生野銀山
石見銀山に、但馬の山名祐豊からの使者がきた。
現状、石見銀山は大内が尼子から取り返したばっかりで、実質稼働していない。
山名の使者が来たときも戦後の厳戒態勢下だったので、使者は間者に間違えられて捕らえられていたらしい。
結局、タイミングが悪すぎたので、使者は引き返していったが、そのやりとりを見ていた銀山の職人から神屋さんに連絡がきて、神屋さんと組屋さんが一緒に佐渡に来て対応を打ち合わせした。
石見銀山は主が安定しないし、神屋さんの取り分も流動的なので、灰吹法の技術者もあまり育てておらず、施設も最初に作ったままだ。
(それでも神屋さんはしっかり儲けているが)
佐渡の相川の施設は日々進化しており、技術者もたくさん育っている。
生野銀山に灰吹法の技術者を派遣するなら、石見銀山からではなく相川からだろう。
生野銀山と言えば、俺が知っているくらい有名な銀山だ。
きっと銀の埋蔵量も多いに違いない。
ただ、山名氏がどうなったかとか、但馬の歴史とか全然知らない(;´∀`)
地図を見ると日本海側から円山川と言う川がある。
『城崎温泉の近くなんだ…』
神屋さんと組屋さんには、とりあえず掘り出した銀鉱石を買い取る話で山名氏に会ってきてもらって、その間にまずはこの川を調べてみよう。
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隠岐の水軍衆に聞くと、円山川には津山港(津居山港)から遡って入って行くことができるとのことだ。
津山から下川(城崎)辺までは大型の船も行き来し、内陸の九日市(豊岡)には立派な川湊があり、そこからさらに養父方面と出石方面に分かれて遡上できると言う一大川船水運が成り立っている。
これらは但馬の山名氏の下、垣屋氏や太田垣氏等の国人領主が仕切っていた。
『日本海から船で遡上できるなら、話次第では一丁噛みしてもいいかも…』
また、月山富田城の戦の様子を調べている諜報部員からは、大内義隆自らが月山富田城攻めの総大将として指揮を執っているとの情報が入り、山名氏は大内派と尼子派に分かれていて、但馬の山名氏が大内派、因幡の山名氏は尼子派として参戦しているのだとか…
ああ、なんか思い出してきた。
確か尼子が毛利の吉田郡山城攻めて(去年、一昨年)最初は攻勢だったけど大内が援軍にきて追い返されて、今度は大内が月山富田城攻めて(今)、こっちも最初は攻勢だったけど結局攻めきれずに、陶の謀反で尼子がまたちょっと巻き返して、その間山名はあっちについたりこっちについたりするんだ。
で、毛利が陶を倒してから中国地方を統一して、山名にも攻めてくるみたいな流れだったかな…(;´∀`)
ただ、毛利は兵庫県まで来てないよな…
因幡は毛利にとられて但馬は守りきったのかな?
神屋さんと組屋さんが帰ってきたら話を聞いて、場合によっては俺も直接但馬まで行ってみようかな。
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「山名様は生野銀山の側の山城の麓に新しく平城を築いておられました」と組屋さん。
「寺も新しく建立しとっと」と神屋さん。
「それはまた気合が入ってますね」と俺。
「銀鉱石十貫で五百文か米俵一俵と言うてきましたが、やはりその麓の城に灰吹法の施設を作りたいようです」と組屋さん。
「これが現物です。なかなかいい石ですな」と神屋さんが銀鉱石を見せてきた。
「俺も一度行って話をしてみようかと思ってるのですが」と俺。
「灰吹法の施設を作られますか?」と神屋さん。
「おそらく石見銀山のように取り合いになります。領主がかわっても施設と技術者が守られるようにできればいいんですが… 船はどうでしたか? どこらへんまで行けました?」と俺。
「それならすぐ近くまで川を遡れます。まあ、行きの時間は歩くのとかわりませんけど」と組屋さん。
「なるほど… 逆は船に積み込んでしまえば海までスイスイと運べると言うことですね」と俺。
石見銀山と生野銀山を領有しちゃうか、やめとくか…
うーん…
どうしよっかな(*´ω`*)




