」
「約束」
小指を出す。
一度だけ絡める。
アステラは、俺から少し離れた場所に立っていた。
完成した腕輪のおかげで、今は一メートル以内へいる必要がない。
「アステラは?」
「私は昨日、最初の旅先を決めたわ」
「どこへ?」
「光世界」
「どうして」
「本物の空に、夜がない世界を見たい」
「ソレイアの故郷か」
「ええ」
「一人で?」
「最初は」
「気をつけろよ」
「寂しい?」
「少しは」
アステラが嬉しそうに笑う。
「では、ちゃんと帰ってくるわ」
「ああ」
「先生」
ミレイユが、俺とアステラの間へ静かに入った。
「出発のお時間です」
「ミレイユ」
「急いでいるだけです」
「笑顔が怖いぞ」
◇
境界門を通った瞬間。
鐘の音が聞こえた。
一度。
二度。
三度。
神聖教都の大聖堂にある、巨大な鐘。
「歓迎の鐘か?」
「いいえ」
ミレイユが答える。
「先生の御来訪による興奮を鎮めるため、深呼吸の合図です」
「どうして鐘で深呼吸する」
「一回目で吸い」
鐘が鳴る。
「二回目で止め」
鐘。
「三回目で吐きます」
街全体から。
「すうううううううっ」
何万人もの息を吸う音。
静寂。
「はあああああああっ」
大きな吐息が響いた。
「気持ちは落ち着いたのか?」
「もう一度必要かもしれません」
「いらない」
門の向こう。
白い大理石の建物。
黄金ではなく、淡い青と白を基調にした街並み。
中央には、巨大な大聖堂。
美しい教都だった。
ただし。
「ミレイユ」
「はい」
「全員、目隠しをしているぞ」
大通りに並ぶ信徒たち。
老若男女。
神官。
商人。
兵士。
子供。
全員、白い布で目を覆っている。
耳には。
「耳栓もしているな」
「規則は伝えました」
「では、なぜ」
先頭にいた神官が大声で叫ぶ。
「大導師レオン様の御姿を直接拝見するなど、恐れ多い!」
「大をつけるな!」
反応がない。
耳栓をしている。
「聞こえてないじゃないか!」
「先生」
ミレイユが神官の肩へ触れる。
普通の女性と同じ力しかないため、軽く叩く。
神官は驚いて飛び上がった。
「せ、聖女様!?」
「目隠しと耳栓を外してください」
「しかし!」
「先生がお望みです」
「先生の?」
「はい」
神官は震える手で耳栓を外した。
「本当に?」
「俺は普通に話したい」
神官は俺の声を聞いた瞬間。
両膝をついた。
「お声が!」
「立ってくれ」
「私の耳へ、直接!」
「声は普通、耳へ入る」
「生きていてよかった……!」
「大げさだ!」
周囲の信徒たちも。
神官の様子に気づき。
次々に耳栓を外す。
俺の声を聞き。
膝をつく。
目隠しを外し。
俺を見て。
何人かは本当に気を失った。
「倒れたぞ!」
「先生のお姿を拝見した喜びによるものです」
「治療しろ!」
「奇跡は禁止されております」
「普通に水を飲ませて休ませろ!」
「承知しました」
ミレイユは倒れた女性の隣へしゃがむ。
自分の手で体を支え。
周囲の神官へ、水と布を頼んだ。
光輪も。
奇跡もない。
ただの一人の女性として。
一人ずつ様子を見る。
「皆様」
ミレイユが信徒たちへ呼びかけた。
声は大きくない。
だが、街は静かになった。
「先生は、跪くことを望んでおられません」
信徒たちが俺を見る。
「祈ることも?」
一人の少女が尋ねる。
「祈るなとは言わない」
俺は答えた。
「ただ、目の前で倒れている者がいたら、先に助けてくれ」
信徒たちが一斉に周囲を見る。
倒れた者。
転んだ者。
目隠しで道へ迷った者。
その者たちへ手を貸し始める。
「先生」
ミレイユが俺を見る。
「今のお言葉を、記録しても?」
「普通の発言としてなら」
「はい」
ミレイユは胸の前で手を組む。
「祈る前に、目の前の者へ手を差し伸べる」
「教義にするなよ」
