第〇〇五六話 クラサビ◆王都の朝市と圧倒的に不利な面接
クラサビは、目の前の風景に思わず感嘆の声を漏らす。
「ワァー、さすがに賑やかね」
いつもなら、この時間には眠りにつくウイプリーにとって、初見に等しい活気にあふれた王都の朝市だ。朝市はここだけでなく、王都のあちこち ── およそ露店の市場に適した広場のほとんどで、開催されているらしい。
クラサビがオートマトンを連れて王城から難なく脱出できたのは、ラーゴの張った情報隠蔽結界のおかげだ。人目のない路地で結界を解いた後、市が立ち並ぶ広場の一つにやってきていた。
「まずは、服、買おぅ」
オートマトンは、檻の中の主様が発した言葉を復唱するとき以外、カタコトのようなおしゃべりがいささかおかしい。
朝市は食料品が基本となっているといっても、それは生産者や行商人の持ち込んできた、食料品が売り切れるまでの話である。時間制でコマを借りた露店商は、どんどん店をたたんでいく。売るものを完全に売り切るよりも、余分なコマ代にかかる費用を嫌うようだ。
その後には新たな商品を並べる者が入っていた。朝一番の生鮮食品が売り切れたら、乾物や金物、薬草、花、衣類、装飾品の類いに、次々と衣替えが行なわれる。
その市の片隅、物陰に潜むように佇んだ二人連れは、どう見ても異様に違いない。
一人はドレスシャツを着た美少年で、もう一人はおそらく女とわかるきゃしゃな体に、布を巻き付けて顔も隠している。それが、オートマトンとクラサビだ。
だれにも気が付かれず城外へ出た二人は、城にもっとも近い市のここに着くまでに、呼び方を決めていた。『クラサビ』は問題ない。しかし、オートマトンは問題がある。主様と呼んでつれこみ宿に入るのは ── 無い線ではないが、同い年齢くらいのカップルには不自然だと思えた。
ラーゴでもいいが、両方いるとややこしいだろうし、その名前も何かのことで知れ渡っては困る。とは言ってもラーゴ自身、別の名で呼びかけられて気づかなければ、すぐに偽名がばれそうだと云う。仕方なくラーゴと言い間違えかけても、リカバリーのききやすい名前ということで、『ラゴン』と名付けられた。
「じゃ、買て・くる」
カタコトをつかうラゴンが、古着の露店で男女どちらがまとっても問題ない、ローブを購入する。とはいえきれいなドレスシャツを身につけた、豪商の息子にも見える美少年だ。魔法使いでもなければ着そうにないローブを求めているのは、いかにも理由あり気味だった。
続いてクラサビが、路地でそのローブを布の代わりに羽織ってきて、別の店で自分の背格好に会う冬物の服を買う。腰から下にフレアの入る、たっぷりとした雰囲気のワンピースを、腰ひもで縛って大きさの自由が利くもの。そして上から被るタイプの、チュニカふうガウンだ。
ラゴンの服と釣り合うものが、市では入手しにくいと想定はしていた。しかたなく一般的な、それでも色合いなどはできる限りおしゃれな品を、買ったつもりである。自分のセンスで選んだものながら、そのため少し値の張る品になったのは申し訳ない。
一方でローブを羽織ったラゴンは、農作業などにも使えそうな普段着と、服の上に被るタイプのトップスを求める。続いて小さめの、スーツケースっぽいカバンを物色しているようだ。
(いったい、どこからお金を出してるんだろう?)
