第13話 世界の頂点に立つ八人へ「駄目」と言ったら、全員が抜け道を探し始めた
共同生活四日目。
朝。
俺が居間へ入ると、世界の頂点に立つ八人の女性が一列に並んでいた。
全員、昨日家から渡された制服を着ている。
白い上着。
紺色の外套。
同じ色の長いスカート。
胸元には、七冠王国の小さな印。
服そのものは、全員同じはずだった。
ただし。
「セレス」
「はい、先生」
「肩についている金色の飾りは何だ」
「帝国皇帝を示す肩章です」
「今日は生徒だ」
「皇帝であることを隠す必要はないかと」
「外せ」
「先生」
「駄目だ」
セレスの手が止まった。
まだ授業は始まっていない。
だが、今日の第三時間目は。
『先生が断った時は諦める』
セレスは金色の肩章を見た。
俺を見る。
再び肩章を見る。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「全員、同じ立場で授業を受けるためだ」
「私だけではなく、全員が装飾品を外すのですね?」
「ああ」
「承知しました」
セレスは素直に肩章を外した。
少し不満そうだが、昨日までなら。
「これは帝国皇帝の正式な装飾ですので、個人所有物です」
などと言って残していただろう。
「ミレイユ」
「はい」
「頭の白い布は?」
「聖女の清浄なるベールです」
「外せ」
「先生」
「駄目だ」
「理由を」
「セレスと同じだ」
「……承知いたしました」
ミレイユも素直にベールを外す。
「リリス」
「何だ」
「その黒い外套は制服ではないだろう」
「翼を隠すためだ」
「翼が全部はみ出している」
十二枚の黒い翼が、外套の左右から大きく広がっている。
まったく隠れていない。
「では、制服に穴を開ける」
「家がすでに翼用の制服を用意していただろう」
「背中が寒い」
「外套を使ってもいいが、魔王の紋章は外せ」
「嫌だ」
「駄目だ」
「……」
リリスが俺を睨む。
俺も見る。
「理由は?」
「生徒として参加するためだ」
「私は魔王でもある」
「知っている。だが、授業中は俺の生徒だ」
リリスの翼がわずかに震えた。
「先生の、生徒」
「ああ」
「では外す」
黒い外套から魔王の紋章だけを取り外す。
表情は、少し嬉しそうだった。
「エリナ」
「何?」
「腰の剣」
「木剣」
「授業に必要ない」
「護身用」
「腕輪で普通の女性と同じ身体能力しかないお前が、剣を持ち歩くほうが危険だ」
「でも」
「教室へ置いていくのは駄目だ」
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてある」
エリナは木剣を見つめる。
「駄目?」
「駄目だ」
「理由は?」
「今日の授業に剣は使わない」
「明日は?」
「明日の授業内容による」
「分かった」
エリナも木剣を壁へ立てかけた。
以前なら。
使わないから持っているだけ。
鞘から抜かなければ問題ない。
木剣だから武器ではない。
そんなことを言っていたはずだ。
少しずつ、変わっている。
「アウラ」
「何?」
「制服の前が膨らんでいる」
「何もない」
「動いているぞ」
「気のせい」
「開けろ」
「先生」
「駄目だ」
「まだ何もお願いしてない」
「制服の中へ食べ物を隠すのは駄目だ」
「……」
アウラが制服の前を開く。
中から。
パンが三個。
干し肉が五枚。
大きな林檎が二個。
小さな樽が一つ出てきた。
「どうやって入っていた」
「頑張った」
「樽の中身は?」
「お肉」
「樽に肉を入れるな」
「一時間目で、お腹が減るかもしれない」
「朝食を食べたばかりだろう」
「少なかった」
「牛半頭分を食べていたぞ」
「いつもの半分」
「昼まで我慢しろ」
「駄目?」
「駄目だ」
アウラは尻尾を下げる。
少し可哀想に見える。
だが、ここで負けてはいけない。
「理由は?」
「授業中に食べ始めれば、ほかの者も集中できない」
「お腹が鳴ったら?」
「水を飲め」
「先生が頭を撫でれば、我慢できる」
「条件を追加するな」
「駄目?」
「駄目だ」
「……分かった」
アウラは食料をリタへ預けた。
「お昼まで守って」
「はい」
「一個も食べないで」
「食べません」
「半分も?」
「食べません」
「匂いだけなら?」
「アウラ。授業へ行くぞ」
「うん」
「クロエ」
「はい、先生」
クロエは制服を完璧に着こなしている。
装飾品もない。
見た目だけなら、何も問題はなかった。
「その鞄の中は?」
「学習用具です」
「本当に?」
「もちろんです」
「開けてくれ」
「先生は、私を信用しておられないのですか?」
「開けてくれ」
「駄目、と言われる前に確認なさるのですね」
「開けろ」
クロエが鞄を開いた。
中には。
筆記具。
紙。
教本。
金貨五百枚。
契約書百枚。
商業連盟の印章。
小型通信機。
複数の会社の株券。
『レオン学園公式制服販売計画書』
と書かれた資料が入っていた。
「学習用具は三分の一だけだな」
「残りも、今後の学習に必要となる可能性があります」
「金貨五百枚が?」
「緊急時の資金です」
「一日銀貨一枚の決まりは?」
「個人資産を使用しなければ、所持するだけなら問題ないかと」
「鞄へ戻せ」
クロエの顔が明るくなる。
「所持は認めていただけるのですね」
「違う。金庫へ戻せ」
「先生」
「駄目だ」
「理由を」
