京復興令
「何かありましたか?」と俺。
「どこかの騎馬隊が北から攻めて来たので、狙撃部隊員が一番偉そうな武将を射ったら帰って行ったようです」と工作部隊のひとり。
「旗は掲げていましたか?」と俺。
「いえ、なかったようです。いきなり陣に馬で駆け込んできて、暴れたようです」と工作部隊員。
「それは射たれても仕方がありませんね。礼を持って近づいて来ない者は討っていいです」と俺。
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摂津から一万の軍を率いてきた三好長慶は、伏見の鳥羽まで軍を進めていた。
一方、三好政長は洛西の物集女辺りに逗留していた。
政長は近習のみを連れており、物集女街道の背後には、この時には晴元に協力していた丹波の波多野氏や柳本氏が控えている。
両陣営に細川晴元が射たれたとの報が届き、長慶は一旦軍を止めてその場に陣を張り、二条の足利邸に状況を確認すべく、伝令を走らせた。
政長はすぐに丹波に出陣を要請する伝令を出し、自らは晴元のいた今出川御所に向かった。
すでにこと切れている晴元の亡骸を前に、同行していた近習の古津元幸に射たれた状況を聞いた政長は、逆上し晴元と同じように騎馬隊を率いて突っ込もうとしたが、それでは同じように射たれるとなだめられた。
「何故公方様の上洛軍が我らに射掛けてくるのか?」と政長。
「敵対する者は幕敵とみなすと言って上洛して来たそうな」と元幸。
「晴元様が敵とみなされたと言うのか」と政長。
「名乗る間もなく射たれた」と元幸。
「とにかく公方様の近くに行かねば」と政長。
「味方なら馳せ参じよとも言うておったとか」と元幸。
「敵と味方はどうやって区別っておるのじゃ?」と政長。
「とにかく騎馬隊で乗りつけると射たれたのだから、馬からは降りた方が良かろう」と元幸。
「何故我らがそのように気を使わねばならんのじゃ!?」と政長は地団駄を踏んだ。
「下につかぬなら、仕切り直して挙兵してくるしかあるまい」と元幸。
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三好長慶の伝令と足利邸への参内命令は交差した。
長慶が「晴元が射たれた」との報の真偽を問うべく放った伝令が上洛軍の陣に着いた時、将軍義藤から長慶へ「二条の足利邸に参内して忠節を誓え」と言う号令が伝えられた。
号令を伝えた伝令に晴元のことを聞いても知らないと言う。
長慶は「今、晴元が射たれたとの報の真偽を確認しに行っておるので、その確認を待つ」と答えた。
その確認をしに来た長慶の伝令は、上洛軍(俺、菱田省吾が対応した)から、
「こちらに陣を張ってから、数十騎の騎馬隊が陣に乱入して来たので、その隊の将と覚しき者を射ったとの報告はありましたが、旗印もなく名乗りもしなかったので誰を射ったのかはわかっていません」
と言われ、戻ってそのまま報告した。
「長慶が参内次第、京の復興令についての評定と、同時に義藤将軍の幕府の組閣を行いますので、急いで参内するように伝えてください」
とも伝えるようにお願いした。
「誰かもわからずに射ったのか?」と長慶。
「そのようです」と伝令。
「某が殿に先んじて乗り込み、状況を確認してまいりましょう」と後の三好三人衆のひとり、岩成友通が名乗りでた。
「いや、儂の参内を待っていると言われておるのなら、自ら参ろう」と、三好長慶は鳥羽に一万の軍を配したまま、自身と近習十人で二条の足利邸に向かった。
三好政長から出陣の要請を受けて、挙兵の準備をしていた波多野氏、柳本氏のところにも晴元が射たれたとの報が入った。
波多野氏も柳本氏も三好政長の家臣ではない。
あくまでも管領である細川晴元の要請を受けて助力している立場だ。
晴元が射たれたとあっては、政長の出陣要請に従うかどうかは再考されてしかるべきである。
挙兵の準備はしたが、出陣は状況確認の後と言うことになった。
二条の足利邸の周りの5000人の軍の四方八方は、佐渡の盾(壁)部隊とコンパウンドボウ狙撃部隊が配されています。
サツマイモ入りの粥と海鮮鍋が京の町の人たちに振る舞われています。




