天文の乱(釜石編)
釜石の足立義信から陸路で伝令が来た。
釜石には現在、風神号が毎月のように(二十日〜三十日ほどかけて佐渡からイワナイ経由で釜石に行き、五日〜十日ほど釜石に居て、また二十日〜三十日ほどかけてイワナイ経由で佐渡に帰ってくる)行き来している。
その便を待っていたのでは時間がかかり過ぎるタイミングだったので、陸路の伝令を走らせたのだろう。
釜石を出て17日で佐渡まで来たようだ。
伝令の内容は、
「釜石の花街で葛西家の当主とお付きの者が暴れたので捕らえた。町人に複数怪我人あり。御守衛隊員一名に死者あり」
とのことだ。
やっぱり釜石は遠い。
此の時点ですでに半月以上経っており、これから何をするにしてもさらに半月以上かかる。
先だっては石見から、ナニモノかの軍が白旗を掲げて進軍してきたとの連絡が来た。
援軍を編成して送り込もうかと準備をしていたら、すぐに撃退したとの追加報告がきた。
白旗軍は石見小笠原軍だったようだ。
石見までだったら急げば五日だ。
天気が悪くても、沿岸べりを行けば倍の十日で行ける。
(冬場は無理だが…)
わかっていたことを嘆いてもしょうがない。
あまり人数を送れる距離ではないので、ここは少数精鋭部隊を編成して、風神タイプの最新鋭戦艦で乗りつけよう。
鉄砲隊10人、戦車部隊を含む盾隊40人、クロスボウ隊20人、槍隊20人、コンパウンドボウ隊10人の100人編成でどうだろう。
指揮は、現在、特に力を入れて育成中のコンパウンドボウでの長距離狙撃手部隊の隊長を任せている宮浦宗佑にとらせよう。
〜 〜 〜 ※ 〜 〜 〜 ※ 〜 〜 〜
「最上は…?」と大槌広政。
「稙宗派です」と狐崎玄蕃。
「蘆名は…?」と大槌広政。
「こちらも正室が稙宗の娘なれば…」と狐崎玄蕃。
「大崎は…?」と大槌広政。
「当主がすでに稙宗の猶子なれば…」と|狐崎玄蕃。
「劣勢すぎるの。晴清を高信方に渡せば、我らは晴宗側とみなされようが、晴宗側に勝ち目はあるのか?」と大槌広政。
大槌広政は葛西高信(晴胤)の居城である登米の寺池城に使いを出した後で、今更ながら状況確認をしていた。
「足立殿、佐渡は如何か?」と玄蕃。
「なにぶん遠おございます。何をするにしてもひと月以上はかかるかと…」とアダッチ。
「戦となったらお味方はしていただけるか?」と広政。
「攻めて来られたら迎え撃ちますが、こちらから攻め込むことはいたしません」とアダッチ。
と、そこにスコップ部隊員が葛西からの使いの者を連れて来た。
葛西高信の使いではなく、葛西晴清側の使いだった。
「こちらに我が殿は来ておらぬか?」と葛西家の使いの者。
葛西晴清は釜石に来たのがお忍びすぎて、どうやら家中で行方不明扱いで探されているようだ。
「おお、領内で狼藉をはたらいたので、拘束しておる」と、大槌広政が正直に言ってしまった。
「と、殿…」と玄蕃。
「何っ?! 拘束じゃと? おのれ、葛西家に弓引くつもりか!?」と使いの者こと熊谷直宗。
「言っちゃいかんかったか…」と広政。
脇差を抜こうとした使いの者こと熊谷直宗を、連れて来たスコップ部隊員が後ろから取り押さえた。
「この者はどうしましょうか」とアダッチ。
「仕方ないの、一緒に捕らえておこう」と玄蕃。
熊谷直宗を晴清らと一緒に幽閉したら、引き続き今度は登米に使いに出した者が高信側の者を連れて来た。
「牛猿を捕らえたと!?」と高信側の使いの者こと富澤義綱。
牛猿丸は葛西晴清の幼名のようだ。
「言ってもいいのか?」と広政。
「大丈夫です」と玄蕃。
「おお、領内で狼藉をはたらいたので拘束しておる」と広政。
佐渡の戦車は、大型の大八車の前と上と左右を囲んだようなものだ。
底と後ろは空いていて、矢狭間、鉄砲狭間が数カ所あり、そこから狙撃する。
と、車輪付きの戦車は平地仕様のモノで、今回釜石に出兵させた戦車は、戦車と言いながら車なしの神輿型の軽量化タイプだ。
竹と木材だけでできており、人が担いで移動させる。