「金で授業中の問題を解決しようとするからだ」
「私は、まだ何も解決しておりません」
「今後もするな」
「制服販売計画だけでも」
「駄目だ」
「利益の半分を講習会へ」
「駄目だ」
「九割を」
「金額の問題ではない」
「原価販売なら?」
「今日の授業中には考えるな」
クロエはしばらく計画書を見た。
「……承知しました」
「ノア」
「ここ」
声が聞こえた。
だが姿がない。
腕輪によって、影へ潜れないはずだ。
俺は居間を見回す。
「どこだ」
「セレスの後ろ」
セレスが横へずれる。
その後ろに、ノアがいた。
制服の外套を頭から被り、完全に顔を隠している。
「顔を出せ」
「人が多い」
「いつもの八人だ」
「制服を見られる」
「全員、着ているだろう」
「恥ずかしい」
「似合っているぞ」
ノアの外套が少しだけ持ち上がる。
片目が見えた。
「本当?」
「ああ」
「可愛い?」
「可愛いと思う」
外套が完全に下がった。
ノアの顔が見える。
「では、これでいい」
「単純だな」
「先生が可愛いって言った」
「授業中は顔を隠すなよ」
「先生だけ見る」
「前も見ろ」
「努力する」
最後。
「アステラ」
「何?」
「制服が、ほかの者と違うように見える」
「虚無の力で少しだけ変えたわ」
白い制服の布へ、夜空のような模様が浮かんでいる。
胸元には小さな星。
スカートの裾は、黒から銀へ色が変わっていた。
「元へ戻せ」
「このほうが私に似合う」
「生徒全員、同じ服だ」
「私は異世界人よ」
「ここでは同じ生徒だ」
「でも」
「駄目だ」
「レオン」
「駄目だ」
「まだ理由を聞いていないわ」
「全員、同じ立場で授業を受けるため」
「私だけ、核が魂に入っている特別な関係なのに?」
「それは制服と関係ない」
「婚約者なのに?」
「認めていない」
「虚無の文化では」
「今日は生徒だ」
アステラは俺を見る。
制服を見る。
七人を見る。
「……分かったわ」
指を鳴らす。
制服から星空の模様が消え、ほかの七人と同じ姿になった。
「これで満足?」
「ああ。似合っている」
アステラの顔が明るくなる。
「最初からそう言ってくれれば、すぐ戻したのに」
「それでは授業にならない」
◇
期間限定相互理解講習会。
八人の再教育教室。
一時間目。
『先生の話を最後まで聞く』
家が作った教室には、机が八つ並んでいた。
前には黒板。
俺用の机。
窓の外には、地下都市の人工空が見える。
八百四十二世界の代表者へ向けた講習は午後から。
午前中は、七人とアステラの授業だ。
「席は家が決めたとおりに座れ」
俺が言うと、八人が黒板を見る。
座席表が表示されていた。
一列目。
右にミレイユ。
左にリリス。
二列目。
右にエリナ。
左にクロエ。
三列目。
右にアウラ。
左にアステラ。
最後列。
右にセレス。
左にノア。
教室が静まり返った。
「家」
セレスが声を上げる。
「なぜ、私は最後列なのですか?」
『抽選です』
「先生から最も遠い場所です」
『はい』
「皇帝の視力であれば黒板は見えますが、現在は腕輪によって普通の女性と同程度です」
「見えないのか?」
「先生のお顔の細かな表情までは」
「黒板を見ろ」
「先生も見ます」
「話を聞く時はな」
ミレイユが一列目の席へ座りながら微笑む。
「先生のお声が、よく聞こえる席ですね」
セレスがミレイユを見る。
「席の交換をお願いしても?」
「お断りします」
「理由を聞いても?」
「私も先生のお近くがよいからです」
「では、交渉を」
「セレス」
「はい」
「家の決めた席へ座れ」
「ですが」
「駄目だ」
「……理由は?」
「授業を始めるためだ」
「承知しました」
セレスは最後列へ座った。
何度も振り返りながら。
ノアはセレスの隣の席へ座らず、机の下へ入ろうとしている。
「ノア」
「何?」
「椅子へ座れ」
「机の下のほうが落ち着く」
「授業を受けられないだろう」
「先生は見える」
「黒板が見えない」
「先生の話を聞く授業」
「椅子へ座れ」
「駄目?」
「駄目だ」
ノアは渋々椅子へ座った。
ただし、机の後ろから顔の半分だけを出している。
アウラは椅子へ座ろうとして、自分の尻尾を踏んだ。
「痛い」
「尻尾用の穴が椅子にあるだろう」
「通すの難しい」
「アステラ、手伝ってやってくれ」
「私が?」
「隣だろう」
アステラがアウラの尻尾を持ち上げ、椅子の穴へ通す。
「重いわね」
「竜の尻尾」
「少し小さくできないの?」
「できるけど、腕輪で魔力が使えない」
「私の虚無で切り離したら?」
「絶対にするな!」
「冗談よ」
「顔が本気だったぞ」
リリスは翼が邪魔で椅子へ座れない。
何度座ろうとしても、翼が机へ当たる。
「先生」
「何だ」
「床へ座る」
「机を後ろへ下げる」
「先生から遠くなる」
「では、翼を前へ畳めるか?」
「胸の前へ?」
「ああ」
リリスが十二枚の翼を、自分の体へ巻きつける。
黒い大きな球のようになった。
顔だけが翼の間から出ている。
「見えにくい」
「だが座れる」
「先生から見ると、どうだ?」
「少し面白い」
「可愛くはないか?」
「可愛いと思う」
「ならよい」
本当に単純だ。
「では、授業を始める」
俺は黒板へ向き直った。
「一時間目は、先生の話を最後まで聞くことだ」
「先生」
ミレイユが手を上げる。
「もう質問か?」
「いつまで聞けばよろしいのでしょう」