「先生のお言葉ではなく、私が大切だと思った考えとして伝えます」
「それならいい」
「神聖教国の新たな基本方針として」
「国家規模にするな!」
「ですが、よい考えです」
「先に議会や信徒へ聞け」
ミレイユの動きが止まる。
「……はい」
昨日までなら。
俺が言った。
よい言葉だ。
神聖教国へ広める。
その順番だった。
今は。
使う者の意見を聞こうとしている。
「成長したな」
「先生」
「今回は頭を撫でないぞ」
「まだ、何もお願いしておりません」
「顔に書いてある」
「訪問終了後に改めてお願いします」
「覚えていたらな」
「必ず覚えております」
◇
大聖堂へ向かう前に。
ミレイユが案内したのは、小さな診療所だった。
「ここが最初なのか?」
「はい」
「神聖教都の中心は、大聖堂では?」
「先生には、こちらから見ていただきたいのです」
扉を開く。
中は混雑していた。
神官だけではない。
普通の医師。
薬師。
機械技師。
魔族の呪術師。
さまざまな者が働いている。
「神殿の治療施設なのか?」
「教国共同医療院です」
「神聖術だけではないんだな」
「はい」
ミレイユは、一つの病室へ入る。
中では。
足を失った元兵士が、金属の義足を調整していた。
隣にはA―七七一九と同じ世界の技師。
「聖女様」
兵士が立ち上がろうとする。
「そのままで構いません」
「しかし、導師様が」
「治療を優先してください」
ミレイユは義足を見る。
「調子はいかがですか?」
「昨日より、よく動きます」
「痛みは?」
「少し」
「神聖術で消すこともできますが」
「自分の痛みが分からなくなるほうが怖いです」
「分かりました」
ミレイユは否定しなかった。
「痛みが強くなった時だけ、お知らせください」
「はい」
俺たちは病室を出る。
「昔のお前なら、すぐ治そうとしただろう」
「はい」
「なぜ変えた」
「治せるものは、すべて治すことが正しいと思っておりました」
「違った?」
「私の奇跡を望まない方がいたのです」
廊下を歩く。
「どうして?」
「神から与えられた形へ戻ることを、強制されているように感じる、と」
「それで、話を聞いたのか」
「最初は、理解できませんでした」
ミレイユは自分の手を見る。
「苦しみを消せるのに、なぜ断るのか」
「ああ」
「先生なら、まず相手が何を望むか聞くと思いました」
「俺がいないのに?」
「先生のお声を、何度も思い出しました」
「それで、神聖術以外も?」
「はい」
「神殿の反対は?」
「大きなものがございました」
「どうした」
「三年間、話し合いました」
「長いな」
「反対派の神官全員と、一人ずつ」
「全員?」
「八千二百四十一名です」
「多すぎる!」
「一日に十名ほど」
「三年かかるな」
「はい」
「途中で奇跡を見せて黙らせようと思わなかった?」
「二千回ほど」
「多いな」
「ですが、我慢しました」
「よく我慢した」
ミレイユの顔が明るくなる。
「先生」
「頭は後だ」
「……はい」
共同医療院には。
信徒だけでなく。
他宗教の者。
無神論者。
魔族。
異世界人。
誰でも治療を受けられる。
「寄付をしない者も?」
「もちろんです」
「神を信じない者も?」
「命に、信仰の有無は関係ありません」
「立派だな」
「先生が教えてくださいました」
「そこまで教えた覚えはない」
「弱い者を、力を示すために傷つけるな」
「ああ」
「治療を信仰へ従わせることも、力を使って相手を支配することだと思いました」
俺はミレイユを見る。
昔。
神殿へ見捨てられ。
神の声を聞けるという理由で利用され。
それでも。
誰かを救おうとした少女。
今は。
神聖教国の頂点へ立ちながら。
神を信じない者まで守っている。
「先生」
「何だ」
「先ほどから、私を見ておられます」
「悪いか?」
「いいえ」
