第〇〇九〇話 ミリン◆闘う姫殿下と模造品の鎧
『ガツン』という鈍い音がした。男は信じられないものの前で、小さな目を見開いている。それはミリンも同じ ──
「この娘、そんなはずはないぜの!」
ちょうどそのときだ。外からハナカゲとヨセルハイが、ぼろぼろになって部屋に転がり込んできた。
「殿下!」
「ご無事で?」
彼らの目に映るのは大男にこん棒で襲われ、山刀で受け止めている健気な護衛対象である。それを目の当たりにしても、なお二人はそこから動くことはできない。
敵は五人に増えており、次々と屋内に侵入してきた。素早い動きで無言のまま剣を構え、まだ態勢の整え終えていない二人を取り囲む。さながら、目前の敵の殺戮以外、意志を持つように見えない五つの人形。一瞬の隙が自分だけでなく、一緒に戦う二人ともの命を危険にさらす局面だ。現状どちらかが戦闘状態を継続出来なければ、それでミリンの命も終わるだろう。
ミリンが男に力負けしていないのは奇跡といえる。二人にとって、今はそれが続いてくれることを祈るほか、なすすべはないようだ。
なおも大男は、力任せにこん棒を押し込もうとしてくる。しかしそれを片手でしのぎながら、立ち上がって行くミリン。逆に徐々にでも押し返すかのごとく。まるでその心にも、兄の不屈の精神が宿ったかのように。
「ええい!」
そしてミリンは最後のかけ声とともに完全に立ち上がる。片手持ちの山刀で大男の棍棒を跳ね返したのだ。大男は押し返される力に思わずよろけ、後ずさりする。子を持つ母は、火事で逃げ遅れたわが子の身を護るために、その手で崩れてきた大柱さえも受け止められた。 ── そうした伝説が語り継がれるのは知っている。そんな力が一瞬発揮されたのだと思ったが、もう張りつめた気は限界を超え、ふらつくミリンの足元。
「バカニヤ! なんぜの、この‥‥」
そのとき大音響とともに、天井をやぶって何かが落ちてきた。二階建ての屋根と床、一階の天井までを一気に、貫いた衝撃が響きわたる。
(きゃぁ! なんなの!)
すでに立っているのが限界だったミリンは、衝撃の余波で声も出せず尻もちをついた。
天井のぬけた土埃で、しばし視界は失われる。だがそれも一瞬。ミリンと倒れたヒカゲの前に、屈んだ着地体制からすっくと立ち上がる姿。それは、蒼い青銅の大剣を振りかざした、全身鎧の ── 小柄な戦士だ。
「なんだ、おめえは? ぜの」
敵がだれかと尋ねている。しかもミリンを背にして、大男に対峙した。そんな態度を見れば、彼は味方に違いない。
ここまでの一連の出来事は『王国建国伝説の勇者』の伝本の一つ槍光臨毒牙撃退譚の一節。マリンバ二世が上級魔族に抗した場面そのもの。幼少期、このくだりを引用し『神は自助を怠らぬ者にのみ、救いの手を差し伸べる拠り所』と大司祭からも教わった。
(わたしが戦ったから、天が救いの手を差し伸べて下さったというの?)
ミリンの心の中で、小さいころから何度も大人に聞かされた『ある伝説』が彷彿とする。
『あわや、王女マリンバ二世が魔族の毒牙にかかるかと思われたとき、聖鎧に身を固め、聖剣も携えた勇者が、光とともに天から降りてきました』
ミリンは想起する。これは王国の秘宝として、最近は ── そう、ラーゴといっしょに王城を回ったとき、しばらくぶりに目にしたモノと同じ鎧、そして剣だ。それらを身につけて立ちふさがっているのは、ヨセルハイと比べて二回りほど小さな戦士である。
(知ってる。この鎧も、そして手にしている剣も!)
しかし、もし目の前の鎧と剣があの展示品だったら、それはおそらく何の役にも立たない偽物。── いや展示用のイミテーションでしかない。まだ、ミリンが握りしめた山刀のほうが、短いとはいえ実戦でははるかにましだろう。
「死んでまえぜの!」
そしてそのあまりにも脆い戦士に、大男はあのこん棒を振り上げて襲いかかる。
ミリンは覚悟した。剣は柔らかい青銅製。しかも軽い中空のそれは刃も丸く潰され、鋭利さの欠片もない。鎧は革で、それらしく形作った上から、光沢を出すためだけに青銅液という塗料が塗られた程度の ── 美術品だ。
アレサンドロが、今のミリンの背丈を越えたころ、密かに試着し自分にも触らせてくれた模造品。だから強度的にはどんなに貧弱かもよく知っていた。しかもこれが、展示品と同一物という確たる証拠もある。あのとき、アレサンドロがそれを身につけ無造作に座ったため、お尻の部分に付けた汚れ。 ── あれから何年もたち、焼け跡のように黒くなっている。だがばれたらおおごとだと、二人で焦った油のシミは、忘れられるものではなかった。
(大事な展示品を、誤って汚したことも内緒にした、アレサンドロとわたししか知らない油染み! こんな武具じゃ ──)
いや、武具ですらない。見た目だけを繕った美術品。それで刃向かえる ── いや、受け止められるはずがなかった。
そんな真実に、まさか気付かないのだろうか。こん棒に向かって剣をふるおうとする鎧の戦士。
次に来る結果が判っているため、恐怖と絶望で思わずうつむくミリン。目も閉じてしまったが、その結末なら心の中でも見ることはできた。曲がってひしゃげる、中空の柔らかい青銅剣。続いてこん棒は革製のフルプレートのメットにめり込む。そして割れた兜からは血が噴き出し、潰れてしまうのだ。
ミリンの予想通りに聞こえる鈍い打撃音。血反吐を吐く嗚咽とともに、生暖かい血しぶきが飛んでくるのを肌でも感じた。かすかに鉄の錆びた匂いが漂う。
(もうだめよ、絶対だめ ── !)
自分を守ってくれるかも知れないと、一瞬でも期待した盾が倒れた。 ── それでも己が生き延びようとするなら、現状を把握し次の行動に遷るため、ミリンはつらくても目を開かなければならない。
『ドダンッ!』という音と地響きに呼応して、こわごわ目を開ける。倒れた美術品と、自分に迫って来ている大男に向けた視線を巡らせた。目前の現実が認知できたとき、呆気にとられてしまうミリン。
「おう!」
五人の黒い暗殺者たちと交戦中であり、余裕がないはずのヨセルハイからも感嘆の声があがる。ハナカゲも似たような声を上げるが、ミリンは発声することすら忘れていた。




