「越中に法華宗の寺を次々と建立し、一向宗の信者達を宗旨変えさせて、法華宗の信者にしてしまえ」計画
椎谷の領地を残したのは、他の領地より港として使えるからだ。
実は田んぼは少ない。
越後会津街道側の津川城の周りも、田んぼは少ない。
越後米沢街道側の鷹巣峠までの領地が今年の田植えの目玉だ。
ここらは峠から降りてきて、荒川と街道の両側に平地がある。
ただ、この荒川も荒川と言うだけあって例によってしょっちゅう氾濫するので、田んぼと言うよりも荒野のようだった。
領地替えしてから、峠の出口、街道の北側から河川の堤防工事とか水路の引き込み工事をして、田植えまでに北側の半分は田んぼにした。
今年は年貢免除にするので、来年の田植えまでに北側の残り半分と街道の南側の開墾を頑張ってくれ。
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さて、田植えが終わると戦の季節だ。
(困ったもんだ^^;)
駿河では還俗した今川義元が家督争いをしている。
北条は下野の方でやり合っている。
西を見ると、尼子氏が石見銀山の周りの城を調略しまくり、銀山支配の象徴、山吹城もほぼ支配下に置いている。
そして京では、天文法華の乱が起こっていた。
比叡山と法華宗が大喧嘩して、法華宗が京から追い出された出来事だ。
俺がこの時代にタイムスリップしてきた頃に、管領の細川晴元(この頃は将軍不在)が一向一揆を恐れて、法華宗を利用して、京の町衆を集めて山科の本願寺を焼き討ちにしたのらへんがきっかけで、法華宗が京の町衆と京の自治を守り出していた。
それが気にいらない上に、宗教論争で負けてしまった比叡山が、南近江の六角氏と組んで力尽くで法華宗を京から追い出した。
(法華宗は法華経に法華経が正しいって書いてあるもんだから宗論をさせるとやたらと強い)
俺は諜報部員に京を見張っててもらい、天文法華の乱が起こったら追い出された法華宗の僧侶達を佐渡に連れて来てくれと指示を出していた。
越中一向一揆対策のために画策している「越中に法華宗の僧侶を送り込んで法華宗の寺を次々と建立し、一向宗の信者達を東から順に宗旨変えさせて、法華宗の信者にしてしまえ」計画のためだ。
なんせ一向宗は「どんなに悪いことしてても南無阿弥陀仏と唱えて死ねば極楽浄土に行ける」と言う厄介な宗教だ。
ひとたび一揆が起ころうものならば、みんな死ぬまで戦いをやめない。
一方法華宗は「南無妙法蓮華経を唱えて正しいことをやりましょう」って宗教だ。
何が「正しいこと」なのかはともかく、一向一揆よりは間違いなくマシだ。
そしてついに天文法華の乱は起こり、京の諜報部員からの報告は、
「法華宗の僧侶の方は一人も佐渡に来てはくれませんでした」
だった…
『何故だ!? 佐渡は日蓮上人縁の地じゃないか』
「法華宗の僧侶達は一旦堺に身を寄せて、京に復帰を嘆願していくとのことです」
『ウゥ… せっかく高名 (そう)な僧侶を一気に集められるチャンスだと思ったのに…』
俺の目論見は儚くも散ってしまった。
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鍛造式の鉄砲が一丁できた。
量産はまだまだだ。
清酒が市場に出回り始めた。
澄み酒との差別化はされていない。
味噌も2種類出来てきた。
麦味噌と米味噌かな…
なんと! 醤油も出来た。
て言うか熟成待ち中だ。
椎茸の菌床栽培が始まった。
原木栽培も継続中だ。
粟島で野生の馬がはじめて捕獲された。
牧場は佐渡でも粟島でも鋭意拡張中だ。
石鹸の鹼化に成功した。
固形石鹸が作れる。
佐渡の町の露店では、今、竹に魚のすり身を巻き付けて焼く、ちくわ式の蒲鉾が流行っている。
板に盛り付けて焼く方も開発済みだ。
そう言えば、富山は蒲鉾大好き県だったなぁ…
色付けとかはいずれ頑張ってもらうとして、確か昆布ですり身を巻く蒲鉾が有名だった。
蝦夷の昆布もあることだし、なるべく東側の方で普及させてみようかな…
作者は仏教徒です(๑><๑)




