狐崎会議(と言うか通達)
「第十三代将軍足利義藤就任」の通達は、遠野の阿曽沼氏にも届いた。
(大槌には届いていない)
釜石の町は今、この辺り一番の繁華街になっており、疎遠と言うか敵対関係だった遠野からも往来は増えている。
唐丹を接収した葛西にも通達は来ていた。
(大槌には来てない)
葛西家は結局伊達晴宗方の葛西晴胤が実権を掌握し、釜石とはむしろ友好的とも思える。
大槌広政は阿曽沼領と葛西領からの又聞きで新公方就任を知った。
そのタイミングで丁度佐渡からの風神号が釜石に来ていたので、大槌広政は帰りたい便の風神号で佐渡まで行って、佐渡からに敦賀、近江コースで上洛して新公方に謁見しようと企てた。
干物やかまぼこは日持ちするとはいえ、釜石から京へはひと月は優にかかる。
そこで大槌広政は唐丹で開発し、大槌領全体に名産品として振興している「新巻鮭」を献上品として持って上洛した。
上洛して謁見した者や、献上品を贈り臣従を誓った者は皆んな守護や守護代に任命された。
しかし大槌広政には「三陸取りまとめ」の御内書が渡された。
「三陸取りまとめ」の御内書の内容は要するにこうだ。
・奥州羽州に新たに「岩代」「磐城」「羽前」「陸前」「羽後」「陸中」「陸奥」の国を設ける。
・岩代・磐城・羽前・陸前は伊達晴宗を守護とし、その元に蘆名盛氏が岩代守護代、岩城重隆が磐城守護代、最上義守が羽前守護代、大崎義隆が陸前守護代の任に就く。
・羽後は安東愛季が安東一族をまとめて守護になる。
・陸奥は南部晴政を守護とし、浪岡具統を守護代とするので、この旨を新将軍からの使者として伝えるように。
・陸中は南部晴政を守護とするか、半国を南部晴政、半国を伊達晴宗守護とするか、関係者を集めて会議の上決定し幕府に報告せよ。
と言うことで、大槌広政は京からの帰りに佐渡で、
「自分だけでは心許ないから」
と、佐渡の外交部門に応援を要請した。
外交部門からは馬場正時と馬場政家(ババさんの弟だか甥っ子だか)、それに有泰の嫡男の本間泰高(次期佐渡守)が、大槌広政に同行して釜石に向かった。
大槌広政は自領に戻るとすぐに、「三陸取りまとめ」の御内書に従い「第十三代将軍足利義藤」の名の下に、浪岡具統、南部晴政を釜石の狐崎城に召集した。
さらに、羽後守護の安東愛季、四国守護の伊達晴宗と、高水寺斯波氏、小野寺氏、戸沢氏、稗貫氏、和賀氏、阿曽沼氏、田鎖氏、浅利氏、安保氏、成田氏、秋元氏、奈良氏、葛西氏、大崎氏も呼び出した。
一同に会して会議など不可能なので、泰高(次期佐渡守)と政家(次期ババさん)が作った草案を来た者、来た者に言い渡し、追認させることにする。
その草案はこうだ。
・奥州羽州に新たに「岩代」「磐城」「羽前」「陸前」「羽後」「陸中」「陸奥」の国を設ける。
・南部晴政を陸奥並びに陸中北半国守護とする。
・浪岡具統を陸奥守護代、斯波経詮を陸中北半国守護代とする。
・稗貫氏、和賀氏、阿曽沼氏、田鎖氏、安保氏、成田氏、秋元氏、奈良氏は南部陸奥並びに陸中北半国守護、斯波陸中北半国守護代の元「第十三代将軍」足利義藤新公方に臣従を誓うこと。
・安東愛季を羽後守護とする。
・小野寺氏、戸沢氏、浅利氏は安東羽後守護の元「第十三代将軍」足利義藤新公方に臣従を誓うこと。
・伊達晴宗を岩代・磐城・羽前・陸前並びに陸中南半国守護とする。
・蘆名盛氏を岩代守護代、岩城重隆を磐城守護代、最上義守を羽前守護代、大崎義隆を陸前守護代、葛西晴胤を陸中南半国守護代とする。
・大槌氏は佐渡守護の本間有泰の元「第十三代将軍」足利義藤新公方に臣従を誓うこと。
以上を拝承することにより、幕府による安堵を賜わることとする。
この草案を釜石に来た者に順次伝え、承認書に署名をさせていった。
阿曽沼氏、葛西氏が来て承認書に署名をした後に、高水寺斯波氏が、
「南部の下になど絶対につかぬ」
と、ちゃぶ台を返したため、斯波氏は無視することにして、
「斯波経詮を陸中北半国守護代とする」を「阿曽沼広郷を陸中北半国守護代とする」と変えてから、再度承認書に署名をさせていった。
各御一行様が釜石に到着すると、まずニ、三日、釜石の町で佐渡流の接待が行われた後に「三陸取りまとめ」の御内書(草案)が通達された。
結局、高水寺斯波氏と稗貫氏、和賀氏、小野寺氏が署名しなかった。