ラゴンからもらった色々な硬貨を、ポケットから取り出したのは知っている。だが自分の十里眼はその瞬間まで、ポケットにお金を透視できない。二人は合流すると、ラゴンが買ってきた作業服を最初身体に巻き付けていた布で包み、すぐに市から姿を消した。
次に現れたのは王都の中で、王城からは一キロメートル以上離れた下町を過ぎた場所。いかがわしい私娼や、女給が体も売る酒場が過去に見られた界隈である。王都内で、売春行為が民間の経営でも咎められなかった時代と違って、現在は教会の指導がめっきり厳しくなった。それゆえ一時の繁華な面影は、夜がふけてもほとんど観られない。
といっても、王都内には公営の売春認可エリアが三カ所設けられており、そういった商売そのものが禁止されたわけではなかった。ただ下町とはいえ、住居が隣接するこの一帯における類似の商売は、売買双方、厳しい罪に問われることになってしまっただけだ。たとえば内緒で、酒場の女給が小遣い稼ぎのため、妊娠に至るようなサービスにおよぶ行為あたりをさす。
王国では、私生児を増加させない方策に、かなり以前から行き詰まっていた。先代王の御代においては、出処の怪しい薬なども一部で試用して失敗したため、新生王国発足後、現王が打ち出した新しい綱紀だ。
別の決まりで、不倫や複数の奴隷との姦淫、あるいは暴力を伴う背徳的な交合も禁じられる。もし訴えがあれば厳しい罰も与えられるが、これはもっぱら宗教的な側面からの縛りという。
ただこの法にも公営認可業者によるサービスなど、一定の救済措置が設けられた。他にも、渡航者などが王国の決まりを知らずに違反した場合。また不倫であることを関知してなかった側、無理強いされた被害者などだ。さらには、そういった被害者と慰謝料などで示談がついている場合も情状酌量され、罪が減じられる。
一方王都を一歩出れば、それを逆手にとって酒場などで誘い込んだ男から、示談金としてお代をせしめる茶屋女も珍しくないらしい。
ましてや今はまだ、朝の鐘がなる以前、朝食時間である。昔であれば、そういう類の店に泊まった男たちが、ちらほらと帰る姿も見られた場所だと云う。しかしこのあたりでは、今やそんな風景も目にすることはない。せいぜい出稼ぎにきた田舎者が長期で滞在できる安宿を引き払って、大きな荷物と一緒に里へ帰る姿が見られる程度。そうした落ち着いた街に変わっていた。
その一角に、二人は姿をあらわす。すでに、スーツケースの中身は回収済みだ。明らかに入り口を分かりにくくした、理由ありの男女が逢い引きするための休憩所とわかる、怪しい宿屋に入って行く。
「早いね、ご両人」
背は低く、声の太いひげ面の主人が、入ってきた客に声をかける。
「広めの・部屋、あるか?」
ラゴンが金貨を二枚、カウンターに置く。
「おおっ!」
慌ててクラサビはその金貨を回収し、言い訳する。
「ごめんよ、うちの人ったら、田舎者の上にボンボンなんでね」
代わりに銅貨を、五枚ばかり差し出した。
「なんでぇ、 ── ひろい部屋なら二部屋続きの、ソファで話もできるところがあるけどな。飯はつかねえが、明日まで、小さい銀貨一枚じゃどうだい?」
「それで」
吹っ掛け過ぎだと思ったが、ラゴンは即答で自分に銀貨を手渡して、主人に払わせる。
(ポケットにもうお金ないのに!)
