第〇〇八九話 ミリン◆殿下襲撃
「なぜ、水門が開けられた!」
堀の向こうで、だれかが怒鳴る。中堀すら渡ろうと攻め入った敵を、橋ごと押し流す水門が、なんらの合図も、おそらく軍の許可もなく開かれたのは明白だ。異変に驚き、慌てて路地を戻ろうとした後続部隊は、続いて起きた異変 ── 路地両側建物が次々と内から爆発、崩壊 ── を受けた。偶然にも、爆発から逃れたキャリッジ両側の建物を除いて、崩れ落ちた建物残骸に潰された、しんがりの兵士たちはほぼ壊滅。これら様子の全ては、キャリッジ周りの精鋭から、ヨセルハイに逐一報告される。
これでは路地から外へ出る移動は不可能だ。あわせて視線を遮られた堀向こうの主力部隊から、此方側の状況確認も困難となった。しかも状況の把握難度にくわえて、不自然なまでの強烈な堀の流れはおさまらない。その幅と深さで堀向こうにいる残存主力部隊の足を止める。
「いったい、何が起こっているのですか?」
ヨセルハイは、ミリンにわかりやすく、認知できている限りの状況を説明した。
「 ── 殿下が狙いと思いますが、友軍はすぐに参ります。蹴散らして見せますよ」
現在、護衛対象のミリンを守れる兵士は、軍の精鋭によるキャリッジの供回り八名と、キャリッジに相席したヨセルハイのみ。すでに彼は、車中でミリンを背にして窓のない場所に、抜き払った剣で隙間を空け外の様子を窺っている。
そもそも特殊部隊上がりであり、さらにゴードフロイの供について五年余を積む、経験豊富なヨセルハイ。彼の勘によれば、このキャリッジだけが建物崩壊の下敷きにならなかった理由は、おそらくミリンを確実に葬ることと読んでいた。生き残った供周りの精鋭、全員にそれは伝えられる。すぐにキャリッジは、ミリンたちを乗せたまま、かろうじて無事をとどめた建物の、無傷の入り口に寄せ付けられたようだ。
建屋に寄せたキャリッジを、残った味方が背にして身構えた瞬間、残骸になった建物の向こうから、破裂音が繰り返し響く。ピタリとやんだ周囲の声から、悪魔の飛び道具により、車外の精鋭部隊が確実に無力化されたのは疑いようもない。
「ちいっ!」
「大丈夫ですか?」
無念そうに首を振って、ヨセルハイは言う。
「軽装の鎧も撃ち抜く、魔法の飛び道具です。このままでは、全周囲からあれを撃ち込まれるでしょう。幸い、供回りの最後の働きによってこいつは道の端につけられており、すぐ崩れていない建屋に飛び込めます。小官一人では、その入り口を死守するのがやっとかも知れません。友軍が駆けつけるまで数分の間、そこへ身を隠してなんとかやり過ごしましょう」
ヨセルハイの判断によると、ここに止まれば剣を交わすことすらなく、死を待つのみという。その指示を受けて、急いでラーゴを抱えたままキャリッジから駆け出るミリン。ヨセルハイが自分の抱いている冷血獣を見て、あきれるけはいを感じるが、ラーゴも恐いのだろう。外へ出ようとしたミリンに、しっかりとしがみついてくるラーゴを、見捨てて行けるわけがない。
(この子はわたしが守ってあげなければ! 生まれたばかりで、逃げる力もないのよ。それはまるで周りから、ただ守られるだけのわたしのように)
ミリンの移動とともに、後へ続こうとしたヨセルハイ。その後方から、キャリッジを叩き潰して襲いかかる力が感じられ、剣を交える音が響く。ミリンは振り返らず、家屋の奥に隠れようと駆けこんだ。
常にミリンに付き従う影の一人、いままで姿を見せていなかったハナカゲから声がかかる。
「相手は外に少なくとも三人はおり、お一人では荷が重いでしょう。拙者も加勢に出ます。殿下はもっと奥の部屋へ、後はヒカゲに任せる」
短く告げると、けはいを消すハナカゲ。あてもなく建物に入った広い空間で様子をうかがうミリンは、飛び道具で外部から狙われにくい、さらに奥の部屋へ進んで行こうとする。そのとき、大きな声が部屋に響きわたった。
「殿下! お伏せくだ‥‥」
『パン! パン!』
思わず屈んだ、ミリンの前にもう一人の影。 ── 片手には影鍬愛用の、山刀を掴んだ小柄な姿が現れる。同時に二回の破裂音が響き渡った。ミリンを守った影は、仁王立ちしたまま大量の血しぶきをあげる ── ヒカゲだ。音もなく、ミリンの前方に倒れ伏す。
「このデバチーンさまに、手間かけさせやがる。じゃがおおかたは、予定通りぜの」
外国訛りの大男だ。ゴードフロイを超える巨漢に匹敵する筋肉の体。今、右手に持った何かを捨て、柱のようなこん棒を手に取った。一方左にはミリンがかつて目にしたことがない、穴の開いた小型の魔法道具を携えていた。それが右手から手放されたものと同じ武器で、破裂音とともに、弾を打ち出したというのは理解できる。待ち伏せされたのだ。
「あなたはだれ? なぜわたしを ── !」
「おめえは知らんでいいぜの」
抑揚なくそう言い捨てた巨漢の男。足下のヒカゲを蹴り飛ばし、近づいてくる。ヒカゲの手から離れた山刀は、転がってミリンの前に止まった。ゆっくりと大男の頭上に振り上げられて行くこん棒は、ミリンの足よりも長く太い。棒といっても石のように固く、重い素材というのが分かるものだ。ミリンの頭であろうと肩であろうと、落ちてきたら粉砕されるのは間違いない。
今、目の前にあるのはヒカゲが手放した山刀一本。とても非力なミリンが、身を守れるものではなかった。恐怖で身は縮み上がり、ラーゴが絡んでいない右手で頭を抱えたまま、思わずしゃがみこむミリン。
(もうだめ ── !)
そもそもミリンは、守られる立場の人間である。もしいままでこんな危険が身に迫ったときは、かならず助けに来てくれる人がいた。そう、アレサンドロだ。
「ナナコ!」
ラーゴが吠えている。いつもと違う鳴き声はラーゴなりの威嚇なのだろう。
(わたしが倒れればこの子も死ぬ。今はわたしが戦わねば!)
そう思うと、なぜか急に湧き上がってくる勇気。この手で守らねばならないラーゴが、腕の中にいると気づいたからだ。
自分はいつか、母の後を継いで王になる身である。そのときは自分の手で、すべての国民を守らなければならない。まるで自分の後ろから、アレサンドロが手を添えてくれたような気がした。ミリンは衝動的に伸ばした手で、目の前の山刀をつかむ。
「くたばるぜの!」
風切り音とともに、こん棒が振り下ろされてきた。さながら巨大な落石のごとく。
比して、ミリンの腕はひ弱なものでしかない。そう、山刀を持ち上げるのがやっとの ──
(アレサンドロ! お願い、守って ── !)