少し頬が赤くなる。
「もっと見ていただいても構いません」
「調子に乗るな」
「先生が、今の私を知りたいとおっしゃいましたので」
「ああ」
「どう見えますか?」
「まだ途中だ」
「今の時点では?」
「昔より、ずっと強くなった」
「聖女として?」
「一人の人間としてだ」
ミレイユは足を止めた。
「先生」
「何だ」
「もう一度」
「何度も言わせるな」
「私は、強くなりましたか?」
「ああ」
「奇跡を使わなくても?」
「今のお前を見れば分かる」
ミレイユの瞳が潤む。
「先生から、そのように言っていただける日を」
一度、息を整える。
「ずっと待っておりました」
「十年も待たせたな」
「はい」
「すまない」
「謝らないでください」
ミレイユは笑う。
「帰ってきてくださっただけで、十分です」
「それでもだ」
「では」
ミレイユが右手を差し出す。
「一つだけ、お願いを聞いていただけますか?」
「内容は?」
「この先の病棟を、手をつないで歩いてください」
「どうして」
「少しだけ、昔の私に戻りたくなりました」
「女性として見てほしいのでは?」
「今だけは」
差し出された手は。
最高位聖女の手ではない。
神聖教国の支配者でもない。
俺が昔。
暗い神殿の地下で見つけた少女の手だった。
「病棟の出口までだ」
「はい」
俺は、その手を取った。
ミレイユの指は。
昔より大きく。
温かかった。
◇
次に案内されたのは。
教都の地下。
厳重な扉の向こうにある病棟だった。
「ここが、昨日話していた場所か?」
「はい」
ミレイユにしか治せない病を持つ者。
七十二名。
透明な壁で区切られた部屋。
眠っている者。
祈る者。
苦しそうに息をする者。
種族も年齢も違う。
「何の病だ」
「神聖力過敏症です」
「神聖力へ?」
「奇跡や加護を受けすぎた者に、稀に起こります」
「神の力で病になるのか?」
「薬も、使い方を誤れば毒となります」
ミレイユは静かに答えた。
「この病は、神聖術で治そうとするほど悪化します」
「では、どうやって」
「神聖力を少しずつ抜きます」
「お前にしかできない?」
「以前は、そうでした」
「以前?」
病棟の奥。
小さな工房があった。
歯車。
金属。
水晶。
机の上には。
ミレイユが修理していた小さな機械と似た装置が置かれている。
「これは?」
「神聖力を吸収し、別の力へ変換する機械です」
「お前が作ったのか?」
「A―七七一九さんや、機械世界の技師と共に」
「昨日、初めて機械を直したんじゃなかったか?」
「はい」
「一日で?」
「私は構造の理解を始めただけです。設計は技師の皆様です」
「では、なぜここに」
「私の神聖力を計測し、病の原因を探るためです」
ミレイユは装置へ手を置く。
「奇跡で治せないなら、奇跡以外の方法を探します」
「成功しそうか?」
「まだ分かりません」
「怖くないのか」
「怖いです」
「失敗するかもしれない」
「はい」
「患者に責められるかも」
「はい」
「神殿から、聖女が機械へ頼るのかと言われるかもしれない」
「すでに言われました」
「どう答えた」
「患者が望むなら、私は神以外にも頭を下げます、と」
ミレイユは装置を見る。
「先生」
「何だ」
「私は、神を信じています」
「ああ」
「神のお声を聞くこともできます」
「ああ」
「ですが」
少しだけ笑う。
「神が、いつも正しいとは思わなくなりました」
「そんなことを言っていいのか?」
「本人へも伝えております」
「神本人に?」
「はい」
「怒られなかった?」
「三日ほど、雷が鳴り続けました」
「怒っているじゃないか!」
「その後、話し合いました」
「神とも話し合うのか」
「先生から教わりましたので」
「神相手に使うとは思わなかった」
「神も、最後まで私の話を聞いてくださいました」