「最後までだ」
「先生がお話を終えられたと、どのように判断すれば?」
「俺が、以上、と言う」
「承知しました」
「では」
俺は黒板へ文字を書く。
『話を聞く』
「相手の話を最後まで聞くために、まず必要なことは――」
「先生」
セレスが手を上げる。
「何だ」
「黒板の文字が少し小さいです」
「最後まで聞け」
「しかし、見えないままでは授業内容を」
「聞くことが授業だ」
「……はい」
「まず必要なのは、自分の返事を考える前に――」
「先生」
クロエが手を上げる。
「何だ」
「授業時間は何分を予定していますか?」
「五十分だ」
「休憩は?」
「十分」
「授業効率を考えますと、四十五分授業、十五分休憩のほうが」
「最後まで聞け」
「失礼しました」
「相手が何を言いたいのか、言葉の途中で決めつけない――」
「先生」
アウラが手を上げる。
「何だ」
「お腹が減った」
「最後まで聞け!」
「でも、今言わないとお腹がもっと減る」
「昼まで我慢しろ」
「分かった」
「人は、相手の最初の言葉を聞いた時点で――」
「先生」
エリナ。
「何だ」
「話を聞いている間、剣の手入れをしてもいい?」
「剣は持ってきていないだろう」
「想像で」
「話へ集中しろ」
「分かった」
「相手の結論を、自分の予想で決めてしまうことがある――」
「先生」
ノア。
「今度は何だ」
「先生の声、眠くなる」
「寝るな」
「心地いい」
「最後まで聞け」
「努力する」
「特に、親しい者ほど――」
「レオン」
アステラ。
「生徒の時は先生と呼べ」
「先生」
「何だ」
「虚無では、言葉を最後まで聞かないと消えることがあるわ」
「どうして」
「言葉そのものが道になるから。途中で進むと、別の場所へ落ちる」
「それはよい例だな」
「褒めて」
「最後まで授業を聞けたらな」
「分かった」
「特に親しい者ほど、相手の考えを理解していると思い込みやすい」
八人が静かになる。
ようやく話が進んだ。
「お前たちは、俺が何を考えているか分かると言う」
七人が頷く。
アステラも。
「実際、よく分かっている部分もある」
八人の顔が少し明るくなる。
「だが」
表情が固くなる。
「分かっていると思うことで、俺の言葉を聞く前に行動することが多い」
セレスが手を上げかける。
途中で止めた。
「俺が疲れていると思えば、勝手に予定を取り消す」
ミレイユが視線を逸らす。
「俺の安全を守るためと言って、周囲の者を遠ざける」
セレス。
「腹が減っていると思えば、牛一頭分の肉を用意する」
アウラ。
「俺の将来のためと言って、百年分の予定を作る」
クロエ。
「俺が危険だと思えば、剣を抜く」
エリナ。
「俺が寂しいと思えば、魔界へ連れていく」
リリス。
「俺が眠ると、天井裏から見張る」
ノア。
「俺が自分を好きだと思い込み、婚約者を名乗る」
アステラ。
「私は契約が」
アステラが口を開く。
すぐに自分で口を閉じた。
俺が話し終わっていないことを思い出したらしい。
「悪意がないことは知っている」
八人が俺を見る。
「俺のためだと思っていることも」
セレスの手から力が抜ける。
「だからこそ、一度だけ聞いてほしい」
黒板へ新しく書く。
『先生は、何を望んでいますか』
「何かをする前に、俺が本当に望んでいるかを聞け」
俺は八人を見る。
「以上」
教室は静かだった。
すぐに手を上げる者はいない。
少しして。
セレスがゆっくり手を上げた。
「どうぞ」
「先生は」
言葉を選ぶように、一度止まる。
「今、何を望んでおられますか?」
「今日の授業を、最後まで静かに受けてほしい」
「承知しました」
「本当に?」
「はい」
セレスは口を閉じた。
ミレイユも手を上げる。
「先生は、授業後に何を望まれますか?」
「一人で茶を飲みたい」
八人の表情が少し曇る。
「一人で、ですか?」
「ああ」
ミレイユは何かを言いかけた。
だが。
「承知いたしました」
それだけ答えた。
『第一時間目を終了します』
家の声が響く。
『先生の話を遮った回数』
黒板へ数字が表示される。
セレス、一回。
ミレイユ、一回。
リリス、〇回。
エリナ、一回。
アウラ、一回。
クロエ、一回。
ノア、一回。
アステラ、一回。
「リリスが一人だけゼロ?」
セレスが驚いたように魔王を見る。
「私は先生の話を聞いていた」
翼へ包まれたリリスが、少し誇らしげに答える。
「途中で何度も話そうとしていましたよね?」
「声には出していない」
「私も我慢すれば」
「結果がすべて」
「リリス」
「何だ」
「よく聞けていた」
「先生」
リリスの翼が大きく開く。
机と椅子が後ろへ倒れた。
「急に立つな!」
「褒められた」
「分かったから、片づけろ」
「はい」
魔王リリス。
一時間目。
最初の合格者だった。
◇
二時間目。
『勝手に先生の予定を決めない』
「簡単です」
クロエが自信満々に言った。
「お前が一番不安だ」
「予定とは、事前に決定して共有することで効率を高めます」
「本人の同意があればな」
「当然です」
俺は八枚の紙を配った。
「一人一つ、俺と一緒にしたいことを書いてくれ」
八人が一斉に書き始める。
早い。
「書き終わった者は、俺へお願いする」
「お願いが認められた場合は?」
クロエ。
「予定へ入れる」
「断られた場合は?」
「三時間目で説明する」
