第〇〇四三話 アネクドート・オンドーリア大司祭
オンドーリア大司祭は、神に祈る。
「全知全能の女神、ガニメデよ ──」
どうか、アレサンドロを目覚めさせてほしいと。
平素は理知的にもかかわらず、ひとたび剣をとれば無謀で猪突猛進のアレサンドロ。彼はいままでも、命にかかわるような事故を数多く起こしてきた。ミリアンルーン殿下の、ひいては王国安寧のために、強くなりたいという気持ちには共感できる。
だが彼が真王の子でなければ、 ── 実際には嫡子ではないが ── 五回くらいは本当に、死んでいたかも知れない。
それをいつも真王は、聖霊に依頼し、聖泉の働きで治してきた。実際には十里眼使いの診断をもとに、王が操る聖泉の治癒能力と、聖霊が持つ気を整流する治癒力も用いて、治療してもらっている。
教会関係者として、魔法使いの力を借りるのは看過できない。しかし、例外中の例外として目をつぶってきた。それどころか、大司祭でさえ、聖霊にアレサンドロの治癒を依頼してきた一人だ。
(脈に通ずる聖霊との交流は、とくに忌み嫌われているわけでなかったはずであるが ──)
聖脈を管理・維持できるのは、聖泉に選ばれた王であり、場所によって聖人の場合もある。
聖泉や聖脈の維持が滞ると、脈だまりのエネルギーが減って聖霊が弱体化、あるいは衰弱していく可能性が高い。通常状態ならかなりの数養えるというので、脈詰まりや王族の混乱による聖泉の枯渇に至れば、聖霊にとって死活問題となる。
たとえば前国王の代に、起こった一大事だ。この問題に教会は、自分やマーガレッタを擁して十年余、即位まもない現国王の支援にあたり、なんとか現在の繁栄を取り戻した。そこを憑代とする聖霊は、王の恩恵で聖泉の脈だまりに棲めると感謝し、見返りに王盟へ従属、治政への協力も惜しまない。
(しかし、これからは厳しい時代が来るかも知れん)
なぜなら、このたびの騒動に対して行なわれた、ゴードフロイと二人のウルトラクラスとも言える聖人の派遣。それは聖泉に耐性を持つ、いや聖泉をも支配できる魔王 ── 『魔族の次代の王』が誕生する予言が発端だった。
ガニメデの聖泉に限らず、世界中の聖脈における魔俗忌避能力は、魔脈が聖脈と別れた後におきた、天変地異によると伝えられている。それは神の使いである使徒ですら、口碑でしか知りえない史実と言われる言い伝えだ。もちろん、ときとして教会の伝承には、いくつかの時代の伝説がとり混ざっていることも少なくない、と断らねばならないが。
── 言い伝えによれば、あるとき太陽が大地から遠ざかった。すると太陽の力を吸収して光り輝く星や月といった天体は、急激に力を減衰していく。月は周囲にあった星の併合により失いかけた力を蓄えたが、多くの星は力をなくして大地に降り注いだ。そのうちのラドンという星が脈の中に落ち、地上にはない物体が脈に溶け込む。ついに当時の脈の番人であった神は、それを封印したそうだ。
この片鱗は薄く広く世界中の脈に伝搬し、おかげで聖泉は人間の体にさらなる効能を加える。一方、生物としての実態をもたない魔族には、致命的な忌避となった。
従来も、魔族に聖水耐性の、生来固有能力を持つものは確認されている。ただし、だからと言って耐性のある魔族が、人間の管理する聖脈を狙って襲ってきたことはない。なぜなら忌避の効果を受けないだけであって、聖脈を利用するなどできないからだ。
だが次代の魔王は聖脈を、魔脈のように取り込んでしまえる化けものだったらしい。今後そうしたものが増えてくるということになれば、人間の生活の拠り所である聖脈が、常に魔族に狙われるだろう。結果、豊かな人間の生活はどんどん、脅かされて行くに違いない。
(今のところ、そういう魔族が生まれたというのは王国だけ。しかもマーガレッタが抹殺してくれたようだが ──)
一方今宵、人払いも行なった深夜の時間に診断を仰いだ聖霊たちから、アレサンドロはあきらめたほうがいいと宣告してきている。
実は今夜、十里眼魔法使いを超える、偉大な脈の支配者がまったく偶然に現れた。それは一夜にして、彼らのオフィサーに認められたほどの逸材だ。ところがそのオフィサーにさえ、アレサンドロの状態は絶望的と診断されたという。
真王は、それをお聞きになって、これまでになく落ち込んでおられる。もはや人の身のオンドーリアには、祈ることしか残されていない。しかしその報告の最後に、聖霊主、チーフゴーストは付け加えた。
「王よ、嘆くではない。次期国王ミリアンルーンは、オフィサーとなられた脈の支配者が深い親しみをもち、強い結びつきを持つ、まれに見る王の器。而して王国グラン・シァトゥルの繁栄は、約束されたのも同然である」
と ── 。
(殿下は、いつの間にそのような縁を結ばれたのか ──)
生まれたときから見ているので、利発な子供とばかり思ってきたものだ。とはいえ自分たちの知らぬ間に、立派な女性として天恵を受けるまで成長してこられたということに違いない。
そう考えた大司祭は、王国の未来の希望に一途な祝福を送るのだった。




