第〇〇四五話 落ちこぼれ魔族のとんだ蜥蜴(ひと)違い
さて、話はそこから長くなった。
行ったり戻ったりの話をまとめると、次のようなことになるだろう。
ウイプリーは魔族の一種、吸血鬼だ。虫としての生態は一般的に、一匹のカマールが生んだ百の卵から孵って成虫となり、それが二週間でまた卵を産んで成虫に育つ。合計、親の代とあわせておよそ一万匹まで増えた。
9037はそのうちの一体であり、羽化した一万匹は残らず、魔王の力でウイプリーに生まれ変わったそうだ。約一万の親族というか同族がいて、これらはすべてメス姿である。
魔王城にいたころ、出来の悪かった彼女は、特別待遇の料理長とともに下働き仕事にがんばっていた。
それがサターンナリア祭の前夜祭開催にあたり、徴用されたのがセクシーウエイトレス。支給されたコスに着替えて張り切っていたところへ、いきなり今度は全ウイプリーに徴兵がかかり、ここまで進軍させられる。現在も身につける赤いレオタードふう衣装は、そのときウエイトレス用に配られたものらしい。
下働きをしていたころ、食事の準備を手伝いながら、魔王城のシェフから料理を教えてもらっていた。同じ料理人とは言っても奴隷ではなく、特別の客人待遇だったというので人間 ── ユスカリオではないだろう。
ただそのお手伝いのおかげで、なかなか美味しいものが作れるようになったと鼻息が荒い。数が多いので番号でしか呼ばれない彼女だったが、彼は9037を読み替え、クラサビと名付けられたようだ。
(─ たしかロシアのほうの言葉で、きれいって意味じゃなかったっけ? それとも、9がク、0を零で無理やりラ、3はサ、7はビという語呂合わせかなあ?)
ラーゴも今後9037を、そう呼ばせてもらうことにすると言うと、感激のあまり涙で目を潤ませる場面もあった。魔族のくせに、感情豊かなところには驚かされてしまう。いや、自分を食べろといった魔王の怒りも、話に聞く残忍さも一種の感情には違いない。
「あたいなんかホントに落ちこぼれだからさ。偏って違う特徴があったりするけど、魔力のキャパは少ないし、平均的な能力もたいしたことないんだ」
それでは ── と、始まる講義の内容は、吸血鬼ウイプリー族の一般的な特徴だ。冒頭に、召喚主である魔王消滅以来、ウイプリーの魔力量は減衰してしまっているけれど、と前置きが入る。それでも強靭、怪力、舌先の針で吸血した動物を隷属、十里眼程度の透視、目を見るだけで魅了し操る、飛べるなどをあげていった。
逆に魔力不足であれば太陽の下で行動が鈍く、ひどいときには消滅する可能性も否定できない。さらに銀の十字架を、魔核 ── 人間でいう心臓の上にあてられると滅んでしまう、といった弱点も持つ。ただし魔核の場所は、個々によって違い、必ずしも人間のような定位置はないそうだ。
もちろん魔族であるが故、聖泉の忌避にも弱い。
吸血して蓄えられる対人間比魔力保持容積を主として優劣が決められ、通し番号で呼ばれている。とはいえ、ラージナンバーなどと称される、後半半数の順位はかなりでたらめにつけられたと語気が荒い。『7531なんて人間ほどしかキャパがないのに』とか、いろいろと文句があるようだ。
ちなみに、ラーゴから与えられた血はきわめて魔力が豊富なため、このまま燃料補給なしで三日三晩がんばれるという。だがなにをがんばるのか尋ねたら、『どんなことでも ── 』と言って少し赤くなっていた。先ほど勝手に書き込んだ、体表面や体の周囲に簡易な結界を張ることができる呪文暗号を使いこなしてくれれば、とりあえず聖域にも自由に出入りできそうだ。
「じゃあ、クラサビの偏った能力とか特徴ってなにか、教えてくれるかな?」
「あたいは ── そのさ、魔力さえあれば、自分以外を人間の姿に変えてやったりできたり、」
「それから?」
「ごめん、あとは他のやつより、吸血の針が異様に長く伸ばせるくらいなんだ。なんの役にも立たないよ!」
それは、魔族としての攻撃性能において、という話らしい。そういえば生体呪文の場所に『変身する・させる』とか、やたら針を『伸ばす』と連呼されていたのが思い出された。
少しへそを曲げてしまったかと思ったが、その後もクラサビは淡々と、ここの見張りを担当するに至った経緯を語る。
それは数日前のこと。王都攻撃の真っ最中、急に力を失ったウイプリーは全員蚊に戻ってしまった。同時に魔王の跡継ぎに対する絶対服従の呪いがかけられたため、探し求めてラーゴを発見する。それは大手柄のはずだったが、上司は落ちこぼれグループであるクラサビから、手柄を横取りしたいに違いない。
以来、魔力欠乏状態では消滅の可能性も高い、ここの見張りを頻繁にやらされているそうだ。
「魔王の、だれだって?」
「一粒種、跡継ぎ様でございますですよ」
無理に使おうとするクラサビの、慣れない敬語がおかしい。
「だれが?」
「主様じゃありませんか、え? 自覚無いの? ウッソー!」
(─ それって人違いじゃない?)
