敵に塩を売る
北陸街道の加賀と越中の間にある倶利伽羅峠と、北信濃の防衛ラインより少し南の川中島に御守衛隊の詰め所と飲み食い屋(猪口酒屋)を作った。
峠にある飲み食い屋(猪口酒屋)は峠の茶店スタイルの小ぢんまりとした店だが、街なかにある飲み食い屋(猪口酒屋)は場所によっては佐渡開発商品の売り場がかなり拡張されているところもある。
倶利伽羅峠は峠なので、当然、峠の茶店スタイルの店だ。
そして、川中島に作った飲み食い屋(猪口酒屋)には「塩屋」を併設することにした。
武田が海を欲しがるのって、そりゃ、海運で儲けたいのもあるだろうけど、やっぱり一番は塩が自由に欲しいんだろう。
塩どめとかされたら腹立つもんな。
特に安売りはしないが、内陸でしかるべき値段で売る。
十分な供給量を近くの春山城に常時在庫して、売り切れることがないようにする。
ここに来れば何時でも必要なだけ塩が買えると脳にすり込ませることによって、本能的に海を欲しがらないように調教しようと言う作戦だ。
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この年、九条稙通が能登に下向してきた。
京を離れ摂津に下向していた稙通だったが、ずっと京に返り咲く機を伺ってはいた。
が、度重なる戦乱に飢饉、疫病の蔓延と、京の都はとんでもない有様になっていた。
それならばと、佐渡からの毎年の献金や、能登の珠洲の荘園の復活などもあり、七尾城下の小京都で時期をみようとなったようだ。
佐渡の薪能にもお招きし、佐渡流の歓待をさせてもらった。
京がそんなだからなのか、三好に追い出されたのか、将軍家はまた近江にいるらしい。
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庄ノ川(笙の川)の河川整備をしていると、朝倉宗滴教景から、佐渡での歓待お返しにと金ヶ崎城へ招待された。
河原田本間貞兼と馬場正時と一緒に行った。
洗練された京風のおもてなしを受けて、和んだところで宗滴さんがきりだしてきたのは加賀の始末についてだった。
何でも、能登が越中を平定したのを喜んで、今度は加賀も平定せよとの御内書を朝倉と畠山と越後の上杉にも出したらしい。
(佐渡は将軍家とは関わらないようにしているので、本間家には来ていない)
「加賀は百姓の持ちたる国なので、討伐対象が領民全員になってしまいます。こちらから手を出すのはやめましょう」と俺が言うと、
「やはりそうよの…」と頷く宗滴さん。
「こちらからは手を出しませんが、一向一揆が坊主に扇動されてどこかを攻撃してきたら、四方八方から攻め込みましょう」と俺。
「その時は根切りもやむなしか」とサダカネ。
「攻めてくるモノは仕方ありませんが、こちらが攻め込むときは寺を狙いましょう」と俺。
「越中では僧兵を殺しまくったそうじゃの」と宗滴さん。
「いや、どうしても武装解除しない者だけですよ」と俺。
「また、越中の時のように、守護様から武装解除の命令書を出してもらいますか?」とババさん。
「それも、やめておきましょう。加賀はあのままで大人しくしているなら、あのままでいてもらったらいいでしょう。「百姓の持ちたる国」と言うのはある意味ひとつの理想のカタチですから。まぁ、坊主が余計ですけど」と俺。
「北国街道の越中側の出口には砦を築いておるとか?」と宗滴さん
「ああ、他の街道も全部塞げるようにしておる」とサダカネ。
「こちらは細呂木城(神宮寺城)の郭を拡張させておる。万の大軍でも追い返してやるぞい」と宗滴さん。
宗滴さんと加賀への対応を確認した後、「織田とは敵対しない方がいい」とか、「若狭はとっても、丹後は慎重に、丹波には行かない方がいい」とか、いくつか予言をしておいた。
織田については、さすがに「織田…?」と言う反応だった。
宗滴さんが健在のうちは、朝倉は大丈夫なはずだ。
今後、もし関係が深まるようなら、内紛を起こさないように誘導するのもいいかも知れない。
御守衛隊詰め所及び飲み食い屋(猪口酒屋)がある所:三崎峠、十王峠、酒田、念珠関、越後米沢街道、越後会津街道、宮川、新保、和田部、川本、久田、椎谷、塔ヶ崎、三国峠、小布施、川中島、滑川、輪島、倶利伽羅峠




