35/40
第35話 嫉妬ではなく見積書
婚礼の準備は、意外にも家具屋との交渉から始まった。
砦内別棟の二階を住居に改めるため、机、棚、寝台、食器棚の見積もりを取っていたのだが、どの業者も『団長の婚礼だから』と値を盛ってくる。
「お祝い価格なんてものは、たいてい高いだけです」
私は三枚の見積書を並べた。すると対面のヴィクトルが、なぜか一番右の紙だけをじっと睨んでいる。
「この家具師、妙に馴れ馴れしい」
思わず吹き出した。
「嫉妬ですか」
「違う。見積書が雑だ」
確かに右端の若い家具師は、椅子一脚ごとの木材量すら書いていなかった。私は赤線を引く。
「では却下です」
「却下」
即答が重なって、二人で顔を見合わせる。
結局選んだのは、無口な老家具師の簡素な案だった。丈夫で直しやすく、机は二つ、棚は深く、寝台は無駄に大きくない。
「花嫁らしくない部屋になるぞ」
ヴィクトルが言う。
「花嫁らしい部屋より、朝すぐ帳簿を開ける部屋がいいです」
そこで彼が少し考え、見積書の余白へ一行加えた。
『窓辺に小さな茶卓を一つ』
「これは?」
「朝食前に、あなたへ茶を出す場所だ」
私はその文字をしばらく見つめてから、静かに頷いた。
豪華な婚礼道具より、こういう小さな実用品のほうがずっと嬉しい。生活とはたぶん、見栄ではなく続く朝の積み重ねだからだ。