セレスが最初に手を上げた。
「先生」
「何だ」
「本日の夕食を、二人で作りたいです」
「昨日の料理審査の報酬だったな」
「はい」
「それは約束した。予定へ入れていい」
「ありがとうございます」
セレスが嬉しそうに書き込む。
次はミレイユ。
「先生」
「どうぞ」
「今夜、眠る前に三十分だけ、私とお話ししていただけますか?」
「内容は?」
「神殿で過ごした十年間について」
「いい。聞きたい」
「では、二十二時から」
「待て」
ミレイユの筆が止まる。
「時間は俺の今日の予定を確認してから決めよう」
「二十二時は、先生がお眠りになる前かと」
「今日は疲れたら早く寝るかもしれない」
「……では、夕食後に改めてお尋ねします」
「それでいい」
リリス。
「先生」
「何だ」
「魔界へ行く日を決めたい」
「三十日間の共同生活が終わってからだ」
「三十一日目」
「その日に用事があるかもしれない」
「では三十二日目」
「今は決めない」
「いつ決める?」
「共同生活が二十日を過ぎてから、予定を確認する」
「遅い」
「待てるか?」
「……待つ」
エリナ。
「明日の朝、修行」
「断る」
「まだお願いしていない」
「紙に見えている」
「覗いた?」
「大きな字だ」
「では、明後日」
「理由を聞け」
「どうして明日は駄目?」
「八百四十二世界の代表者との講習準備がある」
「準備前に一時間」
「疲れる」
「三十分」
「時間の問題ではない」
「軽い修行」
「三時間目で続きをする」
エリナは納得していない顔だった。
アウラ。
「先生」
「何だ」
「今日のお昼、一緒にお肉」
「全員で食べるだろう」
「隣に座って」
「席は空いていれば」
「私が取っておく」
「ほかの者をどかすなよ」
「一番大きな椅子を置く」
「普通の椅子でいい」
「先生が座れる大きさ」
「俺は普通の椅子に座れる」
「分かった」
クロエ。
「先生」
「何だ」
「講習会終了後、三十分だけ財政についてご相談したいです」
「七冠王国の?」
「地下都市、留学生、境界維持、講習会運営費についてです」
「必要な話だな。時間があれば」
「予定へ仮登録します」
「確定ではないぞ」
「はい。先生が疲れておられた場合は、翌日へ変更します」
「よし」
ノア。
「先生」
「何だ」
「今日、天井裏で寝ていい?」
「駄目だ」
「……」
「お願いは予定ではないな」
「一緒に寝る予定」
「もっと駄目だ」
「隣の部屋」
「自分の部屋があるだろう」
「先生の隣」
「今日は自分の部屋で寝ろ」
「理由は?」
「一人で休みたい」
「……分かった」
ノアの顔が曇る。
だが、それ以上は言わなかった。
最後。
アステラ。
「先生」
「何だ」
「今日一日、一メートル以内にいる予定を入れたいわ」
「すでに安全上必要だろう」
「では、触れている予定も」
「必要ない」
「手をつなぐだけ」
「駄目だ」
「理由は?」
「授業中だからだ」
「放課後は?」
「その時に聞け」
「予定へ仮登録」
「するな」
「……分かったわ」
『第二時間目を終了します』
家の声。
『本人確認前に予定を登録しなかった者』
黒板へ名前が出る。
セレス。
ミレイユ。
リリス。
アウラ。
クロエ。
ノア。
「六人?」
エリナが黒板を見る。
『勇者エリナは、明日から三十日分の修行予定を事前作成済みです』
「昨日作った」
「破棄しろ」
「修正は?」
「破棄だ」
「……分かった」
『アステラ様は、旦那様との接触予定を虚無契約へ自動登録しようとしました』
「契約上必要かと」
「家に止められただろう」
「はい」
「二人とも不合格」
エリナとアステラが机へ突っ伏した。
◇
三時間目。
『先生が断った時は諦める』
「先ほどの続きをする」
俺はエリナを見る。
「明日の修行は断った」
「はい」
「どうする?」
「明後日にする」
「不合格だ」
「どうして?」
「日を変えて同じお願いをしているだけだ」
「では、理由を解決する」
「準備があるから疲れると言ったな」
「私が準備を手伝う」
「修行するために?」
「はい」
「目的が自分の希望を通すためになっている」
エリナが黙る。
「俺が、明日は修行したくないと言ったら?」
「怪我?」
「していない」
「体調が悪い?」
「悪くない」
「では、どうして?」
「したくない日もある」
エリナは理解できないような顔をした。
「剣を振りたくない日が?」
「俺にはある」
「……」
「お前にはなくても、俺にはある」
「先生が、したくないから」
「ああ」
「それだけ?」
「それだけで十分だ」
エリナは木剣のない腰へ手を伸ばした。
少し考える。
「分かった」
「本当に?」
「先生がしたくないなら、しない」
「それでいい」
「でも」
「まだあるのか?」
「先生が修行したくなったら、最初に私へ言って」
「それならいい」
エリナは小さく頷いた。
「断られた時」
俺は八人へ説明する。
「理由を聞くことは悪くない」
黒板へ書く。
『理由を聞く』
「だが、理由が自分にとって納得できなくても、相手には断る権利がある」
『理由を否定しない』
「自分なら平気だから」
『自分と相手を同じにしない』
「もっとよい方法があるから」
『代案を押しつけない』
「先生」
クロエが手を上げる。
「交渉そのものを否定されるのでしょうか」
「一度断られたら、すべて終わりではない」
