第3話 空っぽの食糧庫
ノルトヴァルト砦の食糧庫は、想像以上にひどかった。
木箱の底は湿り、麦袋の口は開きっぱなし、塩樽には石が混ざり、干し肉は納品数と現物の数が合わない。これでは節約以前の問題だ。
「誰が管理していますか」
私が訊くと、厨房を預かるマルタが困った顔をした。四十代半ばの大柄な女性で、腕は太いのに目は弱っている。
「一応は私だよ。でも、仕入れ伝票は兵站の倉庫番と商人任せさ。届かないものまで届いたことにされる」
それは管理ではなく放置だ。
副官イザークが帳簿束を抱えてきた。紙の端は折れ、数字は途中で切れ、ひどい頁には酒の染みまである。
「団長も俺も、剣以外のことは専門外でな」
「専門外で済ませるには、人が多すぎます」
私は帳簿をめくりながら答えた。兵は腹が減ると荒む。荒んだ兵は剣を鈍らせる。食事は贅沢ではなく戦力だ。
残っている食材を並べてもらうと、干し豆、じゃがいも、玉ねぎ、燻製肉の切れ端、昨日の硬いパン、少量の乳。豪華さはない。けれど、諦めるほどではない。
「鍋を二つ。豆は先に潰して。じゃがいもは皮ごと煮てください。パンは薄く切って焼きます」
マルタが目を丸くした。
「それで足りるのかい?」
「足りないなら、満足させる味にします」
侯爵家で学んだのは、上等な食材の扱いではない。足りない予算で見栄を保つ方法だ。今夜は見栄ではなく、士気のために使えばいい。
豆を潰したとろみに、燻製肉の脂を落とす。玉ねぎを焦がしすぎないよう炒めて甘みを出し、じゃがいもで腹に溜まる重さを作る。最後に砕いた焼きパンを浮かべると、水っぽかった鍋が別物の匂いに変わった。
夕食の鐘が鳴るころには、食堂中に湯気が広がっていた。
「……何だ、この匂い」
「今日は少し違うらしいぞ」
兵たちがざわつきながら列を作る。最初の一杯を受け取った若い騎士が、熱さに目を細めた。
「うまい」
その一言で、空気が変わった。
次の者がパンを浸し、次の者が鍋底を覗き込み、いつの間にか会話が増えていく。食堂に必要だったのは、豪華な肉ではなく、明日の訓練まで身体がもつと思える一杯だったのだ。
最後に入ってきたヴィクトルは、空になりかけた鍋を見て足を止めた。
「初日で兵の顔色が違う」
「空腹で文句を言う気力すらなかっただけです」
私は木匙を置いた。
「明日から、食材の持ち出しは全部記録します。帳簿も私が見ます」
ヴィクトルは短く頷く。
「必要な権限は出す」
その即答が少しだけ嬉しかった。疑う前に任せる顔を、私はずいぶん久しぶりに見た。