ラーゴはなぜ、そんな話になったのかと、ひたすら疑問に思った。同時に、この誤解は解いたほうがいいのか、とも考える。マーガレッタもゴードフロイも、魔王の子は始末したと言い切ったのだ。召喚された魔族はすべて消滅したと報告されていたが、蚊に戻ったのであれば、消えたと思われても仕方ないだろう。
ここで自分は違うというのは容易いが、クラサビ以外の生き残った魔族にもそれを知られたら、どうしようと心配になる。
ラーゴはこのとき初めて、他人が考えている内容を、千里眼でのぞいてみようと思った。
千里眼であれば、他人の表層心理程度を読み解くのは難しくないが、思考という精神活動は、きわめて複雑難解なもの。今思いついたことと同時に反対の深層心理も生まれ、結局そちらが思考を占める場合もあるため要注意。 ── とペスペクティーバからは教わっている。
よほど単純思考の者の心理でないと、慣れないうちは読み間違える可能性を覚悟したほうがよい、とも教えられた。その危険を冒しても、今は失敗するわけにはいかないと思う。しかも、クラサビだけであれば、万が一誤ったとしても、懐柔できる自信があった。
とにかく、せっかくの能力を持っているのだ。これも経験と思い、意識の透視を試行する。さっそく、クラサビが考えている内容を読んでみると ──
{なんで主様はとぼけるの? あたいが信用されてないから?}
── であった。この調子で行こう。
「えぇ、えとね、ごめん。クラサビが信用できなかったとかじゃないんだ。実は、ずっと隠してたことだから。でもどうしてボクが、魔王の子供だってわかったの?」
「それはさ、あたいの手柄だって言ったよね。あたいと仲良かった人間たちが、魔王島からここへ連れて来られている道中まで、無事だったかなあと思って見に行ったの。そしたら主様の卵が捕まってて、ちょうど孵ったのよ」
クラサビは、卵から出て来たばかりの自分を見とがめたと言っている。その経緯を、ラーゴは疑問に思った。
「ボクを、見たことがあったの?」
「まさか。あるわけ無いでしょ。あたいは、奴隷レベルの下働きよ。魔王様だって、拝顔したこと無いわ。ロノウエさまでも、二~三回よ、顔を見たのは」
たしかに卵の中を透視していたら、おそらく自分を跡継ぎとは思わなかっただろう。会話中に時々表層心理を見るが、嘘やごまかしはないようだ。彼女はわりと、単純思考のほうらしい。
「それでボクが魔王の子供だって、よくわかったね」
「なに言ってるの。あのお城から出てきた魔族 ── ヒトでないものは、主様だけだったのよ。あたいたち召喚魔族はすべて元の姿に戻されたし、後はサタンさまと主様しかいないじゃん? それにあたいが見ていたとき、主様は卵から孵化したわ。そりゃ顔は知らないけど、サタンさまじゃないってわかるじゃない」
「でも、それでボクが魔族って思ったの? きっと、とんでもない魔力も、感じたりはしなかったでしょ?」
「そんなの、結界とかアイテムでごまかしてるとわかったわよ。そうじゃなきゃ、人間が生かしておくわけがないでしょう?」
なるほど、つじつまは合っているが、消去法で探したとはおどろきだ。自分のような、外からつれてこられた魔族が、食用とはいえ紛れ込んだのは、計算に入ってはなかったのだろう。
「そこまで、わかってたんだ。すごいね。クラサビは」
「エッヘン、あたいはバカじゃないもん」
といばりながらも ──
{いつもバカだの役立たずだの、半人前だの言われて辛かったんだ}
── という思考が見える。なかなか、彼女の半生もいろいろあったようだ。
「最初はね、半信半疑だったのよ。でもその後も見張ってたら、この聖域に入って行くじゃない。魔王の後継ぎは聖域をも支配できる、史上始まって以来の画期的魔族。そんなことは、あたいでも知ってたからね。これで決まりよ!」
なるほど、首輪のおかげで、魔族まで誤解したということか。やはり、首輪サマサマといった感じだ。
「じゃ、じゃあさ、変なこと聴くけど、もし、ボクが消滅したり、滅ぼされたりしたらどうなってた?」
「主様が人間にやられたら?それであたいたちが消滅しないかが一番心配だけど、つまりはぐれ魔族になるってことよね。それはたいへんなことよ。」
今、ウイプリーが目の前にいるのだから、消滅しないのは確約済みだ。それより『たいへんなこと』のほうが気になってしまうラーゴ。