「では」
「相手が迷っている時なら、代案を出してもいい」
「明確に拒否された場合は?」
「諦めろ」
「商業では、一度目の拒絶で諦めていては契約できません」
「商談では、相手も交渉の場へ来ている」
「なるほど」
「私生活では、交渉したくない時もある」
クロエは真剣に紙へ書き込んだ。
「先生」
「何だ」
「先生が今後、私との商談を拒否された場合は?」
「私生活なら諦めろ」
「仕事上は?」
「内容を聞く」
「承知しました」
次に。
俺はアウラを見る。
「アウラ」
「何?」
「昼食前に、お菓子を食べるのは駄目だ」
「どうして?」
「朝食を大量に食べている。昼も近い」
「お腹が減った」
「水を飲め」
「パン一個」
「駄目だ」
「半分」
「駄目だ」
「匂いだけ」
「手に取るな」
「先生が食べさせる」
「もっと駄目だ」
「頭を撫でたら我慢する」
「条件をつけるな」
「……」
アウラが俺を見る。
尻尾が寂しそうに床へ落ちている。
俺は耐える。
「駄目だ」
「分かった」
アウラは机へ顔を伏せた。
「本当に諦めたか?」
「うん」
「偉いぞ」
俺は近づき、頭を一度撫でた。
アウラの尻尾が勢いよく振られ、隣のアステラの机へ当たった。
「痛い!」
「ごめん」
「わざと?」
「違う」
「レオンに撫でられたから?」
「嬉しかった」
「私も駄目と言われて諦めたわ」
アステラが手を上げる。
「何を?」
「制服の模様」
「そうだったな」
「頭を撫でて」
「全員が求めるから駄目だ」
「諦める」
アステラがすぐに手を下ろす。
俺は少し驚いた。
「早いな」
「でも、あとで褒めて」
「授業が終わったらな」
「約束?」
「授業を最後まで受けたら」
アステラは満足そうに頷いた。
『第三時間目を終了します』
家の声。
『勇者エリナ、竜王アウラ、商業王クロエ、アステラ様に改善を確認』
「私たちは?」
セレスが尋ねる。
『明確な拒否を受ける実習が不足しています』
「では、先生」
「何だ」
「今日の放課後、二人で散歩を」
「駄目だ」
「……」
セレスの笑顔が固まる。
「理由を伺っても?」
「一人で茶を飲みたいからだ」
「その後は?」
「予定は決めない」
「明日は?」
「今は決めない」
「……承知しました」
『女帝セレス、合格』
セレスは机へ額をつけた。
「合格なのに、まったく嬉しくありません」
「授業だからな」
◇
四時間目。
『先生を一人で休ませる』
八人にとって。
今日、最も難しい授業。
「俺は隣の休憩室で三十分休む」
俺は教室の扉を指さした。
「お前たちは、この教室で待つ」
「先生」
ミレイユが手を上げる。
「休憩室の安全確認は?」
「家が済ませている」
『異常ありません』
「飲み物は?」
「用意してある」
「温度は?」
「ちょうどいい」
「寝台は?」
「椅子で休むだけだ」
「横になられたほうが」
「一人で休ませろ」
「……はい」
「三十分間、連絡は禁止」
ノアの顔が青ざめる。
「先生の声も聞けない?」
「ああ」
「足音は?」
「聞こうとするな」
「先生が倒れたら?」
「家が知らせる」
「家が気づかなかったら?」
『気づきます』
「でも」
「ノア」
「何?」
「俺を信じてくれ」
ノアは口を閉じた。
「……分かった」
アステラが手を上げる。
「私は、一メートル以内にいないと」
「壁を挟んだ隣室でいいと家が言っていた」
『安全です』
「話しかけるのは?」
「禁止だ」
「魂の中で歌うのは?」
「絶対にやめろ」
「分かったわ」
「では、行ってくる」
俺は教室を出た。
休憩室へ入る。
扉を閉める。
柔らかな椅子へ座った。
茶を一口飲む。
「静かだ」
久しぶりだった。
七人と暮らしていた頃。
一人の時間など、ほとんどなかった。
誰かが必ず近くにいた。
帰還後は、さらにひどい。
七人。
アステラ。
十一人の王女。
八百四十二世界の留学生。
地下都市の住民。
一日の大半を、誰かに囲まれている。
嬉しくないわけではない。
七人が無事だった。
成長していた。
俺を待っていてくれた。
それを知れたことは、何より嬉しい。
だが。
一人で息を吐く時間も必要だ。
「三十分か」
俺は目を閉じた。
◇
教室では。
八人が、扉を見つめていた。
一分。
「先生、何をしていると思いますか?」
セレスが小声で尋ねる。
「茶を飲んでる」
ノア。
「香りがする」
「匂いを確認するのは禁止では?」
ミレイユ。
「勝手に入ってくる」
「意識して嗅いだのでは?」
「少しだけ」
『影の女王ノア、監視行為へ近づいています』
「家」
『警告です』
「先生は無事?」
『無事です』
「それを聞くのも禁止?」
『質問は認められますが、五分に一度までです』
「では、四分後に聞く」
「ノア」
セレスが止める。
「先生は、私たちへ信じてほしいとおっしゃいました」
「でも」
「今は待ちましょう」
二分。
休憩室から、小さなくしゃみが聞こえた。
八人が一斉に立ち上がる。
「先生が!」
「座れ!」
リリスが叫んだ。
七人とアステラが、魔王を見る。
「先生は、くしゃみをしただけだ」
「風邪かもしれません」
ミレイユ。
「薬草を」
セレス。
「暖める」
アウラ。
「毛布」
ノア。
「一メートル以内へ」
アステラ。
「待てと言った!」
リリスが翼を広げる。
腕輪で重い翼が机へ当たり、何冊かの教本が落ちた。
