隠岐の島と対馬
隠岐は佐渡と同じように流刑の島のイメージが強い。
後鳥羽上皇と後醍醐天皇が流されたのが有名だ。
縄文の時代から黒曜石が有名で、半島や大陸との行き来も古くからある。
島後と島前の諸島からなり、漁業はもちろん、稲作をはじめ豆類などの農産物も豊富な島だ。
塩を炊き、海産物を加工し、穫れた米で酒も造っていた。
隠岐の守護は宇多源氏の佐々木氏で、室町時代になると分流の京極氏が出雲や隠岐の守護職につく。
さらに京極氏の分家の尼子氏が出雲守護代として現地に入り、支配地を広げて天文十二年に至っている。
隠岐の佐々木氏も京極氏も隠岐氏を名乗り始めており、天文十二年は尼子氏に従っている。
佐渡と隠岐の間は頻繁に船が往来するので、隠岐の港はどこも賑わっており、隠岐氏とは良好な関係が出来ている。
特に、隠岐には牛突き(闘牛)でお馴染みの隠岐牛や、馬もかなりの数いたので、佐渡の牧場に度々売ってもらった。
隠岐水軍を仕切っている奈佐氏は、元々は京極氏(尼子氏)のライバルの山名氏の臣下だったが、但馬から東は丹後、若狭、西は博多までの山陰の日本海を仕切る規模の水軍になり、隠岐では島後の西郷港を拠点にしている。
隠岐の島前の海士の港(菱浦港)には瀬戸内の村上水軍の流れの村上氏もおり、時には敵対し、時には協力して山陰の日本海を仕切っている。
佐渡の北前船の航行には両水軍とも全面的に協力してくれているが、第一次月山富田城の戦いでは、奈佐隠岐水軍は尼子氏の、村上隠岐水軍は大内氏の海上補給を手伝っていた。
この先、毛利が再び月山富田城を攻めてくるかどうかはわからないが、くるにしてもまだ先だろう。
当分の間はきっと尼子氏が徐々に力を回復してくる。
今は山陰の日本海の航行に何の問題もないので現状維持として、史実通りに毛利が攻めてきたら、そのタイミングで隠岐は支配下におきたい。
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いずれは支配下におきたいと言えば、対馬と済州島もそうだが、あそこはチョッカイ出すとややこしそうだ。
対馬はまだタイミングが良ければ行こうかとも思うが、済州島はさすがにやめておこう。
対馬と言えば宗氏だ。
宗氏は九州大宰少弐の次官、武藤氏(少弐氏)の守護代で、武藤氏(少弐氏)は戦国時代大内氏や龍造寺氏に攻められて滅んで行くが、宗氏は鎌倉時代から明治に至るまで対馬を支配し続けた。
何がややこしそうかと言うと、宗氏は時と場合に応じて朝鮮と日本の間でコウモリ外交をしているイメージが強い。
(例によってラノベソースの偏見だけど^^;)
対馬を支配してしまうと、そのコウモリ外交の後釜をさせられる可能性が高い。
そんなのやりたくないし、断ったら対朝鮮の矢面に立つことになる。
うーん… やりたくない。
朝鮮から欲しいものは朝鮮人参くらいだし、それもそんなに欲しいかと言ったらそうでもないし(一番欲しかった「灰吹法」の技術はいただいたし)、やっぱり対馬も手を出すのはやめておこう。
それより島津氏と仲良くすることに重点をおこうかな。
信濃島津氏とはどうなんだろう?
聞いてみよう。
何なら島津氏にサトウキビをわけてあげて、奄美の方で栽培させて買い取りに行けば恩が売れないかな。
そんな事を考えているとペンフレンドの毛利氏から文がきた。
「退却軍を攻撃せずに通してくれたことには礼を言う。が、いずれ石見銀山も隠岐も手に入れるので覚悟されたし」
みたいな内容だった。
以前は隠岐はいいって言ってたのに、隠岐も手に入れるになってるじゃないか(^o^;)
歓楽街はまだまだだけど、山名氏に石見銀山への招待状を出した。