と心配するが、先ほど以来、どこから現れるのか、いくらでも出てくる魔法のポケットに見えた。主人から番号の書かれた部屋の鍵が差し出され受け取ると、渡した銀貨は久しぶりに見る宝のように袖口で磨いて光らせている。
「二階の突き当たり、赤い大きなドアだ。ゆっくりしてくれ」
どうも信用ならない。そんな予感に襲われるクラサビ。
昔は売春窟で賑やかだったこの界隈も、真王政治の進めた改革で、すっかり健全な街になっている。しかし、いまだ淫らな欲望に溺れたい者たちを食い物にしようと、違法行為とは知りながら、こうした曖昧宿を営み続けてきたのだ。
そんな人間は魔族から見ても、怪しいことこの上ないといえた。この早朝から、邪魔が入らず、しかも日光が避けられる場所を手に入れたい。それは王都で身分を持たない二人にとって、数少ない選択肢の場所であった。
たしかにドアを開けると、ソファに小さなテーブルが置かれただけの広い部屋。その一角に入り口のドアとは別に、大きなベッドだけが据えられた窓のない部屋へつながる、半開きのドアが見えた。
ラゴンは宿に入る間だけ、ドレスシャツの上から被っていたトップスを脱ぐ。そして持ってきたスーツケースをベッドルームに持ち込むと、ベッドに載せて大きく開いた。すると、中からおそらく七~八十匹はいるだろうカマールが、次々と外へ飛び出してくる。
後からさっさと着替えて ── といってもレオタードの上に、買った服を重ねて着ただけで ── 入って来たクラサビが指示をした。
「じゃあ、これから面接を隣の部屋で始めるね。面接は某魔族の高位官によって行なわれるから、番号順に待っててちょうだい。次って声をかけたら、番号を言って出てきて」
部屋は長らく使われなかったものらしい。空気が澱んでいると思ったクラサビは、少しだけ窓も開ける。ある程度朝の空気を取り込んだ後、その上からカーテンを引き、部屋に差し込む太陽の光は遮った。廊下から入ってくる扉に鍵をかけて確認し、すでに座面の柔らかすぎるソファで座っているラゴンが言う。
「ようやく準備できたね。面接になったら、できる限りちゃんとしゃべるから。いままではこっち ── 城の中でボクが言葉を発しなくても、他人とコミュニケーションがとれるか、テストしてたんだ。ちょっと心もとないけど、少しずつ手をくわえて行けば何とかなりそうだよ。そんなときにダメだったら、クラサビがサポートしてね」
「大丈夫だよ。主様はそっちで、発声できなくなることもあるだろうから、そのときは任しといて。もし、しゃべれなくなったら、ちょっと手を握るとか合図してくれるとわかりやすいんだけど」
「オーケー」
「おおけい? って何?」
「あ。それはボクなりの、『了解した』っていうことだよ。またいうかも知れないから、覚えててくれると嬉しいな。じゃあ面接の間、このソファにボクと一緒に座ってくれる?」
「え、ホント? 普通はあたいみたいな下働きは、立ってるもんだよ」
「下働きじゃなくて、『うちの人』なんでしょ?」
「アー、あれは、ああ言わないと ──」
主様は意地悪だと思った。それでもせっかく横に座れと言われたので腰かける。するとクッションが柔らかすぎ、二人の体がお互いにくっついてしまうのだ。なんとかバランスを取ってみるが、どうしてももたれかかっていく。クラサビは、主様にべったりしている破廉恥な女に見えないか、やや心配しながら隣の部屋で待つ面接者に声をかけた。
「じゃあ、ナンバーの小さいほうから並んでちょうだい。一番から五番までの方、こちらへどうぞ」
番号だけでいうと、エリートから推薦された五十体を含め、全部で七十五体。ただ推薦組はラージナンバーがいないばかりか、すべてゼロナンバー、しかも前半のみからの選抜と見えた。
よく見れば大半がダブルオー ── 要するに隊長クラスである。彼女らは、魔力以外の要素も加味されて丁寧に順位付けされた、エリートに直接仕える優等生だ。そもそも、適当に番号を振られたラージナンバーとは、根本的にできが違った。
圧倒的な差を付けられた、とクラサビは愕然とする。
だれでも、マナーと学問を修めた、理知的な貴族の娘と、街の市で野菜を売っている娘がいたら、どちらを選ぶかは想像に難くない。しかも、ウイプリーは順位にかかわらず見た目全員美人であり、さらには魔力でその魅力を向上させることさえ可能だ。
(これじゃ勝ち目はないかも ── 。ごめんね、みんな)
しかし、面接が始まると、その予想は大きく覆されることになった。