釜石調査隊
陸路、海路の釜石調査隊が帰ってきた。
陸路は二組が別ルートから向かった。
酒田から最上氏の領地を通って奥州街道に出て北上し、遠野から海に向かって降りていくルートと、越後米沢街道から伊達氏の領地を通って仙台平野に出て、三陸海岸を北上するルートだ。
奥州街道の方は確かに、以前藍原蔵人が言っていたように、最上氏(羽州探題)のお隣が大崎氏(奥州探題)で、遠野まで行くと大崎氏と南部氏の間に挟まれたように阿曽沼氏が治めていた。
さらに釜石まで降りていくと、阿曽沼氏の一族の大槌氏が治めており、どうやら同族で擦った揉んだしているらしい事がわかった。
(なんで北から南部が、南から伊達が勢力を伸ばしてるのに間で同族で争ってんだか(;´∀`)
仙台平野から三陸海岸を北上して行くと、ついでに調べて来てと頼んだ気仙沼がある。
この辺りは葛西氏の領地のようだ。
葛西氏の配下の千葉氏が治めていた。
どちらのルートも奥羽山脈を越えなければならない半月ほどかかるルートだが、どうも遠野から釜石は人通りも少なくピリピリしているかんじで、三陸海岸を北上する方が怪しまれないとのことだ。
海路もやはり急いでも片道半月ほどはかかる。
十三湊までは慣れたものだが、そこから先は津軽海峡を越えて南部領の海岸沿いに南下して行く。
波が高いのでなるべく海岸沿いを航行しなければならない。
今回調査に向かったのは大岡丸と黃連丸と緑連丸だ。
いつもは松前から戻って来るところを、今回は津軽の今淵(今別)から下北半島の矢越、大間と回って、商船として港から港に寄港して行ったので、実際はひと月以上かかって釜石まで来た。
こちら側には水軍(海賊)らしきものは見当たらず、行き交う船はそれぞれの漁村から出て漁村に戻る船ばっかりだ。
釜石の港もご存知三陸リアス式海岸の良漁港と言うかんじだった。
こちらの海路側の調査隊によると、この辺りは大槌氏配下の狐崎氏が治めているとのことだ。
後、やはりこの辺りの海はやたらとサメが多いらしい。
地図を見ながら、『ここの三貫島ってところ、領有できないかな? ここにフカヒレ工場を作って、そこをベースに釜石に渡って鉄鉱石を探すのはどうだろう…』と思案を巡らせていると、磯田徳兵衛が何やら石を持ってやってきた。
「ショーゴ殿、調査から帰ってきた大岡丸が積んで帰ってきた石の中にこの石が混じってましたぞ」とトクベー。
「これは…」と俺。
「石炭ですぞ」とトクベー。
「こっちは…」と俺。
「鉄鉱石です」とトクベー。
「釜石から持ち帰ってきたのか」と俺。
「いや、蝦夷でアイヌの言葉を覚えるために送り込んだ者たちに石を集めるように指示していたので、それを実行してはいつも昆布なんかと一緒に送ってきていたのですが、今回初めてこの石炭と鉄鉱石が送られてきました」とトクベー。
「蝦夷で鉄鉱石が見つかるのか。それは優先的にそちらを調査した方がいいかもな」と俺。
「釜石は打ち切りますか?」とトクベー。
「いや、釜石も並行して調査を続けていくが、優先順位として蝦夷の調査に力を入れよう」と俺。
緊急会議を招集して春になったら「蝦夷石炭鉄鉱石調査隊」を派遣することになった。
まずは現地に行って、採取した場所の特定だ。
蝦夷直行便のサーワ1号で「蝦夷石炭鉄鉱石調査隊」を送り込んだ。
現地で石集めをしていたゴサク、ハチ、マタヒチ、ヤタ、小一郎と合流する。
石炭と鉄鉱石を採取した場所を聞くと、彼らは蝦夷に来た時に渡された地図を持っていて、地図を指さしながら石炭も鉄鉱石も松前から北上して、小樽に行くまでの辺りで採取したと言う。
彼らは陸路で石を集めていたが、船でまず小樽まで行って、小樽から探し出した方がいいだろう。
石炭は小樽の少し南西、イワナイと呼ばれている辺りで、鉄鉱石はそこからもう少し南東のクチャンと呼ばれている辺りで見つけられた。
元々小樽の辺にベース基地が欲しいと思っていたので、イワナイにお得意の要塞港湾施設を作って、そこを蝦夷のベース基地にしよう。
現地人に遭遇したら、とにかく食べ物を渡して仲良しアピールをする。
「トゥクイアエプ」作戦だ。