「先生は一人で休みたいと言った」
「ですが」
「先生が呼んでいない」
リリスは扉を見る。
「私も行きたい」
声が少しだけ弱くなる。
「でも、行けば先生は休めない」
全員が黙った。
三分。
「魔王リリス」
セレスが言う。
「少しだけ、見直しました」
「今まで何だと思っていた」
「先生を魔界へ連れ去ろうとする、話を聞かない魔王です」
「否定できぬ」
「今は、先生の話を聞いています」
「一時間目に褒められた」
リリスは少し誇らしげだった。
五分。
『旦那様は無事です』
家が自動で報告した。
八人が同時に息を吐く。
「五分ごとに言うのか?」
エリナが尋ねる。
『必要であれば』
「お願い」
ノア。
「私も」
アステラ。
「では、五分ごとに安全だけお知らせします」
十分。
『旦那様は無事です』
十五分。
『旦那様は無事です』
二十分。
報告が来ない。
「家?」
ノアが立ち上がる。
「二十秒遅い」
「家!」
セレスも。
返事がない。
八人が扉を見る。
「先生」
アウラの瞳が縦に細くなる。
「寝てる匂い」
「寝ている?」
「うん」
「家も先生を起こさないよう、黙っているのでは?」
クロエが言った。
「確認できる?」
ノア。
「扉を開ければ」
エリナ。
「駄目だ」
リリスが止める。
「家が返事をしない理由を、先に考えろ」
「先生が倒れた可能性も」
ミレイユ。
「家は、異常があれば知らせると言った」
「なら」
「先生が眠ったから静かにしている」
リリスは椅子へ座り直す。
「待つ」
二十五分。
誰も動かない。
三十分。
休憩室の扉が開いた。
「よく眠った」
俺は教室へ戻る。
八人が一斉に立ち上がった。
「先生!」
俺の周囲へ集まりかける。
途中で止まる。
「三十分間、誰も来なかったな」
「はい」
セレスが答える。
「くしゃみをなさいました」
「少し埃があった」
「家!」
『清掃します』
「掃除は後でいい」
「お体は?」
ミレイユ。
「問題ない」
「寝てた?」
ノア。
「ああ」
「一人で?」
「そうだ」
「寂しくなかった?」
「休めた」
ノアは少しだけ寂しそうに笑う。
「なら、よかった」
「ありがとう」
俺は八人を見回した。
「本当に休めた」
その一言で。
八人の顔が、少しずつ明るくなる。
『第四時間目を終了します』
『教育対象八名、全員合格』
「全員?」
アステラが驚く。
『はい』
「私は魂の中で歌わなかったわ!」
「それが普通だ」
「褒めて」
「よく我慢した」
俺がアステラの頭を軽く撫でる。
七人の視線が集まる。
「全員、よく我慢した」
「先生」
セレスが一歩近づく。
「私たちも」
「一列に並ぶな」
「公平性が必要です」
結局。
八人全員の頭を、一度ずつ撫でることになった。
世界の頂点に立つ八人が。
俺の前へ順番に並び。
頭を撫でられるたび、嬉しそうに戻っていく。
「本当に生徒へ戻ったみたいだな」
俺が呟く。
「先生」
最後のノアが、俺を見上げる。
「私は、ずっと先生の生徒」
「ああ」
「卒業しても?」
「俺の教え子であることは変わらない」
「結婚しても?」
「そこまでは決まっていない」
「駄目?」
「今は答えない」
「……分かった」
ノアは、それ以上聞かなかった。
今日の授業は。
確かに少しずつ、八人を変えている。
◇
五時間目。
『先生がほかの女性と会話している間、笑顔で見守る』
「最後の授業だ」
八人の顔が固い。
「実習相手は?」
セレスが尋ねる。
「エルフィとユキ」
「二人も?」
「文化交流ではなく、相談だ」
俺は教室の扉を開く。
エルフィとユキが入ってきた。
透明な羽を持つ薬花世界のエルフィ。
終わった世界で、たった一人残されていた少女ユキ。
「本日は、よろしくお願いいたします」
エルフィが頭を下げる。
「よろしく、お願いします」
ユキも。
八人の視線が、二人へ集中する。
「八人は、教室の後ろで見守る」
「会話へ参加は?」
ミレイユ。
「俺が求めた時だけ」
「先生の隣には?」
ノア。
「座らない」
「エルフィさんとユキさんは?」
「向かいだ」
「距離は?」
セレス。
「机を挟む」
「一メートル以上?」
「ああ」
「分かりました」
八人は教室の後ろへ並んだ。
笑顔。
セレスは皇帝として使う完璧な笑顔。
ミレイユは信徒へ向ける慈愛の笑み。
リリスは口元だけを無理に上げている。
エリナは歯を見せている。
アウラは、昼食を思い浮かべているのか自然な笑顔。
クロエは商談用。
ノアは無表情。
アステラは俺だけを見て笑っている。
「ノア」
「何?」
「笑顔」
「笑ってる」
「口元が動いていない」
「心で」
「少しでいい」
ノアが口角を上げる。
怖い。
「無理に笑わなくていい」
「授業」
「怒らず見守れば合格だ」
「分かった」
俺はエルフィとユキの向かいへ座る。
「相談は?」
「ユキさんについてです」
エルフィが答える。
「ユキが?」
「はい。昨日、薬草園へ来られました」
ユキが静かに頷く。
「花を見ても、きれいかどうか分からないとおっしゃいました」
「……分かりません」
ユキが自分の手を見る。
「私の世界には、最後は何もありませんでした」
「花も?」
「最初は、あったと思います」
「覚えていないのか」
「はい」
「エルフィ」
「私は、ユキさんへ薬草園のお手伝いをお願いしたいと思っています」
「どうして?」