「結論は?」
「私が正しいとは認めませんでした」
「頑固だな」
「ですが、私が自分で選ぶことを認めてくださいました」
「それで十分か」
「はい」
最高位聖女。
神の声を聞く者。
だが。
神の命令へ従うだけではない。
自分で考え。
患者の声を聞き。
必要なら神とさえ意見を違える。
「立派な聖女になったな」
俺が言うと。
ミレイユは少しだけ首を振った。
「先生」
「何だ」
「私は、立派な女性になりましたか?」
セレスと同じ。
女帝としてではなく。
聖女としてでもなく。
今の自分を、女性として見てほしい。
「なったと思う」
「本当ですか?」
「ああ」
「先生が、女性として意識なさる程度には?」
「そこまで聞くのか」
「大切です」
「……意識している」
ミレイユの光輪は、腕輪によって消えている。
それでも。
顔の周囲が、明るく輝いたように見えた。
「先生」
「何だ」
「今のお言葉を、神託として」
「登録するな!」
「冗談です」
「お前が言うと冗談に聞こえない」
「心の聖典へだけ、記録いたします」
「それは止められないな」
◇
昼食は。
共同医療院の食堂で取ることになった。
豪華な料理ではない。
野菜のスープ。
黒いパン。
豆の煮物。
少量の魚。
「神殿料理らしいな」
「先生には、もっとよいものを用意できます」
「これでいい」
「本当に?」
「患者や職員と同じ食事を食べたい」
ミレイユは少し嬉しそうに、自分の皿を取った。
俺たちが座る。
隣にミレイユ。
向かいにレオとリタ。
周囲には、医師や神官。
最初は皆、緊張していた。
だが。
俺が普通にパンをちぎり。
スープへ浸して食べると。
少しずつ、食事へ戻っていった。
「先生」
ミレイユが尋ねる。
「お味はいかがですか?」
「薄い」
「健康のためです」
「もう少し塩が欲しい」
「塩分は、一日に」
「少しくらいならいいだろう」
「先生」
「駄目か?」
ミレイユは塩入れを見る。
俺を見る。
「少量だけです」
「ありがとう」
隣の医師が、驚いた顔でミレイユを見る。
「聖女様が、食事へ塩を追加することを認められた」
「珍しいのか?」
「以前は、健康基準を一切曲げられませんでした」
「先生」
ミレイユの笑顔が固まる。
「患者の健康のためです」
「本人が嫌がっても?」
「以前は」
「今は?」
「理由を説明し、ご本人に選んでいただきます」
「成長したな」
「先生から褒めていただけるのであれば、塩を少し追加することも悪くありません」
「俺だけ特別扱いするな」
「先生の健康は、世界に関わります」
「話が戻っているぞ」
食事中。
一人の少年が、俺たちの席へ来た。
片腕に包帯。
「導師様」
「レオンでいい」
「レオン様」
「何だ?」
「聖女様と結婚するの?」
ミレイユの匙が止まる。
どの国でも。
子供は容赦がない。
「まだ決まっていない」
「聖女様は、したい?」
少年がミレイユを見る。
「はい」
即答だった。
周囲の神官たちが息を呑む。
「隠さないんだな」
「先生から、正直に話すよう教わりました」
「都合よく使うな」
「でも、聖女様」
少年が言う。
「結婚したら、ここをやめる?」
ミレイユの動きが止まる。
「なぜですか?」
「前の神官が、女の人は結婚したら家にいるって」
「その神官は誰だ」
ミレイユの声が少し低くなる。
「国家権力を使うなよ」
「普通の女性として、お話を聞くだけです」
「怖いからやめろ」
ミレイユは少年へ向き直る。
「私は、結婚しても聖女を続けます」
「先生の家に行くんじゃないの?」
「神殿と先生のお家を往復します」
「忙しいよ?」
「はい」
「また寝なくなる?」
少年の言葉に。
ミレイユは黙った。
「聖女様、前に倒れた」
「いつ?」
俺が尋ねる。
「三か月前」
