第〇〇八七話 ミリン◆怪しい侍妾(そばめ)と旅へのいざない
父であるレオルド卿が、今日はずいぶん大人扱いしてくれたのに気をよくして、ミリンは予定外の長居になった。ラーゴを飼育小屋に迎えに行くと、その場を離れるときは顔も見せなかった両足蛇が、巣から出てきて仲良く並んで休んでいる。それを見てミリンは微笑んだ。
(あら、ずいぶん仲良くなったのね。まるで家族のようだわ)
そう思いながらラーゴを抱きかかえると、目を覚ましていつものように鳴いてくれる。
「らぁご」
レオルド卿邸宅を後にしたミリンは、二つ目の目的地であるハーンナン公爵の邸宅へ向かった。この二軒は王城を囲む、三重の堀の外とはいえ特別な区域に建つ。そこは貴族の中でも位の高いものが住む『王都ヴィンテージエリア』と言われ、一軒の占める敷地面積が広い。そのためほぼ隣にあるはずなのに、キャリッジを使ったドアツードアでも、かなりの時間がかかってしまうのだ。
さて、次の訪問の目的は言うまでもない。ミリン付きの筆頭メイド、グラリス、公爵五女の婚約祝いである。
ハーンナン公とはじめて会ったのは、ミリンが四歳のみぎり。公爵の二女モーリス十二歳がハーンナン公に連れられて王城にあがって、ミリン付きのメイドになったときだった。自分の父と違い、厳しそうな父親に見えたものだ。だがモーリスやグラリス、クリムなど、自分が親しくした彼の娘たちと話してみると、とてもよい父親であると判ってくる。
八女クリムを産んだ後、病に臥した正妻を亡くして以来、永らく妻の専属だったメイドと、娘たちの家庭教師を後宮に入れた。そうした侍妾二人とは子をなさず、多くの娘たちを立派に育ててきたのだ。王国唯一の公爵家に加え、真王からも最高の信頼を置かれている人物であり、その娘の婚約祝いの訪問という予定である。
ただし実は、自らの筆頭メイドの婚約だから行なわれる、慣例的にイレギュラーな訪問であって、非公式になるのはやむを得ない。
すでにグラリスには、殿下がレオルド卿邸を出た時間が知らされ、王都邸宅でミリンの到着を待っているはずだ。
邸に入ると、予想通りグラリスはミリンの到着を待ちわびたようで、心よりの歓迎を受ける。祝いがどうとかではなく、来てもらえたことがうれしかった様子であった。
しかし、ミリンはそれ以外にも目的がある。レオルド卿の邸宅で話したように、ハーンナン公の意見も聞きたかったのだ。そのため、実は縁故の貴族付き合いから予定があったところを、慰留してしまったらしい。
しかし、忌憚ない熟談の期待は少々裏切られた。自邸とはいえ、公的に国家の重要人物のナンバーツーを、実力ナンバーツーが屋敷に迎えている。親子関係のレオルド卿とは違って、成人の儀を済ませない未婚の殿下と二人だけで、公爵の自室に篭もるのだ。さすがにこれはミリンが許しても、ハーンナン公の立場がたち行かない。
貴族の社交界は、話題に飢えているのだから。
そこで、ミリンの意図を理解したハーンナン公は、できる限りの人払いを行なう。そのうえで第三側室のアーニャをメイド代わりに、ミリンとハーンナン公の三人でお茶会という形をとった。ティーカップの数には入っていないが、もちろんラーゴも一緒だ。
(グラリスと三人のほうがよかったですわ)
同席したのは、クリムからちょこちょこと悪口を聞いていたため、ミリンもあまりいい印象を持てない侍妾だった。
ただ、娘からするとグラリスと同じくらいの、いやまだ若いのではないかと思えるほどの側室である。それを実家の領地から離れて住む娘たちにも、見せびらかすように連れて来るようでは、反感も持たれかねまい。しかもこの侍妾は、もはや古いしきたりとなる、逢瀬の指輪を人前で嬉しそうにひけらかしていた。
それを注意しないハーンナン公も、娘に文句を言われて当然だとミリンは納得する。
「その後、公爵の領地ではいかがでしょうか」
「はい、ご心配をおかけしましたが、ようやく魔族の通り道になった村への帰還を許可しました。今は領兵を村々に貼りつけた形で、復興にかかっております」
魔王軍の侵攻によって、王国は多くの被害を受けた。