「花を見て何も感じないのであれば、毎日見てもらおうと思いました」
エルフィは微笑む。
「好きになる必要はありません」
「はい」
「嫌いでもよいです」
「はい」
「でも、昨日と今日で違うものが一つ見つかれば、それを教えてほしいです」
「違うもの」
「花が一つ咲いた。葉が一枚増えた。虫がいた。それだけで構いません」
ユキは少し考える。
「私に、できますか?」
「できます」
「どうして分かるのですか?」
「昨日、白い花を見た時、ユキさんは少しだけ足を止めました」
「覚えていません」
「私が覚えています」
後ろにいる八人の空気が、少しずつ変わる。
嫉妬ではなく。
エルフィとユキの話を聞いている。
「レオン様」
ユキが俺を見る。
「私は、薬草園へ行ってもよいですか?」
「俺へ許可を取る必要はない」
「でも」
「ユキの生活は、ユキが決めていい」
「私が」
「ああ」
「エルフィの手伝いをしたいと思ったら?」
「すればいい」
「途中で嫌になったら?」
「やめてもいい」
「何も感じられなかったら?」
「それでもいい」
ユキは黙った。
「レオン様は」
「何だ?」
「私に、何かを望んでいないのですか?」
「ユキが自分で望むものを見つけること」
「それは、レオン様の望みですか?」
「ああ」
「私が見つけられなかったら?」
「一緒に探す」
「いつまで?」
「見つかるまで」
後ろから。
小さな音が聞こえた。
セレスが制服の袖を握っている。
ミレイユも。
八人にとって。
俺が別の女性へ、一緒に探すと言うことは。
面白くないはずだ。
それでも、誰も口を挟まなかった。
「ユキ」
俺は少女へ言う。
「今日は、どうしたい」
「……薬草園へ、行きたいです」
「エルフィ」
「はい」
「頼めるか?」
「もちろんです」
「レオン様も来ますか?」
ユキが尋ねる。
後ろの八人の体が、わずかに動いた。
「今日は行かない」
俺は答えた。
「ユキとエルフィの二人で行ってみてくれ」
「二人で?」
「ああ」
「レオン様がいなくても?」
「俺がいない場所でも、自分のしたいことを見つけてほしい」
ユキは少し考える。
「分かりました」
立ち上がる。
エルフィも。
「行ってきます」
「ああ。気をつけて」
ユキが扉の前で振り返った。
「レオン様」
「何だ?」
「帰ってきたら、見つけたものを話してもよいですか?」
「もちろんだ」
ユキの口元が、ごく僅かに上がった。
「はい」
二人が教室を出る。
扉が閉まった。
しばらく誰も話さなかった。
『第五時間目を終了します』
家の声。
『八名全員、妨害行為なし』
「合格か?」
セレスが尋ねる。
『判定中です』
八人が俺を見る。
「何だ?」
「先生」
ミレイユが静かに尋ねる。
「ユキさんへ、見つかるまで一緒に探すとおっしゃいましたね」
「ああ」
「私たちが知らない方へ、そのようにおっしゃることを」
一度、言葉を止める。
「正直に申し上げれば、少し寂しく思いました」
「そうか」
「ですが」
ミレイユは扉を見る。
「ユキさんには、必要な言葉だったと思います」
セレスも頷く。
「先生を独占したい気持ちと、ユキさんを助けていただきたい気持ちが、両方ございます」
「うむ」
リリスが続く。
「あの娘には帰る場所がない」
「先生だけに頼るのではなく、自分の場所を作るべき」
エリナ。
「薬草園なら、食べ物もある」
アウラ。
「薬草は食べるな」
「少しだけ」
「駄目だ」
「分かった」
クロエは、ユキとエルフィの名前を紙へ書いている。
「薬草園で働くのであれば、正当な報酬が必要です」
「本人たちと相談してくれ」
「はい。勝手には決めません」
ノアは扉を見たまま呟く。
「ユキは、先生が名前をつけた」
「ああ」
「だから嫌だった」
「正直だな」
「でも」
ノアは俺を見る。
「先生だけが帰る場所になったら、先生がいない時に苦しい」
「……そうだな」
「薬草園も、帰る場所になればいい」
「ああ」
「私も手伝う」
「何を?」
「ユキが迷わないよう、影から」
「腕輪があるだろう」
「普通に道案内する」
「それならいい」
アステラは腕を組み、少し不満そうにしている。
「アステラは?」
「私は嫌よ」
「何が?」
「レオンがほかの女性へ、見つかるまで一緒に探すと言うのは嫌」
「そうか」
「でも、止めない」
「どうして」
「私も、レオンに助けられたから」
アステラは俺から視線を逸らす。
「私だけ助けてもらって、ほかの人を助けるなとは言えない」
「それで十分だ」
「褒めて」
「よく我慢した」
「頭」
アステラが少し屈む。
「後で全員だ」
「また?」
七人がすでに列を作り始めていた。
『第五時間目の評価を確定します』
家の声が響く。
『八名全員、合格』
八人の顔が明るくなる。
『ただし』
顔が固まる。
『自然な笑顔で見守ることができた者は、一名のみです』
「誰?」
セレスが尋ねる。
黒板へ名前が表示される。
『魔王リリス』
全員がリリスを見る。
「私?」
「リリスは、笑っていたのか?」
「笑った覚えはない」
『ユキ様が、自分の望みを決めた時、微笑んでいました』
リリスは少し考える。
「帰る場所を、自分で選べたからだ」
「お前も、帰る場所がないと言っていたな」
「うむ」
「だから分かったのか」
「たぶん」
リリスは少し照れたように、黒い翼で顔の半分を隠した。