「ミレイユ」
「少し働きすぎただけです」
「何日寝ていなかった」
「四日ほど」
「四日!?」
「患者が多く」
「倒れた後は?」
「半日休みました」
「少ない!」
「その後、皆様から叱られました」
「当然だ」
「先生」
「一週間休め」
ミレイユの顔が変わる。
「セレスと同じですか?」
「ああ」
「ですが、七十二名の患者が」
「機械の研究を進めているんだろう」
「まだ完成しておりません」
「お前が倒れたら、もっと困る」
「しかし」
「神殿には、お前以外の者もいる」
「先生」
「一週間だ」
「……理由を聞いても?」
「お前に倒れてほしくない」
ミレイユの頬が少しずつ赤くなる。
「先生が、私を心配して?」
「当たり前だ」
「女性として?」
「今、その確認が必要か?」
「大切です」
「一人の大切な女性として心配している」
食堂が静まり返った。
ミレイユの手から、匙が落ちた。
「先生」
「まだ結婚の答えではないぞ」
「はい」
「好きだと決めたわけでも」
「大切な女性」
「そこだけ聞くな」
「一週間、休みます」
「急に素直だな」
「先生が、大切な女性と」
「分かったから」
周囲の神官たちが。
一斉に紙へ書き始める。
「記録するな!」
「神託ではございません!」
「歴史的発言の記録です!」
「もっと駄目だ!」
◇
午後。
ようやく大聖堂へ到着した。
巨大な扉。
高い天井。
色ガラスから差す光。
中央には。
神の像。
その隣に。
「俺の像がある」
「はい」
「撤去しろと言っただろう」
「今回の御来訪用ではなく、既存のものです」
「帝国と同じ言い訳をするな」
「先生の像ではありません」
「どう見ても俺だ」
「名称は『名もなき導師像』です」
「顔が俺だ」
「偶然です」
「服も同じだ」
「予言書を参考にしました」
「俺じゃないか!」
像の前には。
大量の花。
手紙。
食べ物。
子供の絵。
「これは?」
「信徒からのお供えです」
「食べ物は誰が食べる」
「毎日、孤児院や共同食堂へ送っています」
「捨ててはいないんだな」
「はい」
「手紙は?」
「先生への相談です」
「俺が読むのか?」
「読めないことは分かっていますので、神官たちが返事を書きます」
「俺の名義で?」
「いいえ」
ミレイユは一通の手紙を取る。
「先生なら、まずあなたの話を聞くでしょう。私たちでよければお聞かせください、と」
「それならいい」
「先生」
「何だ」
「像は残しても?」
「俺を崇拝するためではなく、相談するきっかけとして使うなら」
「はい」
「だが、本人へ相談できる者は、像より生きている人へ話せと伝えろ」
「記録しても?」
「普通の発言として」
「承知しました」
大聖堂では。
普段どおりの礼拝が始まった。
俺を中心にしない。
神へ。
病気の者へ。
失われた世界へ。
今日生きる者へ。
静かな祈りが捧げられる。
俺は一番後ろの席へ座った。
隣にミレイユ。
「お前は前へ行かなくていいのか?」
「今日は、一人の信徒として」
「神へ何を祈る」
「先生との婚姻を」
「公的な儀式ではないが、本人の隣で祈るな」
「では、先生の健康を」
「それなら」
「先生が、私をもっと女性として好きになってくださることを」
「増えているぞ」
「個人的な祈りは認められました」
「神も困るだろう」
その時。
大聖堂の天井から。
低い声が響いた。
『我へ頼むな』
礼拝堂が静まり返る。
「今のは?」
「神です」
ミレイユが、少し不満そうに天井を見る。
「神よ」
『本人と話せ』
「話しております」
『ならば我を巻き込むな』
「少しだけ、後押しを」
『断る』
「理由を伺っても?」
『レオンが望んでおらぬ』
俺は思わず笑った。
「神のほうが、お前より授業を理解しているな」
「先生」
ミレイユが天井を見たまま言う。
