石見銀山占拠
年が明けて暖かくなったらすぐに、佐渡から鞆ヶ浦の港に向けて黄門丸(河原田本間貞兼指揮)、遠山丸(羽茂本間高季指揮)、大岡丸(沢根本間賢蜜指揮)御一行が出航した。
鞆ヶ浦は石見銀山から銀を積み出す港として栄えている。
麒麟丸と応龍丸は通常運転で北前船事業航路に出ているが、鳳凰丸(鳳と凰)は北前船航路に出さずに留め置いて、今回の石見銀山上陸作戦に借り出すことにした。
(鳳が渋谷三郎左、凰が渋谷十郎左指揮だ)
千人規模で五往復して、鞆ヶ浦から少し北の仁満の港の方まで、5000人の兵を運び、一斉に軍を石見銀山の灰吹法施設へと進軍させて鉱山の麓一帯を占拠した。
最初の1000人が上陸した時点で山吹城から500人ほどの大内軍が攻めかかってきたが、最初の1000人の上陸軍の内訳は、100の鉄砲隊と100のコンパウンドボウ隊と300のクロスボウ隊と500の壁隊だ。
攻めかかってきた大内軍は壁隊に近づくこともできずに、鉄砲隊とコンパウンドボウ隊の初撃を受けた時点ですぐに撤退して帰った。
その後、船団が五往復している間、大内軍が攻めてくることはなかった。
5000人の軍で港から灰吹法の吹屋まで行軍していき、特に抵抗もなく鉱山の麓一帯の占拠は完了した。
そこで陣を張り、現地の領民から兵を募った。
石見銀山では多い時は1000人を超える鉱山労働者が働いている。
その内の半分くらいが、どうやら大内軍として山吹城にいるようだ。
残りの半分くらいの人数が募兵に応募してきた。
現地募兵の人達には、山吹城に向けて「こっちにくら替えしろ」と大内軍に組み込まれてしまった鉱山労働者達に毎日呼びかけをしてもらうようにした。
上陸部隊は港から麓までの一帯を砦化して、このエリアの兵站補給部隊の往来を封鎖した。
周防からの海路での補給部隊は、月山富田城に近い港が途中の白鹿城で尼子側に迎え討たれるため、鞆ヶ浦から石見路を通って行っていたが、このルートが使えなくなった。
封鎖を知らずにやってきた補給部隊を一隊壊滅させて、兵站を奪ったのに味をしめたハルミツが、そこかしこに諜報部員を派遣して補給部隊狩りをはじめた。
そんなに見つかるものではないし、見つけられても狩りに行くのに遠すぎたりもしたが、それでも大内軍が撤退するまでに二部隊から兵站を奪った。
麓を封鎖された山吹城からは一度打って出てきたが、ほとんどの兵がすぐに投降なり逃亡なりして、指揮を執っていた大内の臣下だけがまた城に帰って行った。
5000人の軍を送り終えた船団のうち、鳳凰丸は従来の北前船事業に戻った。
黄門丸、遠山丸、大岡丸は石見銀山の要塞化資材の運び込みをはじめ、鞆ヶ浦より少し銀山に近い仁満の津に港湾施設を作り、そこから銀山まで一帯の砦化に拍車をかけた。
佐渡の兵はスコップ部隊だ。
砦工作部隊以外のスコップ部隊は石見銀山の採掘を再開させて、灰吹法施設も再稼働させた。
お得意の籠城放置、日常再開作戦だ。
この時、山吹城には数十人しか兵は残っていなかったが、兵糧は残っており、籠城人数が少なかったので、結局大内軍が撤退するまで山吹城の籠城は続いた。
尼子には予定通り、「大内軍が撤退したら銀山は返却して城は佐渡が守る」と連絡してある。
大内軍が撤退するまでの間に掘り出した銀は、抽出した銀も抽出前の鉱石も全部佐渡に積んで帰ろう。
銀山は返却すると言っても港から一帯を砦化するので、銀山が城の中にある状態になるけどね。
まぁ、佐渡(本間家)がちゃんと鉱山から港まで全体の帳簿管理するから、尼子氏には運上金のカタチで銀を渡すことで納得してもらおう。
ここで、このシステムを作り上げて、今度は生野銀山でも勧めてみようかな。
防衛が他人任せだと、投資しづらいから。
史実では山吹城は尼子側がまだ粘っており大内勢に支配されていなかったようですが、ここでは山名が石見銀山に使者を送った段階ですでに大内支配下の設定になっています。