『本日の総合成績第一位、魔王リリス』
「私が一位」
「競争ではない」
リリスは俺の前へ来る。
「先生」
「何だ」
「褒めろ」
「一時間目も、五時間目もよくできていた」
「それだけ?」
「相手の話を聞き、自分と似た相手のことを考えられた」
「うむ」
「今のリリスは、魔王としても、一人の女性としても立派だったと思う」
リリスの翼が大きく開いた。
後ろにいた七人が、まとめて倒される。
「リリス!」
「翼を広げるな!」
「先生が、立派な女性と」
「分かったから落ち着け!」
「今日の報酬は?」
「報酬はない」
「一位だぞ」
「競争ではない」
『総合成績第一位への報酬を設定します』
「家!」
『本日の夕食時、旦那様の隣席を使用できます』
リリスが勝ち誇った顔で七人を見る。
「私が隣だ」
「食事の席くらいで」
セレスが笑顔で答える。
だが目は笑っていない。
「先生の反対側は空いておりますね?」
「私」
アウラ。
「昨日はアウラでした」
ミレイユ。
「抽選を」
クロエ。
「影から」
ノア。
「先生の膝」
アステラ。
「全員、自分の席へ座れ!」
◇
授業が終わった。
八人は制服のまま、教室に残っている。
「先生」
セレスが尋ねる。
「明日の授業は何でしょう」
「今日の結果を見て考える」
「宿題は?」
「家」
『用意しております』
「勝手に?」
『旦那様の第六学則を基に作成しました』
黒板へ文字が浮かぶ。
『本日の宿題』
『自分が望むことを、一つ書いてください』
八人が一斉に紙を取る。
「簡単だ」
アウラがすぐに書こうとする。
『ただし』
全員の手が止まる。
『旦那様に関係しない望みに限ります』
教室が静まり返った。
「先生に関係しない?」
セレスが聞き返す。
『はい』
「帝国を、先生が安心して暮らせる国へ」
『旦那様に関係しています』
「神殿で、先生を崇める教義を」
『関係しています』
「先生を魔界へ」
『関係しています』
「先生に勝つ」
『関係しています』
「先生とお肉」
『関係しています』
「先生との百年計画」
『関係しています』
「先生の天井裏」
『関係しています』
「レオンと虚無へ」
『関係しています』
八人の紙は、白いままだった。
「何でもいい」
俺は言った。
「食べたい物」
「先生と食べたい」
アウラ。
「一人で食べたい物だ」
「……分からない」
「行きたい場所」
「先生と一緒なら」
リリス。
「一人で、あるいはほかの誰かとでも」
「ない」
「やってみたいこと」
「先生へ教えたい」
エリナ。
「俺以外へ目標を作れ」
「難しい」
七人とアステラは、世界の頂点へ立っている。
国を治め。
民を守り。
世界を救ってきた。
だが。
俺がいない十年間さえ。
七人の中心には、俺がいた。
帰還を待つこと。
墓を守ること。
俺の教えを守ること。
俺のために世界を維持すること。
アステラも。
虚無で俺と出会ってから、俺を外へ連れ出すことだけを望んだ。
「明日の朝まででいい」
俺は八人を見る。
「自分自身が望むものを考えてくれ」
「先生」
セレスが不安そうに俺を見る。
「先生と一緒にいることを望んでは、いけないのでしょうか」
「いけないとは言っていない」
「では」
「俺と一緒にいたいという望み以外にも、自分の望みを持ってほしい」
セレスは黙った。
「俺が、またいなくなると言っているわけではない」
ノアが俺を見る。
「本当?」
「ああ」
「絶対?」
「できる限り、何も言わずにはいなくならない」
「できる限り?」
「事故までは約束できない」
「では、事故をなくす」
「国家権力は禁止だ」
「普通の女として事故を見張る」
「話を聞いていたか?」
「……聞いてる」
「俺がいなくても、消えない望みを見つけてくれ」
八人は、それぞれ自分の紙を見る。
誰も書けない。
『提出期限、明日の第一時間目』
家の声が響く。
「先生」
クロエが手を上げる。
「相談は可能でしょうか」
「俺以外になら」
「先生へ相談しては?」
「俺に関係する答えになるだろう」
「では、七人同士で」
「それならいい」
「お互いに先生に関係することしか思いつかない可能性があります」
「八百四十二世界の留学生へ聞いてみろ」
八人が少し嫌そうな顔をする。
「自分のために生きたいと言っていた者が大勢いた」
「はい」
「お前たちが、その者たちへ教えるだけではなく、教えてもらうこともあるはずだ」
教室の外。
薬草園から帰ってきたらしい、エルフィとユキの声が聞こえた。
「ユキさん。今日は何を見つけましたか?」
「白い花が、昨日より一つ増えていました」
「ほかには?」
「土の匂いがしました」
「好きでしたか?」
「分かりません」
「では、明日また確認しましょう」
「はい」
ユキは。
自分の望みを見つけ始めている。
七人とアステラにも。
俺だけではない何かを。
少しずつ、見つけてほしい。
その日の夜。
俺とセレスが夕食を作っている間も。
ミレイユとの話を聞いている間も。
八人は白い紙を持ち歩いていた。
食卓でも。
風呂の前でも。
眠る直前でも。
誰一人として、一文字も書けなかった。
そして翌朝。
八枚の宿題用紙には。
全員、同じ一文だけが書かれていた。
『先生が、この宿題の答えを一緒に考えてくれることを望みます』
「全員やり直しだ!」
俺の声が、朝の家中へ響いた。