「神は、最近少し先生に似てきました」
『不本意である』
「俺も不本意だ」
『だが、相手の話を聞くことは悪くない』
礼拝堂の信徒たちが。
驚いたように神の声を聞いている。
『ミレイユ』
「はい」
『休め』
「先生からも言われました」
『十年前より、我の言葉は聞かぬのに、レオンの言葉は聞くのだな』
「先生は、理由を説明してくださいます」
神が黙った。
「喧嘩するなよ」
『喧嘩ではない』
「話し合いです」
「似ているな、お前たち」
『似ておらぬ』
「似ておりません」
声が重なった。
神と聖女の関係も。
昔とは変わっている。
命令する神。
従う聖女。
ではない。
意見を言い。
時に反対し。
それでも互いを信じる。
「ミレイユ」
「はい」
「よい神と、よい関係を作ったな」
『レオン』
「何だ」
『ミレイユを、よろしく頼む』
ミレイユの顔が一気に赤くなる。
「婚姻の意味ではないだろうな」
『本人たちで決めよ』
「正論だ」
「神よ」
『何だ』
「ありがとうございます」
『まず休め』
「……はい」
◇
帰る前。
ミレイユは、俺を大聖堂の裏へ連れていった。
小さな部屋。
豪華な装飾はない。
机。
椅子。
本棚。
壊れた機械。
工具。
そして壁一面に。
紙が貼られていた。
「これは?」
「私が、先生へ話したかったことです」
「十年分?」
「はい」
最初の紙。
『今日、初めて自分で患者の話を最後まで聞けました』
次。
『神と喧嘩しました』
『治療を断られました。なぜか分からず、泣きました』
『奇跡を使わず、一人の傷を洗いました』
『神殿へ魔族を入れました。三百人が辞職しました』
『戻ってきた者が、百二十人いました』
『先生なら、どうしたでしょう』
無数の紙。
「日記ではないのか」
「先生へ送る手紙です」
「送れなかった」
「送り先がありませんでした」
ミレイユは壁の一番端へ歩く。
最後の紙。
『先生が帰ってきました』
それだけ。
「書くことが少ないな」
「手が震えて、書けませんでした」
「そうか」
「先生」
「何だ」
「すべて読んでいただけますか?」
「今日、全部は無理だ」
「少しずつで構いません」
「セレスの日記も十冊ある」
「私の手紙は九千八百七十二枚です」
「多すぎる!」
「毎日、二枚から三枚ほど」
「一日に何枚読ませる気だ」
「百枚」
「三か月かかるぞ」
「先生と三か月、手紙を読む時間」
「そういう狙いか?」
「少しだけ」
「一日十枚だ」
「少ないです」
「これ以上は無理だ」
「二十枚」
「十枚」
「十五枚」
「交渉するな」
「授業で、交渉自体は禁止されていないと」
「明確に断る。十枚だ」
「……承知しました」
「本当に諦めたな」
「はい」
「成長した」
「頭を撫でていただいても?」
「訪問が終わったからな」
俺はミレイユの頭へ手を置く。
光輪はない。
柔らかな白い髪。
昔。
褒められることに慣れていなかった少女。
今。
多くの者を救い。
神とさえ話し合う女性。
「よく頑張ったな」
ミレイユは目を閉じた。
「はい」
「俺がいない十年間も」
「はい」
「奇跡へ頼らず、自分で考えた」
「はい」
「立派だった」
ミレイユの目から。
一筋だけ涙が落ちた。
「先生」
「何だ」
「私を、好きになれそうですか?」
「聖女としてのお前は、好きだと思う」
「女性としては?」
「知れば知るほど、意識している」
ミレイユは。
泣きながら笑った。
「それで、今は十分です」
「今は、か」
「いつかは、もっと望みます」
「正直だな」
「先生の生徒ですので」
◇
地下都市へ戻る。
境界門の前には。
残る六人とアステラ。
そして。
一週間の休暇へ入ったセレスが、空待花の鉢を持って立っていた。
「お帰りなさいませ、先生」
「ただいま」
「神聖教都はいかがでしたか?」