「そうなの?」
「そりゃ中には今までの組織から外れる変わり者もいるかも知れないけど、そこまでなめられたら、上が黙ってないわ。封滅をかけて血を吸ってでも、力を取り戻し、大復讐戦が始まるでしょうね。あたいだってそうなったら、きっとついて行かないとしょうがないかなあ。でも、そんな心配ないんでしょ?」
「う、うん、もちろんだよ。うまくやってるからね。いろいろ、人間の情報を仕入れられたんだ。友だ ── 顎で使える手下を作ってね」
あわや『友だち』と言いそうになった。
「さすがに、我が主様だわ!」
「いやあ、それほどじゃないよ」
ラーゴは、状況を飲み込んだ。自分はヒト ── もとい。魔族違いされている。そしてもし、魔王の子が滅んだとわかったら、たいへんなことになると。
なるほど、絶対服従の縛りだとか、それが呪いとか言っていたのは、ゴードフロイが聞いたという魔王が最後に残した言葉だったのだ。その後すぐに跡継ぎは退治されたはず。だがたとえば、同時だったから呪いだけがかかった状態で、残存魔族は宛ても無く、幽霊っぽいままさまよっているのだろうか。そうは言っても、それがバレたらとんでもない事態になるかも知れない。
これは王国にとって先ほど話されていた、どの話よりもたいへんな問題である。まあこのダメ吸血鬼なら、自分を間違えたままでいてくれそうだ。今はぜひ彼女を通し、なんとか残存魔族のうち、ウイプリーだけでも大人しくさせておきたい。
にわかにクラサビは、いつもクリムが座る椅子に腰掛け、檻の出入り口を開けた。何かと思っていると、檻の中まで手がさしのべられてくる。褐色の瞳がうるんでなかなか色っぽい、しっとりした動作だ。
「主様、怒らない?」
「なにが? 怒らないよ」
なにを言い出すのだろう? なんでもずけずけ言いそうなくせに、表層心理は{大丈夫かなあ?}といった気持ちがいっぱいで、本題が何かは読めなかった。自分の能力は、名前こそ千里眼とはいうものの、その使用方法に慣れないため、これが限界なのではないだろうか。本人が言いにくいと感じた内容は、より強い感情『ためらい』や『気兼ね』が前に出て、きわめて読みづらい。
「主様に美味しい血が流れているのは、秘密にしたほうがいいと思うの。ウーンと、それはね、あたいと主様だけの秘密ということよ」
やけに色っぽいというか、誘惑するような言葉づかいだ。しかし本人の自己申告でも、たぶらかすより尽くすタイプのクラサビである。『嘘ついてます』というオーラが、千里眼を擁しなくてもわかるほど顔に出ていた。こんな場合なら意識を読むと、 ──
{血が流れているのは下等魔族でも珍しいはずよ。いかに絶対服従といっても、他の魔族から、自分より劣る魔族に仕えるなんてと、不満が出るかも。知られないほうがいいわよね?}
── と考えているのがわかる。かくかくしかじかで『騙してやろう』といった隠しきれない気持ちがあれば、けっこう読めてしまうらしい。
なるほど、この娘も魔族にしては優しく、性のいい娘だ。しかも今度は、さらなる深読みもでき、こんな思いも見えてくる。
{でも、じかにふれても魔力を感じないわ。噂では魔王がトチ狂って、ろくでもない雌体に生ませた子供というのは本当の話なのかしら。いわゆる、無能魔族なの?}
いやユスカリオによると、母親は魔族とは関係ないはずだ。だがここは反論するべきところではない。
「あ、あのさ、クラサビと二人の秘密って、なにか意味深だね」
というと同時に、クラサビの意識が切り替わる。
{あぁ。やっぱりあたいを助けるため、魔族として恥ずべき血まで流してくださった、主様にもうメロメロよ。見捨てるなんて、できないわ}
「だってね。ウーンと、 ── そう、みんながほしいって言い出して、主様の血が足りなくなったら困るもの」
そんな台詞を口にしながらも、クラサビの気持ちは違っていた。
{とんでもないダメ魔族の配下に入っちゃったかも。負け組決定かなぁ。できるなら、主様には大きな夢は持たないでもらって、戦わないで穏便に暮らせたら嬉しいなぁ}
「クラサビはいい子だね」
そう言葉をかけると、また彼女はしばらくヒートアップしてしまった。惚れっぽいタイプなのかも知れない。いやな言い方に聞こえるかも知れないが、ラーゴはいよいよクラサビは使えると確信する。もっと色々と、情報交換しておくことにした。