金を集めて価値を高める。
天文十五年も十四年から雨が多く、全国的には大雨・洪水の被害が相次いでいた。
佐渡(本間家)勢力圏では、治水工事がかなり進み他領に比べると被害は少ない。
地道に新田開発をしてきたおかげで蔵を満杯にできる収穫はあり、北前船に積み込む穀物も十分だった。
特に庄内平野と越中の新川郡辺りは、このご時世に豊作と言っていいくらいの実りだった。
世間はここ数年飢饉続きで、米相場は高騰しっぱなしだ。
北前船も行く先々で積荷の食糧が売れて、仕入れられるものは刀や武具、古着、蔵から出してきた美術品や骨董品、それに金銀財宝系のものだ。
この頃はまだ茶道がそこまで盛んではないので、茶器などはそれほど高くはない。
後は馬、木材、紙、砂鉄なども仕入れてくる。
佐渡(本間家)勢力圏では、金銀銅の交換比率は金貨(金 10gくらい)1枚は銀貨(銀 5gくらい)100枚、銀貨1枚は佐渡で鋳造している銅銭100枚にしている。
(これでも現代から比べると金の比率は安い)
史実では、この頃の日明貿易(倭寇も含む)では日本が明から絹や陶磁器を買って、刀剣や漆器を売っている。
そして永楽通宝のような明銭を買って、銅や銀を売っている。
しかし、佐渡はすでに銭の鋳造も鉱石から鉱物の抽出もできるので、史実より強気にこちらの交換比率をのませて取引ができる立場だ。
こちらからは俵物3点セットなんかも売れるので、逆に金を買っているくらいだ。
欲しいものは国内にないものと技術だ。
国内にない野菜や果物の種苗や薬草の類、最新の武器、造船技術には金に糸目はつけないが、それらは自前で生産できるようにするためのものだ。
佐渡は金を高く買うとの情報が全国に広まり、日本中の金が佐渡に集まってきた。
食糧不足の折、北前船は金銀財宝の回収船と化していた。
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そして年が明けて天文十六年。
華とちよが揃って懐妊した。
男の子が生まれるY精子は、数が多く活発に動くが寿命が短い。
九条家の期待を背負っているので、華にはやはり男の子が欲しいと言うことで、排卵日(と思われる日)には必ず華とするようにしていた。
逆にちよには女の子でいいので、排卵日から遠い日にするようにしていた。
さて、うまい具合に産み分けできているだろうか…(;´∀`)
てか、それ以前に母子ともに健康で無事に生まれてきてくれ。
佐渡と釜石の間を行き来する船を増便することにした。
風神号は今までどおり佐渡からイワナイ、イワナイから釜石と行きも帰りもイワナイ経由で最短で行き来するが、別便で雷神タイプの船(みちのく号)を本州の海岸べりにあちこち寄港させながら釜石まで行き来させるようにする。
釜石と唐丹の間は、先に送り込んだハーモタイプの「アイアン号」と「ラガー号」が毎日行き来している。
唐丹では、治水もして水田にできる平地は水田にしてしまった。
鮭の人工授精孵化施設と水産加工工場もできた。
今年はため池と用水路を整備して、棚田、だんだん畑を作っていこう。
石狩平野では、小樽から内陸部に向けて、徐々にジャガイモ、トウキビ、タマネギと大麦畑を広げて行っている。
そしてまずは稚内まで、なんとか船で北上できるように寄港地を探索して行きたい。
現地のアイヌに聞くと、海岸沿いは切り立った崖だらけで北上する道はなく、内陸部も獣道のような道しかないとのことだ。
地図で見ると、留萌、羽幌、遠別、天塩なんて言う地名が載っているが、この時代はどんななのか、行ってみないとわからない。
逆に稚内まで行けば、海を挟んで大陸、樺太との文化圏があるだろう。
さらに東には千島列島の北に、大きなオホーツク文化圏もあるはずだ。
目的地のオハは樺太の東岸の北端だ。
稚内まで行ったら樺太の東海岸沿いを北上する方が距離的には近いのだろうが、どう考えても西海岸沿いのほうが波は穏やかだろう。
実際に稚内まで行ったら、両方試してみよう。
庄内では酒田の街がますます栄えだした。
最上川北岸へのお引越しも着々と進み、飢饉のさなかにお家騒動をしている伊達家界隈に高値で米を売って儲けている。




