石見にも温泉街作るよ
天文十二年は、まさに石見銀山進出の年だ。
尼子とは銀山一帯の自治を認めさせるかわりに運上金を治める内容の取り決めを交わした。
まぁ、元々、神屋さんが主体で運営されていた事業なので、取り分比率を決めるか、運上金額を決めるかの違い程度のことなのだが、肝心なのは銀山が度々戦場にならないようにすることなのだ。
大内は放置だ。
毛利はペンフレンドなので、また書状を送っておいた。
「今度、月山富田城を攻める時は村上水軍を日本海に展開して、白鹿城をちゃんと攻略してからにしなよ〜。隠岐と石見銀山に手を出さないなら村上水軍が来ても敵対しないよ〜」
的な内容だ。
村上水軍には、北前船航路の博多から堺の間でお世話になっている。
第二次月山富田城攻めが起こるかどうかはわからないが、起こると仮定してそれまでの間に村上水軍にも事あるごとに「隠岐と石見銀山は攻めないでね」と忠告しておこう。
それで、この鞆ヶ浦辺から銀山一帯は温泉が湧く。
今までも、鉱山労働者達が温泉に浸かって疲れをとったりしていたようだ。
これはもう、温泉街を作って、ここにも一大歓楽施設を作ろう。
ここの銀山の儲けは神屋さんと尼子のものだし(クズ石はもらうけど)、それ以外の港湾都市と、これから作る歓楽施設で儲けて、ここの警備費用を賄わなければ…
あと、この辺りは砂鉄の産地だ。
手に入れられるなら手に入れて佐渡に運ぼう。
周防の方からも、石灰石が手に入れられるなら手に入れて運ぼう。
紙漉きも盛んなところだ。
これは是非とも技術輸入しよう。
5000人の上陸部隊は500人ほどを残して、現地の鉱山労働者を新たにスコップ部隊員に育成し、採掘と防衛を兼務できるようにしていくことになった。
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石見以外でもいろいろあるよ。
佐渡のスコップ部隊が5000人も石見に借り出されていたので、佐渡(本間家)勢力圏の田植えや各種開発事業はかなり現地任せになった。
とは言え、現地任せにしても十分に作業ができるくらい、各地の技術レベルは向上している。
信濃川と越中の鵜坂川の治水事業は少々停滞気味だが、他の河川整備は順調に進んでいる。
川舟屋さんに依頼された笙の川の整備事業も、なかなかいい川湊ができて、疋壇城の周辺開発も進み、敦賀ー近江間の往来が益々盛んになった。
安曇野から善光寺平まで、筏を流して届けられるか実践してみた。
上流の高瀬川、大野川(梓川)から犀川までは伐り出したまま流し、犀川合流地点で筏を組んで流すのが良さそうだ。
犀川が千曲川に合流する地点には大小いくつもの川湊を作っており、河岸としても使える場所も設けた。
川船工場もこの辺りに作っており、北信濃水都化計画の中心的なエリアになりつつある。
酒田の街の賑わいが凄まじくなってきた。
まだまだ開発中の北岸の街は、何と言っても計画開発都市なので、この時代では考えられないようなインフラ整備がなされている。
道路は舗装され、計画的に建てられた街並み、掘り巡らされた水路、街路樹まで植えてみたりした。
下手したら、江戸時代を超えて明治時代の街並みだ。
七尾城の城下町も凄いことになっている。
九条様をはじめ多くのお公卿様方が下向されてきており、連歌会や茶会などが雅やかに催されている。
画家や書家を庇護下において奨励したり、佐渡との交流で能楽も盛んになってきた。
和菓子職人も集まってきており、佐渡の砂糖が重宝されている。
そして、佐渡の加茂湖で初の蒸気船の試験運転に成功した。
単純な構造の外輪船ではあるが、無事に航行出来た。
種子島に鉄砲が伝来したようだ。
佐渡ではもう作ってるけど。




