第〇〇三九話 深夜の城内 女湯の湯気の向こうで
手始めに、初めてプログラミングした城内のあたりで、視界を開こうと念ずると、あのとき歩いた廊下が浮かんできた。とくに呪文を唱える必要もない。『一度行ったところを見る』能力だ。相変わらず衛士が、一定距離を置いて立っている。そこへちょうど、魔術師ゲーベが巡回にやってきた。
(─ この人は比較的物知りだと思うけど、ペスペクティーバとどちらがというと、圧倒的にペスペクティーバだろうな)
ゲーベが教えをうけた魔法使いならどちらがと悩むところであるが、先生と学生の違いは埋まらない。そもそも頼りになるなら、聖人や神官が頼りにしているはずだ。
次は、ユスカリオの様子を見てみたいと思う。
当たり前の話だが、ラーゴの覚えているミリンと初めて会った場所に、視線を開いても見つからないようだ。そこは軍の後方支援部隊の、寝泊まりするらしき宿舎から、王城につながった屋根付きの通路が数本交わる、比較的広い場所だった。真夜中を過ぎた今は、そんなところにだれの影もない。
たまに巡回の衛士が、魔法灯火と似たようなモノで足元を照らしながら、見回っているのが見られる程度だ。そこでラーゴは、新しい実験を試みた。千里眼を用いて、知っている人は探せないだろうかという実験である。
(─ ユスカリオはどこだ?)
睡眠中であっても、寝ている場所が見つかりさえすればいいと割り切って、周囲三百六十度を見渡してみた。すると支援部隊の宿舎ではない、いわゆる作業棟らしき方向に、赤色の点が細かく明滅する。
そこは作業棟の入り口で、部屋の中に点るのは、魔法灯火らしい色の灯りだ。しかしそれは冷たい白色の光であり、赤色の点に見えたのはおそらく、千里眼によるお知らせだろう。視点をそちらに動かして行くと、人の声が聞こえてきた。
「ユスカリオ、こんな遅くまで仕込みとは、精が出るな」
まだ明日ふるまう食事の、仕込み中のようだ。
「はい。少ない材料ですが、また明日もみなさんに、美味しく食べていただきたいと思いまして」
「ありがたい、昨日のシチューというものもうまかったが、これも鶏ガラのなかなかいい匂いだ。楽しみにしてるぞ」
いい感じで誉められている。たしかに昨日と今朝、いただいたシチューは美味しかった。話から、兵士の国にはない料理といった感じがある。
「国からつれてきた、専業料理人よりはるかに旨いと、ゴードフロイ総指揮官が喜んでおられたぞ。どうだ、本当に一緒に我らの国に帰らないか?」
「はあ。ありがたいお話ですが、わたくしめはここでいただけた、大事な仕事もございますので」
「変わったやつだ。城勤めとはいえ、トカゲやヘビの世話ばっかして楽しいかねぇ」
ご馳走の匂いにたかっていた数匹のハエ兵士は、けたたましく笑い声をあげて去って行く。ユスカリオはそれを ──
「遅くまでご苦労様です」
── と、笑顔で見送った。そこそこの年齢とはいえ、ユスカリオはなかなかできた人間のようだ。人間が何人もいるため、あわてて先ほど作った呪文暗号で魔力保持限界を調べると、判で押したように全員同じ値が出る。
あるいはユスカリオだけは特別かと思ったが、まったく普通の人間だった。今後は、この数値を定数でベースにする。
(─ こいつは料理もうまいし、自分の出生の秘密も握っているとはいえ、それだけに慎重な接触が必要だ)
いずれにしても、料理のことならいざ知らず、生命の神秘についての才は持ち合わせないだろう。アレサンドロの助けにはならないし、とにかく、ユスカリオとは距離をとっておきたいのでパスするしかない。
こんなに真夜中でも、いろいろと働いている人たちがいるのには感心する。
そして思いつく端から王城の記憶に残る場所を散策して行くが、さすがに夜なのでほとんどのところは暗闇だ。暗闇でも千里眼には見通す力があるが、今見ようとした場所はかなり光に満ちており、ただ明るい割に視界は悪い。濃霧注意報が、警報レベルで発令中らしかった。
(─ 水蒸気を見ない!)