とくに魔王島から王都に至るには、直線コースでアビ侯爵領と、ハーンナン公爵領を通過する。魔王軍の侵攻ルートとなったテン・ポ山脈から、流れ出るヤーマト大河流域に位置した村は、残らず緊急避難を余儀なくされたのだ。
ただ人間の軍が攻めてきたのと違い、魔族の軍は略奪や陵辱といった、蛮行におよぶことは少ない。そもそも人間など眼中にないので、逆らわなければ、よほど明確な意志を持つ場合以外、ほぼ無害に近いはずだった。たとえばお腹が空いたり、奴隷として人間を連れ去ったりという場合をいう。
だが今回、道中にあった村から持ち出せなかった備蓄食糧のすべてが、魔王軍の通りすぎた後消え去っていたのだ。それらを探したせいだろうか。村の建物も無残に潰されてしまっていたと聞く。
普通なら、魔力は魔脈から吸収するのだが、魔王城と距離をとった魔王軍に与えることはかなわない。仕方なく補給のために利用したか、いずれ糧食にしようと備蓄したと考えられていた。王家はもちろん、通り道になった地の領主も、終戦後それを探しまわったが、どこにも隠されたような形跡は見あたらないそうだ。そんなことから多くの村が復興をあきらめ、村へ戻ることなく離散してしまったという。
「たいへんだったと思います。わたしからは早期の復興と、領民のみなさんのお幸せを祈らせていただくことしかできません」
「承知しております。領民もそのお気持ちだけで、たいへん喜びましょう」
ただ今回は意図的に、王都の聖泉を奪取するという、魔王側の目的が分かっており、それを奪われたのでは王国が成り立たなくなる。そのため、人間側が必死の抵抗とならざるを得ず、血で血を洗う戦闘が繰り広げられたのだ。
そんな抵抗の腹いせか、魔王軍は通過したルートに近い、村落の収穫倉庫などから、穀物を搾取して行ったと報告された。その侵攻ルートにあった、アビ侯爵領とハーンナン公爵領では、天災に遭ったと思ってあきらめてもらっている。だが実際は、過去に王国の荒れた時代見過ごされてきた負の遺産であり、国を治める者が誤った人災であると認識されてきたのだ。
とはいえ、ミリンからねぎらいはできても謝罪するわけにはいかなかった。それは、代々の王への批難となってしまう。しかも王家が公式に言葉にしたと聞こえると、さらなる謝罪や賠償を求めてくることも想像に難くない。国家の政に於いて、日ごろから王家に不満を持つ領主や豪農の中には、過去の失政のあらゆる結果をとりあげる者もいるだろう。
今となれば、過ちとして認められるものもあるのは知っていた。しかし他領への支援など、現王国王家の財政ではとんでもない話だ。そんなことをすれば、いずれ王家直轄地の臣民を、重税で苦しめる遠因にもなるのは間違いない。それはハーンナン公も承知しているようであり、そこでこの話題は立ち消える。
「公におかれましては、魔王島の対岸に位置する、王家直轄地へお出向きになられたことがありますかしら?」
性急かも知れないが、ミリンは話題を変えた。
「はい、ボコボの港の市には、王都でも入手困難なものが出回ることがございます。ですから過去には、余人に依頼できない高価な品を手に入れるため、幾度も足を運んでおりました」
「最近は、行かれましたかしら? 王都同様、治安悪化が問題になりつつある、と耳に挟んだのですが」
なによりそれを気にかけていたミリンは、つい核心までストレートに入ってしまう。かろうじて、麻薬の出入りの話にしなかったのは、一人信頼できない人間がいたからだ。
「いえ、さすがに魔族の問題がありましたので、この一年ほどは行っておりません。それ以前には、別になにも感じられませんでしたが」
「そうですか、いろいろと危険なものや、王国に仇なす者が入ってきているという話も聞いております」
そのとき、場の雰囲気が変わる。公爵だけではない、ミリンにはアーニャの眉も吊り上がったように感じられた。
「殿下。危険なものとおっしゃるのは、武器でしょうか?」
「それもありますわ。そしてえたいの知れない人間、あるいは王国民を蝕む薬、麻薬も入ってきているという噂を耳にしました」
「麻薬? それは ── 一大事ですな。もしその話が、本当だとしたら」
「はい、それらは国を挙げて一刻も早く、断固として排除しなければなりません!」