「よい街だった」
「ミレイユは?」
「立派な聖女だった」
ミレイユが胸の前で手を組む。
「先生から、聖女としての私は好きだと」
空気が止まった。
「ミレイユ」
「何でしょう」
「そこだけ先に報告するな」
「最も重要ですので」
「女性としても意識していると?」
セレスが俺を見る。
「どうして分かった」
「ミレイユの顔です」
「先生」
リリスが俺へ近づく。
「次は魔界だ」
「ああ」
「私も、魔王として立派だ」
「自分で言うな」
「見れば分かる」
「明日すぐには行かないぞ」
「なぜだ」
「ミレイユも一週間休むことになった」
七人がミレイユを見る。
「休暇?」
クロエ。
「神殿の運営計画を」
「仕事をさせるな」
「セレスと二人で休む」
アウラが嬉しそうに言う。
「私は機械の修理を」
「休め」
「趣味です」
「一日に二時間までだ」
「先生」
「駄目か?」
「……承知しました」
ミレイユは素直に頷いた。
「先生」
ノアが俺の袖を引く。
「話」
「ああ」
俺は神聖教都で見たことを話す。
診療所。
神聖術を望まない者。
機械と奇跡。
神と意見を交わすミレイユ。
ユキの薬草園。
そして。
「神も、相手の話を聞くことを覚えた」
「神も生徒?」
アウラが尋ねる。
「本人へ聞くなよ」
その時。
家の壁へ。
魔界からの通信が届いた。
『次回、魔王リリス様による魔界御案内について』
「来たか」
リリスが胸を張る。
「魔界は、帝国や神殿とは違う」
「普通に迎えてくれるのか?」
「もちろんだ」
通信文を読む。
『導師レオン様を普通の人間として歓迎するため、魔界全住民は人間の姿へ変身いたします』
「普通ではない!」
『魔界特有の毒、瘴気、暗闇、悲鳴、血の雨を一時停止し、人間世界と同じ環境へ変更します』
「生態系が壊れるだろう!」
リリスの顔が固まる。
「私は命じていない」
「止めろ!」
「普通の女として頼む」
「今すぐ頼め!」
リリスは通信具を取った。
「魔界宰相へ繋げ」
『はっ、魔王陛下!』
「人間化計画を中止しろ」
『すでに魔族の七割が人間姿へ変身済みです!』
「戻せ!」
『しかし、導師様を恐れさせぬために!』
「俺は魔族を怖がらない!」
俺が通信具へ叫ぶ。
『なんと!』
「角も翼も、そのままでいい!」
『ありのままの我々を、受け入れてくださると!?』
「そう言っている!」
『全魔界へ伝えます!』
「普通に伝えろよ!」
『魔界の民よ! 導師レオン様は、我らの角も翼も愛してくださる!』
「愛しているとは言っていない!」
『ありのままの魔族を御覧になりたいとのこと!』
「見るとは言った!」
『なお、魔王陛下の十二枚の翼については、特に美しいと!』
「それも言っていない!」
リリスが俺を見る。
「先生」
「何だ」
「私の翼は、美しくないのか?」
「今そこを気にするな」
「大切だ」
「……きれいだと思う」
リリスの十二枚の翼が、一斉に広がった。
周囲の七人が吹き飛ばされる。
「リリス!」
「先生が、私の翼を美しいと!」
「先に全員を起こせ!」
帝国。
神聖教都。
そして次は魔界。
七人の国を巡るたび。
俺は、知らなかった十年間の彼女たちを知っていく。
同時に。
七人が俺の一言を。
国家規模の歓迎理由へ変えてしまうことも、知り始めていた。
次の魔界では。
ありのままの魔族を見たいと言った俺を迎えるため。
なぜか全魔族が。
普段より角を大きくし。
翼を増やし。
瘴気を濃くし始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になる、面白かったと思っていただけましたら、ページ下部からブックマークと評価で応援していただけると嬉しいです。
皆さまの応援が、今後の更新の大きな励みになります。




