飢饉からいち早く脱出
能登で佐渡式農法のレクチャーをはじめたタイミングで天文の飢饉が起こってしまい、その効果をあまり示すことができてなかった。
が、今年は能登の七尾城下と越中の検地と戸籍作成ができたところから育苗、田起し、施肥、畦作り、代かき、正条植え、草とり、水溜め・水抜きの繰り返し、追肥、刈入れ、すき込み、乾燥、脱穀と、その後の堆肥作りまで佐渡の農具を貸し出して指導してまわった。
ようやくその効果を感じることができるくらい豊作になった。
来年は信濃の検地と戸籍作成ができたところでも広めていく。
佐渡(本間家)勢力圏と他国との境界には迎撃型の砦や要塞施設を築いているが、これは軍の侵攻を迎え撃つものであって商人や一般の通行人の行き来を妨げることはない。
関所型の砦もあるが、あくまでも関所型なだけであって、そこで関所のように通行税を徴収したりはしていない。
(上杉守護、畠山守護下の国内では関所を設けて徴税しているところもあるが…)
隣接する最上領や伊達領、蘆名領との往来は盛んで、佐渡(本間家)が越中西部を領有するようになってからは加賀からも人が多く来るようになった。
本願寺の言うことを聞いて一揆さえ起こさなければ、加賀の人も普通にいい人なので、越中を発展させて加賀にもその恩恵を分けていけば一揆を起こそうなんて気にならないようになってくれるかも知れない。
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信濃の南東部で武田を調べている諜報部員から、武田が支配下においた領地で駅伝制度を強化しているとの報告があった。
『駅伝…? あのマラソンの?』
「駅伝制度」とは古代中国やオリエントでも整備された情報伝達制度である。
一日で移動可能な距離ごとに駅を設けて、駅から駅にリレー型式で情報を伝達していくシステムだ。
日本でも奈良時代から導入されている。
「情報を制するものは戦を制す」
さすがは武田。
サスタケだ。
佐渡(本間家)も諜報活動にはかなり重きを置いている。
さらに海運、川船水運、馬借、ロバ借等にも力を入れてきている。
ここはさらに突っ込んで、佐渡(本間家)勢力圏で通信・物流ネットワークを構築しよう。
利用できる御守衛隊の詰め所を基地として利用して、足りていないエリアには新たに受配基地を設けて、公文書だけでなく広く一般にむけて利用を募ろう。
配送と言えば、氷室、雪室を増やして海産物のクール配送をはじめている。
氷室、雪室の氷は上段に氷を入れて冷やすタイプの冷蔵庫を作って使っていたが、蝦夷からの荷物を氷漬けにして送ってきているのをみた組屋さんが、若狭から京への配送に使いはじめ、川舟屋さんもすぐに真似しはじめた。
氷で荷が重くなるし、夏場の氷は高価なので、クール便で届けられる海産物はめちゃくちゃ高いが、それでも飢饉で食糧不足の折に届けられる海産物はすぐに売り切れていた。
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天文十一年 秋
佐渡から博多までの航海を任せている隠岐水軍の奈佐日本之助の使者として、次男の因幡之助がやってきた。
「親父がショーゴさんに聞いてこいと言うもんで来た」と因幡之助。
「月山富田城攻めですね」と俺。
「情勢はどうなのじゃ?」と藍原蔵人。
「ああ、大内勢に(赤穴)瀬戸山城が落とされて(月山)富田城を完全に囲まれとるようじゃと親父が言うとった」と因幡之助。
「城への補給はできていますか?」と俺。
「それは海側の白鹿城がまだ気張っとるで、俺らが海から運んどる」と因幡之助。
「こちらの補給路が生きとるうちは負けません。逆にこちらが大内軍の裏に回り込んで、向こうの補給路を断てば向こうが悲鳴をあげるでしょう」と俺。
「大内側につかんでもええっちゅうことじゃの」と因幡之助。
「海上をこちらが抑えていられれば大丈夫です。隠岐水軍は大内と結ぶのではなく、今のうちから瀬戸内の村上水軍と結んでおかれればいいと思いますよ。この先、毛利が瀬戸内側を支配して村上水軍が関門を回り込んで日本海まで攻めてくるようなら、その時は隠岐水軍は村上水軍と敵対しないとでも結んでおいてください」と俺。
「わかった。親父にそのように伝えておく」
と言って因幡之助は、その後しばらく佐渡で遊興びまわってから戦場に帰って行った。
切手作ろうかな、切手。
切手は国家の小さな大使。