念じると、曇った窓ガラスを雑巾で拭き取ったようにクリアな視界が開ける。そう、ここは昼間掃除中だった大浴場なのだ。
掃除中とはいえ、ミリンとマーガレッタがズカズカ踏み込んで行ったのを見る限り女湯に違いない。温泉旅館ではないのだから、日や時間で男湯女湯が入れ替わることもないと思うが、その根拠を持っているわけではないラーゴ。ただし今は真夜中で、ここにはだれもいないようだ。
(─ いや、決して覗こうとしたんじゃないんだよ)
己自身にいいわけを言う、自分が情けない。
おそらく聖泉がそのまま引き込まれているのだろう。お湯が入るとこんな感じなのかと思いながら、雰囲気を感じ取ろうと徐々に水蒸気も視野に入れて行く。そのとき ── 。
「ああ、やっと終わりましたわね、お姉様」
「すっかり深夜になってしまいましたわね、マーガレッタお姉様」
「たしかに真夜中十二時まで神殿に入れなかったうえ、半時間アレサンドロさま快癒の祈願にと、お祈りを奉じたから遅くはなったわね。だけど、大浴場を私たち五人で独占なのよ」
「もう眠いわ、今日も朝からいろいろありましたので。そのかわり、明日は昼前までゆっくりできるようですけど」
最後の声は、聞き覚えがある。やや砕けた口調ながら、昨日飼育小屋に連れて行かれ、今日半日いっしょに城を巡った美人聖戦士に違いない。スルスルと服を急いで脱ぐ音が、磨りガラスの嵌まる、入り口の扉の向こうで聞こえてきた。
(─ どうする? どうすればいい? 自分の覗いているのはわからないと思うが、このままここを見続けるということは ──)
鼻血ブーという、既成知識からの難解ワードが脳裏を駆けめぐるより一瞬早く、扉が全開される。だがそのときすでに、自分の納まる、檻の入り口を見つめていた。
(─ 考えたら、見たけりゃいつでも見えるんだよなぁ)
ペスペクティーバの、神殿入りを隠ぺいする人払いが深夜零時までだったはずだ。そのためおそらくは毎夜、恒例に行なわれる ── 今はアレサンドロへの ── お祈りが遅れ、今ごろ入浴ということになったのだろう。
ふと『お姉様、いつ見てもきれいな肢体』とか『この大きなマシュマロに、ちょっと触ってもいいですか?』などという百合劇場が展開しているのでは? そんな妄想が次々脳裏に浮かんできたが、必死で忘れるようにつとめるのだった。
(─ もし覗いたなんて知れたら、切られるどころかなますにたたかれて、二度と元の形には戻れそうにないよ)
しばらく気を落ち着かせたラーゴは、月が観えた屋上へと視線を移す。先ほど上がったときと同様、衛士が要所要所で見張りに立っており、一定時間ごとに持ち場を入れ替わるようだ。
そこから中庭のほうへ視線を降ろすと、庭園の中に神殿、聖泉、飼育小屋が配置されている。詳しく見ようとすれば、ピンク色の靄が聖泉を中心に溜まっており、その少し上、屋上から一階分降りた窓の縁に紫色の点滅が見えた。
どうも千里眼が、危険を知らせているように感じる。ピンク色の靄は、おそらく聖泉の加護とか、魔族忌避効果にあたるものらしい。では、紫色の点滅って何だろう?
以前ズームアップはできなかったが、視点を動かし、対象に近づこうと念じると、その点滅の教えてくる正体はわかった。カマールだ。蚊ごときに危険信号を灯すとは、もしやこいつ、フィラリア寄生虫でも持つのだろうか?
