やっぱりジャガイモとトウキビだよね
アイヌの人とか台湾の人とかを原住民呼ばわりしてるのって炎上案件かな? ^^; ^^; ^^;
奴隷の扱いとかも… ^^;
戦国時代モノなんだからアリでいいよね?(;´∀`)
まぁ、自分用だし、今までのところコメントなんて1回しかもらったことないし、気にすることでもないんだけど…
松前の商場の隅っこに石が並んでいるところがある。
ゴサク達「石集め隊」の収集品置き場だ。
その中に乳白色の石もあった。
ゴサク達は箱館の北の辺りで石灰石も見つけていた。
現在、蝦夷に語学留学しているのは、ゴサク、ハチ、トミ、ナツ、タカ、マサ、小一郎、平二郎、マタヒチ、ヤタ、ミツ、チヨ、ヨシ、ダイリクの十四人だ。
皆んなちゃんと生きている。
彼らの食い扶持は佐渡から蝦夷に船が着くたびに、蠣崎家の家来であることを隠して商場を仕切っている、松前の今泉と言う武士なのか商人なのかよくわからない者に託している。
今泉氏がどれくらいハネているかはわからないが、彼ら十四人が生き続けられるようにはちゃんと差配してくれているようだ。
ゴサクとトミは夫婦になって商場の側に、日本の長屋とアイヌのチセを合わせたような家を建てて暮らしていた。
ハチとマタヒチとヤタもゴサクとトミの家の隣に住んでいた。
最初に蝦夷に行った時に、昆布や干物も欲しいが、これも欲しいと石炭のサンプルを持って行ったが、次に蝦夷に行った時には石炭が見つかっていなかった。
なので、第三弾で蝦夷に行った時にマタヒチとヤタを連れて行って、今泉氏に「彼らは石を集めるのが仕事だ。他にも前に来た者の中からも石集めをさせてくれ」と言って、米をたっぷり渡した。
それで、ゴサクとハチ、マタヒチ、ヤタとマサの子の小一郎が一緒に「石集め隊」を結成して、各地を歩いて石を集めていた。
ナツは今泉の同僚だか家来だかの山野と言う者と世帯を持って、子連れで暮らしていた。
後から来たミツは、同じように今泉の同僚だか家来だかの木村と言う者のところで子連れで暮らしている。
タカもチヨもまだ小さいが、ナツとミツと一緒に商場で働いている。
マサと小一郎と平二郎は、商場に時々サケやマスを持ってくるトヌオウシと言うアイヌの村で暮らしている。
今泉がトヌオウシに「村の誰かとマサを夫婦にして三人を村で受け入れれば米をやる」と言う条件を持ちかけたら、喜んで連れて帰った。
商場に来る時に三人の内の誰かを連れて来て、「不自由なく暮らせている」と聞き出せたら米を追加すると言う条件も付帯している。
この条件に味をしめたトヌオウシは、後から来たヨシとダイリク母子も同じ条件で連れて帰っていた。
そしてどうやら「不自由なく暮らせている」ようだ。
よくやってくれた、今泉。
この村は佐渡とアイヌの親善の村にしよう。
そんなわけで「蝦夷石炭鉄鉱石調査隊」の調査結果をもとに【蝦夷資源開拓及びアイヌ親善計画】が動き出した。
プロジェクトリーダーは石花五郎三の家来の北見孫四郎将監(名前で選んだ(ぉぃ^^;)だ。
蝦夷直行便のサーワ1号に建築資材その他諸々を積み込んで、向こうで使う用のハーモタイプの新艇三艇(メイクイン号・ピュアホワイト号・ゴールドラッシュ号)にチェリー全開の若手スコップ隊員達と嬉熟れ子持ち後家さん達を蝦夷入植者として大量の食糧とともに乗せて出発進航だ。
まずは松前に寄って通訳のためにハチとマタヒチとヤタを連れ出してイワナイへと向かう。
川が流れ出ていたので、その近くに上陸して港湾施設建築を始める。
常に飯の支度をしておいて、現地のアイヌの漁師達が来たら話しかけて飯を振る舞う。
魚をくれたら米をあげる。
昆布をくれたら米をあげる。
色々と持ってきてくれたら米と交換した。
建築作業中にもアイヌとの交流を始める。
港湾施設の近くでジャガイモが植えられそうなところを探して、持ってきたジャガイモを植える。
港湾施設からもう少し内陸部に入って平地を開墾してトウモロコシを植える。
収穫の時にはアイヌの人たちを招待して、ジャガイモもトウモロコシも試食会をしよう。
そしてジャガイモもトウモロコシも自分たちで植えたいと言ってきたら分けてあげよう。
(ジャガイモは芽のところは毒だと教えることを忘れないように)
蝦夷直行便サーワ1号は、暖かい間にできるだけ佐渡と蝦夷を往復して、建築資材その他諸々を運びこんだ。
水車セットや流下式塩田セットなんかも持ち込んでいる。
子連れの後家さんを送り込むのは、単純に子供の方がアイヌの言葉を覚えるのが早いんじゃないかと言う安直な発想からだ。
バイリンガル〜ぅ(*^^*)