そのとき、アーニャが口をはさんだ。ミリンには実際、他人との交渉事などを戦略的に運ぶ、常套手段などというものを、まともには学んだことはない。だが雰囲気から、アーニャはそのタイミングを、今か今かと待っていたような気がする。それほどアーニャの発言は、会話の中にうまく滑り込んで違和感がなかった。
「ミリアンルーン殿下、お恐れながら申し上げます」
「なんでしょう?」
「王国には、奴隷がおりますね?」
「はい」
「そうした奴隷はつらくても、苦しくても奴隷という身分から逃れることはできません。その者たちの救いは、どこにあるのでしょう?」
いきなりの難癖だ。公けの席であれば、公爵と雖も、愛妾ごときが次期王位継承者に、とても問える質問ではないだろう。ここは王政により納められた地であり、確固たる王と聖脈を持たない隣国、 ── 共和国ではないのだから。
「奴隷であろうと、たとえ領主や王であっても、それぞれ苦しみはあります。それは自ら乗り越えなければならないと、神がおっしゃっておられますわ」
ミリンは、そう教えられてきた。アレサンドロのことも、自分で乗り越えなければならないと思っている。
「もちろん、王にも貴族にも、どうしても叶わない望みや、取るに足らない不満はありますでしょう。それは、舞踏会に遅れそうな途上、平民がけがをして道がふさがっていたとか、食したいと申しつけた鳥や魚を、係の者がとってこれずに食べられないとか。でも奴隷や平民は、王侯貴族なら味わうことがない、飢えで苦しんだり、治る病やけがで家族を失ったり。ひどい者は養ってくれる家族に恵まれずに老いて行くのです。そんなつらさを、どうやって乗り越えられるというのでしょうか」
この女が何を言っているのか、女王になるべくして生まれてきたミリンには分からない。奴隷は奴隷、平民は平民であり、奴隷が王と同じ生活を望めるわけがないからだ。逆に王は奴隷になりたいと願っても、自らの責を投げ出すことはできないのは、神の意志によって決まっている。
「そのために国があり、教会が神の説法を垂れるのでしょう。まさしく信仰が、民草の辛苦の救いではないですか? 信仰心も持たず、悪魔に魂を売るに等しい薬に頼って、内部から国を腐らせるような者など、とても見逃すことはできません」
「神様に祈っても、水も食べ物もお金もでてはきませんわ。ですから、貧しいものは賭けごとにおぼれ、酒に走り、それでも救われなくて、危険な薬にまで手を出すのではないのでしょうか?」
「アーニャ、殿下にそのような物言いは不敬であろう。控えなさい!」
ついに、ハーンナン公がアーニャを叱って黙らせた。しかしそれが、アーニャの言動に怒って出た言葉でないのは明らかだ。万が一ミリンが腹を立てて、王家侮辱罪を適用するとでも言いだしたら、アーニャの身が危ない。そういう保護の意識から、発せられたものではないだろうか。
「はい、出過ぎたことを申し上げました。わたくし、口をつぐんでおります。ミリアンルーン殿下、お詫び申し上げますわ」
悪びれた様子の少しもない、お辞儀の下でぺろっと舌を出していそうな言い草だ。
「いえ。ずいぶんご苦労をされてきたとみえ、浅慮なわたしには耳の痛いことばかりです」
ミリンもこれ以上、この話を続ける気はなかった。それからハーンナン公には魔王の城跡調査へ赴いて、アレサンドロ回復の手がかりを掴みたいと相談してみる。しかし危険なのでやめたほうがよい、ゴードフロイあたりに任せるべきという意見だ。
「ボコボの港も近いので、そういう実態も調べてみたいと考えていたのですが、ダメでしょうか?」
やや考え込む公爵。そのとき、口をつぐむと言っていたアーニャが、ハーンナン公に耳打ちをした。先ほどのことで、自分の意見を挟むのは憚られると思ったのだろう、陶器のお茶のポットを持ち、そそくさと部屋を出て行く。
「そうだ、それより殿下、もし外の世界に触れたいのであれば、当家の領地を訪問されませんか? 実は、領府タドゥーカに死者を甦らせる、魔法使いが出没し、話題になっているようなのです。国許からの便りにあっただけらしく、わが目で見たわけではないのですが‥‥」
「死者復活ですか?」
アレサンドロは死んだわけではないけれど、それが本当なら、ぜひその奥義に触れてみたいと思うミリンであった。