屋上のカマールと、やや大きさが違うような気がするが、測って覚えているわけではないので、確実なことは言えない。別の蚊というなら、あのとき言われた連絡要員だろう。
(─ まあ、いずれにしても蚊ではあてにならないので、 ── 蚊だけに ── 無視することにしよう)
次に、先ほどはゆっくり見なかった市街地ではあるが、もちろん真夜中を大きく回ると灯りの見えるところもまばらである。ところが、一部の灯りに瞬きがあるのが目に入った。これは千里眼効果ではない。本当に、灯火の実際の揺れなどから来る瞬きだ。
拡大する方法もペスペクティーバに教わっていたので、実際にはズームインと同じ効果となるが、やってみる。なんのことはなかった、近づきたいと念じるだけだ。同時に、ドタバタと何人かの人間、大人の男たちが暴れている音が聞こえた。
「タオはどこでい! くそっ、逃げやがったな!」
「知るかよ! タオさんは、こんなところに来られやしねえよ! ヘタレが!」
言い争う声が轟いてまた争い、大きなものが倒れたり落ちたりといった音が響いている。その後すぐ、灯火は完全に消えたため、二階にある窓越しでよくわからない。
『パン!』
乾いた破裂音が聞こえて人のうめき声がし、二階の窓から人が外へ落ちた。さらに、同じ音が数回ひびく。
(─ 銃声?)
その後、数人がドタドタと階段を駆け下りるような音がしたかと思うと、けはいはこちらからは見えない通りへ走り去って行った。これは、くだんの闇組織とかの闘争にちがいない。
真夜中とはいえ町中で平然と人殺しが行なわれるとは、王都の市街地がかなりの闇に取り込まれている。しかしアレサンドロの治癒も大事だが、市街の治安確保は急を要する大問題ではないのだろうか?
とはいえこの問題について、ラーゴはほとんど情報を持たないのだ。どういう状況になっており、なにから手を付ければいいのか、街に行って調べなければ、方針や善処策も立てようはない。
(─ と言っても、よくものが見えるだけのトカゲに、何ほどのことができるのだろうね?)
いずれにしても、だれにも話しかける手段がないわけだ。アレサンドロの治癒に関する情報がほしいといっても、話ができるのは今のところ聖霊とペスペクティーバのみ。要するに、自分には情報源がなさすぎであると、実感しただけに終わったラーゴだった。
(─ そうだ! 最後に我が飼い主様は、まだ起きているだろうか?)
今日はあちこちラーゴを連れまわし、午前中にも慰霊祭や、その後には難しい話にも参加した。さぞかし疲れたとは思うものの、とはいえ自分の身にもかかわる話が山積で、場合によっては興奮して寝つけていないという心配もある。
そんな心配をしたラーゴは、昼に見せてもらったミリンの寝室に意識を遷す。心配は無用だったようで部屋は闇に閉ざされ、耳を澄ますとかわいい寝息が聞こえてきた。
千里眼で明るさを調節すると、暗闇に夜明けが訪れ始めた程度になり、白々として見やすくなる。少し寝顔も覗いて帰ろうと、ラーゴは入り口のあたりから、天蓋のついた巨大なベッドに近づいた。
(─ え!)
ラーゴの引き継いだ知識から、有名な外国の女優が寝るときの装束を訪ねられた際、高い香水の名前を告げたという逸話が現れる。しかもこの部屋は、聖泉の加護で十分暖かいようだ。
薄い毛布をはねのけてS字型に横臥している肢体は、生まれたままの、まさに一糸もまとわぬあらわな姿である。とは言うものの、体勢的にはラインがみえるだけで、すべての大事な部分は隠れており、とくにモザイクの必要はない。
(─ きれいだぁ)
マーガレッタのときは寸前でカットできた。だがすでに、見てしまったものは仕方ない。
やや薄暗い程度の部屋に、白皙の裸身をさらして少女が横たわる。その姿は芸術品を鑑賞したと思い、ラーゴの胸にしまっておくことにした。




